先週に続いて、Dean Delray's LET THERE BE TALK でのリッチー・コッツェンのインタビューです。Poison解雇に至った理由は広く知られていますが、リッチーが真実を詳細に語りました。多分こんなに詳細に当時の経緯や心情を語ったのは初めてではないでしょうか。メロドラマのような禁断の恋の展開に若かりしリッチーの情熱を感じます。
さらに、オジー・オズボーンに誘われていた話など、今だから言える本音トークが盛りだくさん。
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ディーン(D): お前もその頃には結構稼いでたんだろ?
リッチー(R): ああ。でも俺は全部服に使ってたんだ。バカだろ?俺の周りは億万長者ばっかりの状況で、俺は急に彼らと同じようなライフスタイルを始めてしまったんだ。クロム・ハーツの高価なレザー・パンツやらベルサーチやら、くだらないものを買い込んでたのに、家を買うって頭はなかったんだ。
バンドを辞めた後、俺には金なんて残ってなかった。とても着れないようなとんでもない服ばかりが残ったのさ。本当にアホだろ?でも21歳のガキが急に金を持ったんだから、使い方なんて知らなかったんだよ。
D: 確かにしょうがないよな。それで彼女のこと、リッキーに知らせたのか?
R: ああ。ツアー中は彼女とフィラデルフィアでおち合ったりしてた。でも家に帰ったとき、こんな風に隠れて会うのは続けられないと思ったんだ。ボビー(Poison ベース)と俺はツアーバスが一緒だったんだけど、俺はディアナのこと本当に愛してたから、ツアー先で女の子に手を出したりするのも止めてた。彼女に対して悪いと思ってたから。
それでボビーにどうした?って聞かれて、ヨーロッパのツアー先で会ったモデルの子と付き合ってるから、なんて話をでっち上げてたんだ。なんでツアーに連れてこないんだよ?って聞かれるから、気を悪くしないでほしいんだけど、彼女はバンドのことが嫌いなんだって言っておいた。
ある日、ディアナと電話で話してて、渋滞につかまってたら、ボビーが急に現れて、俺の電話をとって彼女と話始めたんだ。ボビーは彼女のこと良く知ってるから、もうばれたと思った。そしたら、「よう、リッチーは本当に君に惚れてるぜ、ツアー中もずっと大人しくしてる」って話したボビーが電話を返してきて、「彼女、すごくいい子みたいじゃないか」って言うんだよ。ボビーは俺がモデルの子と話してると思ってたんだ。俺はもうこれは続けられないと思ったよ。
バンドはブラジルでのショウを控えてた。俺はもう本当のことを言わなくちゃいけない、このままブラジルになんて行けないと思った。俺は決断した。俺の中で彼女との関係がバンド以上に大切になってたんだ。クビになってもしょうがないって。
アメリカで最後のショウから3公演前、サクラメントのショウの日、スタッフにリッキーを呼んでもらった。ディアナと別れて3ヶ月経ってて、リッキーは大人だし、もう前に進んでる感じだった。一方の俺は23歳のガキだ。そこで俺は彼女とのことを話したんだ。他の誰かから耳に入れたくないから、打ち明けたいって。俺はリッキーに殴りかかられるのを覚悟してた。ところが、リッキーは下を向いて、そのまま立ち去ったんだ。
俺はパニックになって、ボビーにそのことを話したんだ。ボビーは最初は信じてくれなかったよ。で、移動のバスに乗って、リッキーもブレット(Poison ボーカル)も乗ってきた。そして、言われたよ。「俺はまだお前の話が信じられない。バンドをもう辞めたいから言ってるのかとも思う。お前はこのバンドにいてハッピーじゃないってことだな」そのあといろいろ続いたけど要はクビってことさ。
「いいか、バンドに入るってことはメンバーの女とは寝ないってことなんだよ」って最後に言われた。でもそれについてはウソだったと思ってる。とにかく、ライブはやった。ステージの上では誰も俺と目を合わそうとしないんだ。それで終わりさ。翌日のショウはキャンセルされた。それ以降はブルースが残りのステージを続けてたよ。
俺は引っ越して彼女と住み始めて、それからフィラデルフィアで曲のアイデアを仕上げた。サンフランシスコのスタジオで8曲くらいのデモテープを仕上げて、1週間半後には、俺はゲフィン・レコードと契約した。何もかもが凄いスピードで進んだよ。
でも、俺と契約したヤツが別のレコード会社に移ったもんだから、ゲフィンとはそこまで、みたいな状態で、そのレコードは15万枚くらいしか売れなかった。でも、日本ではRCAでリリースされて、彼らはきちんとプロモーションしてくれた。おかげで俺はそれから4~5年くらい別のマーケットで安定したビジネスができた。
もし、ゲフィンと切れてそこまでだったら、俺は「元Poison」って烙印を押されて、何もできなかったかも知れない。俺のレコードを聞いてもらえれば、俺の音楽がPoisonとは違うことが明らかなのにさ。
でも俺のマネージャーはゲフィンで出したロック・レコード(Mother Head's Family Reunion)が気に入ってて、俺に勝手にデモを作るなっていうのさ。俺はR&Bをやろうとしてたのに。お前はロン毛のロック野郎なんだから、そんな新曲を作るなってさ。ところがだ、ジャミロ・クワイが出てきたら、白人のR&Bもいけるかもな、ってくるんだ。
レコード会社なんてのは何かが売れると同じこと始めるんだよ。とにかく、俺はそのときすっかり幻滅したから、レコード契約はボツにしたんだ。
その頃、もう一つ出来事があってさ。マネージャーがオジー・オズボーンから連絡があったって言うのさ。オジーのところでは、ザック・ワイルドが辞めて、スティーブ・ヴァイが作曲に参加して、その後だったと思う。NYに行って会ってこいってことで、何回か行ったよ。ホテルのロビーでシャロン(オズボーン夫人)に会った。気に入られたし、契約の話も出てた。俺はリフを送ったりした。
でも俺は身近にいた人間にこの話をしてしまって、そいつがAOLのチャットルームで俺がオジーの新しいギタリストになるって言ってしまったのさ。そしたら、オジーのバンドに元Poisonの野郎だなんてとんでもない!ってファンから抗議殺到でさ。シャロンからは2度と連絡が無くなった。
Poisonに参加したことは俺にとって凄いチャンスでキャリアを進めてくれた。その一方で「元Poison」の烙印のおかげで出来ないことが色々あった。
オジーの話を初めてマネージャーから聞いたとき、俺は電話で怒鳴ったんだ。「俺は自分の音楽性を分かってる。俺はメタルはやらない!なのにいいオファーだって、オジーの話を持ってくるのか?」ってね。結局これはポシャったからいいけど。
今のようなインターネットの時代が来て良かった、やっとさ。おかげで俺は自由に音楽を作れるし、ファンに届けられる。ファンはそれを聞いてライブに来てくれるし。おかげで俺は音楽業界で生き残れた。俺は自分の音楽がやりたいから音楽をやってるんだ。おかげでいくつものレコード契約をダメにしたけどさ。
金儲けがしたかったら法律の勉強をして不動産業でもやってる。俺は金儲けのために音楽なんかやらない。ありがたいことに俺は自分の音楽で稼ぐことができる、でもそれは金が目的じゃない。
D: ノース・ハリウッドのお前のスタジオでレコーディングしたことあるんだ。そういえば、ジーン・シモンズはお前のスタジオでレコーディングしたことあるんだろ?ジーンってどうだった?
R: スタジオはもう手放した。でもジーンがレコーディングしたのは本当だ。Assholeってソロアルバムさ。ジーンは最高にクールな人だよ。彼と初めて会ったのは俺がPoisonを辞めた後、ゲフィンと契約してた時さ。彼と俺のマネージャーが一緒だったんだけど、俺は用があってスタジオに戻り、皆がいる事務所に寄ったら、そこにジーンがいて、彼が初めて俺に話したのが、「おい、俺らの女には手を出すなよ!」だったんだ。部屋中が大爆笑になった。そんな出会いだったから、ジーンのレコーディングで再開するとき凄く緊張したよ。