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Eat 'Em and Smile 30年目の真実 Part 3 地下室で楽曲制作、まさかの映画製作中止

先週に引き続き、Eat 'Em and Smile 30年目の真実 Part 3 です。Van Halen を脱退したデイヴ・リー・ロスは映画製作に乗り出していました。映画のためにバンドメンバーを探していたデイヴはビリーシーン、スティーブ・ヴァイ、グレッグビゾネットを獲得。バンドとしての楽曲製作が始まります。元記事はこちら

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1985年10月27日、ロスはクリエイティブ・パートナーでマネージャーのピート・アンジェラスとのパートナーシップを拡大し、映画の新人発掘のため、昔ながらの集団オーディションを行いました。

ヴァイ、シーン、ビゾネットが見守る中、ワイルドな服装の俳優、かなり薄着の女優の一団に驚いたロスは LAタイムス新聞にこう語っています。「これこそ日曜日の最高な過ごし方だろ?」

ビゾネットはヴァイやシーンと同じく、これぞロックという大騒ぎを初めて目にしたのです。「ビキニ姿の女の子が何列も並んでいたんだぜ!」

1985年のダイヤモンド・デイヴがいかに大スターであるかをビゾネットは思い知りました。デイヴにある夜、全国放送の生TV番組に出演すると知らされたのです。

「あれはハロウィンの夜だった。デイヴが今夜 The Tonight Show に出るって言ったんだ。ジョーン・リバースがホストで俺たちは皆でスタジオへ行ったんだ。夢かと思ったよ」

一方でバンドは楽曲製作とリハーサルに打ち込みました。セッションの間中、バンドの3名はロス自宅の地下室に篭り、ロスとマネージャーのアンジェラスは上階で映画のプリプロダクションに取り組んでいました。

ヴァイは振り返ります。「私たちが一度地下へ入り、ジャムを始めると、作曲も演奏もとてもオープンで自由でクリエイティブな環境だった」

シーンが強調するのは、このクリエイティブなケミストリーは彼とヴァイが多くの似通った音楽的影響を受けていたからだそう。

「スティーブと俺は同じバンドが好きだった。初期のデヴィッド・ボウイやジミー・ヘンドリクスとか。音楽的なアイデアが思い浮かぶと俺たちは、ヘンドリクスっぽくとか、ほら、あのボウイっぽい感じって言ってたんだ。ZZ Top のシャッフルとか、ZZ Top のフィーリングなんかも影響が大きかった」

ロスは下階の音を聞いては、定期的にバンドに加わり、新曲を確認していました。シーンは振り返ります。

「デイヴは地下へやってくると何が気に入って何が気に入らないかを俺たちに伝えて、俺たちは気に入られなかったものをボツにした。するとデイヴは「よし、じゃぁコーラスを考えてくれ」って言うから、俺たちはその結果全部の曲を作りあげたのさ」

ロスはまたヴァイとシーンの熱狂的で洗練されたソロパートの構築に助言していたのです。シーンによると「デイヴ、このベースパートはうるさ過ぎる?」と聞くとロスは、「全然。2倍の速さにして、スティーブもツインでプレイしろ」と返しました。ヴァイもロスに弾き過ぎかを尋ねるとロスは「いや、そのままでいい」と答えていたのです。

オリジナル曲の他にバンドはニューアルバムに入れるために何曲ものカバー曲を検討しました。

シーンは語ります。「俺はキム・ミッチェルのバンドに少しいたことがある。彼が4曲デモを送ってくれたんだ。"Kids In Action" はその1曲で俺はすっかり気に入ってた。俺がデイヴに弾いてみせると、デイヴも気に入ってた。デイヴは他にも俺が弾いて聞かせたロリー・ギャラガーの曲を気に入ってた。彼の有名な Rockpalast コンサートからの曲だ。"Secret Agent" って曲だったと思う」

(訳者注: "Kids In Action" はレコーディングされ、完成していますがアルバム収録とはなりませんでした。これを追加収録して30周年記念アルバム出すとか、どうでしょう?)

ロスも沢山の曲を提案していました。そのうちの1曲は70年代初頭のテキサスのトリオバンド Stray Dog の "Speak Of The Devil" でした。「デイヴがそれを聞かせてくれて、俺たちはそれだ!って揃って言ったのさ」とシーン。

その頃ロスとアンジェラスは全員の撮影準備をしていました。ヴァイはバンドメンバー全員に割り当てられたコメディのシナリオを覚えていました。

「映画の撮影準備はとても楽しかった。皆で集まって振付師のトニー・バジルについて曲の振り付けを覚えたんだ。とてもいいものになりそうだった」

シーンによるとロスとアンジェラスは今回の映画製作にインスパイアを与えたカルト映画のプライベート上映会を企画したそうです。「1940年代の "Hellzapoppin'" ていう映画を見た。とにかくワイルドで驚きの映画だったよ。大量の寸劇やら短編でクレイジーだった。あれがデイヴとピートが映画のモデルに使ったモノの1つだったんだ」

映画撮影が近づいてくると、バンドが作った曲は脚本にも反映されました。シーンは振り返ります。

「"Going Crazy" みたいな曲は映画にフィットするだろうと思ってた。脚本のセリフを読んだのを覚えているけど、バンドのシーンが沢山あったんだ」

音楽シーンには "Shy Boy" のコンサートシーンやロスがナイトクラブでシナトラの "That's Life" を甘く歌い上げるシーンがあったそう。

しかしこれらの準備はあの11月の運命の日にCBSが梯子を外したことで中断されてしまいました。最初の衝撃が収まった後、彼らは互いに質問しながら選択肢を検討し始めました。契約違反でCBSを訴える他に次のステップは何だろうか?

シーンはロスにこう言ったのを覚えていました。「これが何だ!俺たちにはバンドがあって曲がある。ツアーに出ようぜ!」と。「もちろんデイヴは既にそのことを考えていただろうし、俺からの励ましも必要じゃなかっただろうけど、ただ俺は「準備はできた、さぁプレイしようぜ」って思っていたんだ」

ロスは映画関連の様々な製作過程を経てきたことで、明らかに次の動きについて分かっていたようです。ロスはマスコミに説明しています。「映画は全体計画の中の一部にすぎない。映画ができなくなって、他の計画を進めただけだ」ロスが言う計画とは、アンジェラスによると映画、サントラアルバム、それに伴うライブツアーのことでした。

(Part 4 伝説のアルバムレコーディング! に続く・・)