Stay Together

Green (@ribbon_bear) が毎週好きな音楽ネタを語ります! Since 2011

キップ・ウィンガー 「ロックもクラシックもその両方が俺の心の糧となっているんだ」

ミュージカル『Get Jack』コンセプト・アルバムを7月19日にリリースしたキップ・ウィンガーがメディアのインタビューに複数応えました。その中から、興味深かった内容の概要を和訳してみました。(インタビュー音源はこちらこちら

=========================================

Img_0727 あなたは何でもできそうな人ですよね、なぜ子供の頃にロックをやろうと思ったのですか?

そんなことないんだ。俺は子供の頃から兄弟と70年代のロックやポップをプレイしてた。そのバンドに集中してて、あちこちでプレイしたんだ、学校のプロムとかも。16でクラシック・ギターを始めたけど。その頃ガールフレンドがバレエをやるって言うから、バンドは夜だから昼間に俺も一緒にやって、そこでクラシック音楽を聴いた。素晴らしい音楽だ、誰が作ったんだ?って思ったよ。

少し説明すると、俺は15歳で高校を中退して、兄弟でバンド活動をしていたんだ。でもバンドが解散して、その後俺は一学期デンバー大学に通って、音楽理論と演技とシアター・ミュージカルを勉強していた。バレエの勉強もしていたから、自分の芸術的感性が高まっていたんだ。

コロラド州バレエ団ってのがあって、俺は学ぶのが早かったからプリンシパルリクルートされたんだ。一時はバレエダンサーとしてやっていけるかも、と思ったこともあった。でも俺はロックスターになりたかったんだ。だからある時、団長のところに行って、俺はNYに行かなくちゃいけないから、バレエは辞めるって言ったのさ。

バレエのような芸術の世界とロックの世界とは随分と違うように思いますが、例えば、(バレエをやっていると)いじめにあったりはしませんでしたか?

いや。俺はどんな環境にも自分をカメレオンのように順応させ、どういうグループの人ともうまくやっていけるんだ。ずっと後のことだよ、Winger で成功してから、バレエのことで皆にからかわれたのは。

それに俺にとってのいじめ体験ってのは、メタリカが俺のポスターにダーツを投げてバッシングの対象になったときだ。あれは厳しかった。でも俺にとって大切だったのは常に今よりも優れたミュージシャンになるということだったから、それに集中した。

クラシックの演奏家になろうと思ったことはありませんか?

それはない。クラシック・ギターを習っていたけれど、早い時期に悟ったんだ。何時間も何年も訓練してきまった道を経て演奏家として身を立てる限られた枠というのは自分には向いていないと。俺は音楽をクリエイトしたいんだ。誰かと同じ道を歩もうとは思わない。

そしてあなたはクラシック作曲でグラミーにノミネートされましたね。

ああ、素晴らしい評価が得られた。(例のMTVですっかり名前がバッシングの対象になっていたから)クラシック作曲でグラミーノミネートされ、俺は自分自身の評判を取り戻すことができたと思う。とても困難な道だった。

授賞式で他の優れた作曲家の名前と共に自分の名前を見るだなんて、現実とは思えなかった。彼らは人生をクラシック作曲に捧げている中で、俺は全く違う世界からやってきた。彼らと名前を並べたことはとても光栄だ。

音楽のビジネスサイドの話を聞いてみたいのですが、あなたの主な収入源というのはクラシック作曲でしょうか、 Winger でのツアーでしょうか、ソロ活動又は著作権収入でしょうか?あなたはとても多くのことをしているので、興味があるのです。

俺は労働者だよ。俺の主な収入はソロコンサートからだ。それからバンドやソロとかのストリーミング収入があって、クラシック作曲でも収入はある。例えばクラシック界ではジョン・アダムスみたいな人は大金を稼ぐが、そんなじゃない。ともかく3つの活動それぞれから収入はある。

Winger で成功したときに、どう祝いましたか?成功してドラッグやその他の問題に囚われませんでしたか?

ゴールド・ディスクと写真を撮って両親に送ったよ。俺は高校中退していたから、まともな仕事にもありつけないだろうって思われていたんだ。父は素晴らしい人で、俺に高校中退したい理由を小論文に書かせたんだ。俺はバンドでツアーに出たかったし、学校の教育は俺に合っていなかった。父はそれで許可してくれたんだ。皆は驚いていたよ。それでゴールド・ディスクを取って父に自分の力を証明できたんだ。

俺はドラッグをやったことは一度もない。アリスは俺のことをブリーフケース・ロックスターって呼んでたんだ。当時俺は作曲の勉強をしてた。ツアーバスの後ろで(鞄から本を取出して)弦楽四重奏の勉強をしてたんだ。酒は多少飲んだけど、2012年に止めたんだ。アリスのバンドで俺は生真面目で厳格なタイプだった。アリス自身もそういう人だよ。

『Songs From The Ocean Floor』は素晴らしいアルバムですが、ビジネスとして厳しい状況で経済的にはどうやって生活したのですか?

あのアルバムは最初の妻が亡くなって、自分の評判もギグも無いとき、ただ音楽に向き合って書いたもので、当時の俺の心を吐露した日記帳のようなものだ。

俺は浪費家じゃないから、貯蓄があった。著作権収入も。これは随分と遅れて支払われるから。Monster Ballads (コンピレーション・アルバム)では4万ドルの小切手をもらったよ。そこここでギグはやっていたけど、どうやったのかわからない。2002年にはナッシュビルに引っ越したよ。

どうやって暗黒時代を抜け出したのでしょう。

2002年に Winger でツアーを再開した。ナッシュビルが気に入ってポールが引っ越して、俺も引っ越した。昔のアトランティックの知り合いがいたんだ。ギグを再開するのは難しかったけど、ジム・ピートリック(Survivor)のチャリティに呼ばれたり。アラン・パーソンズが電話をくれてシンガーに雇ってくれて、1年ほど彼のバンドで歌ったんだ。

あなたはロックの魂を持っているけれど、今あなたの心の糧はクラシックのようですね。

明確にしておかなくてはいけないと思うのだけど、ロックもクラシックもその両方が俺の心の糧となっているんだ。

今俺は交響曲を書いているのだけれど、難しくて死にそうなんだ。ここでスタバに行って休憩しようかなと思ったり。でも待てよ、もうすぐ Winger でステージに立って思い切りロックできるよな、と思うと気分がいい。俺の複数のキャリアが巡って相互に助けている感じなんだ。

クラシックの作曲は刺激的だけれども、まるで拷問のように難しいんだ。他の作曲者がどうなのかわからないけれど、これは本当に難しい。クラシックの作曲をせずには生きられない程好きでない限り、決して誰にも勧めない。これをやる唯一の理由は、やらずにはいられないからさ。

オーケストラがあなたの曲を演奏するのは格別の気分と思いますが、Winger でステージに立つのはどんな気分ですか?

俺は生まれながらのパフォーマーだから、ステージに立つと気分がいいよ。音楽というのはオーディエンスとの交流にある。家のリビングで練習する音楽ってのもいいけど、本当に音楽をやりたいのなら、オーディエンスの前で音楽をやらなくちゃいけない。

音楽というのは感情を伝える言語なんだ。人間の感情を身体を通して伝える言葉なんだよ。そこから高まりや感動が生まれるんだ。人と感情のこもった会話を交わすことなんだ。だから(音楽ジャンルの違いで)一方が他方より優れているということではない。

交響曲をオーケストラが演奏しているときもバンドがヘヴィな曲を演奏しているときも、俺は同じように感情を身体を通して伝えている。ただバンドが違うというだけなんだ。

私は多くのロッカーと話してきましたが、楽譜を読む人でさえ稀です。あなたがクラシックでやっていることを考えると、凄いと思うのです。

楽譜を読むこと自体は何も凄くないんだ。コミュニケーションの別の形態というだけさ。(あの素晴らしい)Beatles だって皆が譜面を読む訳じゃない。俺にとっては別のジャンルの人とコミュニケーションを取るための道具なんだ。

俺は決して音楽のジャンルで優劣があるとは思わない。芸術は芸術なんだよ。俺は自分の脳が機能するやり方をするし、人にはその人のやり方がある。芸術の素晴らしさは世の中に貢献することにあるのだから。

========================================

アルバムのリリースに合わせて多数のインタビューをこなしているキップですが、更に Facebook でのライブチャットもこの2週間程で3回行っています。どうやらライブチャットが相当気に入ったようで、今後も期待できそうです。

そんなライブチャットでいくつか新たな情報が入りましたので、以下に列挙します。

  1. 2014年に川崎でレコーディングしたライブアルバムはまだミキシングの段階だが、いつかリリースする。
  2. 音楽を始めてからレコードデビューまで大量の録音音源をデジタル変換作業中。ウェブでサブスクリプション形式での公開を考えている。
  3. ソロアルバムの素材もかなりあるので、今後制作したい。
  4. いつかカバーアルバムを創りたい。カバーしたい曲は沢山ある。

日本ファン悲願の川崎ライブアルバム、いつかどうにかリリースしてください!

スティーブ・ヴァイ 「誕生日おめでとう、ジョー・サトリアーニ&ブライアン・メイ!」

スティーブ・ヴァイジョー・サトリアーニの誕生日(7/15)とブライアン・メイの誕生日(7/19)に長文メッセージを投稿していました。ヴァイ先生にとっては2人とも特別な存在。素敵な文章でしたので、以下和訳してみました。

===========================

ジョー・サッチ、誕生日おめでとう!

私がロングアイランド、ウェストべリーにあるジョーの家の玄関に立ったのは12歳のときだった。多分、私の家から歩いて10分くらいだった。

私の手にはギターと弦のセットがあったが、私は弦の張り方でさえ、何も知らなかった。それから3~4年間、ジョーは週に一度私のプライベート教師だった。そしてそれ以来、彼はずっと私の音楽人生におけるメンターだ。レッスンは私にとって治療でもあった。当時、彼のレッスンが私にとって世界で最も重要なものだったのだ。

ジョーは全くの無私の心で音楽アイデアを教えてくれた。私の心の中で長年に渡って、ギターにおける最も優れ、興奮するものを体現していたのは常にジョーだった。そう思う人は私だけではないだろう。彼は楽器演奏において自分自身の声を発見する重要性を教えてくれた。たった15歳であっても、ジョーがギターに手を触れるときにはいつでも、そこから聴こえるのは美しい音楽なのだ!ジョーと座ってただ即興プレイをしていた記憶は私の音楽人生で最高のものだ。

同時に、それほど深刻にならず、ユーモアのセンスを持つことも彼から学んだ。もし彼が存在していなかったら、スティーブ・ヴァイというギタープレイヤーは存在しなかったと確信している。もし存在していたとしても、随分と違う人間だったろう。

しかし私が最も大切に思っているのは私たちの友情だ。私はギターの弾き方だけでなく、多くのことをジョーから学んだ。そして何年にも渡って私たちは幸運にも共にツアーし録音し、更に素晴らしく実りある人生経験を重ねた。これからも私たちは間違いなくそうしていくだろう!

彼がこの世にいて、我々ギタープレイヤーは何と幸せなことか!

 

この投稿をInstagramで見る

Steve Vaiさん(@stevevaihimself)がシェアした投稿 -

===========================

ブライアン・メイ博士、誕生日おめでとう!あなたは我々の人生の質を上げるため、宇宙から遣わされた、最も優れた革新的ギター・オーケストレイターだ。あなたは計り知れないほどの宝だ。

彼が我々に与えた良い影響は計り知れない。私が友人のジョン・セルジオから教えられ Queen と出会ったのは恐らく14歳のときだ。私にとっては巨大な一枚岩が地上に出現したようなものだった。私は Queenブライアン・メイについてあらゆることを調べた。彼の驚異的なトーン、メロディ、ハーモニー、曲、ギター・フレージング、そしてもちろん、あの有名なハンドメイドのギター"レッド・スペシャル"について。彼の音楽は全て完璧にオーケストレイトされており、それは彼以外の者が創り出すことなどできないのだ。

そして、私にとって忘れられないその日、確か私が20歳のとき、ロスに引っ越して数日後のことだった。サンセット大通りにあるレインボー・バー&グリルに入ると、ブライアンがバーに立っていたんだ。現実の事とは思えなかったよ。近づいて彼に話しかけてみると、彼はとても親切だった。彼は私の話に興味を持ってくれ、私も彼の話がとても興味深かった。自分のギターヒーローと会話しているなんて自分でも信じられなかったよ。彼は翌日の Queen リハーサルに招待までしてくれたのだ。もちろん、私は出掛けて、バンドメンバー全員に会った。現実とは思えなかった。そしてそこにはレッド・スペシャルがVOXにプラグインされていたんだ。このギターを現実に目の前で見るとは非現実的だった。そしてブライアンが言ったのだ、「いいから試してごらん」

ほんの数年前まで十代の私はロングアイランドの家のベッドルームでこのギターを(雑誌やポスターで)じろじろ眺めていたというのに、今自分の手にこのギターがあるのだ。もちろん私はプレイしてみた。しかし残念なことに、全くブライアンのようなサウンドはしなかった。あの高貴なトーンは彼の指に宿っていたのだ。

私は長年に渡って、幸運にもブライアンと共演する多くの機会を得てきた。だが最も私が有難く思うのは私たちの友情だ。ブライアンを知ることで学んだ最大の1つは私が私自身のファンに会ったときの対応に影響を与えた。彼は常にとても忍耐深く、支援し、人を元気づけ、自身が大のギター好きであり、会う人皆に思いやりがあるのだ。

ブライアン、ありがとう。

 

この投稿をInstagramで見る

Steve Vaiさん(@stevevaihimself)がシェアした投稿 -

================================

ヴァイ先生とサッチ、この2人にとってブライアンはギター・ヒーローで、それぞれ交流があります。サッチの自伝本 『Strange Beautiful Music』(日本語翻訳本の出版は無し)の序文はブライアンが書いていますし、自伝本ではヴァイ先生とサッチの長年の友人関係についても多くのエピソードが語られています。素晴らしい関係ですね。

ジョー・サトリアーニ Squares からのターニングポイントにヴァイの言葉

7月12日に 『Best of the Early 80's Demos/ Squares feat. Joe Satriani』をリリースしたジョー・サトリアーニが名物DJ エディ・トランク氏のインタビューに応えました。エディさんだからこそ多くの情報をサッチから引き出しており、とても興味深いインタビューでしたので、その一部を編集し和訳しました。

Squares

====================================

君の最初のバンドの音源が出るそうだけど、このバンドはいつのもの?どれくらい続いたんだい?

79年の終わり頃に知り合ったんだ。僕らはジェフ・キャンピテリ(訳者注:サッチのソロデビュー時から長年のドラマーを務める)の両親の家のガレージで初めてプレイしたんだよ、カリフォルニアのダンビルだ。他にプレイするところがなくてね。ジェフは当時高校を卒業したところで、アンディ・ミルトンはオハイオクリーブランドからベイエリアに越してきたばかりだった。私の義兄ニール・シーンとパワーポップ・トリオをやりたいと思っていて、彼らを見つけたんだ。どんなバンドになるのか、どんなスタイルにするのか、まだ決まっていなかった。それから4年くらいは練習しまくったよ。

ジェフがドラムで、アンディがベースとボーカル、私がギターとコーラスだけど、数曲ではリードも取った。4番目のメンバーが義兄のニール・シーンで彼がマネージャー、そして99%の曲で歌詞を書いた。

君がカリフォルニアに越してきたのはいつだい?

そうだな、76年の初め頃だと思う。当時東海岸でプレイしていたディスコ・バンドに嫌気がさして、姉のところに転がり込んだんだ。それから日本に6ヶ月程行ってから戻ってきて、77年だったと思う、カリフォルニアのバークレーに腰を落ち着けようと思ったんだ。故郷の東海岸ロードアイランドとは大きく違っていた。

義兄のことは私が10歳くらいの頃から知っていて、その頃から彼は姉と付き合っていたんだ。彼とは一緒に曲を書いたりしていた。彼とは長い歴史があるんだよ、いろいろやったけど上手くはいかなかった。77年から79年ごろ、真剣にバンドをやろうとしたんだ。私は78年から(アパートの向かいにあった)セカンド・ハンド・ギターズという楽器店でギター講師をするようになった。全てこの地域で始まったんだよ。

これが君の初めてのオリジナル曲をやるバンドだったってことかい?ディスコ・バンドはカバーだろうね。

ああ。14歳からバンドでプレイしているけど、主にカバー曲だった。それから音楽で生計を立てようとして、ディスコ・バンドに加わったんだ。Justice っていうバンドで東海岸をツアーして周ったよ。でも私は早々に燃え尽きちゃってね、でもプロとして仕事をすることを学んだのは勉強になった。そして西海岸に行ったんだ。姉はプロのアーティストで西海岸に住んでいたから。アーティストタイプの人間には自由な空気のある街だった。

Squares は20代に入ってから、真剣にレコード契約を目指してやったバンドなんだよ。残念ながらそれは実現しなかったけどね。

このバンドはどれくらい目標に近づけた?そして何年くらいやったんだい?

もうあとちょっとのところだった。とは言え、レコードデビューできたか、できないかしかない訳だから、ダメだったんだよ。私たちを却下し続けた人と実は仲が良くてね、ジョン・カーターChickenfoot のマネージャーを私のマネージャーのミック・ブリッデンと務めた人なんだけど、カーターは当時サミー・ヘイガーのパーソナル・マネージャーだった。

彼はサミーの初期アルバムのプロデューサーでもあるよね。

ああ、カーターは素晴らしい人だよ。でも面白いことに、彼は当時の私たちにとって天敵のような人物さ。Squares はサンフランシスコのベイエリアでソールドアウトのショウをやっていた。キャピタル・レコードの契約が欲しくて彼を招待したものだったけど、彼には毎回断られたんだ。それで長年の間、いつかカーターに再会したら、みてろよ!って思ってた。

そして Chickenfoot が始まったら、「やあ、ジョー」って言うカーターに会ったんだよ。「あんたがあのカーター!?」って感じさ。お互いに大笑いしたんだ。とにかく、あの頃はベイエリア周辺をギグして周っていたけれど、どうしてもそこから一歩抜きんでることができなかった。80年から84年というのは多くの音楽ジャンルが活気づいた頃だ。偉大なバンドが生まれて一世を風靡しようとしていた。音楽的には非常に凝縮したエキサイティングな時代だったよ。ただ私たちは成功できなかった。

ではなぜバンド解散から30年以上も経って音源をリリースしようと決めたんだい?多くのアーティストは有名になる前の作品をレコード会社にリリースされるのを嫌がるけれど、君は違うようだね。

感情的なところで、いいタイミングだと思ったんだ。ジョン・カニベルチ(訳者注:サッチの長年のサウンド・エンジニア、プロデューサー)は Squares のライブ・サウンド・エンジニアだったんだ。彼が Squares のレコーディングとプロデュースの全てをやったんだ。彼とは79年終わり頃からの付き合いだ。彼と集まると良く Squares の話になったよ。私が(ソロキャリアで)ツアーを始めた初期の頃はアンディも観に来ていた。当時はまだ存命だったから。そして一緒に昔話に花を咲かせると、何か一緒にやろうという話になった。

でも、なかなか自分たちの失敗したバンドを人に聴かせる気持ちにはなれなかったんだ。まだ自分のアーティスト性を確立している最中だった。アンディはあれ以降、成功したプロジェクトには関わっていなかったから、Squares をリリースしたくてたまらなかったんだ。でも私もジェフもジョンも色々と他のことをやって忙しかった。

それから技術的な面もある。全ての録音はアナログテープにあるんだ。クリック・トラックもない。全くオーガニックな生の録音で、全てのテープは現存していない。年月を重ねるごとに何か新たな技術が生まれたけれど、ジョンが「クローム・ヘッド・プロジェクト」(訳者注:サッチの全スタジオアルバムをリマスターする作業をジョンが担当、ハイレゾ音源で集めて販売したプロジェクト。2014年)をやったときに前進したんだ。彼が古いテープから音をデジタルで取り出すことに成功した。Pro Tools に96kHzで取り出すときには神に祈る気持ちだった。なにしろ、テープを2回再生したら、機械の上でテープが崩壊してしまうかも知れないのだから。

そしてある時、自分の中で心の準備ができたと思えたんだ。

このアルバムで今後何をしたいんだい?ライブをやるの?

いや、ライブは無いよ。アンディなしにステージに立つのは余りに辛いから。彼は99年に亡くなったんだ。これは私たちの努力の結晶であり、アンディがどんなに優れたシンガーだったか、カリスマ性があったか、私たちが何をやろうとしていたかを人々に知ってもらいたいんだ。これには音楽ビジネス面での期待は余りしていないけれど、今はネットのおかげで、音楽ビジネス構造抜きで音楽を届けることができる。ただ世界の皆に音楽を楽しんでもらいたいと思うよ。

とは言え、費用のかかることだ。EarMusic がこのプロジェクトをやってくれたのは有難いよ。(訳者注:本プロジェクトは当初、クラウドファンディングで資金集めが行われていましたが、レーベルが引継ぎました)それに、息子のZZにMVを作ってくれるよう持ち掛けたんだ。最近、ZZはサミーのバンド The Circle のMVも創ったんだ。

できれば "I Love How You Love Me" で10~12歳のキッズにトリオバンドを演じて欲しかった。私たちがあれを演奏するにはもう40年も経っていてあまりに古いから、若い子にあの頃の楽しさ、エネルギーを再現して欲しかったんだ。アンディがいない今、私たちにはできないことだ。私たち3人は余りに異なった個性を持っていて、フィットしなかったのだけど、それがバンドとしてプレイすると変わった個性がミックスされたスタイルになった。

"I Love How You Love Me" のタイトルを聴いたときに、Cheap Trick の "I Want You To Want Me" の続編かと思ったよ。

ハハ。当時私たちは彼らのファンだったよ。実はこの曲の1stミックスができたときに、リック・ニールセンに送ったんだ。(訳者注:リックは今年のG4スペシャルゲストでした)彼なら私たちが何をしようとしていたかわかると思って。私たちは彼らのバンドからアイデアを頂こうとしていたんだ。彼にはとても面白いコメントをもらったよ。どこかにメモしたんだけどな…

"I Love How You Love Me" は古い曲で、ある日アンディがこれをやろうとリハーサルに持ち込んだんだ。ジェフも私も「こんなのはやらない」って言ったのだけど、こういう風にできればってことで、あるときスタジオでジョークのつもりで録音したらとてもいい録音ができた。アンコール曲としてプレイしていたよ。恐らくトリオとしての私たちを最もよく表現できたサウンドだと思う。

私はパワーポップも好きだけど、このバンドは The Knack を連想させるね。

そうだね、私たちはその頃、勢いのあったバンドの全てから何かを取り入れて成長しようとしていたんだ。私はギター比重の高い音楽が好きで、Van HalenBlack Sabbath を持込んでいた。ジェフやアンディとは全く好みが違ったんだ。私たちはいいコーラス、いい曲の構成を重視してギターソロは短めだった。ライブで長いソロはやらないし、ペダルもアームもなし。パワートリオとしてバンドを提示していたんだ。

アルバムには何曲?

11曲だ。恐らく私たちのやったベストの曲が入っている。資金が無かったので、プロ向けのスタジオで時間を掛けてレコーディングすることはできなかった。金を貯めて4曲くらいを録音して、LAやNYのレコード会社に送って契約を願っていたんだ。恐らく録音は80年から83年終わり頃かな。"So used Up" "You Can Light The Way" "Never Let It Get You Down" が最後の録音だと思う。確か8トラックの倉庫でのレコーディングだ。

去年の初め頃かな、ジョン・カニベルチにこのアルバムの件で連絡したときに、「もしこのバンドが新しいバンドならどうする?」と相談したんだ。「80年代風のレトロな音楽をやる20代の新人バンドが登場したところなら、どう曲を選ぶ?どうプロデュースする?どうミックスする?」そうやって新しいバンドだと想像して考えたのは役に立ったよ。

このアルバムについて君の仲間のギタリストたちが、ギターゴッドになるジョーの片鱗が見えるとコメントしているけれど、君自身はこの時の自分のギタープレイをどう思っているんだい?

クレイジーだよ。時には自分だなって思うけれど、何を考えていたんだ?っていうプレイもある。もちろん最近の作品に対してもそういう思いはあるけれどね。当時の私は、自分のプレイを自分のやれることよりも一歩下げる必要があると固く信じていた。速弾きはせずに、自分たちの楽曲にフォーカスし、弾きすぎないことが必要だと思っていた。

"I Love How You Love Me" はカバー曲なんだけど、私は明らかに弾きすぎている。でもこれはアンコール曲なんだ。ここでは私は息を吐いて羽を伸ばし速弾きもできる。このバンドでは弾きすぎないように自分を締め付けていたんだ。私は Van Halen をリハーサルに持ち込んだりしていたけれど、「こういうのは俺たちはやらない」というバンドだったんだ。

でもバンドが解散して、私は大きく方向転換し「何でも自分の弾きたいものを弾く」ことにしたんだ。思うに、ある夜の出来事が影響していると思う。DLRバンドのレコーディングでスティーブ・ヴァイが街に来ていて、私たちのバンドのリハーサルを見に来ていたんだ。彼は部屋に座って一晩中リハーサルを聴いていたよ。そのときに彼から言われたんだ、「なぜ君が弾けること全部弾かないのさ?」彼はバンドのサウンドには感心していたけれど、私がなぜそこまでプレイを抑えているのかわからなかったのさ。恐らく、その言葉が私の脳裏に植え付けられて、後になって自分の弾けるものを弾こうという行動に繋がったのだと思う。

Squares の解散からソロでのキャリアが始まるまでは何をしていたんだい?

それを話すとさらに1時間必要だな。(笑)私はアルバムを創って (『Not Of This Earth』)、グレッグ・キーンのバンドで86年の終わりまでプレイしていたよ。リラティビティがそのアルバムをリリースして、私は次の『Surfing With The Alien』を創り始めた。大きな変化の時だった。

バンドをやりたいっていう気持ちは今もあるのかい?

もちろん。とても楽しいし、個性の違う仲間が部屋に集まったときの刺激的なエネルギーやコラボレートする喜びは何物にも代えがたいよ。私はいつだってサミーに電話して、マイクやチャドに、Chickenfoot やろうよって言っているんだ。

でも今年の後半にはダグ・ピニックとケニー・アロノフと集まってオリジナル曲が書けるかやってみるつもりだ。10月から Experience Hendrix の西海岸ツアーがあるのだけど、私たちのケミストリーを無視するなんてできないと思ってね。何か新しいことができるんじゃないかと思っている。

私もそれを言おうと思っていたんだ。Experience Hendrix のライブを観たけれど、君ら3人は素晴らしかったから、そこで手応えがあったんだね?

そうだね。問題は3人が集まってもそれぞれのバンドのサウンドとは違うものを生み出すことだ。Chickenfoot のときと同じだ。Kings X でも『Surfing With The Alien』でもケニーが今までにやったものとも違うものにする必要がある。何か全く新しいオリジナルなものでなければいけない。だから集まってどうなるか様子をみるんだ。

今年の予定を教えてくれるかい?

7月の終わりには Vai Academy があるから、数日楽しい時間をすごすつもりだ。それから、私のソロのニューアルバムのレコーディングはケニー・アロノフとクリス・チェイニーにプレイしてもらう予定で、10月からは Experience Hendrix のツアーだ。ああ、その前にダグとケニーで作曲してみる。ツアーの後はソロアルバムのレコーディングの仕上げで、年内は忙しく過ごすことになりそうだ。2020年にはたっぷり新しい音楽をリリースできると思うよ。

Experience Hendrix でデイヴ・ムスティンを観ていて、彼がジミヘンを歌ってくれたらいいのにと思っていたんだ。彼が喉頭がんを告白して驚いたのだけど、彼は今年春のツアー中から体調が悪かったのかい?

彼と知り合って毎日すごせたのはとても良かったよ。もちろん私は何も知らなかった。彼の回復を祈っている。彼はアーティストだから、病気のことを発表するのは勇気がいったと思う。そういう個人の事情よりも音楽に集中したかっただろうし。彼は最もタフな人だから、きっと更にクールな音楽と共に復帰してくれるだろう。

これからマイケル・アンソニーとも話すのだよね、サミーと The Circle が成功してとても嬉しいよ。

そうだね、サミーはまだまだエネルギーがあり余ってるから、きっと Chickenfoot をやるチャンスもいつかあるだろうね。今日はありがとう。

 

===============================

ケニー・アロノフ、ダグ・ピニックとのパワートリオがオリジナル楽曲を制作する!これはニュースです。Experience Hendrix のためにサッチが集めたバンドでしたが、ライブであれだけクールなのに、あのショウ限定では勿体ないと思っていたら、ご本人たちも同じだったみたい!サッチのことだから、あっという間に作曲はできてしまうと思うので、来年にはトリオバンドのアルバムデビューも期待できそう!

ガスリー・ゴーヴァンが選ぶ、衝撃を受けた10人のギタリスト

6月28日にニューアルバム『You Know What…?』をリリースした The Aristocrats。日本盤は8月21日発売のようですが、通常盤の模様。海外で発売されているDVDの付いたデラックス盤は出ないのでしょうか。DVD予告映像(↓)によると、今回も彼らは3人がそれぞれ曲を書いて、それぞれが自身の曲のプロデューサーになっているようです。彼らは今月から北米ツアーを始めており、秋冬の欧州ツアーも発表されています。日本にも来てくれますように!

 

ガスリー・ゴーヴァンが自身のギタープレイに影響を与えた10人のギタリストについてこちらでコメントしていました。ガスリーが他のギタリストをどう見ているのか、見慣れた名前もありましたので、興味深かったその一部を和訳してみました。

=========================================

スティーブ・ヴァイ

さっきヘンドリックスについて言ったことの多くが初めてスティーブ・ヴァイを聴いたときにも当てはまるよ。80年代中頃のギター雑誌に付録で付いていたソノシートで "Blue Powder" の『Passion & Warfare』 以前のミックスを聴いたときの鮮明な記憶がある。

ティーブはロックギターの語彙を大幅に拡大したんだ。他のギタリストたちが使えないと見過ごしていた奇妙なノイズを取り入れ、それらに音楽的に有効な応用法を発見していたんだ。

80年代の多くのロックギター・ヒーローたちは熾烈でもはや不健全とも言える競争を楽器に対して行っていた一方で、ティーブのプレイは明らかな技術的卓越を備えながらも見事なユーモアのセンスを体現していると思った。

彼(と無論のこと、ジョー・サトリアーニ)はロック・プレイヤーでも難解な音楽理論に精通している者がいることを知らしめ、重要な衝撃を与えた。それまでは恐らくロックンロール業界はプレイしていることしか知らないのだ、という汚名を着せられていたと思う。

 

ロン・"バンブルフット"・サール

何年も前、ギター雑誌でマイク・バーニーのコラム『スポットライト』でロンのことを読んだ。本能的にこのプレイヤーの音を聴かなくてはならないと思って、彼に手紙を書き、どうにか彼とはお互いのデモテープを交換し合うようになった。

無論これは YouTube 時代よりもずっと前のことだ。だから僕にできたことはロンのプレイをとても注意深く聴いて、彼があのクレイジーなプレイをどうやっているのかを想像することだった。僕が確信を持てたのは、従来型のギターテクニックのレパートリーを遥かに超越したものが含まれているということだった。それに、高価で洒落たエフェクト処理に頼ることなくエレキギターで多くの斬新なことを引き出している人の音を聴くのは実に好奇心をそそられる。

ロンのプレイはとても個性的なんだ。彼の『Adventures of Bumblefoot』がリリースされたとき、当時のシュラプネル・レーベルから輩出された他の人たちとは全く違うと感じた。彼は完成されたヴィジョンを持ったミュージシャンで、その分野において起こっていたこと全てから完全に独立していたのが明らかだった。僕は彼の様なプレイヤーに驚かされるのは大好きなんだ。

 

アラン・ホールズワース

読者は皆、既に偉大なるアランのことはある程度知っていると思うけど、僕はまだ彼の音楽全般への貢献については犯罪レベルに過小評価されていると思う。思うに、彼の作品の全てはチャーリー・パーカージョン・コルトレーンらジャズの巨匠たちの作品同様に革新的なんだ。

彼は明らかにギターの技巧的可能性を再定義するだけに飽き足らず、殆ど全ての音楽理論を書き換えてしまったんだ。これまでに無かったようなあらゆるコード・ヴォイシングを発見し、それらを補完する全く新しいスケールを作り出した。

彼のトーンにもいつも魅了された。恐らくそれは彼がギターを理想的また選ばれし楽器として見なしておらず、解決しなくてはならないものと考えていたという事実に由来するユニークさからなのだと思う。

アランのプレイはいわゆる系譜的なものがない珍しいギタープレイヤーの事例と思える。多くのギタープレイヤーのプレイに耳を傾けると、何がしか初期に受けた影響の痕跡を聴きとれるだろう。しかしアランの場合、聴こえてくるものを最も理論的に説明したとして、この男は思いがけず突然やってきて、もし他の惑星からでなかったとしたら、少なくとも未来から来たのだろう!

 

フランク・ザッパ

地元の図書館からザッパのアルバム『Them Or Us』を借りてきたのをはっきりと覚えている。10代始めの頃で一度聴いてワクワクしながらも当惑したんだ。(訳者注:ヴァイ先生が参加している)

複数のパートはロックバンドが演奏可能とは思えないほど複雑でありながら、歌詞やアレンジには不敵なユーモアのセンスが満ちていた。それらが作曲面での高度な洗練と反目していて、僕は素晴らしいと感心した。

そしてもちろん、あのギタープレイだ。他のミュージシャンたちが「不可能」なパートを完璧に演奏していながら、フランクのソロは挑戦的で生々しく向こう見ずな何ががあった。彼は意図的に正確無比なバンド演奏の正反対を追求していたのではないかと思えたほどだ。

基本的なところでは、あの対比が僕の一番の印象だ。それからシンプルな伴奏パターンの上で同じことを繰り返すことなく、恐らく何分でも続けて即興演奏ができるフランクのプレイも。

========================

その他ガスリーが選んだ人は以下のとおり。

父親
ザル・クレミンソン
ジミ・ヘンドリックス
ジョン・スコフィールド
テッド・グリーン
デバシッシュ・バッタチャリヤ

スティーブ・ヴァイ @ Starmus 2019 ブライアン・メイと共演!

6月24日から今年も Starmus が始まりました。今年のテーマは「大きな一歩」で月面着陸50周年を記念し、人類の月探査史に残るあの有名な言葉からきているようです。会場はチューリッヒで、ヴァイ先生は初日夜のオープニング・コンサートにゲスト出演しました。今年のゲスト・ミュージシャンの面々は凄いメンツでした。ハンス・ジマーブライアン・メイリック・ウェイクマン

コンサートはヴァイ先生とリック・ウェイクマン参加で "For The Love Of God" をオーケストラと演奏したパートと、ハンス・ジマーの楽曲を彼とヴァイ先生とオーケストラで演奏したパート、メイ博士とハンス・ジマー、ヴァイ先生で "We Are The Champions" "Who Wants To Live Forever" を演奏したパート、メイ博士がオーケストラと "39" を演奏したパートがあったようです。コンサート自体は3時間ものだったようなので、もっと多くの映像があがってくるのを待っています。

ヴァイ先生がオーケストラと共演した "For The Love Of God" は神々しくスピリチュアルでシビれます!(ビデオ

ハンス・ジマーの楽曲 "Time" は美しい曲で、ヴァイ先生のギターがまた素晴らしい!(ビデオ

ティーブン・ホーキンス博士のトリビュートになっていた "Who Wants To Live Forever" はヴァイ先生のギターソロにこれまた鳥肌です。

 

"We Are The Champions" は宇宙飛行士を称える賛歌になっており、かつて月面に降り立った宇宙飛行士が終盤にステージに登場するという演出になっていました。(ビデオ

27日にヴァイ先生がメイ博士と再会した喜びをSNSに投稿していましたので、以下和訳しました。

「君のギターを試してみるよ、君も私のを試してくれ!」(レッドスペシャルを私が持ち、ブライアンが私のギターを弾く)この写真でポスターを作って、私のベッドルームに飾るつもりだ。そうすれば、それを見る度に、私の中の14歳の少年が「夢は叶う」と思うだろう。

彼という人が私だけでなく実に多くの人々に与えた人生の恵みは、私にはとても計り知れない。彼の歴史的貢献がなかったとしたら、私の人生がどうなっていたのか想像することさえできない。君たちの誰もがいつか彼と実際に会って、彼がいかに思いやりのある寛大な偉人かを体験する機会に恵まれることを願うばかりだ。

彼といるときはいつでも、温かく安全な場所にいると感じる。そして彼がその指でギターに触れるといつも、そこから生まれる音はただの1音であっても、私を刺激し謙虚な気持ちにさせる。実に信じられない音だ。その温かく安全な場所は彼が弾く全ての音にも宿っている。この世界にブライアン・メイという恵みを与えてくれた全宇宙に心から感謝している」

ヴァイ先生は今回初めて共演したハンス・ジマーにも感銘を受けたそうで、後日また長文投稿してくれそうです。

なお、ヴァイ先生は29日にも神経科学者の講義/コンサートのイベントで楽団との共演があるようで、楽しみです。

Sm2019

キップ・ウィンガー ミュージカル 『Get Jack』コンセプト・アルバム完成!

昨年キップは「俺はこの2年半をかけて2時間15分の音楽を作曲している」と語っていましたが、遂にミュージカル『Get Jack』コンセプト・アルバムが完成したと発表されました!プレオーダーはキップの誕生日である6月21日に開始され、7月19日に世界同時発売されます。
オフィシャルサイト http://GetJack.com  CDのプレオーダーはこちら

Img_1105

本ミュージカルは舞台脚本家/監督のダミアン・グレイと作曲家キップ・ウィンガーのタッグにより制作がスタートしました。切り裂きジャックの物語をベースにしたオリジナル脚本で、ジャックに殺された5人の女性が彼に復讐するというストーリー。

多額の制作費が必要となるミュージカル制作。まずは脚本/音楽を完成させ、コンセプト・アルバムをリリースすることになりました。本アルバムの制作費用を補うために、2017年9月にクラウドファンディングKickstarter が始まり、無事に資金が集まったようで、17年10月にはNYで業界関係者と寄付者を招いての役者による脚本読み合わせやコンサートが行われました。しかし本番はこれから!コンセプト・アルバムの反応を手掛かりに舞台化は正念場を迎えます。既にブロードウェイの実力者を制作陣とキャストに迎えることができたようなので、今後のプロジェクト進行を見守りましょう!

ミュージカルでは、ダミアンの書いた歌詞=セリフにキップが音楽を書いたそう。ミュージカルではセリフではなく役者が歌を歌ってストーリーが進みますから、ミュージカル楽曲は独特です。しかもキップが女声向けに作曲したのは初めてなのでは?ロックでもポップスでもクラシックでもない新たな音楽ジャンルに進出したキップの作品はいかに?

私は Kickstarter のキャンペーンに参加しましたので、コンセプト・アルバム完成の報と共に音源のダウンロードができました。キップの言ったとおり、2時間超、36曲の楽曲!全曲を聴くのにも気合が要ります!全曲を聴いて感じたことは、キップ天才!ということ。これがミュージカル作品デビューとは思えない!

ミュージカル独特のセリフの詰まった歌詞、複数のキャラクター色を活かした楽曲、多声コーラスやミュージカル独自の形式、そういったものがクラシック音楽とロック音楽の世界を自在に行き来するキップの手によって見事なミュージカル音楽作品に仕上がっているのです。

クレジットを確認すると、作曲は全てキップ、脚本と作詞はダミアン。オーケストレーション、プロデュース、エンジニアも全てキップ。

楽器のクレジットですが、これまた興味深い。ベース・ギター・ピアノ・シンセ・バックコーラスがキップ。リズム・ギターはジョン・ロス、ギターソロは "Theatre of Blood" "King Of Saturday Night" "Agony In Red" をジョン、"Get Jack" がレブ・ビーチです。あとバックコーラスに奥様のポーラ・ウィンガーさんも参加しています。

36の楽曲は第1幕と第2幕に分かれており、楽曲一覧(上部画像参照)を見ると、"Get Jack" は第1幕の最終曲。第1幕では女性5人の殺害が描かれ、これから被害者5人の復讐が始まる!と第2幕へ導く重要な曲。この曲でレブがソロを弾いているというのもニクイ。クールなレブのソロが聴けます。他の曲を聴いていても、クールなギターソロに耳が反応するとそれはジョンのプレイだったり。Winger ファンには嬉しい。

スタジオのクレジットを見ると、主な楽器はキップのスタジオで、ボーカルレコーディング等はNYで、オーケストラはプラハで録音したようです。以前こちらのインタビューでキップがプラハのオーケストラの素晴らしさ、コストの安さに感嘆していましたね。

さて、このアルバムをプレオーダーすると特典があります。(詳細はこちら)特別のペインティングが施された Get Jack ギターが抽選で当たるそうです。現実的な特典はそれよりもキップが歌う "Requiem For Nothing" をダウンロードできる点ですね。この曲はアルバム収録では役者さんが歌っています。キップが歌うのを2月に聴きましたが、怪しくダークで時に力強いキップの歌声が素晴らしい曲でした。

 

昨年末にダミアン・グレイがコンセプト・アルバムの第1幕を聴いた感想を「キップが革新を起こした!」SNSに投稿していたように、この楽曲集には素晴らしい可能性が詰まっています。クラシック音楽の作曲でグラミー賞にノミネートされたキップですが、トニー賞にノミネートされる日がやってくるかも!

アルバムがレコーディングされてからワークショップを経て舞台が発展し、過去の出来事を語る形式で音楽が制作されたものの、舞台版のミュージカルでは事件がリアルタイムで進行する形式になったそう。その変更により、アルバム収録された曲のいくつかは舞台では使用されないそうです。当ブログの過去記事でキップがその話をしていました。

「先日、20分ものの作曲はカットされてしまった。オーケストラ用に編曲されていたんだが、脚本の変更に合わせることになった。1ヶ月の仕事が消えたのさ。それに加えて脚本の読み合わせが始まって、このキャラクターにはこれが要るとかって脚本の手直しが始まったんだ。全く、これは終わらない仕事だよ、何てことに頭を突っ込んでしまったのだろうと思った。でも最高なのさ、楽しいよ。俺の最高の作品になるだろう」

2018年の2月頃そういうことが起こっていたのですね。他にもキップが Get Jack についてこちらで語っています。完成したミュージカルのプレミア上演の日が待ちきれません!

Tedeschi Trucks Band ライブ@ Zepp Nagoya 2019.06.12 ご夫婦バンド圧巻のライブ・パフォーマンス!

2016年の来日から3年ぶりのご夫婦バンド来日公演です。私はカジュアル・ファンですが、前回の来日ライブが良かったので今回も参加してきました。会場は意外にも Zepp Nagoya でしたが、指定席だったのが嬉しい。彼らのバンドは着座でライブを観れるところも好きなのです。ライブ半ば以降はパイプ椅子にちょっとおしりが痛くなりましたけど。(笑)

Ttb-bands

拍手の中、ステージに登場したバンドはドラム2、鍵盤1、コーラス3、サックス、トランペット、トロンボーン、ベース各1にご夫婦の総勢12名。編成は変わらずです。オーディエンスからは「スーザン!」「I Love You!」などの掛け声が飛び出していましたが、彼女にはさらっと流されてました。(笑)スーザンは「こんばんは。呼んでくれてありがとう」と言ったり、曲後に「アリガトウゴザイマス」と言う以外はMC一切なし。少々寂しいですね、ちょっとはお話して欲しかったなぁ。

ニューアルバムからの1曲目、久しぶりに生のスーザン歌声を聴きますが、ソウルフルでパワーに溢れていて、本当に素晴らしい。胸元の大きく開いた赤い生地に緑の柄の入った膝上10cmのワンピース姿にサンバーストのレスポール。あれ、ストラトの人だと思ってたから意外。

コーラスの3人もそれぞれ強力で、歌声が素晴らしいです。管楽器隊の前の席だったのですが、彼らのパフォーマンスも音が良く聴こえてラッキーでした。なかなか管楽器隊の手の動きや表情を観れるライブはないですから。特にトランペットはサウンドがエモーショナルで表情豊かでした。

総勢12名の演奏タイムは迫力いっぱい。音が厚く、メロディ楽器がこれだけ沢山あっても素晴らしいコンビネーションです。特にデレクのギターサウンドが良かった!ストレートなSGサウンドは力強く主張しており、スライド大王の迫力あるエモさ120%の演奏にはひたすら感嘆しました。デレクはショウ全体をSG1本で通していた模様。

デレクとスーザンのアンプの間についたてがあったのはお互いのアンプが干渉しないようにするため?デレクがついたてを超えてスーザン側で演奏するシーンが多かったので彼のプレイをしっかり観ることができました。(ステージ向かって左側席のお客さんは主要演者が右に寄っていて寂しかったかも)右手の動きが速過ぎて手の甲の残像が残るという驚異な瞬間も沢山ありました。手弾き強力…

Ttb-couple スーザンは曲によってサンバーストのレスポールとグリーンのテレキャスを使い分けていました。テレキャスの方は衣装のカラーにもベストマッチ。数曲ではソロも弾いていましたが、ブルージーでカッコイイ!彼女の演奏の後は一段と拍手が大きくなっているよう。あとスーザンのアンプはアクリルのボードで覆っているようで、ギターメインのバンドで珍しいと思いました。(デレクのアンプは席から見えず)

コーラス隊3名も見事な歌唱でスーザンのパワフルボイスとのコンビネーションが素晴らしかった。歌での聴かせどころもたっぷりありますが、更に楽しませてくれるのが楽器隊。それぞれの楽器にスポットが当たるようになっており、彼らのソロとギターソロを味わうインストタイムも極上。ライブで観るべきバンドだなと、パフォーマンスの応酬にシビれながら思いました。

3年前のセットリストと比較してみると、同じ曲は "Let Me Get By" の1曲くらい。新譜からの選曲が多いものの、自身の過去作品よりもカバー曲が多い。今月訃報が伝えられたドクター・ジョンや17年に訃報のあった The Allman Brothers のカバーは哀悼の意味があるのでしょうね。バンドのアルバム作品が増えていく中で、「ライブで演らなきゃならない」曲が固定されないというのも興味深いです。

前回の来日時には在籍していたキーボード/フルート奏者のコフィ・バーブリッジさんが今年の2月に亡くなったそうですが、そのことには特に触れられませんでした。

素晴らしいパフォーマンスにアンコールからはオーディエンスが総立ちでバンドを迎え、その場にいる全員がバンドとの時間と音楽を楽しみました。数年後にも彼らが来日してくれることを楽しみにしています。指定席の1、2階に加えてスタンディングの席まで埋まっていたのできっとまた名古屋に来てくれることでしょう!


本日のセットリスト

01. Signs, Hight Times
02. Do I Look Worried
03. I'm Gonna Be There
04. When Will I Begin
05. Keep On Growing (Derek and the Dominos cover)
06. All The World
07. Leavin' Trunk (Sleepy John Estes cover)
08. Sky Is Crying (Elmore James cover)
09. Walk On Guilded Splinters (Dr.John cover)
10. Let Me Get By
11. Show Me (Joe Tex cover)
encore
12. Don't Keep Me Wonderin' (The Allman Brothers cover)
13. Made Up Mind