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キップ・ウィンガー Part.1  「自己を探求し、音楽の芸術の道を進むんだと誓った」

2018年12月に公開された 1 Track Podcastインタビューに応えたキップは、「あなたの音楽を知りたいと思う人に対して、1曲を選ぶならそれは何か」という質問に何と答えたでしょうか?クラシックの作曲家を招いたトーク番組という、なかなか興味深いインタビューでしたので、一部概要を和訳してみました。長いのでPart.1&2に分けて掲載します。

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Img_0210友人からあなたの音楽を聴くべきだと言われたとき、私は Winger のあなたしか知らなくて、とても驚きました。あなたのような経歴でクラシック音楽を作曲というのはとても珍しいですよね。

ああ、そうだね。でもフランク・ザッパもやったし、スティーブ・ヴァイもクラシックのコンサート楽曲を書いている。スチュワート・コープランドThe Police)もジョニー・グリーンウッドRadiohead)もそうだ。そういった少数の人たちは正統なやり方でクラシックの楽曲を書いている。そんな中にあって俺だけがグラミーでクラシック作曲家としてノミネートされたのはとても光栄に思っているよ。

俺にはキャリアの上でとても厳しい頃もあったけれど、長い旅路を経て出発点に戻ってきたようだ。俺はただ音楽を学びたい、生涯の学習者なんだ。問題は、俺が両方の世界(バンド、ソロ、クラシック)をやろうとしているから、アウトプットが遅くなってしまうことだ。さらに "Get Jack" ってミュージカルのコンセプト・アルバムも創って、もうすぐリリースできる予定だ。

あなたのユニークな経歴を考えると、とても1曲であなたを表すのは無理なようです。今日は数曲を選んでもらうことにしましょう。"Blind Revolution Mad" を最初に選んだ理由は?

これは Winger の 3rd アルバム Pull の曲だ。このアルバムでは俺たちが成熟してきたのがわかってもらえるだろう。このアルバムのサウンドも音楽自体も Winger を特徴的に表していると思う。最初の2枚のアルバムの方が商業的には成功したし、俺を表す曲もあった。けれどこの曲は、歌詞だって現在に通じるものがあるし、93年リリースで、ギターリフがいいんだ。

俺はクラシックの作曲をするときも、低音のギターリフを考える。その上にどうオーケストラの音を組み立てていくのかを考えるんだ。ロックギターのリフの上にメロディを乗せていくのが俺の作曲法だが、クラシックでもそういう考え方をするんだ。クラシックの作曲家でロックもできる人を探したけれど、ほとんどいなかったよ。この曲は俺たちバンドが成熟した証であり、現在をも表していると思う。

私もギターを弾くのですが、レブ・ビーチは全くもって素晴らしいギタプレイヤーですよね。

ああ、彼はとんでもないよ。皆は笑顔の彼を連想すると思うし、実際にとても面白い奴さ。でもあいつはある種の天才で、あいつとこの30年にも及ぶキャリアを共にすごせたことは大きな幸運だった。今でもステージであいつのプレイを見て畏敬の念を抱くし、あの音楽性には特にね。あいつとはずっと作曲パートナーなんだ。

俺たちは全くの正反対なんだよ。あいつは楽譜も読まないし、勉強しようともしない。でもレブには天からインスピレーションが降ってくるのさ。ドラムビートを掛けると、あいつはとんでもないリフが書けてしまう。ギタリストとしてだけでなく、リフ・ライターとしても素晴らしいんだ。俺はアレンジをするから、俺たちはチームとして上手く働くんだ。

"Pages And Pages" については? Pull からの変化が大きいですが、何があったのでしょう?

2008年のリリースだ。80年代が終わってグランジが台頭し、 Winger は終わってしまった。レーベルから降ろされ、俺たちは別々の道を行かなくてはならなかった。ソロでのキャリアを始めようとしたとき、俺はルールを決めたんだ。「ヘヴィなギターは無し、マイクの前でスクリームはしない」とか。そうやって俺の「暗黒の時代」に "This Conversation Seems Like A Dream"、 "Songs From The Ocean Floor" は出来た。

その頃、ニューメキシコ大学のリチャード・ハーマンについて作曲や理論を学び始めたんだ。1時間半ほど車でアルバカーキへ通ってね。彼は音大の学生が習うような基本を教えてくれた。素晴らしい教師だったよ、俺にとってその時に最適な教師だった。作曲の実習が俺のソロアルバムに活きたのさ。

97年には、俺が手にできた仕事は本屋の Bordersで午後4時に10人程の人の前でアコースティックのライブをすることだけだった。この時期のことは「修行僧の時代」って呼んでるんだ。エゴなんて消し飛んだし、自分を1から立て直す日々だった。1994年から2000年はそうしてサンタフェに居たよ。

2000年に Poison のツアーがあって、Winger は再始動したんだ。2002年にナッシュビルに引っ越してソロアルバムを創った後、2006年に Winger のアルバム IV を創った。当時、Vanderbilt University Blair School of Music でマイケル・キューリックについて学んだことが、俺にとって小作から脱皮し正統派のオーケストラ曲を書くという成長のターニングポイントになった。

アルバム IV でのバンド復活は "Seventeen" を望んでいたファンを平手打ちする結果になってしまった。プログレッシブ・モードに入っていた俺にとっては、大作の作曲への足掛かりだったんだ。"M16" て曲があるんだけど、8重のギターソロやクレイジーなものが詰め込んである。意外なことにこれは一部の人たちには大人気のアルバムになったんだ。

"From The Moon To The Sun" の曲は2006年から2008年にナッシュビルで書いたものだ。"Pages And Pages" はファンのお気に入りになって、今のソロライブではキーボードを持ち込んでプレイしている。

この曲を聴くと前の曲からのあなたの大きな違いに驚かされます。ボーカルも実に素晴らしい。とても簡単にできるものではありません。

俺の歌というのは俺の作曲による副産物のようなもので、俺は元々シンガーじゃないんだ。兄弟のバンドでは全員で歌っていたけれど。Winger をやるときに、レブが「俺は歌わねぇ」って言うから、俺が歌うことになった。俺は上手くないんだよ、俺の音楽を表現するために歌ったんだ。シンガーとして鍛錬するのは大変だった。

"Pages And Pages" のラストのインスト・パートは実にゴージャスです。6分に及ぶ曲は全く商業的ではなく、探求的です。

ありがとう。俺にとってソロアルバムの音楽というのはとても精神的なものでカタルシスを伴う。その時の感情を正直に反映している。Winger の音楽というのはロックのブランドであり、ヒット曲の要素がある。ソロは俺という人間がどんな人間なのかを表していると言っていい。

95年の俺のキャリアが地に堕ちたときに誓ったんだ。「俺はもう誰かのために曲を書かない。商業的なものも書かないし、ヒット曲を書こうなんてしない」ってね。実行するのは大変だったよ。部屋の壁にはプラチナム・アルバムがあったけど、二度とやるまいとね。たとえ(経済的に困窮して)ファーストフード店でアルバイトをしなくちゃならなくなっても、俺は二度とそういうことはやらない。自己を探求し、音楽の芸術の道を進むんだと誓った。

もちろん、Winger ではバンドの持つ音楽的ブランドは守る。けれどラジオで曲をながすための作曲というのではない。そもそも業界構造が変わったので、以前とは仕組みが違うけれど。ああいうメンタリティは創造性を制限してしまうと思う。商業的にやってうまくいくって人もいるけどね。

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次週はオーケストラ曲の作曲について、今後の予定などを語ったPart.2を掲載します。