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Green (@ribbon_bear) が毎週好きな音楽ネタを語ります! Since 2011

驚異の70代レジェンド枠!フレーリー、ヒューズ、メニケッティ @MORC2024

今年のMORCには複数の70代レジェンド・ミュージシャンが乗船していました。

エース・フレーリー(Ace Frehley) 72歳
グレン・ヒューズGlenn Hughes) 72歳
デイヴ・メニケッティ (Dave Meniketti) 70歳
ルディ・サーゾ(Rudy Sarzo) 73歳

皆さん70代というのにお元気でパフォーマンスも突出していました。そんな訳で彼らのショウの一口感想です。

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エース・フレーリー 3月3日 シアター

2月にニューアルバム『10,000 Volts』を発表したばかりのエースは自身のバンドを率いての初乗船。レジェンドを観ようとシアターは混雑していました。ちなみに私の席の斜め前方にはレブ・ビーチが座っていました。そういえば彼も子供の頃に KISS に衝撃を受けた人でしたね。

今年のMORCで最も良かったギターサウンドは誰かと訊かれると、私的にはもちろん1番ジョー・サトリアーニなのですが、2番目にはエースと答えます。生で聴くのは初めてでしたが、アルバムの音とは違って生のレスポールサウンドは太くて味があって、いい音だなぁ!さすがギターレジェンド!

LPはアイコニックなサンバーストから、ボディがLEDで光るもの、ピックガードの辺りから煙が出るものなど、飛び道具としての演出もバッチリ。

エースの衣装はシャツの柄が浮世絵風のKISS柄だったり、ハロー・キティ柄(笑)だったりと、そんなところでも楽しませてくれました。

"Love Gun", "Detroit Rock City", "Rock and Roll All Nite" 辺りのKISS祭りでは会場大盛り上がり。会場にいるギタリスト全員が子供の頃にこれらの曲を練習した思い出がよみがえり、エースのギターを今聴いていることに感激していたに違いない。

個人的にもオリジナルKISSのギタリストを初めて観て聴くのは感動でした。これが世界中のロック少年少女を夢中にさせた歌えるギターソロ!

お元気なうちにどうか日本にも来て欲しいものです。


グレン・ヒューズ 3月6日 シアター

実はマイアミで同じホテルに滞在していたので、グレンとは数回ホテルロビー等でお会いする機会があったのですが、そこでの細身で小柄で細い声でお話される姿から、ステージ上で豹変される姿を観て、正直「なんという偉大なバケモノなのだろうか!」と衝撃でした。

Deep Purple 50周年ということで、全曲がDP。耳馴染みのある曲がクラシカルで骨太ブルージーなバンドサウンドで演奏され、破壊力抜群のグレン・ボーカルが上に載るという、聴き応えのあるショウでした。

"Mistreated" や "Burn" での驚異的なボーカルにはオーディエンスからの歓声が大きくなっていました。

グレンといえば、Black Country Communion の新譜が6月発売で、先行リリースされた新曲がカッコ良くてシビれました。18日からジョー・ボナマッサのやっているブルース・クルーズで船上のライブをやっています。

BCCの新作についてグレンは「自分の最高傑作だ」とホテルで会ったとき仰っていたので、BCCでぜひとも日本にも来て頂きたい。


デイヴ・メニケッティ 3月1日 野外ステージ

前立腺がんを克服して元気にツアー復帰されたデイヴを拝む為にこの日のプレ・パーティ・コンサートに来ました!Y&Tはトリで登場です。

オープニングの "Black Tiger" から、病み上がりとも70代を迎えられたとも全く思えない力強いボーカルとギターに感動。同年代はおろか、全世代のロックシンガーの中でもデイヴに並ぶ突出したシンガーは数少ないと思います。

ライブ中盤でデイヴがマイクを取ると、

「数週間前に私たちは日本でプレイしてきた。この曲は彼らのお気に入りで、私が彼らに捧げた曲だ。日本の人たちの素晴らしいところは一緒に歌ってくれるところだよ、"ウォオオ~"とね、皆も歌って欲しい」

日本公演の記憶鮮明だったのでしょう、デイヴの日本を紹介する言葉に、「ここに(日本人)います~!!」と大興奮して立ち上がって手を振りまくっていたら、周りにいたファンの皆さんに「クール!日本から来たのか!」と温かいハイファイブで迎えて頂き、楽しかったです。Y&Tファンは良い人が多い。

異国で聴く "Midnight in Tokyo" はブルージーでエモーショナルなデイヴのギターとボーカルが相まって、涙を誘います。出国まだ2日なのに郷愁に胸が一杯になるって我ながら驚き。

どうかいつまでもお元気で、また来日してください。

 

 

ルディ・サーゾは Quiet Riot でお元気にパフォーマンスされていたのですが、暑い午後の時間帯で私は日陰に逃げ込んでしまい観ていません。(汗)

ジョー・サトリアーニ ライブ@MORC2024 感激のライブは新G3でフィナーレ!

行ってきました、MORC2024!今年の船に乗ったのはハッキリ言ってサッチを観るためです!

ショウは乗船初日の3月2日と5日の2回公演で、どちらも船内で一番大きいシアターでした。ただ、80年代のハードロックを中心とするラインナップで乗船している客層は従来のサッチファンとは異なるため、集客は半分程度だったでしょうか。通常のサッチ公演ならこれくらいの会場は余裕で満席になるでしょうに、ご本人も勝手が違っていたことでしょう。

普段は自身のツアーなどで忙しいアーティストにとっては、サッチの演奏を聴く機会なので、開演前に何人ものアーティストが会場入りしていました。

以下、ライブレポです。

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3月2日 午後6時45分開演

Gold Boy を持ったサッチがステージに登場!これが新作シグネチャー!まばゆく輝いています。そしてサッチの生音に感無量です。サッチ自身のツアーは2017年、Experience Hendrix ツアーで観たのは2019年が最後。

最前2列目くらいにいたのですが、その位置で聴いてもサッチのトーンの素晴らしさときたら。ああ、本当に久しぶりにサッチの生音を聴けた、感無量。

このシアターでは例年多くのギタリストがサウンドに苦労します。借り物のアンプでPAも含め、なかなか難しいところなのですが、やはり超一流はこういうところでも自分のトーンをサクっと出せてしまうところが違うのかなと思います。

サッチが使用していたアンプはここのシアターで用意されている Marshall で、足元のペダルボードは内容が見えませんでしたが、結構シンプルそうな感じでした。

Experience Hendrix ツアー初日でも野外の会場で多くのギタリストが苦労する中、サッチとエリック・ジョンソンは自分のトーンをしっかり出していたことが思い出されます。

オープニングから3曲続けてのサッチ代表曲は初めてサッチを観る人向けにガッツリ掴むためでしょうか、ファンとしては最初からこんなに飛ばすの?っていうくらい。

ドラマーはケニー・アロノフ、ベースはブライアン・ベラー、鍵盤&ギターはレイ。この3人バンドは初めて観ますが、既に Earth ツアーで米欧を周っている彼らは先日までG3ツアーもやっているので完璧です。

「今は海上にいるから、砂漠の真ん中の曲をプレイしよう」

ここで『The Elephants of Mars』のアルバムジャケットがペイントされたパープル・ギターが登場。この曲をライブで聴けるのが嬉しい!テクニックが詰まっていながら、ギターを歌わせ、複数のトーンを操り、メロディックに訴えかける。さすがサッチ。

"Nineteen Eighty" もライブで聴いてみたかった曲、嬉しい!

"Big Bad Moon" ではサッチの歌と弾きまくりのロックギターを堪能して、ハーモニカでのスライド・プレイも観れて満腹。

「歌ってアドレナリンを使ったから、少し静かな曲にしよう、"Always with Me, Always with You"」

真っ白なボディのJSで弾かれた名曲は得も言われぬ美しさでした。

そして『The Elephants of Mars』からのリラクシングでブルージーな1曲 "Blue Foot Groovy"。こういう曲調でも映えるサッチのギターよ。ライブではアルバムとは違う味付けがあったり、バンドの音もしっかり味わえて、やっぱり良いわ。

そして来ました "Flying In a Blue Dream"!イントロの音源に続いてのアーミング・プレイからの本編はギター好きにはたまらん。 

"Crowd Chant" きた!コール・アンド・レスポンスが楽しくて最高。そしてこういうロック曲でのサッチ・トーンがまたカッコイイんだわ。

大好きな "Summer Song" でメンバー紹介があって終了なのかなと思っていたら、驚きの展開が待っていました。

「ちょうどG3ツアーを終えたところなんだけど、クレイジーで凄いギタリストと共演するのはいつも楽しいんだ。だから誰かを呼んでもいいかな?アメージングで良い友人のジョエル・ホークストラ!」

まさかジョエルが呼ばれるとは。ファンとしては嬉しすぎてこれは現実かと思ってしまうくらい。確か、ジョエルとサッチはここまで面識はなかったハズです。でもジョエルがTSOでサッチの Chrome Boy を使用していることはサッチが認識しており(下部、過去記事参照)、ジョエルとヴァイ先生が親しくなったことなどから、今回のクルーズ乗船者でジャムをするギタリストとしてジョエルに先生推薦が付いたのかも知れません。

2人のジャムは見応えありました。サッチはもちろんの余裕でジョエルが繰り出す様々なプレイを受け止めて展開していくという感じ。終盤でサッチのアイコニックな歯で弾くギターをジョエルが真似してみせると、面白がったサッチが「良し、一緒にやろう」と合図して最後には2人で歯で弾くギターをやってみせたシーンは楽しくて微笑ましかった。

高校生の頃に『Not of This Earth』に出会ってからサッチファンのジョエルにとって、感激の共演だったことでしょう、彼の嬉しくて仕方のない興奮ぎみの笑顔を見れたのも嬉しい。

翌日、ジョエルにいつサッチから連絡があったのか訊いてみたら前日だったそうです。「死ぬほど緊張した」とのことでしたが、そんな様子はステージではおくびにも出さず、プロのパフォーマンスをみせたところはさすがでした。

ちょっとこの共演って私のためと違う?!(違うけど、嬉し泣き)


3月2日セットリスト

01. Ice 9
02. Surfing with the Alien
03. Satch Boogie
04. Sahara
05. Nineteen Eighty
06. Big Bad Moon
07. Always with Me, Always with You
08. Blue Foot Groovy
09. Flying In a Blue Dream 
10. Crowd Chant
11. Summer Song
12. Going Down (f/Joel Hoekstra)

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3月5日午後3時15分開演

バンドメンバーを紹介しながらのオープニングはインプロのジャムだと思うのですが、展開もカッコイイし、サウンドがそもそも最高のサッチトーン!今日はこう来るのか!

そこからは昨日と同じセトリで進みました。それにしてもいい音だなぁ!

"Big Bad Moon" を終えるとサッチのトークが。

「不思議なことにこの2曲は同じ日に書いたんだよ。この2曲がどう関係しあっているのかはわからないんだけど。ある日私は腰かけて "Big Bad Moon" を書いた。こういう風に歌おうかなって、やめておけばいいのに。それから休憩をとって、アコースティックギターを手に取った。そして全く違う曲を書いたんだ。子供の頃から宙を飛ぶ夢を見ていた。それはいいなと思って書いたのが "Flying In a Blue Dream"」

今日の "Ice 9" ではバンドとのジャムも挟んで展開して、そりゃあカッコイイ。レイの鍵盤とのリック交換やベースソロも入ってお楽しみいっぱい!

スティーブ・ヴァイエリック・ジョンソンとのG3が終わったばかりで、あれが恋しいからね、友人のギタリストを呼んでもいいかな?最も Extreme なギタープレイヤー、ヌーノ・ベッテンコート!そのギターは見たことあるぞ、ギターコンテストで(笑)」

この数時間前に行われた、一般人が審査員の前でギターの腕前を披露するコンテストで、ヌーノの大ファンの少年がN4を弾いていたのをサッチがネタにしたのでした。審査員を務めたサッチはそこでヌーノの隣に座っていました。

「これまでジャムする機会がなかったけど、同じ船に乗っていて良かったよ、リッチー・コッツェン!」

マジか!ヌーノが出てきそうな予感はしてたけど、リッチーも出て来て即席G3って豪華すぎる!ああ、こんな遠くまでサッチを観に来て良かった!(感涙)ヌーノもリッチーも先生とはジャムしてるから、やっぱり先生推薦でこのG3メンツが決まったのかも?

ここでヌーノがマイクを取ります。

「皆にわかって欲しいんだけどさ、俺たちがここに出て来てこのマエストロ&マスターと弾くのはどんなに難しいか。全てのギタープレイヤーを唖然とさせ、俺は自分の部屋で彼のプレイはどうやるのか解こうとしたが、未だにわからない。ジョー・サトリアーニ、史上最も偉大なギタープレイヤーの1人!」

こういうシーンでさっとマイクを取って主役の紹介ができるところはさすがヌーノ。先生や音楽界大物との共演の多さも頷ける。

そして曲は "Crossroads" !3人のソロ回しを最前列のサッチ正面で観れるというこの幸せ!もの凄い興奮の中で必死にスマホの動画を撮りました。肉眼にもこの瞬間を焼き付けたい!

 

 

 

 

3月5日セットリスト

01. Opening jam
02. Surfing with the Alien
03. Satch Boogie
04. Sahara
05. Nineteen Eighty
06. Big Bad Moon
07. Flying In a Blue Dream
08. Ice 9
09. Summer Song
10. Crossroads (F/Nuno Bettencourt, Richie Kotzen)
11. Going Down (F/Nuno Bettencourt, Richie Kotzen)

 

ご参考関連過去記事

staytogether.hateblo.jp

staytogether.hateblo.jp

staytogether.hateblo.jp

 

スティーブ・ヴァイ 人生初の録音を含むサッチとの共作新曲

今週はG3ツアー出発の1週間前に行われた先生のインタビューです。

Satch/Vai ツアー向けの新曲や先生が秋に参加するバンドについて興味深い話が聞けます。その辺りの概要をまとめました。

 

 

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今は何をしていますか?

忙しいのは良いことさ。ジョーとの共作曲に一心に取り組んでいるよ。ジョーが2曲を送ってくれてね、素晴らしかった。

子供の頃、ジョーは私にとってインスピレーションの源だった。ジョーとはレッスンの後で学校の広大な空き地に面する駐車場に行っては、そこでただ座って、何時間も語り合ったんだ。ジョーの小さなホルクスワーゲン(ビートル・バグ)に乗ってね、私は運転できなかったけど、ジョーはできた。私たちは何時間も語り合ったその場所を「The Sea of Emotion(感情の海)」と名付けた。

それで今年、ジョーと2人でツアーすることになり、2人で新曲をレコーディングしようということになった。まだ2人ではやったことのないことだったから。2人のレコーディングは沢山あるが、それはG3とかそういうものだ。2人の共作というのがないんだよ。

伝統的にはスタジオに一緒に入って曲を創るのだろうけど、それは無理だった。ジョーはサンフランシスコに居て、私はツアーに出ていた。それでジョーが何曲か書いて私にトラックを送ってくれた。素晴らしかったよ、いかにもサトリアーニの音楽だ。私も書いた。タイトルは "The Sea of Emotion" だ。どこまで話してもいいのだったかな(笑)。曲には Part 1から3まである。私が編曲したよ。

これについて面白いことがある。私がジョーからレッスンを受けていたとき、ジョーの部屋は世界で一番クールな十代の部屋だった。クールなポスターが貼ってあり、レコードが並んでいた。

ジョーは小さな2トラックのテープレコーダーを持っていた。サウンド・オン・サウンドの録音が可能なやつさ。ジョーが実験をしていて、あるとき2人で録音したんだ。それが私の人生初の録音さ。最高の気分だったよ。

その後10年くらいして、ジョーがそのテープを送ってくれたんだ。その小さなテープを私はデジタル変換した。これで曲を創ろうと思ったんだよ。ジョーのプレイしたリフがあって、十代の子供にしてはトリッキーなリフだったよ。そんなことを今週やっていたんだ。

そしてG3のツアーに出る。G3ツアーはいつも素晴らしいものさ。リラックスできてプロフェッショナルで、私はただ出ていってプレイするだけでいい。そのツアーの後少し間をおいて、次にジョーとのツアーに出る。そこで多分2人の新曲を初公開する。その後ジョーはサミーとのツアーがあるね。私は秋に予定があるんだが、まだ言えないんだよ。でも良いショウになるだろうね。

素晴らしい、ジョーとの初録音が新曲のアイデアの元になっているだなんて。

いや、アイデアになっているだけじゃないんだ、その録音自体も含まれるのだよ。

凄い、では今のフォーマットに合わせるためにスタジオでのマジックを加えたのかな。

そのものさ。デジタルなんてものがなかった時代にテープ録音された音源。私がやらねばならなかったのは、少しだけピッチを修正することだけだ。テープの再生速度が少し遅かったので、音が少し低かった。ほんの少し上げただけだよ。

この秋の予定についてですが、まだ言えないものを聞きませんが、リハーサルには時間がかかりそうでしょうか?

その音楽を習得するにはこの夏中かかりそうだよ。そのバンドでプレイしたギタープレイヤーは全くのビーストだからね、とても難しいパートがある。

自分の曲をプレイするのと、誰かの音楽でそのようにプレイすることを期待される音楽をプレイするのとでは、リハーサルも違うのでしょうね。

そうだね、自分の音楽の場合はどのようにするにせよ、自分のやりたいようにやれる。私はずっとソロアーティストとしてやってきたし、この前まで自分のツアーで世界中を周った。

でも今回の話がやってきたとき、断れないほど魅力的だった。とても音楽的指向のアンサンブルで、偉大なミュージシャンが参加している。私が今回楽しみにしているのは、自分のソロをやるのとは違い、そこに集うことで異なる次元が開けるからだよ。

だからこのような状況へのアプローチとしては、オリジナルのパートをできる限り尊重する。しかし、私が Alcatrazz や DLR, Whitesnake でやったように、弾くのは自分なんだ。誰かの真似をするのではなく。つまり、オリジナルに敬意を払うが自分の味を加えるということ。

ご自身のアコースティック・アルバムやオーケストラ・アルバムを手掛ける時間はありそうですか?

アコースティック・アルバムは今頃には出ているつもりだったけど、ジョーとのツアーや、それ用の新曲などがあって、今は手一杯なんだ。次に時間的余裕ができたら、それらを仕上げたいね。

アーティストが何をやっても聴いてくれる層というのは、私の音楽的DNAを好んでくれているのだと思う。だから、技巧的でなく、私が歌うアコースティック・アルバムを楽しんでくれるのは(私の音楽的DNAを好む)一部の人だろうね。

 

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先生が秋に参加するバンドとはどんなバンドなのでしょうか?どんなギタリストのパートをプレイするのか、気になります!

スティーブ・ヴァイ Flex-Able 36th Anniversary: Part 6 アナログのマスターテープ復元からデジタルへ

Flex-Able』ライナーノーツの最終回です。

先生の中で、自分の過去作品を最新の機器で可能な限り高音質にして再リリースするというプロジェクトが今後進むのかも知れません。

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36th Anniversary Mastering Update

CDを製造するため、アナログのマスターテープからデジタルへの変換は80年代初頭に始まった。当時のコンバーターは私たちにとってはイカしたものだったが、現在のクオリティと比較するとヒドイ代物だ。この変換技術は長年のうちに進化した。

Flex-Able』が25周年を迎えたとき、私は最新のコンバーターでデジタル化し、リマスターしようと決めた。これはデジタルでのリリースのみのためにやったのだ、CDやLPを制作する程の需要はないだろうと思って。

これまでの間、自分の作品全てを最良の手法でデジタル化し、リマスターし、LP/CD/デジタルのフォーマットで再リリースすることを考えてきた。これを書いているのはまだ2020年だが、Flex-Able』を最初の再リリースに選んだのは、デジタル技術が当時から格段に進歩したからだ。

このプロジェクトでのLP製造は『Flex-Able』の(ステレオ・クォーター・インチ)マスターを見つけるところからだった。次に、そのテープをリールマシンにかけられるよう復元した。

Flex-Able』のケースに37年も入っていたアナログテープは、テープ上の酸化物粒子を留める糊が劣化して傷んでいる可能性がある。これは粘着剥離現象と呼ばれ、テープを使用不可にしてしまう。長年の内に糊が水分を吸収し加水分解を起こす。だからテープは冷涼で乾燥した環境で保管する必要がある。

奇妙なことに、粘着剥離現象を起こしたテープを復元する1つの方法は対流式オーブンで(食品乾燥器が最適)51~62度で9~12時間加熱することだ。これにより糊から水分子を除いて一時的な復元ができ、別のテープ又は形式に安全にコピーすることができるし、LPやCDのマスターに使用できる。加熱したテープは大抵数回ほど再生可能だが、その状態によるものの数ヶ月ほどが限度だ。

この36周年リリースのため、ダン・ジョンソンの手でマスターテープを加熱修復し、リストアしてもらい、バーニー・グランドマン自身によってリマスターしてもらった。

www.e-onkyo.com

最後に、変換したこのアルバムの音質について私は大喜びしていると同時に安心したよ。私たちがマスターした複数のフォーマットとは:

1. LP:アナログ・マスター、アナログ・マスター・プロセスによるアナログ・リリース(AAA)
2. CD用デジタル及びデジタル配信:44.1kHz x 16bit
3. デジタル・ハイレゾ:96kHz x 24bit
4. デジタル・ハイレゾ:192kHz x 24bit

今回のリリースについて私が言及するのはこれが最後になるだろう。かくして、この音楽を最新のフォーマットで、最新の機器で可能な限り最高音質に復元するという目的を達成した。この可愛く奇妙なアルバムはそれに値すると信じている。

この音楽に人々が価値を見出したことを嬉しく思う。私の心からの深い感謝をアルバムを手にした君に。我々は良いチームだよ!

 

スティーブ・ヴァイ
2020年9月21日
ロサンゼルス
午後5時45分

 

Queen+アダム・ランバート @ナゴヤドーム 2024.02.07. We Are The Champions!

Queen+アダム・ランバートを前回観たのは2020年1月末だったので、今回はちょうど4年振りの来日公演となる。

2020年2月からコロナ禍が始まり、世界はパンデミックの混乱に陥り、国境は閉鎖され、ライブミュージックは途絶えた。2023年から日本ではやっと国境が開かれ、海外アーティストの来日公演が再開した。

私にとってQALはコロナ禍前、最後に観たスタジアム公演であり、普通の世界の最後のライブミュージックの記憶だ。

2020年2月に渡航先のアメリカのホテルで帰国前にTVをつけると、横浜港に停泊する日本のクルーズ船の乗客の様子がヒステリックに伝えられており、私には何が起きているのかわからず、一抹の不安と共に帰国便へ搭乗したのだった。それから暫くして世界は国境を閉ざし、長いパンデミックの閉鎖世界を迎える。

コロナ禍で変わってしまった世界を生き抜いてきた私にとって、(いや恐らく多くの人にとって)QALはパンデミック終焉の象徴となる公演なのだ。(もちろん、この病との闘いはまだ続くのだが)

ほぼ満席となっているナゴヤドームのスタンド席に座ると、ライト側前方で、視界が開けて見易い。前回はアリーナ席で段差がなく、前に立つ人の身長によっては視界が遮られる状態だったので、段差のあるスタンド席は見易かった。

定時を10分ほど過ぎたところで、場内が暗転し光と音の渦からロジャーやメイ博士が登場し、アダム君も登場。ド派手な衣装で楽しませてくれるアダム君は近年更にパワーアップしている。今回は映画『Watch Men』から飛び出したような、スーパーヒーローのいでたち。

 

そして始まったのは “Radio Ga Ga” !え、もうこの曲?終盤に盛り上がった頃、スタジアムの全員でハンドクラップしたい曲なんだけど。とまどいつつも、サビでのハンドクラップはしておいた。

サウンドのバランスはスタジアムならこういう感じかな、と思う。ただ冒頭数曲ではボーカルやギターにかかるエフェクトが強くて、それは曲のイメージに合わせているのかも知れないけれど、アダム君のボーカルをもっとシンプルに聴かせて欲しいと願った。

“Another One Bites the Dust” もショウの冒頭で早々と登場。ベースが主役の曲だからギター音量が控え目になるのかもだけど、メイ博士のカッティングの音をきちんと聴かせて欲しかったのは前回と同じ。

“Bicycle Race” ではド派手なバイクにアダム君がまたがり、スクリーン向けに様々なパフォーマンスを。スタジアム公演ではカメラに向けてパフォーマンスするというのがエンターテイメントになるのだなぁ、と感心した。

アコギを手にしたメイ博士が花道まで出て来て、オーディエンスに挨拶。

「ナゴヤノミナサン、コンバンハ!マタココニコレテ、トテモウレシイデス。イッショニ、ウタッテクダサイ」

”Love of My Life” のメロディが12弦アコースティックで美しく響き、客席は合唱タイム。ドーム内にはスマホの白いライトが波打って暗い海に光が漂っているよう。終盤にはスクリーンにフレディが登場し、一緒に合唱。ここで涙する人多数。

「日本の人の為に作った曲だよ」、と始まったのはもちろん “Teo Torriatte” 。スクリーンには日本瓦の屋根が印象的な門が映し出されて、そこにメイ博士の映像と日本語の歌詞までながれる。そしてアダム君もバンドも参加して、盛大に歌い上げる!

こういう素に近い歌声のアダム君は高音までクリアで力強く、本当に素晴らしい。最後はオーディエンス全員でアカペラ合唱。この4年間を思ってなぜか涙が浮かんできた瞬間。

スクリーンに登場したのは若き日のロジャーがドラムソロを叩くところ。そのまま今の本人によるソロに続いて、”Under Pressure” へ。

“Tie Your Mother Down” はロックで好きな曲なんだけど、余りにカントリー・アレンジされていて最初わからなかったくらい。博士のギターソロでは存分にあのトーンを味わえて幸せ。

曲が終わるとアダム君によるオーディエンスとのコール&レスポンス。今回のツアーではフレディ版に替えてアダム君でいくのだろうか。(実際には終盤にフレディ版があった)

“I Was Born to Love You” の前にはアダム君から「僕らは本当に日本が大好きだよ」と。この曲はおそらく日本スペシャルということかなと思い、調べてみたら海外ではやっていなかった。日本ではCMにフレディが出演して歌っていたもんねぇ。

ギターソロではステージ上の櫓に登ったメイ博士が小惑星の上に立ち、宇宙空間で演奏しているような演出。この惑星の映像は博士が加工したものと違うかな?確か以前、リュウグウの3D画像をJAXAに送ったりしていたよね?確かその後の研究にも博士が参加していたような… お歳を召してもこれだけ多彩なギターソロを聴かせてくれて、お元気そうで感激。博士は今回、アダム君に負けないくらい衣装替えが多いな。

www.hayabusa2.jaxa.jp

“Is This the World We Created…?”、”A Kind of Magic” は前回聴けなかった曲で嬉しい。アコギの伴奏のみで聴くアダム君の歌唱は感情豊かで、伸びがあり、美しくて、こういう削ぎ落したところで実力が突出しているんだよね。

“Killer Queen” ではうって変わって、ステージの楽屋で鏡に向かうディーバなアダム君のコミカルな演技を歌と共に楽しむ演出で楽しかった。”The Show Must Go On” の歌唱は鳥肌モノで超ドラマチック。

アンコールの “We Will Rock You” が終わるともう次で最後だなぁと思っていたところで “Radio Ga Ga” が始まる!冒頭に演奏されたので残念に思っていたこの曲が最後にもう一度ショート版で演奏されるとは、嬉しい!

盛り上がったオーディエンス総立ちでサビに合わせてハンドクラップする一体感がたまらんよ。メイ博士がジャケットの下にフレディの描かれたTシャツを着ているのも嬉しい。

We Are the Champions” でさあ大トリ。皆でシンガロングして、充実感を味わいながら思い返したのは、この4年間。やっとやっとコロナ禍を経て、私たちは皆生き残ってここに居る。正に “We Are the Champions” ! 困難を乗り越えた私たちのアンセムのよう。

煌めく紙吹雪とメンバーの姿を見つめながら、喜びを噛みしめた夜。2時間超えのマジカルな時間をありがとう、QAL!


本日のセットリスト

01. Machines (Or 'Back to Humans') / Radio Ga Ga
02. Hammer to Fall
03. Another One Bites the Dust
04. I'm in Love With My Car
05. Bicycle Race
06. Fat Bottomed Girls *
07. I Want It All
08. Love of My Life
09. Teo Torriatte (Let Us Cling Together)
10. Drum Solo
11. Under Pressure
12. Tie Your Mother Down
13. Crazy Little Thing Called Love
14. I Was Born to Love You
15. (You Take My Breath Away) / Who Wants to Live Forever
16. Guitar Solo
17. Is This the World We Created…? *
18. A Kind of Magic *
19. Killer Queen
20. Don't Stop Me Now
21. Somebody to Love
22. The Show Must Go On
23. Bohemian Rhapsody
encore: Ay‐Oh Freddie on screen
24. We Will Rock You
25. Radio Ga Ga
26. We Are the Champions

(* は4年前にはやらなかった曲)

 

スティーブ・ヴァイ Flex-Able 36th Anniversary: Part 5『Flex-Able』の売上拡大

Flex-able 36th Anniversary』ライナーノーツ続きです。

Flex-Able』の販売は予想を大きく上回り、米国でも更には欧州でも軌道に乗ります。自分の楽しみで制作したアルバムは、権利を保持したまま販売に漕ぎつけたことで、後々に収益を生み、次の創作活動につながりました。

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Light Without Heat

私は会社設立の一部始終を学んだが、それは基本的に何枚かの書類を提出し、比較的良心的な料金を払うことと、毎年税務申告をすることだった。

Light Without Heat という会社の設立登記をした。過去40年間で私は恐らく1ダースほどの会社を設立、運営、売却又は閉鎖してきたが、Light Without Heat は私のローンアウト会社(訳者注:設立者が株主で自身を従業員とする形態で、個人の責任を軽減したり、資産保護や税制上の優遇を受けるといった利益がある)として存続させてきた。このフレーズは「The Uranita Book」という抽象的でエキゾチックな本にインスパイアされたものだ。

そして私は Akashic Records というLWH(Light Without Heat)からの屋号のビジネス体を作った。これは私がアルバムをリリースするときに使う名称だ。私は早まって、この屋号の調査をせずに使い始めてしまい、既にこれが第三者によって商標権が押さえられていることを知った。

社名を変える必要に迫られ、Uranita Records にしたが、私は再び早まってしまい、この名前もまた商標が取られていると知った。このときだ、ユニークな名前を確保するのが難しいとわかったのは。既に Light Without Heat を設立していたので、レーベルもそう呼ぼうと思った。できた!余談だが、これらは私が22歳の頃の出来事だ。

1,000枚のレコードをクリフの Important Records Distributors に販売したおかげで、『Flex-Able』のプロモーションと Stucco Blue スタジオでのレコーディングを続ける十分な資金ができた。

やがてクリフが電話してきて、1,000枚全部が売れたので、もう1,000枚欲しいと言ってきた。その後更に1,000枚の追加があった。これは私にとって素晴らしかった。Enigma Records から提案された前金の1万ドル分の売り上げはとうに超過して、しかも私は『Flex-Able』の権利を持っているのだ。

クリフの注文は続いたので、私は「隠し玉」を様々なプロジェクトに行ったものだ。1,000枚のプリント毎に、LPのラベル・カラーや、原盤スタンパーへの銘刻を変えたりした。

この頃(1983~4年)欧州のレコード配給業者であるコウ・デ・クルー (Co de Kloet) と連絡を取るようになった。コウはフランク・ザッパの友人で、フランクが私たちを繋げたのだ。長年のうちに、コウと私は友人としてとても親しくなり、強力な共同クリエイティブ・チームとなった。多くのことは後ほど、だがコウは私が彼を必要としたときに、いつも側にいたと言えば十分だろう。

Important Records を通じても、欧州の配給業者から良い反応があった。フランク・ザッパの忠実なファン層のおかげで、事は上手く行き始めた。

最初はフランクのファンがレコードを購入してくれたおかげで私は創作活動を継続できた。ところで、欧州でリリースされた『Flex-Able』には4つのバージョンがある。違いは私がマスターに施した微細な編集のみだ。これはハードコアなコレクターの為にやったのさ。全部持っている人はいるかな?

Important Records Distributors によるLPとカセットの再注文はとても順調に継続したが、"The Attitude Song" が Guitar Player 誌で Eva-Tone 社のフレキシ・ディスクとして同封されると一変した。再注文が3千から4千に急増したのだ。

CDが主流になっても、Important Records は『Flex-Able』のCD1枚につき$7.50を支払った。映画『クロスローズ』が公開され、私がDLRバンドに加入すると『Flex-Able』の売り上げは再び上昇した。『Eat 'Em and Smile』のCDが出たときもそうだった。

『Passion and Warfare』がリリースされると『Flex-Able』の売上は再び跳ね上がった。今日でもなお、私はこの可笑しなアルバムを所有しており、今までに恐らく40万枚を売ったと思う。ありがたく思っているよ。

 

関心のある人の為に、以下が『Flex-Able』誕生までの基本的な時系列の流れだ。

01. 小さなレコーディング・スタジオにぴったりの小屋が裏にある家を買う
02. 小屋を改造して防音にし、予算内で「ヴァイ風エキゾチック」な外見にする
03. できる限り機材をかき集める
04. ひたすら多種多様な音楽を作曲して録音する
05. エンジニアリングとミックスを学ぶ
06. レコードをマスターリングして、アートワークを完成させる
07. 工程を管理しながら、LPとカセットを製造する
08. レコード契約を探すも、配給契約を発見する
09. 出版社を始める(SyVy Music)
10. 会社を始める(Light Without Heat)
11. レーベルの屋号を確保する(LWH)
12. アルバムをリリースする

私にとってこのアルバムを制作する上で真の喜びは、制作中に味わった自由とそれが制作された環境によるものだった。

このプロジェクトに参加してくれた全ての人には永遠に感謝している。彼らは時間を割いて創造力で貢献し、サポートと愛を与えてくれた。

Flex-Able』は野心的アーティストがその最も成長を遂げる時期のスナップ・ショットだ。未来への期待による重し無しに、自由に楽しみを持って自分の創造力を探索したのだ。

(Part 6 へ続く)

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欧州の配給業者として、文中に登場したコウ・デ・クルー氏については、以下の過去記事で詳細が語られています。

「私にはオランダにコウ・デ・クルーという友人がいてね、彼はフランク・ザッパの友人でもある。彼は優れた音楽脳を持っていてね、彼のことは創造の触媒と呼んでいるのだよ。彼には様々なものを惹きつけ組み合わせる力がある。彼はかつてレコードの卸業で働いていて、私の『Flex-able』を自国で販売網にのせてくれたんだ。それ以来の友人なんだよ」

(過去記事より抜粋)

staytogether.hateblo.jp

また、コウ氏は「Frank & Co」という書籍も出版しており、序文をドゥイージル・ザッパが書いています。

books.rakuten.co.jp

 

スティーブ・ヴァイ Flex-Able 36th Anniversary: Part 4『Flex-Able』の誕生

Flex-able 36th Anniversary』ライナーノーツの続きです。

完成したLPを手にしたヴァイ先生は、次にそれを販売する方法を考えます。そして一般的なレーベルとの契約に納得がいかず、独自の方法を模索します。先生のビジネス脳が常識を打ち破る!

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Flex-Able』の誕生

プレス工場から届いた最初の『Flex-Able』LP1箱を受け取ったときのことは生涯忘れないだろう。それを腕に抱き、甘美な達成の喜びを味わったのだ。遂にできた。全て簡単で楽しかったと思えた。

このLPが私を金持ちで有名にしてくれるなどという妄想じみた期待を全くしていなかったからだと思う。そんなことはあり得ないと思えたし、正直に言って、私には不要だった。

ただLPを手にして、友人や家族に送るだけで興奮した。だが、天には別の計画があったのだ。

これは風変りで奇妙なアルバムで、私のギター超絶技巧愛を反映した数曲、("Attitude Song", "Call it Sleep", "Viv Woman")や、私の作曲愛を反映した曲、("There's Still Something Dead in Here", "Junkie", "Salamanders in the Sun")や、私の可笑しくて奇妙なもの愛を反映した曲、("Little Green Men", "Lovers Are Crazy", "The Boy/Girl Song")などがある。

アルバムは支離滅裂で当時でもいつの時代でも、どんなジャンルにも合わなかった。無論、ザッパの影響を明らかに受けていて、真正直なアルバムだ。

私は選択に向き合った。アルバムを世間には発表せず、今後も自分の楽しみとしてアルバムを制作し、採譜とギターレッスンで生活費を稼いでいくのか、それともこのアルバムをまともにリリースするために少し頑張ってみるのか。

そこで思ったのだ、「いいじゃないか。どうにかリリースしてみたらクールかも知れないし」

最初は一般的なレコード契約を探してみた。数社のレーベルにアルバムを送付したところ、どこも興味を示さなかったが、Enigma Record は違った。彼らは一般的なレコード契約同様に前払い金1万ドルを提示した。当時の私にとっては莫大な金額だ。

Enigma Record はマスターの権利を得、レコード1枚あたり25セントのロイヤルティを私に払うという。しかし、それで彼らは前金を回収するのだ。マーケティングとプロモーションは彼らが責任を持つ。

この契約は私にとって納得いかなかった。彼らにアルバム全ての権利を1万ドルで渡し、レコード1枚あたり25セントのロイヤルティの合計が前金に達するまで追加のロイヤルティは受け取れない。

私が前金分をロイヤルティで払い終わるまで、表面的にはアルバムを無料で彼らに渡すようなものだ!その契約を私の弁護士に見せたところ、レコード業界の仕組みを説明して、それは一般的な契約で、悪いものではないと説明された。

私は何かに利用されることには強い抵抗がある。必死の状況でなければこんな契約に縛られるなんてあり得ない。

少し調べたところ、レコード会社はレコードを販売店に置くため、配給業者にレコードを販売していることがわかった。もし私が直接、配給業者と取引できれば、レコードレーベルとの中間取引を飛び越えられる。

問題は、配給業者は普通、アーティストからのレコードを仕入れず、主にレーベルと取引することだった。

ある運命の日だ、私は Important Records Distributors のクリフ・カルトレリから折り返しの電話を受けた。彼は私の事をフランクと制作したアルバムで知っており、1,000枚のLPを1枚当たり$4.10で買うと言う。

これは素晴らしかった、なぜならLPの製造コストは1枚当たりたったの79セントだったのだ!こちらの方がアーティストにとってフェアな契約に思えた。私はこれが比較的前例の無いことだとは知る由もなかった。

しかしながら、この契約では私が自分のレコード・レーベルを所有する必要があった。それで再び、私は電話帳を取り出して、どう実現するのかを調べた。

もしクリフ・カルトレリが私を信じてサポートをしてくれなかったら、私が自分の為だけに私的な音楽を創り続けていた可能性は全く大きい。

(Part 5 に続く)

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ヴァイ先生の恩人であるクリフ・カルトレリさんについては、こちらの過去記事もどうぞ。

staytogether.hateblo.jp