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スティーブ・ヴァイ Flex-Able 36th Anniversary: Part 2  Stucco Blue Studio の建設

Flex-able 36th Anniversary』ライナーノーツの和訳続きです。

ヴァイ先生はザッパとの仕事で得たお金を元手に住宅を購入し、様々な同居人を迎え入れ、第2のスタジオを手造りします。

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Stucco Blue Studio, Sylmar CA

ハリウッドでフランクの仕事をしていた3年間、私は出来る限りの貯金をしたので、なんと $14,000 を貯めた。これは当時の私にとって莫大な金額だった。その金は全て、カリフォルニアのシルマーにピアが私がフランクと欧州ツアーに出ていた1982年に見つけた家の頭金に当てた。

ハリウッドから車で25分の場所だ。マイク、マーティ、ピア、それから誰か1人を誘って皆がこの家に住んで家賃を払えば、それでローンを支払い、私は無料で住めると考えたのだ。採譜やギターレッスンをすることで多少の必要な金を稼げると考えた。

このときだ、別の親しい友人で素晴らしいベースプレイヤーもカリフォルニアに移住するよう説得できた。彼とはバークリーで出会い、プレイした。彼は私たちと同居しただけでなく、当時私が作った The Classified というバンドでもプレイした。その人物こそ誰でもない、あの名手スチュ・ハムだ。

シルマーのフェロウ通り2264 の家は完璧だった。小さく質素だが、通りの角に面し、そのエリアで十分な広さのある物件だ。ハリウッドよりもずっと田舎で、通りの向こうには馬のいる納屋があり、ピアは時々乗馬していたよ。

家の前の持ち主はレイ・カワル夫妻で、とてもチャーミングな老夫婦だった。レイ爺さんはクールな人で、私たちが住んでいる間に幽霊となって出没したものさ。

レイは家の裏に小屋を建てていた。2部屋から成り、どちらも38平米くらいで、SyVy Studio を発展させるのにぴったりだった。Stucco Blue Studio について気付いたのは、そこで眠るといつも変で明瞭な夢を見ることだった。

いつでもこの家には5人以上が住んでいた。私たちは友としてこの上なく親しかった。彼らが家に住んでいてくれたおかげで、私はギターを弾き、スタジオ建設をしながら、ローンを払うことができた。

「オーディオ百科事典」という本を買ったのだが、それはオーディオとスタジオに関する全てのバイブルだった。この本で勉強して、8ヶ月の時間と $3,000 の費用で私はその小屋を2部屋から成る録音パラダイスに再建した。作業は至福だったよ。

防音のため、基本的には元々の壁の上に装飾壁を作った。青いシルクの布地に凝っていたので、壁を様々な青いシルクの日よけで装飾した。棚や吊り天井、コンソール設置の机など、様々な物を作った。どれも技術や適切なデザインを意識することもない、急ごしらえだ。とにかく釘を打ち付けて壊れないようにしただけだ。

その一方で、私はギターレッスンと採譜の仕事をしていたので、食料を買うことができた。そこでとても幸せだったよ。私にとって初めての本物のスタジオで自分の基地なんだ。

もし私が音楽ビジネスにおいてこれしか得られないとしてもそれで十分だと思った。私には新たな個人的な癒しの避難所でもあった。今までで最も快適で安全、人里を離れ、創造的で、大好きな人々に囲まれていた。小屋を Stucco Blue Studio と命名してあらゆる奇妙な実験を始めた。

スタジオは完成した。だが機材が必要だった。Fostex 1/4-inch 8-track マシンを購入して必要なマルチトラックの環境は整った。Carvin 社がコンソールモニターと X-100B ギターアンプを提供してくれた。フランク・ザッパが際限なく機材を貸してくれたので、レコーディングが可能になった。神よ、彼に祝福を!

この時期を通して私は頻繁に The Bodhi Tree 書店を訪れていた。新たな精神的発見を得ることで、以前に陥っていた鬱の心理状態は完全に消えていった。私の暗い妄想の世界には強力な光が差し込み始めたのだ。

僅かの明瞭な瞬間を得るようになり始め、それは捉えどころのない直感の光と強力な高揚感をもたらした。これは私がハリウッドに住んでいた頃の心理状態とはとても対照的だった。

Stucco Blue で私がレコーディングし始めた音楽は私が引き寄せられていた新たな心情を反映したものとなった。明るく、楽しく、ユーモアに溢れ、深遠な思想に基づくものだった。

当時私は複雑深遠な象形文字を学んでおり、それら多くを音楽とアートに組み込んだ。全てが新しく、興味深く、創造的だった。単に友達を笑わせるためにレコーディングすることもあった。当時を思い返すと、純粋で歓びに溢れたときだった。私は再び、人生を愛し楽しむようになったのだ。

シルマーの家に滞在していった人たち幾人かの名を挙げよう。ピア(私たちはずっと共にいた)、マーティ・シュワルツ、マイク・オブライエン、スコッティ・マシューズ、クリス・フレイザー、スチュ・ハム、ボブとスザンナ・ハリス(スザンナは「Under the Same Moon」という本を書いたが、そこには当時の話も出てくる)、ディ、パムと彼女の家族、ジョン・ロバート、テレーサ、それから数えきれないほどの気ままな音楽難民とその友人たち。

余談だが、Stucco Blue では『Flex-Able』以降の他のプロジェクトの要素もレコーディングされた。Alcatrazz の『Disturbing the Peace』、デイヴ・リー・ロスの『Skyscraper』、それから『Crossroads』『Passion and Warfare』だ。

(Part 3 に続く)

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訳者ひとりごと

20代前半でせっせとお金を貯めて、それを頭金にして自分の家となる不動産を購入、友達を住まわせて家賃をとり、それで住宅ローンを返済しつつ、1から勉強してスタジオを建設というながれは、先生のビジネス脳の良さを垣間見るようです。

様々な滞在者がいたのでしょうけど、家賃の滞納者はいなかったのかな?(ちょっと気になる(笑))