3月14日(現地時間)に行われたグラミー賞授賞式の「追悼」の場面で昨年亡くなったエディ・ヴァン・ヘイレンの扱いが余りに小さかったことに、HR/HM界の方々が反発しています。もう長年にわたって、グラミー賞ではロックのジャンルが冷遇されていることもあり、このジャンルの人々は授賞式を見なくなっていますが、不世出のギターヒーローで変革者であったエディがこの扱いだったことに我慢の限界を迎えたのではないでしょうか。
エディとの交友があったヌーノ・ベッテンコートが長文で意見をSNSに投稿していましたので全文を和訳してみました。
また、エディの息子、ウルフ・ヴァン・ヘイレンもコメントを出していましたので、そちらも和訳しました。
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ヌーノ・ベッテンコート
今日、俺はギタリストやミュージシャンとしてではなく語りたい。
俺は人生を通してポップ、R&B、ロック、ファンク、ヒップホップの大ファンであり、プリンスから Black Sabbath まで好きなんだ。
音楽がいかに俺たちの人生のサウンドトラックなのかを知る者として、俺はこの業界を悲しく思うし、失望した。特に俺たちアーティストが究極の功績として敬う団体に対してだ。
エドワード・ヴァン・ヘイレンがロックンロールに与えた衝撃を考えれば、グラミーはあんな15秒のライブ動画で半端なうちに終わる侮辱的なシロモノ以上のことをすべきだったと思うだろう。
あのクリップが敬意を欠いたものであるだけでなく、彼の伝説的ギター仲間によるトリビュート・パフォーマンスをやらなかったとは恥ずべきで歴史的な機会の損失だ。
なぜか?
アイコニックな彼のバンド Van Halen だけでなく、エドワードは自力で、もしくは俺たちは両手でと言うべきか(訳者注:自力で "single handidly" に掛けた表現、恐らくエディのタッピングを指している)、彼は再構想し、再発明して楽器演奏の仕方、またそのサウンドを永遠に変革したんだ。
彼以前の数少ないアイコンたち、チャック・ベリー、ジミ・ヘンドリックス、ジミー・ペイジ、ブライアン・メイがしたことを吸収し、未来からやってきた進化したエイリアンのごとくに世界を揺るがし、ギタープレイをテクニックとソウルと創造性の完璧なバランスの高みへと持ち上げた。これはさっき俺が挙げたアイコン達でさえ思い寄らなかったことだ。
そして更に驚異的なのは、彼の革新はアルバム毎に続き、俺たちを驚愕させたのさ、その顔に満面の笑みをたたえながら。
バスケットボール界のマイケル・ジョーダンのように、エディはギタープレイのあり方を永遠に変えたのだろう。
昨夜のグラミー賞授賞式では、現在の最も偉大なギタリスト達がステージでエディの最高の作品をメドレーでトリビュート演奏するべきだった。フィナーレを想像してみろよ、メドレーの最後で全員があのギターソロを演奏するところを。エディがジョーダンのような世界的認識を得たあのソロだ。
そのソロとは、エドワードがキング・オブ・ポップに弾いたあれだ。
"Beat It"
グラミーがロックンロールに放送時間を割きたくなかったとしても、マイケル・ジャクソンの名を利用して、ブルーノ・マーズに歌わせ、象徴的ギタリストにソロを弾かせることは少なくともできたはずだ。
あんな冷淡にエディを15秒の動画で通過する以外の何だってできただろう。
もう何十年もわかっていたことだ。
でも昨夜まではあれほど露骨じゃなかった…ロックンロールは忘れられ置き去りにされている。
ファンによってではない、ありがたいことに。
ロックの火を灯し続けているアーティストによってでもない。
けれど、明らかに主流の音楽産業;オートチューンで駆動するボーカルとミュージシャンが実際に楽器演奏するよりもボタン操作で制作される産業によって。
いいか、若くて素晴らしいバンドが登場してきているし、偉大なバンドはまだロックしている。
ロックは死んじゃいない、決して死に絶えない。
だが、ロックへの敬意は風前の灯火だ。
ロックンロールがこの1世紀近く俺たちをここに導くに至るまで、全ての異なる音楽ジャンルに対してやったことを考えれば、僅かばかりの敬意が払われるべきだし、グラミーで祝福される権利があってしかるべきだろう。
でも俺の考えなんて誰も気にしないだろう。
どちらにしろ、次のロックコンサートで会おうぜ!!!!!
ロックンロール万歳!
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ウルフ・ヴァン・ヘイレン
#GRAMMYs pic.twitter.com/fZK9oPUBVR
— Wolf Van Halen (@WolfVanHalen) 2021年3月15日
グラミーに授賞式の「追悼」特集で "Eruption" を演奏しないかと打診されたけれど、僕は断っていた。父以外の誰として、父が音楽に成し得たことには応えられないと思うから。
僕の理解では「追悼」では亡くなった伝説的アーティストを称えて多少の音楽が演奏されるというものだった。まさか、他の亡くなったアーティストに対して4つのフル演奏が続く途中に彼らが父をたった15秒見せるとは思わなかった。
最も辛かったのは、授賞式の最初に(出演者が)亡くなったアーティストを語っていたシーンで父の名が触れられることもなかったことだ。ロックが人気のあるジャンルじゃないってことはわかっている、(アカデミーはまるで無関心のようだ)けれど父が楽器やロック界、音楽全般に与えた影響という遺産を無視するのは不可能だと思う。彼のような変革者は決して現れないだろう。
別にここでヘイト運動を始めたいって訳じゃない。ただ僕らの側の心情を説明したいだけだ。父ならきっと笑い飛ばして「どうでもいい」と言うだろう。彼の関心事は音楽だけだったから。他の事なんてどうでもいいんだ。
レコーディング協会と話す機会をもらえたらと思う。父の功績のことだけでなくロックのジャンルがもたらした功績を未来に繋げるために。
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Variety誌がグラミー賞後に授賞式のプロデューサー、ベン・ウィンストンにインタビューをしており、「追悼」でのエディの扱いについて話しています。
ウルフに出演して演奏しないかと代理人を通じて話したけれど、彼が断わったので、8~9人のギタリストに弾いてもらう案を出したが、エディのプレイは本人にしかできないので、本人のビデオを放送するべきだとウルフが考えていたので、その通りにした。
もちろんもっと長いビデオにしたかったが、「追悼」で(故人の写真を映しながら曲が演奏される演出の中で)エディは故人の音楽がながされる唯一の人物で、他に誰も画面に登場しない(ので短くなった)。適切なトリビュートだったと思うが、ウルフがそう思わなかったのなら残念だ。
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う~ん、トリビュートもやらなかったのはウルフが同意しなかったから?何だかスッキリしないなぁ…