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『Surfing With The Alien』発売35周年を語る Part 1:ペトルーシ, スコルニック, ティモンズ, ギルバート

1987年10月の発売から、ジョー・サトリアーニのアルバム『Surfing With The Alien』は35周年を迎えました。それを記念して、サッチのギタープレイに影響を受けた一流ギタリスト達が集った対談が行われ、記事が掲載されました。

https://www.sweetwater.com/insync/joe-satriani-surfing-with-the-aliens-enduring-echo-35-years-on/

長い対談でしたので、一部の参加者の発言をピックアップして以下まとめてみました。

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1987年を振り返ると、当時のインストゥルメンタル・ロックギターはどんな状況だったかい?

John Petrucci:僕は85年にバークリーを卒業した。そしてマイク・ポートノイとジョン・マイヤングと共に Dream Theater の前身となるものに向かったんだ。

80年代初め、中、そして終わりまでの音楽とギターの状況は信じられない位だったよ。僕が単に懐かしいのかわからないけど、好きな時代の音楽なんだ。インストゥルメンタル音楽、プログレッシブ音楽、メタルやその全てが隆盛を極めていた。(ジョーの)タイミングは完璧だったのさ。

Alex Skolnick:興味深い時代だったね。1985年の中頃、私は Testament で初めてのパフォーマンスをしたんだ。その2年以内には自分の初ソロ・アルバムをレコーディングした。

キング・エドワード(ヴァン・ヘイレン)の威光は今と同様に大きかった。ジョーや皆が認めたように、エディは競争のレベルを上げたんだ。他のプレーヤーがいない訳ではなかった、例えばイングヴェイのように。でも常に「さあ、次は誰だ?」という空気があった。

アレックス、君はジョーがキャリアを発進する前にギターレッスンを受けたよね。どんな経験だった?

AS:ああ、1985年すぐ頃だ。ジョーはサンフランシスコのベイエアリアで有名な講師だった。彼に習いに行くのは「卒業」の準備ができたときなんだ。ビデオゲームの次のレベルの扉の鍵を開けるようなもので、ジョーの教えを乞う準備ができたときに開けるのさ。

彼には長い待機生徒リストがあった。彼こそが真剣にエレキギターを学ぶという覚悟を与える講師なんだ。彼が教える音楽理論はプロのレベルで、ジャズやクラシック・ギターの講師が教えるものと遜色なかった。それと同時に、ロックギター特有のテクニックや、多くのギター哲学も含まれていた。

『Surfing With The Alien』を知った経緯は?

Paul Gilbert:当時の Racer X のベーシストはサンフランシスコ出身のジョン・アルデレートだった。彼は Squares というサトリアーニがソロアーティストになる前の彼のバンドを観に行っていた。彼はアルバムを持っていたのじゃないかな。僕がそれを聴いたかは覚えていないんだ。(訳者注:Squares は当時アルバムを出していない)

ジョンが言うのさ、「Squares のギタリストは凄い」って。ある日、ハリウッド大通りで僕のおんぼろ中古車を運転していたら、"Satch Boogie" がラジオから聴こえてきた。直ぐに聴き入ったよ、「なんてこった!」って。

Andy Timmons:僕の人生でお気に入りの思い出の1つがテキサスのデントンに住んでいた頃のことだ。僕が Danger Danger に入る1年か2年前のことで、僕は20代始めか中頃で、ギタープレイに夢中で何年もずっと学び、プレイしていた。

そこに『Surfing』が出てきたんだ。そのカセットをウォークマンで再生してヘッドフォンで聴いていたのを覚えているよ。あの音楽を聴きながらデントンの街を歩き周るのがどんなに楽しかったか。特別の瞬間さ、素晴らしい音楽だった。技術的には最高レベルでありながら、曲が主体だった。

"Satch Boogie" はアルバムの中でも傑出した曲です。ハイエナジーの曲でありながら、アルバムの他の曲と同様に、そこには目的がある。

 

JP:ジョーはインスト曲 "Satch Boogie" でラジオのヒットを飛ばすという奇跡的なことをやってのけた。あの曲とアルバムを聴いて直ぐ、僕は虜になった。衝撃を受けて、ハマったんだ。

PG:その曲が一番僕を鷲掴みにしたんだ。可笑しなことに、タブ譜がもたらした影響というのが僕がギター講師として抗ったことなんだけど、タブ譜をコケ落とす前に気付いたんだ。2度とても役立ったことがある。その1度はLed Zeppelin の "The Rain Song" を、もう1度は "Satch Boogie" の中ほどのタッピング・パートを解読するためさ。

アルバムで即好きになった曲はある?

AT:"Surfing with the Alien" はもちろん、 "Ice Nine" も "Lords of Karma" も好きだ。どの曲も素晴らしいよ。

JP:"Always with Me, Always with You" は僕の結婚式で使った曲だ。僕ら夫婦には愛着のある曲だよ。今までに作曲された音楽の中で最も美しい曲の1つだ。聴き飽きることがない。G3ツアーでは、ジョーがあれをプレイする度に、僕は手を止めて、ステージ袖から身を乗り出して彼があの曲を演奏するのをじっと見ていた。

AS:私も "Always with Me, Always with You" が最初に浮かんだよ。素晴らしいメロディだ。純粋なフィールがあって、見事なベンド、完璧なヴィブラートの曲。こういうものに惹きつけられる。

"Always with Me, Always with You" はジョーのメロディの嗜好や作曲の才能を最も表す例ですね。

JP:完璧だよ、やはりジョーについて作曲とメロディ・センスについて語らずにはいられない。僕が惹きつけられるのはそこだ。曲は全て、それ単体で成立し、物語を語っている。そしてジョーと話して作曲に込めたものについて訊くと、意図的なことがわかる。彼には伝えている物語がある。彼のプレイはとても詩的で表現力に溢れている。エレキギターが地球上で最も表現力に優れた楽器の1つである理由が良く表れているよ。

アルバムでは、ジョーの並外れた演奏技術が光っており、例えば "Midnight" は彼の両手タッピング・テクニックを示す小曲です。

AT:Danger Danger のギターソロであれの一部をやったよ。引用というよりは盗んだというのが正しいかな、あのアイデアを拝借して、その下手なバージョンを弾いたんだ。(笑)

ジョーのギタープレイや作曲で、自分のインストゥルメンタルの作品に影響したものはありますか?

JP:100万パーセント!(笑)実際、ジョーが初めて僕をG3に招いてくれたとき、僕はインストゥルメンタルやソロのアーティストではなかった。プレイする曲がなかったんだ。「Dream Theater のボーカル入り曲はやらないぞ、曲を書かないと!」と思い、何曲か書いた。それが初のソロアルバム『Suspended Animation』になったんだ。

その中の1曲をプレイしているときに思ったのを覚えてるよ、「これは余りにジョーっぽい。丸ごとコピーしてるって彼に思われるかも」って。明らかに僕のプレイの中にジョーが入っているよ。

PG:僕がインストゥルメンタル音楽に心を開くまでには時間が掛かった。音楽好きの子供としては余りインストゥルメンタル音楽を聴かなかったからだ。Beatles やパット・トラバーズ、トッド・ラングレンVan Halen やボーカル入りのバンドを聴いていた。

子供だったから、インストものを聴くと、「いつシンガーが入って歌うんだろう?」って感じだった。でも『Surfing』がとびきりクールなことは否定のしようがない。アルバムの全てが。だってシンガーが欲しいなんて思わないんだ。

2007年に話を進めると、G3ツアーのサポートバンドを務めて、ジョーがオーディエンスにプレイする姿を見るとわかったんだ。「シンガーはいらない」ジョーがその役割を果たしていた。それで信じるようになったんだ、ジョーだけでなく、インストゥルメンタル音楽を観客に演奏することが可能なんだって。

 

AT:スティーブ・ヴァイのレコードレーベル Favored Nations に僕のアルバム『That Was Then, This Is Now』を初めて出したときのことだ、彼とレコーディングや作曲プロセスについて話し合ったんだ。

そこでスティーブに「リズムギターのパートを録音して、その上からメロディを演奏するのはとても難しいよ。ジョーのようなサウンドにならないよう意識的に避けなくてはいけないから」と言ったんだ。

とは言え、僕らに強く影響を及ぼしたアーティストを称えつつも、それを幾分かそぎ落として、自分自身にならなくちゃいけない。その影響はそれ自体によって、また自分の演奏力の限界によって取り込まれ、自分になるんだ。

(Part 2 に続く)