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Eat 'Em and Smile 30年目の真実 Part 5 ツアーの成功、そして30年目のリユニオン!

先週に引き続き、Eat 'Em and Smile 30年目の真実 Part 5 ついに最終話です。Van Halen を脱退したデイヴ・リー・ロスは映画製作を中止に追い込まれたものの、ヴァイ、シーン、ビゾネットを得て、強力な布陣によるデビューアルバムを製作します。元記事はこちら

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1986年の春、最後のオーバーダブ・セッションが終了し、テンプルマンとロスは11の完成曲リストを10曲にするため、眺めていました。最終的に "Kids In Action" がアルバムに収録されず、作曲者のキム・ミッチェルとこの曲に参加したセッション・キーボーディスト第一人者のジェフ・ボバをがっかりさせました。

ボバは語っています。「彼らは "Kids In Action" と "Tobacco Road" のどちらを残すか弄んでいた。アルバムが発売されてがっかりしたのを覚えているよ。あの曲ではずいぶんとクールなキーボードプレイをしていたからね」

そして今日まで、"Kids In Action" は未だリリースされていません。

アルバムが完成したところで、ロスとクリエイティブパートナーのアンジェラスはアルバムからのシングル "Yankee Rose" と "Goin' Crazy" のプロモーションビデオの脚本製作と撮影に向けて用意を始めました。

2人は映画の為に何ヶ月もかけて準備した素材を上手く利用すると心に決めていました。2人はバンドの演奏シーンの前置きとなる2分の短編映像の脚本を書き上げました。これがビデオの中核となるのです。

平行して、映画出演予定だった役者の多くに配役し、これまた何ヶ月も準備してきた衣装やメイクアップを活用しました。

シーンによると「俺たちが Eat 'Em and Smile のビデオで着ている服のほとんどと、デイヴが "Goin' Crazy" で着ている肥満スーツは全て元は映画用に準備したものだ」とのこと。

「 "Yankee Rose" と "Goin' Crazy" はあの映画で予定していたイメージの大部分さ。映画は出来なかったけど、ビデオは確かに出来たし、素晴らしかった。今に至るまで、ああいうビデオを作る奴はいないんだから」とビゾネット。

6月になるとロスはあらゆるプロモーション活動を開始しました。彼はプレスに新バンドやこれから始まるツアーについて熱っぽく語りました。「もし、Van Helen、ロックンロールが好きなら、ぶっ飛ぶはずだ。何しろあらゆる新たな仕掛けがしてあるんだ」

ロスは彼の以前のバンドの現在の状態については手厳しく批判しました。先月、サミー・ヘイガーとバンドから浴びせられた攻撃に答え、ロスは「酷く醜い別れをした後は心が傷つくものさ。一方でサミーが怒っているのは俺が奴より上手いからってだけさ」とコメントしました。

7月7日、遂にアルバムはリリースされました。ラジオとMTVで "Yankee Rose" がヒットし、アルバムはビルボードのポップアルバムチャートで最高4位にランクインしました。翌週には "Goin' Crazy" が、さらに "That's Life" がシングルカットされ、秋にはアルバムは100万枚のセールスを達成しました。

Eat 'Em and Smile ツアーは8月に開始され、初日から大反響となりました。ヴァイはそれまでアリーナツアーを体験したことがなく、初日のソールドアウト公演は彼のキャリアにおいて鮮明に記憶されているそうです。

「あのツアーに参加したことはとにかく素晴らしい体験だった。でも初日にステージに立った時は大変なショックだったよ。いきなり自分がロックスターになってしまったのだと気付くのさ。2万人の観客が自分の演奏を待っているんだ。

あるとき、デイヴは立ち止まってマイクを観客に向けたら、歓声が10分は鳴り止まなかった。あまりにうるさくて、ビリーと私は顔を合わせたよ、恐ろしかったんだ。私たちのアンプよりも大音量だった。いったい何が起こったんだと思ったよ、とにかく凄かった」

毎晩、ツアー参加のキーボードプレイヤーのブレット・タグルを含めた4人のミュージシャンは大音響の演奏を繰り広げました。セットリストは新曲と初期 Van Halen 曲、それに加えてビゾネット、シーン、ヴァイによる華々しいソロパートが加えられていました。

シーンによると、シーンとヴァイによるソロはツアーが進むにつれてより絡み合うようになったそうで、それはアンジェラスとロスからの提案によるものだったそう。

「俺たちはオーディエンスを楽しませる何かを考えなくちゃならなかった。ツアーの当初、俺はいつもどおり俺のソロをやって、スティーブも彼のソロをやってた。ミュージシャンなら楽しめたと思うが、多くの一般のお客はあくびをしてたのさ。

それで、アンジェラスが2人でバトルしたらどうだと言ったのさ。それが大当たり。デイヴのアドバイスは、決闘ぽくしろってことだった。

それで、スティーブが弾いてる後ろに俺が近づいて、彼を押しのけ、俺がしばらく弾く。次は彼が俺を押しのける。そうして俺たちは互いに押し合い、追いかけ回して、最後のフィナーレを迎えるってのをやったのさ」

その後半年にわたって、バンドは大陸をくまなく周り、100公演以上で観客を楽しませたのです。

そして現在、バンドメンバーは当時を振り返って、懐かしさと同時にバンドが成し遂げた事を誇らしく思っているようです。シーンは1988年にバンドを脱退しましたが、こう語っています。

「Eat 'Em and Smile でのデイヴとの体験はとにかく素晴らしくてとてつもなかった。ツアーではどの会場も満員で、ゴージャスな女の子達がいて、俺たちは最高の時をすごしていた」

ヴァイがこう付け加えました。「全ての要素が揃っていた。タイミングがパーフェクトだったんだ。最高にビッグなステージでショウができて、何でも好きな格好ができた。私たちはそれをやったのさ。でも私にとって最もエキサイティングだったのは、生々しく、激しい、音楽への姿勢だった」

ビゾネットは言っています。「DLRバンドは俺にとって初めてのビッグなロックギグだった。それはいつでも俺の心の中の特別な場所にある。デイヴは俺に世界中で通用するプラチナ・ミュージック・パスポートをくれたんだ。こんなクールなことはないさ」

現在、ファンもバンドメンバーもオリジナルDLRバンドのリユニオンに期待を持っています。2015年11月25日のハリウッド・ラッキー・ストライク・ライブで数十年ぶりにロス、ヴァイ、シーン、ビゾネット、タグルが集まって演奏しようとしたその時に、過剰集客により消防局によって会場閉鎖される事件が起こって以来、益々期待は高まっています。

ヴァイは残念そうにこう語っています。
「消防署長が私たちの演奏開始1分前にストップさせたと言われているけれど、1分じゃなくて、数秒前なんだよ。私はカーテンの後ろにギターを構えて立っていて、まさに弾き始めるところだったんだ。私たちは演奏できるようあらゆる手を尽くしたけれど、叶わなかった。

後で思ったのだが、このバンドで何か一緒にやらなくちゃいけない。あそこで私たちはあまりにもクールなエネルギーに満ち溢れていたのだから」

メンバーのスケジュールは埋まっているけれど、ロスが音頭をとり、皆をいつか早い段階で再召集して欲しいという願いがメンバーに共通してあります。シーンはこう考えています。

「デイヴ次第だ。これは彼のバンドだ。彼がやりたいと言うなら、俺はもちろんやる。理想としては、1~2曲新たにレコーディングをやって、ツアーに出てたっぷりライブをやりたい。ヨーロッパ、アメリカ、できれば南米と日本で。きっと素晴らしいことになる。全員がまた集まって、また思い切りあの曲を演奏するのさ」

ヴァイはこう語りました。「Eat 'Em and Smile のアルバムとバンドが残した遺産を称えることができれば素晴らしいと思う。何の縛りも必要ない、私たちがかつてやっていたように、ステージに出てプレイするだけだ。我々にまだこのエネルギーがあるうちに、それは今あるのだから」

昨年11月の様子では、ロスは再結成への扉を閉めてはいないようです。あの日、ハリウッドのパラディアム劇場(ラッキーストライクよりも大型の施設)で再トライするのはどうかとファンに話していたのです。

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ビリーもヴァイ先生も再結成ライブに乗り気です。あとはデイヴの気持ち次第!これはやるべきでしょう!ビリーが言うようにワールドツアーとなれば感涙ものですが、いかがなりますでしょうか。鉄は熱い内に打てと言います、メンバーが感じたあの日のエネルギーが冷めないうちに夢の実現お願いします!

2015年11月25日のハリウッド・ラッキー・ストライク・ライブで起こったDLRバンド再結成ライブ未遂事件の詳しい内容は下の過去記事をどうぞ。

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