まさかジョエルが呼ばれるとは。ファンとしては嬉しすぎてこれは現実かと思ってしまうくらい。確か、ジョエルとサッチはここまで面識はなかったハズです。でもジョエルがTSOでサッチの Chrome Boy を使用していることはサッチが認識しており(下部、過去記事参照)、ジョエルとヴァイ先生が親しくなったことなどから、今回のクルーズ乗船者でジャムをするギタリストとしてジョエルに先生推薦が付いたのかも知れません。
01. Ice 9 02. Surfing with the Alien 03. Satch Boogie 04. Sahara 05. Nineteen Eighty 06. Big Bad Moon 07. Always with Me, Always with You 08. Blue Foot Groovy 09. Flying In a Blue Dream 10. Crowd Chant 11. Summer Song 12. Going Down (f/Joel Hoekstra)
「不思議なことにこの2曲は同じ日に書いたんだよ。この2曲がどう関係しあっているのかはわからないんだけど。ある日私は腰かけて "Big Bad Moon" を書いた。こういう風に歌おうかなって、やめておけばいいのに。それから休憩をとって、アコースティックギターを手に取った。そして全く違う曲を書いたんだ。子供の頃から宙を飛ぶ夢を見ていた。それはいいなと思って書いたのが "Flying In a Blue Dream"」
01. Opening jam 02. Surfing with the Alien 03. Satch Boogie 04. Sahara 05. Nineteen Eighty 06. Big Bad Moon 07. Flying In a Blue Dream 08. Ice 9 09. Summer Song 10. Crossroads (F/Nuno Bettencourt, Richie Kotzen) 11. Going Down (F/Nuno Bettencourt, Richie Kotzen)
子供の頃、ジョーは私にとってインスピレーションの源だった。ジョーとはレッスンの後で学校の広大な空き地に面する駐車場に行っては、そこでただ座って、何時間も語り合ったんだ。ジョーの小さなホルクスワーゲン(ビートル・バグ)に乗ってね、私は運転できなかったけど、ジョーはできた。私たちは何時間も語り合ったその場所を「The Sea of Emotion(感情の海)」と名付けた。
伝統的にはスタジオに一緒に入って曲を創るのだろうけど、それは無理だった。ジョーはサンフランシスコに居て、私はツアーに出ていた。それでジョーが何曲か書いて私にトラックを送ってくれた。素晴らしかったよ、いかにもサトリアーニの音楽だ。私も書いた。タイトルは "The Sea of Emotion" だ。どこまで話してもいいのだったかな(笑)。曲には Part 1から3まである。私が編曲したよ。
01. Machines (Or 'Back to Humans') / Radio Ga Ga 02. Hammer to Fall 03. Another One Bites the Dust 04. I'm in Love With My Car 05. Bicycle Race 06. Fat Bottomed Girls * 07. I Want It All 08. Love of My Life 09. Teo Torriatte (Let Us Cling Together) 10. Drum Solo 11. Under Pressure 12. Tie Your Mother Down 13. Crazy Little Thing Called Love 14. I Was Born to Love You 15. (You Take My Breath Away) / Who Wants to Live Forever 16. Guitar Solo 17. Is This the World We Created…? * 18. A Kind of Magic * 19. Killer Queen 20. Don't Stop Me Now 21. Somebody to Love 22. The Show Must Go On 23. Bohemian Rhapsody encore: Ay‐Oh Freddie on screen 24. We Will Rock You 25. Radio Ga Ga 26. We Are the Champions
Light Without Heat という会社の設立登記をした。過去40年間で私は恐らく1ダースほどの会社を設立、運営、売却又は閉鎖してきたが、Light Without Heat は私のローンアウト会社(訳者注:設立者が株主で自身を従業員とする形態で、個人の責任を軽減したり、資産保護や税制上の優遇を受けるといった利益がある)として存続させてきた。このフレーズは「The Uranita Book」という抽象的でエキゾチックな本にインスパイアされたものだ。
そして私は Akashic Records というLWH(Light Without Heat)からの屋号のビジネス体を作った。これは私がアルバムをリリースするときに使う名称だ。私は早まって、この屋号の調査をせずに使い始めてしまい、既にこれが第三者によって商標権が押さえられていることを知った。
社名を変える必要に迫られ、Uranita Records にしたが、私は再び早まってしまい、この名前もまた商標が取られていると知った。このときだ、ユニークな名前を確保するのが難しいとわかったのは。既に Light Without Heat を設立していたので、レーベルもそう呼ぼうと思った。できた!余談だが、これらは私が22歳の頃の出来事だ。
1,000枚のレコードをクリフの Important Records Distributors に販売したおかげで、『Flex-Able』のプロモーションと Stucco Blue スタジオでのレコーディングを続ける十分な資金ができた。
やがてクリフが電話してきて、1,000枚全部が売れたので、もう1,000枚欲しいと言ってきた。その後更に1,000枚の追加があった。これは私にとって素晴らしかった。Enigma Records から提案された前金の1万ドル分の売り上げはとうに超過して、しかも私は『Flex-Able』の権利を持っているのだ。
この頃(1983~4年)欧州のレコード配給業者であるコウ・デ・クルー (Co de Kloet) と連絡を取るようになった。コウはフランク・ザッパの友人で、フランクが私たちを繋げたのだ。長年のうちに、コウと私は友人としてとても親しくなり、強力な共同クリエイティブ・チームとなった。多くのことは後ほど、だがコウは私が彼を必要としたときに、いつも側にいたと言えば十分だろう。
Important Records を通じても、欧州の配給業者から良い反応があった。フランク・ザッパの忠実なファン層のおかげで、事は上手く行き始めた。
これは風変りで奇妙なアルバムで、私のギター超絶技巧愛を反映した数曲、("Attitude Song", "Call it Sleep", "Viv Woman")や、私の作曲愛を反映した曲、("There's Still Something Dead in Here", "Junkie", "Salamanders in the Sun")や、私の可笑しくて奇妙なもの愛を反映した曲、("Little Green Men", "Lovers Are Crazy", "The Boy/Girl Song")などがある。