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ジョー・サトリアーニ 「キャリアはファンによって授けられるもの」

"Unstoppable Momentum" USツアー中のジョー・サトリアーニのインタビューがGuitar WorldExaminerにアップされていましたので、今週はこちらをご紹介。(和訳は一部の概要です。)

作曲について、今のバンドについて、ジミ・ヘンについてと、いろいろ語っています。ちなみに私は今のリズム・セクションがAristocratsの2人だったとこれで知りました。
別ソース情報によると、サト兄は自伝を書いているそうで、来年3月の発行予定とか。また、Chickenfootの再始動に向けても準備している模様です。

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ニューアルバムのタイトルトラックは収録曲で最長の5:14です。世の中が140文字のツイッターや6分の投稿ビデオの時代ですから、短気なオーディエンスのことを念頭に作曲したりしますか?

決してないね。自分で最高だと思うものを作っている。俺は作曲するとき、いつも強力なメロディを作り出す貴重な機会だととらえているよ。そしてメロディが特別なテクニックやアレンジを必要としていたら、手を施すのさ。それ以外のことは考えない。その曲は自分の感覚にぴったりくるか、正直に物語を伝えているか、感情を正しく伝えているかが重要なんだ。その結果、曲が短かろうが長かろうが構わない。

作曲や演奏時において、心に明確な視覚的イメージを持っているのですか?

もちろんさ。どの曲も俺の頭の中には映像のイメージがあって、それが的確にメロディーの構築をガイドしてくれるんだ。いつも気になってしまうのは、音数が多すぎないか、または少なすぎないか。また俺が何か特定の人物や経験した出来事、時には見た夢のことを書いているときには、これらのイメージと音楽が完璧に相関しているかを確かめている。

曲は当初のアイデアどおりにできるのでしょうか?時には全く違う方向にいくことは?

時にはね。14枚ものスタジオアルバムを出してきたからその中には作曲において大幅に当初のアイデアから脱線したものもある。でも作曲に関しては完全に完成したと思えたことはないな。ツアーに救われているんだよ。アルバムでは時間と金の制約でいつまでも手をかけることはできないけど、ツアーでは何度も演奏を繰り返すから、初期のレコードの曲でも言うなれば現在進行形で手をかけているんだ。

毎晩“Satch Boogie”をプレイするけど、その度に何か違うプレイにしようとしている。アルバムに収録したよりもいいものになっているか、自問しながらね。
発表してから20年もライブでプレイし続けている曲というのは、その間に十分な練習をし、異なるフィンガリングを覚え、という風に現在進行形で取り組んでいるものであって、完成したものではないのさ。

バンドのリズム・セクションが新しい顔ぶれになりましたが、いかがですか?古い曲にも新しい息が吹き込まれましたか?

正にそれが狙いだよ!最近はライブDVDを作るための撮影だけじゃなくて、観客の半数はライブの様子を撮影してるだろう?そういうのを見るにつけ、誰も知らない領域のショウをできたらいいと思っていたんだ。新しいミュージシャンを迎えることで、自分のプレイを再検証でき、良きにつけ悪しきにつけ、古い習慣を取り去ってくれる。今までと異なる演奏法に気づかせてくれるんだ。

バンドメンバーの3人:Mike Keneally (G&Key) Bryan Beller (B) Marco Minnemann(D)は色々なユニットで一緒にプレイしてきている。ブライアンとマルコはBrendon Small's Dethklokで何年かプレイしているから、ヘヴィで超スラッシュ・メタルな感性もあるし、フランク・ザッパつながりでもある。マイクはフランク・ザッパと何年もプレイしてきたし、マイクとマルコはお互いのソロ・プロジェクトでも共演している。ブライアンとマルコは素晴らしいギタリスト、Guthrie GovanとのトリオでAristocratsをやっているしね。

彼らは互いに頷き、ウィンクをするだけで、スーパータイトに始め、即興を繰り広げ、そのくせぴったりとそろって戻ってくることができるんだ。ソリストである俺にとってこれは最高さ。リズムセクションがリズムを高みに持ち上げて強力に背後でプレイしてくれるんだ。すごくエキサイティングだよ!

Chickenfootでは俺がリズムセクションの一部だ。だから俺はサミー(ヘイガー)が自由に歌えるような空間を提供する。
ソロの連中とツアーに出るとき(G3ツアーのことと思われます)は、俺はリードシンガーみたいな役回りになってしまうから、背後のリズムセクションの3人は俺に十分な空間を提供してくれるか、ずっと後ろに下がって正確にリズムを刻んでくれる。メロディを奏でる人間は自由にプレイできるけれど、それはリズムセクションがきっちりグルーヴを作ってくれるから可能なんだ。

あなたは80年代を生き残った稀有なアーティストです。それはあなたの音楽ジャンルや個人的信念によるものでしょうか?

周りに真っ当で賢い人、気にかけてくれる人がいることだ。俺は素晴らしい家族、友人、マネージャー、エージェント、レコード会社に恵まれた。誰もが人生ではとんでもないことに出くわすから、周りに恵まれることはとても重要だ。ミュージシャンとしては自分を理解してくれるエージェントやレコード会社があれば、自分はいい曲を書くこととパフォーマーとして成長することに専念できる。

究極的には、アーティストのキャリアというのはファンによって授けられるものなんだ。例えどんなに素晴らしいアーティストだとしても、誰も気に入らなかったらどうにもならない。だから、すべての賞賛はファンのものなのさ。

子供のころ、ジミ・ヘンドリクスが死んでしまった話を読んで強い衝撃を受けた。そして自分はそうならないようにしようと決めた。彼の死は俺にドラムからギターに変更させただけでなく、なぜ彼が狂気にとらわれたのかを知ろうというきっかけになった。自分と折り合いのつかないほどに有名にはならないこと。それは自分に言い聞かせているよ。

あなたは自分のことをアグレッシブなプレイヤーと言っていましたが、それはどういうことですか?

エリック・クラプトンジミ・ヘンドリクスを例にあげると、どちらも至高のミュージシャンだけど、全く違うんだ。クラプトンはぎりぎりのところまで行ってそこで2歩下がる。彼は決して追突したり燃え尽きたりはしないけれど山頂へは連れて行ってくれない。山頂の2歩手前で止まるんだ。でも彼は常に素晴らしいところへ連れて行ってくれる。

ジミは全く逆で、ベースキャンプまでしか行かなかったりするけど、時には山頂へ行き、そこから飛び降りたりする。だから追突したり燃え尽きたりする。でもジミについて行くと、とんでもない経験ができるんだ。俺にとってはそれがアグレッシブなプレイヤーだ。

恐れを知らないプレイということ。ジミー・ペイジがそうだね。彼は自分の能力の極限のプレイをして、そこでマジックが生まれる。ジェフ・ベックもそうだ。最大限のプレイに挑戦して、失敗は気にしないんだ。

楽器を演奏しない人ともコミュニケーションできる音楽を作ろうと考えているのですか?

そう考えているよ。音楽というのは誰もが好きで、そこに何か柵をつくって考える必要はない。
初めてインドでショウをやったとき、もう夜中を過ぎていて、クリケット場の真ん中にいたんだ。2万の人がムンバイへショウを見に来ていた。いったいどうなるんだろう、と思いながら“Flying in a Blue Dream”を始めたら、俺のギターに合わせて皆が歌ってるんだ!皆がロックTシャツにジーンズ姿で、ここがムンバイってことを除けば、いつもの野外ロックコンサートさ。皆が同じように音楽の体験をシェアしていて、そこには国境なんてものはないんだ。