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キップ・ウィンガー 「死の床で自分にイエスと答えるためには、今何をするべきか?」Part 1 of 2

キップ・ウィンガーがライアン・ロキシーAlice Cooper)のライブストリーミング番組に登場しました。

 

Alice Cooper Band という共通項のある友人同士の会話ははずんで、キップのキャリアの深い会話が聞けます。とても長いインタビューなので、過去記事であまり触れられていない内容や私が興味深いと思った部分を要約してまとめました。今週は Part 1。

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RR:ランディ・ローズやエディ・ヴァン・ヘイレンクラシック音楽から始めてロックに移行していったけれど、君がその真逆だというのは興味深いね。ロックから始めてクラシックに足を踏み入れた人は君しか知らないよ。(クラシック界の)プロの作曲家だからね。

KW:リサーチしてくれていて嬉しいよ。大抵のインタビュアーは俺がクラシックからロックに行ったと思っているから。俺が本当にクラシックを学び始めたのは35歳のときだ。俺は若い頃から兄貴たちのバンドでプレイし始めて音楽は独学なんだよ。その後ボー・ヒルが兄弟のバンドをプロデュースして、彼がNYに行ったので、俺は彼しか音楽業界のコネがないからNYに行ったんだ。

RR:ここで俺らの共通点が出てきたな。80年代後半に俺はNYにいたんだ。君らはアトランティック・レコードと契約してた、俺もその頃アトランティックと契約したんだ。NYでの話は後に回して最初に戻ろう。君は兄弟のバンドでロックをプレイしていて、16歳の頃、バレエを始めたんだよね。君はマーシャル・アーツをやっていたから、そこからの自然な発展だった訳?

KW:よく調べてるね。ああ、カジュケンボ(訳者注:空手と柔道とボクシングを組み合わせた武道らしい)をやってたんだ。ストレッチとか足を頭の上まで上げるキックとかやっていたから、ガールフレンドが一緒にバレエをやってと言ったとき、いいよって言ったんだ。初めてバレエスタジオに行ったときのことは一生忘れない。皆が足を頭の上まで上げてポーズしてたんだ。あんなのはブルース・リー以外の誰がしてるのも見たことがなかった。

(訳者注:これで、前回のインタビューでキップがブルース・リーの言葉を引用した訳がわかりました!過去記事はリンクから↓)

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RR:それで本当にバレエ・カンパニーで踊ったの?

KW:ああ。当時のコロラドで男がバレエするってのは凄く少なくて、相手役が要るからリクルートされたんだよ。俺はかなり真剣に取り組んでた。今でもレッスンしてるんだ、8ヶ月前だからコロナのせいで随分と前になっちゃったけど、とてもいいエクササイズになる。俺はデイヴ・リー・ロスを更に上のレベルでやるんだって思っていた。彼は史上最高のフロントマンだろう?それにフレディ・マーキュリーだってタイツを履いてた。それにイアン・アンダーソン(Jethro Tull)もタイツ姿だった。俺は彼らの上を行ってやると思っていて、俺はベースを弾くから、ベースを持って同じことをやろうとしたんだ。

RR:そうか、そこに捻りを加えた訳だ。成功した?それとも失敗した?やってみないとわからないよな。

KW:随分と批判されたよ。

RR:ボー・ヒルの話に進もう。君の最初の成功は曲を書いたところからだよね?俺のお気に入りのバンドで全く過小評価されていると思う、ボルティモアKIXだ。今朝リサーチで聴くまで知らなかったけど、アルバム 『Midnite Dynamite』の "Bang Bang (Balls of Fire)"だ。俺のお気に入りの曲だよ。これはどういういきさつだい?

 

KW:ボーはとても寛大だったんだ。ある日ボーから連絡があってKIXってバンドに何か曲のアイデアはないかと言われた。ボーは RAT で成功してから売れっ子になって色んなバンドのプロデュースをしてた。

RR:ボーは Winger のプロデューサーだね。

KW:ああ、最初のアルバム2枚。その後 Nirvana がヒットして俺たちは真っ逆さまさ。

RR:その話は何度もレブに聞いたよ。そう、俺たちのもう一つの共通点、レブ・ビーチだ。彼とは Alice Cooper Band で96年に一緒にプレイした。俺にとってもレブにとっても初めてのアリスとのギグだった。レブが良く言ってたよ、Nirvana とアニメが俺のキャリアを潰した」って。(訳者注:ライアンがレブのモノマネをしようとするけど、全く似てないw)でも彼は輝かしいキャリアを持ってる。

KW:ああ、Night Ranger, Dokken, Alice Cooper, Whitesnake, Winger, それにソロアルバムも何枚か。俺は多分何か挙げ忘れてるだろうな。謙虚な奴だよ、(プレイしてきたバンドの数々を)鼻にかけるようなことは全くないんだ。以前や最後にやったギグが何だったか忘れるような奴なんだ。

RR:あと、Winger のもう1人のメンバー、ポール・テイラーに会ったのは君が Alice Cooper Band にいたときだ。

KW:ああ。俺は子供の頃から兄弟でバンドをやっていたから、バンドとして仲間として上手くいくケミストリーというのがどんなものか本能的に分かるんだ。ポールに声をかけて、NYにレブって良いギタリストがいるから一緒にやろうと言ったんだ。当時のドラマーはケン・メアリー( Alice Cooper)だった。実際にポールとケンと俺の3人でコロラドに行って数曲レコーディングしたんだ。"Miles Away" も入ってる。

でも俺がNYに戻ってレブとアルバム制作をしていたら、偶然ロッド・モーゲンスタインに会ったんだ。レブは Dixie Dregs の大ファンで俺は知らなかった。俺たちがロッドにアルバムでプレイしてくれと頼んだんだよ。実はロッドのバンドへの参加はゆっくりと順に進んでいったんだ。最初はアルバムを頼んで、次にビデオ出演を頼んで、次にツアーも参加しないかと。そうして次第にメンバーとして固まっていったのさ。

RR:君は Alice Cooper Band にいた訳だけど、実際にはいつ自分のバンドをやろうと決めたの?

KW:ケイン・ロバーツのお陰というのは随分とあるよ。彼は実に洞察力のある人物で、俺にアリスのツアーを勧めてくれたのも彼だ。アリス以前の俺はソロアーティストとしてのデビューを探ってた。ピーター・ガブリエルみたいな、ブリティッシュ・ポップの音楽でね。1985年のことだ、その年には100曲くらい書いてた。Winger 2nd アルバムの "In The Heart Of The Young" を書いたのも85年だから、その頃書いた曲の感じがわかると思う。もっとドラムマシンぽい曲だったけどね。ケインが今は曲を書くときじゃない、ツアーに出ろって勧めたんだ。

それで26歳のときアリスのツアーで久しぶりにヘヴィな音楽をやってて思ったんだよ、俺は16歳の頃これをやってたんだ、この音楽は俺の血管を流れているものだと。当時は Megadeth や Tesla がオープニングをやってた。俺にもこういうバンドをやれるって思ったのさ。アリスとはアルバム『Constrictor』をやってツアーに1度出ただけだ。

RR:『Raise Your Fist and Yell』もレコーディングしただろ?

KW:ああ、でも俺が貢献したのはほんの僅かで "Gail" っていう風変りなクラシック曲だ。

RR:将来の君の作品の先駆けだった訳だ!ケインとは義兄弟みたいな間柄なんじゃないかい?でもそこにライバル心もあるように思ったから、彼に後押しされてたとは興味深いよ。

KW:ケインと俺は最低でも週に3回は話すんだ。俺たちは凄く親しいんだよ、彼には本当に才能がある、彼の最新アルバム(『The New Normal』キップ参加)なんて素晴らしいよ。彼は面白くて、洞察力があり、超知性派なんだ。だから俺は良い意見を聞きたいときにはケインに電話するんだ。どう思う?って。

RR:アリスが言ってたよ、これまでツアーした中で一番面白かった2人はケイン・ロバーツとキップ・ウィンガーだって。2人が一緒の時はそりゃ凄かったって。

KW:ああ、楽しかったよ。俺がアリスの元を去ったとき、寂しかったのはそういう仲間とヘッドライナーのショウからも去るってことだ。バンドを辞めるべきじゃなかったかもと思ったのは、Alan Parsons のギグもそうだ。スケジュールが合わなくなってしまった。そういうギグを失うのは後悔したよ。

1996年のことだ、俺はサンタフェに住んでいて、グランジの台頭で80年代のロックシーンのミュージシャンはプレイする場所がなかった。俺は当時日本人のマネージャー、エイイチ ナイトウと俺の1stソロアルバムを制作していて、彼は元々、俺とレブに Winger の1stアルバムのレコーディング・スタジオを使わせてくれた人だ。彼は日本人アーティスト、喜太郎のマネージャーだった。

(訳者注:これで喜太郎に繋がった!キップとレブが初めてロッドに会ったとき、ロッドは喜太郎のギグのオーディションのため、マネージャーと会っていたのです!ヲタクな発見に喜ぶ私… 関連過去記事はこちら)

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ソロ・アルバムを出した頃にはミュージック・シーンが変わって、俺はブックストア・チェーンのBordersで10人くらいの観客を相手にソロライブしかできなかった。その頃からクラシックを真剣に学び始めたんだよ。ツアーとの両立、タイムマネジメントが大変だったけれど、死の床で「俺はやりたかったことをやったのか、やり遂げたのか?」と自問したときに何と言えるかということだ。それで俺は将来を想像したんだ、「死の床で自分にイエスと答えるためには、今何をするべきか?」って。

RR:それはシビれるアドバイスだね。誰もが何か得意なことがある。それを複数見つけて達成していけば人生は充実したものになる。クラシックのアルバムではクレジットを C.F. Kip Winger にしてるね。

KW:クラシックの世界に入るときには怖気づいていて、ロックのキャリアは邪魔になると最初は思って、キップじゃなくて本名の方がきちんとした響きかと考えたんだ。でもサンフランシスコ・バレエ交響楽団はキップを使いたがった。それで気付いたんだよ、彼らは物語を求めている、俺のロックのキャリアはこの世界で役に立つんだと。芸術には様々な形式がある、音楽やダンスや彫刻や絵画だけじゃない。例えば不動産仲介業者としてもその人自身の芸術と言える仕事に到達できるんだ。どんな仕事でも、技巧という要素はある。だから自分の日々の仕事に気高さを見出すことは重要なことだ。

(Part 2 に続く) 

 

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