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Eat 'Em and Smile 30年目の真実 Part 1 デイヴの計画

Guitar World 誌のライター、グレッグ・レノフさんがデイヴ・リー・ロス バンド(以下 DLRバンド)のデビューアルバム "Eat 'Em and Smile" 製作秘話を書いた記事がなかなか面白かったので、概要を和訳してみました。

本人達がメディアに語ったコメントの引用も沢山あり、興味深い内容です。とても長い記事ですので、数回に分けて掲載していきます。

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1985年の秋にはデイヴ・リー・ロスは Van Halen からの脱退を過去のものにしようとしていました。MTVでのミュージック・ビデオの成功を活かして、彼は映画への挑戦を狙っていたのです。

デイヴはクリエイティブ・パートナーでマネージャーのピート・アンジェラスと脚本家のジェリー・ペルジャンと共に書いた脚本 "Crazy from the Heat" をCBSシアターフィルムに売り込み、1千万ドルの予算を確保していたのです。彼はバーバンクにあるCBSの映画部門にこのミュージカル・コメディのプリプロダクションをするよう働きかけます。

アンジェラスは「私が監督して、デイヴが主演する予定だった」と語ります。全てが予定通り進めば、この映画は1986年の夏に公開されるはずだったのです。

しかし11月の上旬ごろ、正に彼らが撮影を開始しようとした数日前に電話が鳴りました。ロスの弁護士からの悪いニュースを伝える電話で、深刻な予算難に陥っていたCBSが映画部門を閉鎖し、ロスたちは映画を作る術を失ったのです。

アンジェラスはこう振り返ります。「電話を置いた時、私たちは暫くの間言葉を失いました。その年の前半は映画の準備をしてすごしていたのです。キャスティングして、撮影場所を選定し、セットデザイナーや衣装製作陣と仕事を進めていました。既に製作は進んでおり、撮影の準備が出来ていたのです」この時点では全ての準備が無駄になってしまったのです。

これはロスにとって自信破壊の危機になりそうでした。この夏の間中、ロスは自分の映画の計画をプレスにながしており、ロックスターの彼が南の島でビキニ美女たちを背に欲深いマネージャーと対決するという予告編まで見せていたのですから。

一方で、Van Halen は1985年夏のロス脱退による影響は限りなく0に近いようでした。彼らは新しいシンガーのサミー・ヘイガーを迎え、彼らのプラチナヒット作1984アルバムに続くニューアルバムの製作にかかっていたのです。

1985年の春にはエディはロスの映画への楽曲提供を断っていました。映画はどうせ駄作だろうというエディの予感は結果的に正しかったようです、ロスの映画契約は消えてしまったのですから。

しかし1986年の夏、立ち直ったロスは自らをロック界のスーパースターであることを証明しました。新たなバンドメンバーはスティーブ・ヴァイビリー・シーンの名手に加え、モンスター・ドラマーのグレッグ・ビゾネットです。ロスはチャートを席巻するニューアルバム Eat 'Em and Smile をリリースし、MTVでは "Yankee Rose" と "Goin' Crazy" を放送。これらは全て製作中止されたロスの映画創作を土台として作られたものでした。

上の動画は1986年7月10日に全米で放送された人気TV番組 Larry King Live にゲスト出演したデイヴ。
既に Van Halen との亀裂が知れ渡っていたため、「なぜバンド名にはあなたの名前がなかったのか?」などのツッコミを受けていますが「俺が Van Halen がいいと思ったんだ」と返しています。またCBSへの訴訟についても聞かれており、当時デイヴがCBSを相手に映画製作中止の件で争っていたことが分かります。

時計の針を1985年の6月初旬に戻して、ロスの新プロジェクトの軌跡を辿ります。

1985年の6月初旬、Talas のメンバーだったビリー・シーンバッファローの自宅で思いもよらない電話を受けました。「デイヴのオフィスからだった。彼は俺に彼の映画に出てくれと言うんだ。すぐにLAへ来て話せないかと言われた」シーンはイエスと即答し、ちょうど Talas とイングヴェイ・マルムスティーンのツアーが7月7日からハリウッドで始まるのでタイミングが丁度良いと答えたのです。

シーンは1980年に Talas が Van Halen とツアーした時にロスと知り合っており、約束の数日前にLAに着こうと考えました。家を出る前に彼は友人に電話を掛けています。

「俺はエディ・ヴァン・ヘイレンに電話して、彼がLAでのライブに来るかを尋ねた。その当時、俺は Van Halen の分裂については何も知らなかったんだ。エディは忙しくて行けないが、ライブの成功を願ってくれた」

電話を切る前にシーンは最近ロスから電話があったことを話しました。

「待て、何だって?!どうしてロスが君に電話したんだ?」とエディ。

「彼の家で俺とミーティングしたいそうだ」とシーン。

「本当か?冗談だろ!ミーティングが終わったら直ぐに俺に電話してくれ。俺はあいつがおれたちにオジー・オズボーンを仕掛けようとしてると考えてるんだ」

1979年にオジーBlack Sabbath を脱退してソロアーティストになったのと同じ動きをロスがするのではないかとエディは疑っていたのです。

ここにきてシーンはバンド間の政治問題の地雷を踏んでしまったことに気付きます。「しまった!大変なことに巻き込まれてしまったと思ったよ」

ロスは自宅にシーンを迎えると、彼の映画の計画と新しいバンドのヴィジョンをシーンに語りました。シーンは回想して語ります。「俺たちはずっと話合って、バンドをやることに決めたんだ。デイヴは、これは俺とお前のバンドだ。ギタープレイヤーとドラマーを探そう、と言ったのさ」

シーンは Talas のツアーが終わり次第参加すると答えます。しかしロスにこの件を秘密にすると誓わされた後でシーンは重要な電話ができなくなったことに気が付いたのです。

「頭が爆発しそうだった。エディには電話しないでおこうと思ったけれど、酷い気分だった。エディとは友達だったから」

一方エディはもうシーンからの報告を必要としていませんでした。同じ頃、彼とロスは重要なミーティングをロスの家で行い、それぞれの道を進むことに決めたのです。

後にロスが語っています。「エディと握手して別れを告げたとき、ハグして泣いたんだ。これは他のバンドと同様に音楽的な相違、キャリアの相違なんだって」

ロスとしてはそのミーティングでこれは双方からの友好的な形での別離だと考えていましたが、1985年8月15日付けの Rolling Stone 誌でエディがロスは映画スターになるためにバンドを脱退したと非難したことにショックを受けたのでした。
これで世界中が Van Halen の分裂を知ったのです。

(Part 2 ギタープレイヤーとドラマーを探して に続く・・)