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ジョー・サトリアーニ 「毎日、昨日の自分よりも上手くなりたいと思った」

欧州ツアー中のサッチですが、このツアー出発前にツアー・ドラマーのケニー・アロノフのインタビューに応えていました。

Chickenfoot や Experience Hendrix のツアーでも一緒だった2人ですし、サッチの最新アルバム2枚でもドラマーはケニーですから、親しい仲間のインタビューだけに、普段は饒舌ではないサッチが色々楽し気に話しています。

 

内容が多岐に渡って、長時間のインタビューとなっていますが、その僅か一部を以下にまとめました。

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Ibanezシグネチャーモデルを使う経緯は?

70年代の終わり頃、私はまだバークレーのギターショップで週40時間くらいギター講師をしていたんだ。当時は自作のギターを使っていた。ストラトのパーツにハムバッカーのPUを付けて、新しいアームを試したり。

ギタリストならわかると思うけど、私は25.5インチの Fender ストラトのスケールが好きで、PUは Gibson のハムバッカーが好きだった。私の世代のギタリストは FenderGibson が一体になったギターが欲しかったんだよ。

その頃、スティーブ・ヴァイIbanez との関係を始めたところだった。(訳者注:それは1986年頃)ティーブは彼らがやっていることに確信が持てず、私に電話してきて、「ギターを送るから、思ったことを聞かせて欲しい」と言うんだ。そして届いたギターは初期段階のJEMだった。これは凄い!と思ったよ。それは私には大きかったけど、スティーブは大きいからね。彼に最適だろうと思えた。

彼はPUの組み合わせを決めねばならず、ギターの構造という点では、私と彼は同じ課題に向き合っていたんだ。私は彼に「このギターは素晴らしい。自分の思う通り、クレイジーなモンキーグリップを入れたらいい」と伝えたよ。

彼は「もしかしたら Ibanez が君に何か送るかも知れない。彼らを紹介しようか?」と言う。私は当時そこで何の考えも無しに「いいね」と答えていた。

1stアルバムの『Not of This Earth』は出ていたけど、『Surfing with the Aliens』の発売(1987年10月)までまだ3ヶ月ほどの頃だった。Ibanez から連絡がきて、発売前のアルバムを聴いてとても気に入ったという。「どんなギターを使っているのか、こちらで創らせてもらえないか」と訊かれたんだ。それで、自作のギターや Kramer や Telecaster を使っていると答えた。

すると彼らはギターを送ってきたんだ。「もしよければこのギターから制作を始めよう」とね。そのギターが気に入ったんだ。(サッチが JS Chrome Boy を手に取って説明)それがこのギターで黒いボディだった。

(エディの)Frankenstein 的だけど、こういうボディのカーブがあるんだ。基本的に540径で(訳者注:540R は Fender ストラトのシェイプに似ているボディ)彼らのアイデアというのは、この(ボディ縁の)カーブがあることで、プレイヤーの身体への馴染みや腕を乗せたときの感触も快適だということだった。私はこのアイデアが凄く気に入ったのさ。テレキャスレスポールではそこが悩みの種だったからね。

それで、「これはクールなアイデアだね。もう少しボディシェイプを変えて、電気部品を全て変更、フレットも変えて、フレットボードの径も変えていいかな?」と言ったのさ。それから私は DiMarzio とシグネチャーPUを制作した。

そうして徐々にJSモデルに変化させていったんだよ。そうしてシグネチャーが翌年に完成し、それから35年になるね。彼らと制作を始めたのが87年で、完成したのが89年だ。

全てのアルバムでJSを弾いているの?

100%ではないよ。アルバムではJSでメロディやソロを弾くけど、そこに右チャンネルから Gibson 335 が入り、左チャンネルからヴィンテージのテレキャスを入れて、合わせたらどうなるだろう?と考える。楽器の音色が相互を高めるんだ。全ての楽器には特有の音色がある。それらが協調し合うんだ。シタールやラップスティールを加えることもあるよ。

君を日々突き動かしているモチベーションは何?

今も毎朝起きて、自分の心にあるものを曲にしたいと思うんだ。まだ自分の指がきちんと動くのか気になるし、子供の頃と同じさ。あの頃は毎日、昨日の自分よりも上手くなりたいと思った。自分で自分に成長していることを証明しなくちゃいけなかった。今でもそういう不安な気持ちを持っているよ。そしてギターを手に取ると、新たな曲やリフやメロディを求めて新たな探求に夢中になるんだ。このままのクリエイティブな暮らしを続けたいよ。

この暮らしは普通の仕事とは違うように思えるけれど、人々のために音楽を創っているのだと理解すれば、これは仕事で常に取り組まなくてはならないとわかる。規律をもって常に制作していないとね、ゲームをやっている訳にはいかないよ。

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サッチの伝記でもJSモデル制作の物語は語られていなかったのですが、珍しくこのインタビューでは話が聞けました。やはりヴァイ先生の仲立ちがあったのですね。そしてJEM誕生の裏側で、ヴァイ先生がサッチの意見を訊いていたことも分かりました。