先週に引き続き、Eat 'Em and Smile 30年目の真実 Part 2 です。
デイヴ・リー・ロスが Van Halen を脱退して、映画製作の為に新バンドをビリー・シーンと結成しようと動き始めます。ヴァイ先生の加入に至るまでの話は雑誌等で読んでいましたが、グレッグのオーディションの話は新鮮で面白かったです。和訳の元記事はコチラ。
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ロスはシーンと組ませるギタリスト探しに苦労していました。そこで、ロスの計画している映画 "Crazy From The Heat" のサウンドトラック アルバムのプロデューサー、テッド・テンプルマンと話し合い、ビリー・アイドルにいたスティーヴ・スティーヴンスにオファーを出します。
けれど最近スティーヴンスが語っているように、彼はビリー・アイドルとの契約があり、早くとも翌年の夏までロスとの仕事には移れず、映画の製作スケジュールには間に合わなかったのでした。
それでロスは再びシーンとテンプルマンのアドバイスを求めました。「俺はデイヴにスティーブ・ヴァイの名前を挙げた。同じ事をテッドにも言ったかも」とシーン。
テンプルマンも以前からヴァイの驚異的な演奏に惹きつけられていました。そこで元ザッパ生で今は Alcatrazz のギタリストの演奏をロスと聴くことにしました。
テンプルマンは語っています。「デイヴは使い古したノイズだらけのカセットを持っていて、どこかのガレージの車の上にプレイヤーを置いてヴァイの演奏を聴いたんだ。それを聞いて、俺は直ぐデイヴにギタリストは彼に決まりだと言ったのさ」
そこでロスはヴァイに電話を掛けました。電話を受けたヴァイによると、「電話をとったら、「よぉ、俺はデヴィッド・リー・ロスだ。調子はどうだい、スティーブ。俺は映画を作ろうとしてて、音楽が欲しいんだよ」と言われたんだ」のだそう。
ヴァイはちょうどブルース音楽をテーマにした映画 "Crossroads" のサウンドトラックの仕事を終えたところでした。ヴァイはその夏の Alcatrazz ツアーを終えたら、ロスやシーンと集まることに合意しました。
8月には、ヴァイと彼のドラマーのクリス・フレイザーがジャムセッションのためにロスの家を訪れました。「スティーブはドラマーを連れてデイヴの家の地下室に下りてきた。クリスはスティーブと何枚かレコードで仕事していたんだ」とシーンは語っています。
一同がプラグインし、チューニングを合わせ演奏を始めると、驚くべき音楽的なケミストリーが生まれ、オリジナルのロスバンドの強力なサウンドが溢れました。「ジャムを始めた瞬間から素晴らしい音が生まれた」とはヴァイの言葉です。
その日の終わりにはギタリストはヴァイに決定していました。シーンはヴァイの驚異的なプレイだけが理由ではなく、この人選は当然だったと振り返っています。
「スティーヴ・スティーヴンスも大好きだけど、スティーブ・ヴァイにはザッパ的な皮肉交じりのコメディでエンターテイメントなヴァイブがあって、それはこのバンドにとても重要だったのさ。ライブでもたっぷりコメディを取り入れることになるんだから」
それから数週間、彼らはジャムを続けおよそ15曲のアイデアが生まれていました。
9月の下旬頃、ロスは突然クリスをバンドに迎えずにドラマーのオーディションをすることを決めました。シーンは語っています。「クリスは素晴らしいドラマーだ。でもどんな理由にせよ、デイヴが誰か他の奴にしたかったんだ」
地域の新聞に広告を出して、ヴァイとシーンはハリウッドのスタジオにオーディション会場を設置しました。広告にはロスの名前は記載されていませんでしたが、ハリウッドのロック業界ではあのDLRバンドにポジションが出たとすぐに話題になったのです。オーディションの朝には会場の前に大勢のドラマーが群がりました。
そのうちの1人はデトロイト出身のグレッグ・ビゾネットでした。彼は元KISS のギタリスト、ヴィニー・ヴィンセントの推薦のおかげでヴァイからオーディションに招かれていたのでした。
グレッグの履歴書はざっと見たところ、DLRバンドのようなハードロックバンドには似つかわしくないものでした。北テキサス大学の音楽学位を持つビゾネットは、The Merv Griffin Show や、ソフトロックのジーノ・ヴァネリや、ジャズの巨匠メイナード・ファーガソンのドラマーのキャリアがありました。でも実のところ、彼は大のロックファンとして成長してきたのです。
ビゾネットはこのチャンスにワクワクしていましたが、会場に着くとすっかり意気消沈してしまいました。「通りの向こうまで続いていた大行列を覚えてるよ」とビゾネット。並びながらオーディション会場から出てきた知り合いに声を掛け、中の様子を訊ねたのでした。
「後に The Cult と Guns N' Roses でプレイするマット・ソーラムに聞いたら、「ツーバスをプレイさせたいみたいだけど、俺はあまり使わないんだよな」って言ってた。俺は Van Halen の大ファンだったから "Hot For Teacher" は完璧に出来る。それで列に並びながら足のウォームアップを始めたんだ。よし、いくぜ!ツーバス来い!って」
ビゾネットの番がやって来ました。
「部屋に入ると、スティーブとビリーがいて、洒落た古いドラムセットがあった。俺が腰掛けると、ソロを叩いてみてくれって言われたんだ。ソロを終えると、スティーブが98年のアルバム "Skyscraper" に収録される "Hot Dog And A Shake" のギターパートを弾いてみせた。スティーブはこの曲のブレークのところを一緒に叩いてくれと言うんだ。
そう言う間も彼はずっとソロを弾いてたんだ。それで、彼の話を聞きながら俺はバックパックに手を伸ばして自分のスネアを取り出して、スネアヘッドに採譜を始めたんだ。そしたらスティーブが「わぉ!君は楽譜の読み書きができるんだね?素晴らしいな!」って言ったのさ」
翌日、ビゾネットの電話が鳴りました。ヴァイからの電話で、「やあ、君はいい奴だし、君のプレイが気に入ったんだ。今日皆でデイヴの家に集まるんで、デイヴの前で君にプレイしてもらいたい」と告げられました。
後にビゾネットが雑誌に語ったところによると、このジャムセッションは大成功だったそう。「翌日デイヴに会って、皆でプレイした。マジックのようだった」
その後すぐ、ビゾネットはアルバムのプロデューサー、テッド・テンプルマンのオーディションも受けますが、ビゾネットはビッグバンドでの経験とその優れた腕前でロスと同様にテンプルマンをも感服させてしまったのです。
(Part 3 地下室で楽曲制作、まさかの映画製作中止 に続く・・)