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ジョー・サトリアーニ 「同じ音でもどれを使うかはプレイヤーの芸術的選択なんだ」

今年の6月9日、レス・ポール99歳の誕生日にNYのライブハウス、Iridiumでサトリアーニの特別ライブが行われました。ショウ前に撮影されたインタビューが先月末に公開されていました。その内容には自叙伝 "Strange Beautiful Music" に記載のない詳細な内容もありましたので、インタビューの一部を和訳してみました。

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あなたはギタープレイヤーですが、レニー・トリスターノ(ジャズ・ピアニスト)から音楽というものを随分勉強していますね。それはどう始まったのですか?

私は(バークリーに行くのをやめて)地元ロングアイランドにある新設校ファイブ・タウンズ・カレッジというところに通ったのだけど、1学期でもう嫌になってしまった。こんな学校意味がない、ここでやってることは高校でビル・ウエストコット先生から習った。音楽を探求したいのに、いったい誰に習ったらいいんだ?

そう言っていたら、レニー・トリスターノの名前が出てきたんだ。彼はクイーンズに住んでいて、もしオーディションに受かったら彼のレッスンを受けられるってことだった。だから私はそのチャンスに賭けてみたんだ。彼はとても荒っぽい気性の持ち主だったけど、彼が天才だってことはすぐに分かった。彼のレコードを聞けばそれは明らかだよ。でも彼はとても変わった先生で、うまくやっていくのはとても難しいんだ。

その頃、あなたは何歳でしたか?

17歳か18歳くらいかな。

先生はちょうど今のあなたくらいの年齢でしたよね?

ああ、そうだ。彼は振る舞いや話し方、着るものまで独特な人で、これまでに彼のような人には会ったことがないよ。レッスンはとんでもなく短いことも有りうる。何かミスをしたら授業料を払っていようがおかまいなしに「また来週」とレッスンは終わってしまうんだ。

でも何かに集中して演奏し、彼がそれを気に入ってくれると、次の生徒が10人待っていようがおかまいなしに、レッスンはとても深くて実のあるものになるんだ。そういうレッスンが終わって教室を出る時には、待っている他の生徒に向かってポーズをとるんだ。だってレッスンが長引くってことは、何か素晴らしいことが起こったってことだからね。

彼の生徒は皆素晴らしいミュージシャンだったんだ。私はそうではなくて、ジミヘンやブラック・サバスをレッスンに持ち込んでたけど。私はメロディやソロのスキャットからしなくちゃいけなかった。そしてソロの即興や曲の頭から最後まで、中間部の即興を学んでいたんだ。レニーにとっては(題材とする)音楽がチャーリー・パーカー(ジャズ・サックス奏者)でもジョニー・ウィンターでもかまわなかった。彼はただ音楽を愛していたんだ。いい音楽とそうでないものを教えてくれた。

彼は私の身体的な演奏スタイルを再構築してくれたんだ。そしてミュージシャンになること、生涯自分で学ぶ方法について教えてくれた。

どう学ぶかということだね。

それについてはスピーチができるよ。私が何か即興で弾いた時に、それをどう思うかってレニーに聞かれて「これを弾こうと思ったけど、あれを弾けば良かったかな・・・」とか言ったら「君ら郊外の子は仮定法病にかかってる。ああすれば良かった、こうすべきだった、なんてことばかり気にして、本当にやりたいことをやらない。自分が弾きたいものだけを学んでプレイしろ」とても為になった教訓だよ。

ある程度のレベルに到達するには自分の演奏は完璧に頭に入っていなくてはいけない。どうしようかなんて考えて手元を見るなんてことはないんだ。

彼は盲目のピアニストだしね。私もギターを弾きますが、とても衝撃だったことがあります。ギターには指板上に同じ音がいくつもあるから様々な弾き方ができる。でもどこを使うかでトーンは変わってくる。ジョーだったらどうするだろうかと考えるんです。あなたはあれを計算しながら弾いているのでしょうか?

そうだよ。メロディは自ら語りだす必要があるんだ。どれを使うかはプレイヤーの芸術的選択なんだよ。私はこのメロディにはこれでいいのか、3弦の音を使わずに、2弦にある音を使う方がいいのかを考えてる。

私の左手が大きく移動するのが時にアクロバティックに見えるかもしれないけど、それは別に動きを見せるためではないんだ。どうしてもその位置にある音の方がいい響きだと思ったら、たとえ指板上を大きく移動しなくてはいけなくても、そこへ飛ぶ方法を考えるのさ。ちょっとしたイントネーションかも、トーンの質の違いかも知れないけどね。

今夜だってそうさ。ここは通常のギグをしている会場よりもずっと小さい。私たちの機材は大きな会場に合わせてあるから、ここでの音を考慮して、弦の太さも選ばなくてはいけない。

80年代には今のようにあなたの演奏ビデオを見ることができなくて、あなたの曲を自分で弾いてみても、なんだか音が違うと思っていたのですが、ビデオで演奏を見て初めて分かったんです。あなたの指は指板上を動き回って演奏していたんですから。これはレニーから教わったんですか?それとも自分でこうすべきと思ったのですか?

レニーからじゃないよ。そうそう、彼から指摘されたのは、残念なクセ。音楽的な選択でやっていることではなく、誰かに教えられて毎回そのとおりに弾いてしまうクセのことだ。例えばレコードをかけて、ギターソロで使っているヴィブラートが楽しい曲と悲しい曲で同じではおかしいと彼は指摘する。彼にとっては全てが即興なんだから。だから毎回同じヴィブラートではダメなんだよ。

実際、彼には初めて「ヴィブラートなしで音だけを正確に美しく弾いてくれ」って言われたんだ。私はもう、「そんなのどうすればいいか分からないよ・・・」って感じだった。それでもう何時間もただ良い音を求めて、ヴィブラートもピッキング・テクニックも使わずにギターを弾いたんだ。そうやっているうちに、そのメロディが語るためにそこで最適なヴィブラートが分かってきたのさ。私にとっては革新的な発見だった。自分の弾きたいものをプレイするってことはそういうことなんだ。

誰かが弾いてるそのリフが弾けるということではダメなんだ。そこがアマチュアが陥ってしまう葛藤なんだよ。誰かの演奏のコピーが上手くできれば雇われて演奏し、家賃を払える。それが上手ければ上手いほどいいギグにありつける。

でもある時、「じゃぁ、君の演奏はどうなんだ?」って言われると、それまでの演奏は意味をなさないんだ。オマージュとして影響を受けたプレイすることはできるけどね。次の仕事を得て、ミュージシャンとしてやり続けるには違う演奏をしなくちゃいけない。

そうですね、ミュージシャンとしてやっていくには自分の声をみつけなくてはいけない。

私はそのために二重生活をおくったんだ。生活の為にプレイして、家に帰るとインストゥルメンタル作品のレコーディングをやってた。自分の音を探していたんだ。それは商業的には意味のないことだとわかっていたけれど。なぜならセッションではエディ・ヴァン・ヘイレンみたいに弾いてくれ、スティーブ・ルカサーみたいに弾いてくれ、って言われるから。

でも私は自己研鑽、アーティストとしての成長のために家でレコーディングをやってた。それをリリースしてギター雑誌のレビューを読むと、これは「別のジョー」の可能性があるなと思ったんだ。どちらのジョーになりたいのかということさ。

プロのミュージシャンとして全うな生活ができるけれど、それ以上どうにもならないジョーか、全てのリスクを取ってとんでもないギタリストのジョーになるか。あのEPは私のアーティスト声明になったと思う。

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インタビュー前半は割愛したのですが、かつてレコーディングではギターシールドを短くした話をしていました。(アンプの横から動けないくらいだとか)シールドの長さが1フィートか2フィートかで音が変わるそうなんですが、そういうものなんでしょうか・・・
サトリアーニの自主制作した初EPについてのエピソードはこちらの過去記事でどうぞ。