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スティーブ・ヴァイ Flex-Able 36th Anniversary: Part 5『Flex-Able』の売上拡大

Flex-able 36th Anniversary』ライナーノーツ続きです。

Flex-Able』の販売は予想を大きく上回り、米国でも更には欧州でも軌道に乗ります。自分の楽しみで制作したアルバムは、権利を保持したまま販売に漕ぎつけたことで、後々に収益を生み、次の創作活動につながりました。

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Light Without Heat

私は会社設立の一部始終を学んだが、それは基本的に何枚かの書類を提出し、比較的良心的な料金を払うことと、毎年税務申告をすることだった。

Light Without Heat という会社の設立登記をした。過去40年間で私は恐らく1ダースほどの会社を設立、運営、売却又は閉鎖してきたが、Light Without Heat は私のローンアウト会社(訳者注:設立者が株主で自身を従業員とする形態で、個人の責任を軽減したり、資産保護や税制上の優遇を受けるといった利益がある)として存続させてきた。このフレーズは「The Uranita Book」という抽象的でエキゾチックな本にインスパイアされたものだ。

そして私は Akashic Records というLWH(Light Without Heat)からの屋号のビジネス体を作った。これは私がアルバムをリリースするときに使う名称だ。私は早まって、この屋号の調査をせずに使い始めてしまい、既にこれが第三者によって商標権が押さえられていることを知った。

社名を変える必要に迫られ、Uranita Records にしたが、私は再び早まってしまい、この名前もまた商標が取られていると知った。このときだ、ユニークな名前を確保するのが難しいとわかったのは。既に Light Without Heat を設立していたので、レーベルもそう呼ぼうと思った。できた!余談だが、これらは私が22歳の頃の出来事だ。

1,000枚のレコードをクリフの Important Records Distributors に販売したおかげで、『Flex-Able』のプロモーションと Stucco Blue スタジオでのレコーディングを続ける十分な資金ができた。

やがてクリフが電話してきて、1,000枚全部が売れたので、もう1,000枚欲しいと言ってきた。その後更に1,000枚の追加があった。これは私にとって素晴らしかった。Enigma Records から提案された前金の1万ドル分の売り上げはとうに超過して、しかも私は『Flex-Able』の権利を持っているのだ。

クリフの注文は続いたので、私は「隠し玉」を様々なプロジェクトに行ったものだ。1,000枚のプリント毎に、LPのラベル・カラーや、原盤スタンパーへの銘刻を変えたりした。

この頃(1983~4年)欧州のレコード配給業者であるコウ・デ・クルー (Co de Kloet) と連絡を取るようになった。コウはフランク・ザッパの友人で、フランクが私たちを繋げたのだ。長年のうちに、コウと私は友人としてとても親しくなり、強力な共同クリエイティブ・チームとなった。多くのことは後ほど、だがコウは私が彼を必要としたときに、いつも側にいたと言えば十分だろう。

Important Records を通じても、欧州の配給業者から良い反応があった。フランク・ザッパの忠実なファン層のおかげで、事は上手く行き始めた。

最初はフランクのファンがレコードを購入してくれたおかげで私は創作活動を継続できた。ところで、欧州でリリースされた『Flex-Able』には4つのバージョンがある。違いは私がマスターに施した微細な編集のみだ。これはハードコアなコレクターの為にやったのさ。全部持っている人はいるかな?

Important Records Distributors によるLPとカセットの再注文はとても順調に継続したが、"The Attitude Song" が Guitar Player 誌で Eva-Tone 社のフレキシ・ディスクとして同封されると一変した。再注文が3千から4千に急増したのだ。

CDが主流になっても、Important Records は『Flex-Able』のCD1枚につき$7.50を支払った。映画『クロスローズ』が公開され、私がDLRバンドに加入すると『Flex-Able』の売り上げは再び上昇した。『Eat 'Em and Smile』のCDが出たときもそうだった。

『Passion and Warfare』がリリースされると『Flex-Able』の売上は再び跳ね上がった。今日でもなお、私はこの可笑しなアルバムを所有しており、今までに恐らく40万枚を売ったと思う。ありがたく思っているよ。

 

関心のある人の為に、以下が『Flex-Able』誕生までの基本的な時系列の流れだ。

01. 小さなレコーディング・スタジオにぴったりの小屋が裏にある家を買う
02. 小屋を改造して防音にし、予算内で「ヴァイ風エキゾチック」な外見にする
03. できる限り機材をかき集める
04. ひたすら多種多様な音楽を作曲して録音する
05. エンジニアリングとミックスを学ぶ
06. レコードをマスターリングして、アートワークを完成させる
07. 工程を管理しながら、LPとカセットを製造する
08. レコード契約を探すも、配給契約を発見する
09. 出版社を始める(SyVy Music)
10. 会社を始める(Light Without Heat)
11. レーベルの屋号を確保する(LWH)
12. アルバムをリリースする

私にとってこのアルバムを制作する上で真の喜びは、制作中に味わった自由とそれが制作された環境によるものだった。

このプロジェクトに参加してくれた全ての人には永遠に感謝している。彼らは時間を割いて創造力で貢献し、サポートと愛を与えてくれた。

Flex-Able』は野心的アーティストがその最も成長を遂げる時期のスナップ・ショットだ。未来への期待による重し無しに、自由に楽しみを持って自分の創造力を探索したのだ。

(Part 6 へ続く)

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欧州の配給業者として、文中に登場したコウ・デ・クルー氏については、以下の過去記事で詳細が語られています。

「私にはオランダにコウ・デ・クルーという友人がいてね、彼はフランク・ザッパの友人でもある。彼は優れた音楽脳を持っていてね、彼のことは創造の触媒と呼んでいるのだよ。彼には様々なものを惹きつけ組み合わせる力がある。彼はかつてレコードの卸業で働いていて、私の『Flex-able』を自国で販売網にのせてくれたんだ。それ以来の友人なんだよ」

(過去記事より抜粋)

staytogether.hateblo.jp

また、コウ氏は「Frank & Co」という書籍も出版しており、序文をドゥイージル・ザッパが書いています。

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