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ジョー・サトリアーニ Squares からのターニングポイントにヴァイの言葉

7月12日に 『Best of the Early 80's Demos/ Squares feat. Joe Satriani』をリリースしたジョー・サトリアーニが名物DJ エディ・トランク氏のインタビューに応えました。エディさんだからこそ多くの情報をサッチから引き出しており、とても興味深いインタビューでしたので、その一部を編集し和訳しました。

Squares

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君の最初のバンドの音源が出るそうだけど、このバンドはいつのもの?どれくらい続いたんだい?

79年の終わり頃に知り合ったんだ。僕らはジェフ・キャンピテリ(訳者注:サッチのソロデビュー時から長年のドラマーを務める)の両親の家のガレージで初めてプレイしたんだよ、カリフォルニアのダンビルだ。他にプレイするところがなくてね。ジェフは当時高校を卒業したところで、アンディ・ミルトンはオハイオクリーブランドからベイエリアに越してきたばかりだった。私の義兄ニール・シーンとパワーポップ・トリオをやりたいと思っていて、彼らを見つけたんだ。どんなバンドになるのか、どんなスタイルにするのか、まだ決まっていなかった。それから4年くらいは練習しまくったよ。

ジェフがドラムで、アンディがベースとボーカル、私がギターとコーラスだけど、数曲ではリードも取った。4番目のメンバーが義兄のニール・シーンで彼がマネージャー、そして99%の曲で歌詞を書いた。

君がカリフォルニアに越してきたのはいつだい?

そうだな、76年の初め頃だと思う。当時東海岸でプレイしていたディスコ・バンドに嫌気がさして、姉のところに転がり込んだんだ。それから日本に6ヶ月程行ってから戻ってきて、77年だったと思う、カリフォルニアのバークレーに腰を落ち着けようと思ったんだ。故郷の東海岸ロードアイランドとは大きく違っていた。

義兄のことは私が10歳くらいの頃から知っていて、その頃から彼は姉と付き合っていたんだ。彼とは一緒に曲を書いたりしていた。彼とは長い歴史があるんだよ、いろいろやったけど上手くはいかなかった。77年から79年ごろ、真剣にバンドをやろうとしたんだ。私は78年から(アパートの向かいにあった)セカンド・ハンド・ギターズという楽器店でギター講師をするようになった。全てこの地域で始まったんだよ。

これが君の初めてのオリジナル曲をやるバンドだったってことかい?ディスコ・バンドはカバーだろうね。

ああ。14歳からバンドでプレイしているけど、主にカバー曲だった。それから音楽で生計を立てようとして、ディスコ・バンドに加わったんだ。Justice っていうバンドで東海岸をツアーして周ったよ。でも私は早々に燃え尽きちゃってね、でもプロとして仕事をすることを学んだのは勉強になった。そして西海岸に行ったんだ。姉はプロのアーティストで西海岸に住んでいたから。アーティストタイプの人間には自由な空気のある街だった。

Squares は20代に入ってから、真剣にレコード契約を目指してやったバンドなんだよ。残念ながらそれは実現しなかったけどね。

このバンドはどれくらい目標に近づけた?そして何年くらいやったんだい?

もうあとちょっとのところだった。とは言え、レコードデビューできたか、できないかしかない訳だから、ダメだったんだよ。私たちを却下し続けた人と実は仲が良くてね、ジョン・カーターChickenfoot のマネージャーを私のマネージャーのミック・ブリッデンと務めた人なんだけど、カーターは当時サミー・ヘイガーのパーソナル・マネージャーだった。

彼はサミーの初期アルバムのプロデューサーでもあるよね。

ああ、カーターは素晴らしい人だよ。でも面白いことに、彼は当時の私たちにとって天敵のような人物さ。Squares はサンフランシスコのベイエリアでソールドアウトのショウをやっていた。キャピタル・レコードの契約が欲しくて彼を招待したものだったけど、彼には毎回断られたんだ。それで長年の間、いつかカーターに再会したら、みてろよ!って思ってた。

そして Chickenfoot が始まったら、「やあ、ジョー」って言うカーターに会ったんだよ。「あんたがあのカーター!?」って感じさ。お互いに大笑いしたんだ。とにかく、あの頃はベイエリア周辺をギグして周っていたけれど、どうしてもそこから一歩抜きんでることができなかった。80年から84年というのは多くの音楽ジャンルが活気づいた頃だ。偉大なバンドが生まれて一世を風靡しようとしていた。音楽的には非常に凝縮したエキサイティングな時代だったよ。ただ私たちは成功できなかった。

ではなぜバンド解散から30年以上も経って音源をリリースしようと決めたんだい?多くのアーティストは有名になる前の作品をレコード会社にリリースされるのを嫌がるけれど、君は違うようだね。

感情的なところで、いいタイミングだと思ったんだ。ジョン・カニベルチ(訳者注:サッチの長年のサウンド・エンジニア、プロデューサー)は Squares のライブ・サウンド・エンジニアだったんだ。彼が Squares のレコーディングとプロデュースの全てをやったんだ。彼とは79年終わり頃からの付き合いだ。彼と集まると良く Squares の話になったよ。私が(ソロキャリアで)ツアーを始めた初期の頃はアンディも観に来ていた。当時はまだ存命だったから。そして一緒に昔話に花を咲かせると、何か一緒にやろうという話になった。

でも、なかなか自分たちの失敗したバンドを人に聴かせる気持ちにはなれなかったんだ。まだ自分のアーティスト性を確立している最中だった。アンディはあれ以降、成功したプロジェクトには関わっていなかったから、Squares をリリースしたくてたまらなかったんだ。でも私もジェフもジョンも色々と他のことをやって忙しかった。

それから技術的な面もある。全ての録音はアナログテープにあるんだ。クリック・トラックもない。全くオーガニックな生の録音で、全てのテープは現存していない。年月を重ねるごとに何か新たな技術が生まれたけれど、ジョンが「クローム・ヘッド・プロジェクト」(訳者注:サッチの全スタジオアルバムをリマスターする作業をジョンが担当、ハイレゾ音源で集めて販売したプロジェクト。2014年)をやったときに前進したんだ。彼が古いテープから音をデジタルで取り出すことに成功した。Pro Tools に96kHzで取り出すときには神に祈る気持ちだった。なにしろ、テープを2回再生したら、機械の上でテープが崩壊してしまうかも知れないのだから。

そしてある時、自分の中で心の準備ができたと思えたんだ。

このアルバムで今後何をしたいんだい?ライブをやるの?

いや、ライブは無いよ。アンディなしにステージに立つのは余りに辛いから。彼は99年に亡くなったんだ。これは私たちの努力の結晶であり、アンディがどんなに優れたシンガーだったか、カリスマ性があったか、私たちが何をやろうとしていたかを人々に知ってもらいたいんだ。これには音楽ビジネス面での期待は余りしていないけれど、今はネットのおかげで、音楽ビジネス構造抜きで音楽を届けることができる。ただ世界の皆に音楽を楽しんでもらいたいと思うよ。

とは言え、費用のかかることだ。EarMusic がこのプロジェクトをやってくれたのは有難いよ。(訳者注:本プロジェクトは当初、クラウドファンディングで資金集めが行われていましたが、レーベルが引継ぎました)それに、息子のZZにMVを作ってくれるよう持ち掛けたんだ。最近、ZZはサミーのバンド The Circle のMVも創ったんだ。

できれば "I Love How You Love Me" で10~12歳のキッズにトリオバンドを演じて欲しかった。私たちがあれを演奏するにはもう40年も経っていてあまりに古いから、若い子にあの頃の楽しさ、エネルギーを再現して欲しかったんだ。アンディがいない今、私たちにはできないことだ。私たち3人は余りに異なった個性を持っていて、フィットしなかったのだけど、それがバンドとしてプレイすると変わった個性がミックスされたスタイルになった。

"I Love How You Love Me" のタイトルを聴いたときに、Cheap Trick の "I Want You To Want Me" の続編かと思ったよ。

ハハ。当時私たちは彼らのファンだったよ。実はこの曲の1stミックスができたときに、リック・ニールセンに送ったんだ。(訳者注:リックは今年のG4スペシャルゲストでした)彼なら私たちが何をしようとしていたかわかると思って。私たちは彼らのバンドからアイデアを頂こうとしていたんだ。彼にはとても面白いコメントをもらったよ。どこかにメモしたんだけどな…

"I Love How You Love Me" は古い曲で、ある日アンディがこれをやろうとリハーサルに持ち込んだんだ。ジェフも私も「こんなのはやらない」って言ったのだけど、こういう風にできればってことで、あるときスタジオでジョークのつもりで録音したらとてもいい録音ができた。アンコール曲としてプレイしていたよ。恐らくトリオとしての私たちを最もよく表現できたサウンドだと思う。

私はパワーポップも好きだけど、このバンドは The Knack を連想させるね。

そうだね、私たちはその頃、勢いのあったバンドの全てから何かを取り入れて成長しようとしていたんだ。私はギター比重の高い音楽が好きで、Van HalenBlack Sabbath を持込んでいた。ジェフやアンディとは全く好みが違ったんだ。私たちはいいコーラス、いい曲の構成を重視してギターソロは短めだった。ライブで長いソロはやらないし、ペダルもアームもなし。パワートリオとしてバンドを提示していたんだ。

アルバムには何曲?

11曲だ。恐らく私たちのやったベストの曲が入っている。資金が無かったので、プロ向けのスタジオで時間を掛けてレコーディングすることはできなかった。金を貯めて4曲くらいを録音して、LAやNYのレコード会社に送って契約を願っていたんだ。恐らく録音は80年から83年終わり頃かな。"So used Up" "You Can Light The Way" "Never Let It Get You Down" が最後の録音だと思う。確か8トラックの倉庫でのレコーディングだ。

去年の初め頃かな、ジョン・カニベルチにこのアルバムの件で連絡したときに、「もしこのバンドが新しいバンドならどうする?」と相談したんだ。「80年代風のレトロな音楽をやる20代の新人バンドが登場したところなら、どう曲を選ぶ?どうプロデュースする?どうミックスする?」そうやって新しいバンドだと想像して考えたのは役に立ったよ。

このアルバムについて君の仲間のギタリストたちが、ギターゴッドになるジョーの片鱗が見えるとコメントしているけれど、君自身はこの時の自分のギタープレイをどう思っているんだい?

クレイジーだよ。時には自分だなって思うけれど、何を考えていたんだ?っていうプレイもある。もちろん最近の作品に対してもそういう思いはあるけれどね。当時の私は、自分のプレイを自分のやれることよりも一歩下げる必要があると固く信じていた。速弾きはせずに、自分たちの楽曲にフォーカスし、弾きすぎないことが必要だと思っていた。

"I Love How You Love Me" はカバー曲なんだけど、私は明らかに弾きすぎている。でもこれはアンコール曲なんだ。ここでは私は息を吐いて羽を伸ばし速弾きもできる。このバンドでは弾きすぎないように自分を締め付けていたんだ。私は Van Halen をリハーサルに持ち込んだりしていたけれど、「こういうのは俺たちはやらない」というバンドだったんだ。

でもバンドが解散して、私は大きく方向転換し「何でも自分の弾きたいものを弾く」ことにしたんだ。思うに、ある夜の出来事が影響していると思う。DLRバンドのレコーディングでスティーブ・ヴァイが街に来ていて、私たちのバンドのリハーサルを見に来ていたんだ。彼は部屋に座って一晩中リハーサルを聴いていたよ。そのときに彼から言われたんだ、「なぜ君が弾けること全部弾かないのさ?」彼はバンドのサウンドには感心していたけれど、私がなぜそこまでプレイを抑えているのかわからなかったのさ。恐らく、その言葉が私の脳裏に植え付けられて、後になって自分の弾けるものを弾こうという行動に繋がったのだと思う。

Squares の解散からソロでのキャリアが始まるまでは何をしていたんだい?

それを話すとさらに1時間必要だな。(笑)私はアルバムを創って (『Not Of This Earth』)、グレッグ・キーンのバンドで86年の終わりまでプレイしていたよ。リラティビティがそのアルバムをリリースして、私は次の『Surfing With The Alien』を創り始めた。大きな変化の時だった。

バンドをやりたいっていう気持ちは今もあるのかい?

もちろん。とても楽しいし、個性の違う仲間が部屋に集まったときの刺激的なエネルギーやコラボレートする喜びは何物にも代えがたいよ。私はいつだってサミーに電話して、マイクやチャドに、Chickenfoot やろうよって言っているんだ。

でも今年の後半にはダグ・ピニックとケニー・アロノフと集まってオリジナル曲が書けるかやってみるつもりだ。10月から Experience Hendrix の西海岸ツアーがあるのだけど、私たちのケミストリーを無視するなんてできないと思ってね。何か新しいことができるんじゃないかと思っている。

私もそれを言おうと思っていたんだ。Experience Hendrix のライブを観たけれど、君ら3人は素晴らしかったから、そこで手応えがあったんだね?

そうだね。問題は3人が集まってもそれぞれのバンドのサウンドとは違うものを生み出すことだ。Chickenfoot のときと同じだ。Kings X でも『Surfing With The Alien』でもケニーが今までにやったものとも違うものにする必要がある。何か全く新しいオリジナルなものでなければいけない。だから集まってどうなるか様子をみるんだ。

今年の予定を教えてくれるかい?

7月の終わりには Vai Academy があるから、数日楽しい時間をすごすつもりだ。それから、私のソロのニューアルバムのレコーディングはケニー・アロノフとクリス・チェイニーにプレイしてもらう予定で、10月からは Experience Hendrix のツアーだ。ああ、その前にダグとケニーで作曲してみる。ツアーの後はソロアルバムのレコーディングの仕上げで、年内は忙しく過ごすことになりそうだ。2020年にはたっぷり新しい音楽をリリースできると思うよ。

Experience Hendrix でデイヴ・ムスティンを観ていて、彼がジミヘンを歌ってくれたらいいのにと思っていたんだ。彼が喉頭がんを告白して驚いたのだけど、彼は今年春のツアー中から体調が悪かったのかい?

彼と知り合って毎日すごせたのはとても良かったよ。もちろん私は何も知らなかった。彼の回復を祈っている。彼はアーティストだから、病気のことを発表するのは勇気がいったと思う。そういう個人の事情よりも音楽に集中したかっただろうし。彼は最もタフな人だから、きっと更にクールな音楽と共に復帰してくれるだろう。

これからマイケル・アンソニーとも話すのだよね、サミーと The Circle が成功してとても嬉しいよ。

そうだね、サミーはまだまだエネルギーがあり余ってるから、きっと Chickenfoot をやるチャンスもいつかあるだろうね。今日はありがとう。

 

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ケニー・アロノフ、ダグ・ピニックとのパワートリオがオリジナル楽曲を制作する!これはニュースです。Experience Hendrix のためにサッチが集めたバンドでしたが、ライブであれだけクールなのに、あのショウ限定では勿体ないと思っていたら、ご本人たちも同じだったみたい!サッチのことだから、あっという間に作曲はできてしまうと思うので、来年にはトリオバンドのアルバムデビューも期待できそう!