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デイヴ・リー・ロス 「人生ってのは短く、自分に残された時間はおそらくもっと短い」

10月1日、ショックなニュースが世界を駆け巡りました。"ダイアモンド"・デイヴの引退宣言です。9月27日に今年の年末年始にかけてラスヴェガスでのレジデンシー公演が発表された直後というタイミングでの発表に驚くばかりでした。

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これは、Las Vegas Journal 誌の電話インタビューで、デイヴが独白形式で語った内容でした。それを受けて Van Halen News Desk にはその会話音声と一部内容が書かれています。今週はこの6分ほどの音声ほぼ全てを和訳します。

デイヴの話はアレックスと話した内容から始まっていて、彼らが今思い出すのは、バンドの輝かしい成功した日々ではなくて、若い彼らが必死に音楽をやっていた日々のことなのが胸に響きます。デイヴらしい語り口、そして自身の健康問題や Van Halen について最後の想いなど、思わず涙がこみ上げる内容です。

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口を挟まずに、ちょっとの間俺の話を聞いてくれ。目を閉じて思い出話に連れ出そう。

俺とアレックスは50周年を祝ったんだ。俺らが言い合いしたり、プラチナディスクを取った日々からだ。凄いよな、72年に卒業して数ヶ月後に直ぐ俺らは彼らの親の家で音楽を制作してた。俺らはクラブやバーでやり始めて、直ぐにギグが舞い込んでくるようになった。

俺らは1晩に45分のセットを週に4日プレイした。機材やらは全てバンに積んで行ったもんさ、天気によっちゃ途中停車して、雨対策にバスドラムを上に積んだ、電気系機材はそれに向いてないからな。

俺らは高校卒業から食うのを止めて、有り金全部はガソリン代に使った。サンドイッチを覚えてるよ、アレックスがサンドイッチの半分を自分の口に放り込んで、残りの半分を俺にくれたんだ。彼が俺の車に乗って、ドライブしてヴィラの角まで来ると、ガソリンスタンドで俺らは2人とも車から降りた。そうすれば2人のポケットを全部探って金を探しやすいからな。出てきたコインは全部ガソリン代にした。

俺たちの1晩の稼ぎは120ドルだった。4日働いて、土曜の夜に支払いがあったんだ。皆がガールフレンドと行って、俺らが戻る2時間後にパサデナで開いてる店はデニーズだけだった。1973~76年まで、俺らはそれを「土曜の晩餐会」って呼んだのさ。俺らが店に入るのは午前3時、そしてメニューにあるもの全てを注文したのさ。メニュー全部だぜ、バナナスプレッド3種類全部にベーコンのグランドスラム朝食プレート、それのソーセージの付いたやつと。パスタ全種類に追加のケチャップ、砂糖もさ。いつも同じ奥の席で、机は2つくっつけてた。そりゃもう豪華なごちそうだ。

最初の頃は店のおばさんたちが怖がってた。1973年のことだからな。アレックスとこの思い出話をしたんだ。俺が訊く前に彼から覚えてるか訊かれたよ。

そこは警官の多い町だから、あるとき警官が来たのさ。俺たちがどんな格好してたか思い出してくれよな。「お前らは何だ?」って俺をじっと見て訊くから、「俺たちはロックバンドです」と答えた。「お前ら、これ全部払えるのか?」って言うから、「はい、金は持っています」と言うと、「金を見せてみろ」と言われた。それで俺ら全員が汗に輝く120ドルを見せてやったのさ。

「そうか」って警官は後ろに2歩下がった。まるで昨日の夜のことのように覚えてる。「この女性たちにしっかりチップをはずんでおけよ」と言われた。もちろんそうしたさ。俺たち労働者はチップをけちらない。おばさんたちは笑ってたよ、「土曜の晩餐会」が来たって、まるで10代の女の子みたいに踊ってたよ。そして俺らは食いまくった!

バターもケチャップもナプキンも紙カップもそりゃ丁寧にかばんに入れて家に持ち帰って、日曜の食事に使ったのさ。なぜって、月曜には練習に戻ってシンガーは食べない。火曜、そして水曜の9時15分になったらステージに立つ。「俺の名前はデイヴ。これがヴァン・ヘイレン兄弟、マイクは知ってるな?」そして俺らは “Smoke on the Water” を始めたのさ。5年半もそれをやってた。

この前(自宅)2階で古いズボンを見つけた。俺は古い服をとっておくのさ。俺のサイズは29で、エディは26だった。俺ら最初はそんなだったんだ。(訳者注:サイズS~XSくらい)

最近、親愛なるクラスメートのエドが旅立った。アレックスと俺はずっと話してきたんだが、俺が彼の代わりに話すのはまだ早い。彼は俺が話そうとしてる内容を知ってる。

人生ってのは短く、特に自分に残された時間はおそらくもっと短いって、俺は受け止めざるを得なくなった。正直に言えば、死ぬのは俺が先だと思っていた。マルボロ・マンに連れていかれるのは俺なんじゃないかと。

ヘイ、エド!お前のバックミラーに写ってるのは多分俺だろ?俺の医者やトレーナーが言うんだ、俺がステージに上がる度に未来を危険にさらしてるって。

俺が観客として座ってるとき、ウクレレ奏者が出てくるにしても、マーチングバンドが出てくるにしても、俺が頼みたいのは、そのショウに持てるもの全てを捧げるってことだ。それが、俺がこの50年間してきたことだ。

そして、俺は引退する。これが最初で唯一の公式発表だ。俺のマネージメント以外のな。さあ、これがニュースだ。世界中に知らせてくれ。俺は声明の説明はしない。説明はその中にある。それっていうのは俺の最後の5つのショウだ。

俺のバンドはかつて俺とアレックスが「ブロック」って呼んでたことをやる。それってのは1つのショウのために75回のリハーサルをやるってことだ。伝統的 Van Halen スタイルでやる。

アレックスと俺が唯一のバージョンだ、それがアレックスのメッセージだ。他のバリエーションはない。誰かにトーチを渡すってことはない。このコインに裏はないんだよ。これが伝統の大胆不敵な Van Halen だ。人々の今後の記憶に、そして孫や子の時代に語り継がれるように。

俺は持てるもの全てを注ぎ込んだ、素晴らしい人生だったよ。後悔はないし、誰かを悪く言うつもりもない。寂しくなるな、クールでいろよ。


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デイヴは肺ガンか何か重い健康問題を抱えているように推測できる独白でした。辛い。でも最後はエンターテイナーとしてキャリアを終えたいということでしょうか。

デイヴ最後の公演はアレックスとマイク・アンソニーが数曲で登場するという光景を見せて欲しい。デイヴの言うとおり、他の Van Halen は無いのであれば、最後に3人がステージからオーディエンスに手を振って欲しい。ギタリストはエディに親しかった数人の腕利きが数人登場してくれないかな。ルークやヌーノやリンチとか。それこそ最高のラスト・ショウになるだろうに。

デイヴの引退となると、DLRバンドのリユニオンも夢で終わるということで、そっちは大泣きのショックです。どうしてあの15年の未遂事件から翌年くらいにリユニオンの再チャレンジしてくれなかったんだろう?もう出来ないじゃんか!(大泣)

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(2015年 幻の Eat'Em And Smile リユニオンの楽屋 ビリー・シーンFBより)

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