Stay Together

Green (@ribbon_bear) が毎週好きな音楽ネタを語ります! Since 2011

スティーブ・ヴァイ The Secret Jewel Box 15年後に明かされた秘密のインタビュー!Part 1.

5/13、スティーブ・ヴァイはアルバム "Modern Primitive" を7/7に単独でリリースし、2001年末に発売された The Secret Jewel Box 7番目のアルバムとする旨のプレスリリースを行いました。このリリース文を丹念に読むと、驚愕の秘密が明かされていたのです!

「The Secret Jewel Box は10枚のCD、3枚のギターピック、100ページの小冊子を収納できる。またボックスの下部にある蓋には隠されたCDインタビューがあり、ヴァイがこのプロジェクトについて語っている

残念ながら私は The Secret Jewel Box を持っていないので、持っている方にお聞きしてみたところ、まさか本当にボックスの底からCDが出てきたのです!15年間この存在に気付いていなかった方が多いようで・・・先生、隠し過ぎですわ!(笑)

さて、この15年ぶりに見つかったCDインタビュー、ご好意で聞かせていただきました。ありがとうございます。内容は The Secret Jewel Box に収められるアルバムについての解説と当時の思い出話になっています。

インタビュアーがいる形式ではなく、1人で先生が喋り倒す約1時間の音源です。その概要を和訳してみましたので、The Secret Jewel Box を持つヘヴィなヴァイファンも、持たないヴァイファンもお楽しみいただければ幸いです。今週はPart 1.です。

========================================================

Introduction

秘密のディスクを発見したんだね、おめでとう!このプロジェクト(The Secret Jewel Box)を始めたのはフランク・ザッパが言っていたことに触発されたからだ。「俺の全てのレコーディングをリリースすること、これは俺の終わることの無い探求の旅だ」 
凄くクールだと思ったよ。

The Elusive Light and Sound, Vol. 1

これは私が映画音楽として提供したもの全てを集めたディスク。

"Celluloid Heros"

The Kinks の曲で、子供の頃とても好きだったから、いつかリメイクしたいと思っていた。ちょうど機会があったのさ。

"Love Blood "

姉のパムが小説をくれたんだ、それは「インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア」でとても気に入った。私はその映画化権を買おうとしたんだ、いつかレスタトをやりたいと思って。 (訳者注:先生マジですか?)

でも権利は億万長者のデヴィッド・ゲフィンに買われて、主演はトム・クルーズになった。映画には採用されなかったけれど "Love Blood" はヴァンパイア・レスタトの曲なんだ。

映画 Crossroads

Flexable をリリースした後で Guitar Player Magazine に私が載っていた為、ギタリストに抜擢された。主にギターバトルのシーン音楽を書いた。あのバトルシーンはサウンドトラックに入っていないので、良く人に聞かれるのだが、監督に聞いたところ、サウントラをヘヴィメタルの血の風呂にしたくなかったそうだ。

映画 Dudes

"Amazing Grace" は4バージョン作った。そのうちの1つはオーケストラバージョンで10本くらいギタートラックが入っている。でも収録したこちらの方が映画のシーンに合っていたんだ。これをやっていた時はデイヴとツアーしていた時で、私はレコーディング機材を持ち歩いていたよ、10分くらいで録音した。

"Louisiana Swamp Swank" は Crossroads をやっていた頃に書いた曲だ。映画に合うかと思ったけれどお蔵入りしたものだ。

映画 Bill & Ted's Bogus Journey

この映画に参加したのは少し遅れてだったのだけど、エアギターの音をやってくれと言われたんだ。その後、曲も依頼されたよ。キューという映画のシーン導入に使用するたった数秒だったり数分もあるフレーズも作った。映画には使われなかったものも含めて収録してある。

この映画は後からエンディングを変えられたんだ。最後のギターソロは他のミュージシャンが仕上げたんだよ、酷いと思ったね。ところが映画のプレミア前日に電話が来て、最後のシーンの音楽を変えたいと言うんだ。役者は既にその別のミュージシャンが弾いた音楽で口パクしているし、私はそれに合わせるよう考えるしかなかった。

世界を救うソロを考えなくちゃならなかった訳だ。それでエンディングのKISSの "God Gave Rock And Roll To You" に埋め込む形で考えた。チャイニーズ・シアターでのプレミアに行くと、ジーンとポールが私の後に続いていてね、"God Gave Rock And Roll To You" の子供っぽい替え歌を歌っておいたよ。

映画 Encino Man

主人公がドライブしているシーンのキューになるところで新曲を書いたんだ、それがサントラに入った。

映画 PCU

沢山のキューとスコアを作った。映画のチェイスシーンに合わせ、Metallica のようにヘヴィなギターだったり、恐ろしくアップテンポなものを作った。それらから同じテンポのものを繋ぎ合わせて "Now We Run" を作り、これがサントラに入った。

この仕事を終えてから、もう映画音楽の仕事はしたくないと思ったんだ。大変な作業なのに締め切りはとんでもなく厳しいし、自分が気に入ったものでも監督にボツにされて、最初からやり直しになるからね。

Alcatrazz - "Disturbing The Peace"

フランクのツアーが82年に終わって彼がもうツアーはしないと言ったので、私は既に確立したバンドでの仕事を探したんだ。Alcatrazz はイングヴェイ・マルムスティーンの後任を探していた。(訳者注:この話の続きはこちらの過去記事でどうぞ。同じ話をしています。)

このアルバムはセールス面で成功はしなかったけれど、私がやりたいことを何でもやれたし、バンドには素晴らしいミュージシャンたちがいた。ツアーやインタビューをやって自分がバンドにいるという気持ちになれた。今でも楽しい思い出として心に残っているよ。

Frank Zappa - "FZ Original Recordings; Steve Vai Archives, Vol. 2"

14歳の頃に友達から聞かされてフランクの曲を知った。それが私の人生を変えたんだ。私が音楽で聞きたいものが全てそこにあった。見事なギタープレイ、素晴らしいメロディ、作曲の巧さ、そしてユーモア。信じないかも知れないが、当時フランクの自宅の電話番号を入手したんだ。そこに電話する勇気を振り絞るのに数年かかったけれど。

やっと電話してみるとフランクはツアー中で彼の奥さんが電話に出た。それからは何度か、数ヶ月置いて電話した。あるとき、バークリーから電話してみるとフランクがいて、とても機嫌が良かった。ラッキーだったのさ。

彼にファンであることを伝え、バークリーで学んでいること、自分のデモテープのことを話した。それに当時フランクが探していた譜面がボストンの公立図書館にあったので、それをFAXで送れるという話をした。フランクは喜んで自宅の住所を教えてくれたよ、驚きだった。

私がフランクに送ったデモは大学でやっていたバンド Morning Thunder のもので、"Call It A Sleep" だった。Flexable に収録されているけれど、全く違うバァージョンになっている。

フランクに送った封筒の中には他に私が採譜した "Black Page" を入れて、私がプレイしたいと添えた。するとフランクから小包が届いた。そこには "Black Page" のリード・シートと "Mo 'N Herb's Vacation" というオーケストラ曲の分厚い楽譜が入っていた。 "Black Page" を思い切り速く弾いてデモを送れとあったので、必死で練習してカセットに録音して送ったんだ。ノーマルスピードのバージョンと思い切り速く弾いたバージョンをね。

ある日、新聞を読んでいたら、フランクのインタビューがあって、そこで彼が私のことを話していることを知って驚いたよ。私のことを技術があり、将来大物になるだろうと言っていた。私の "Black Page" を気に入ってくれたのだと思う。

それからはフランクから採譜の依頼がきて、それでお金がもらえるようになった。フランクのとんでもないギターソロやヴィニー・カリウタのドラムを採譜した。私はロスに移るべき時が来たと考えた。

フランクはバンド加入のオーディションを受けるよう言ってくれたが、私が18歳だと知ると、早すぎると断られた。それでも私はロスに移り、そこで彼の家に行って録音を手伝ったり、採譜をしたりしていた。1つの仕事が次に繋がり、リード・シートからオーケストラ曲まで多くの採譜をしたりした。

20歳になった頃、フランクが次のツアーのバンドオーディションを受けるよう言ってくれた。オーディションはとても緊張した。フランクがリフを弾いてみせ、それを再現して返すのだった。この音を足せ、レゲエにしろ等と指示が追加されるのだが、やがて演奏不可能な指示が来たんだ。

それで「これは演奏できない」と答えると、他の皆がいる前で「そうか、リンダ・ロンシュタットがギタープレイヤーを探していたぞ。(お前はそっちへ行け)」とフランクに言われたよ。(笑)

フランクは常に最高のことを最善のタイミングで最も少ない言葉で言う人だった。彼は時には眉毛を動かすだけだったりするが、それだけで十分に語るんだ。彼が話すことは常に真実、皮肉、コメディの要素が完璧なバランスで含まれている、類稀な人だ。

私はオーディションに落ちたので、リハーサルの後でフランクの元に行き、参加させてくれたことへの礼と合格しなかったことを謝って、何か私に用ができればいつでも電話してくれるよう言った。するとフランクは私を見て「お前はバンドの一員だ」と言った、それで決まりだった。

フランクとの仕事が始まったのが20歳のときで、全ての経験が驚きの連続だった。今でもフランクとの日々を思い返すと、あの経験がいかに私にとって大切であったか、私の音楽へのアプローチの仕方、ビジネスの仕方、プロとしてどう人と関わるかに影響を与えたかに改めて気付く。彼は私のメンターであり、彼と当時働く貴重な機会を得たことに感謝している。

フランクはよく、彼の頭に浮かんだ音楽の断片を紙に書いて私に渡してきて、彼が思うような音楽を私が弾くことを期待していた。ギターという制約のある楽器の中で彼のイメージする音楽をどう弾くかというのは常に大きなチャレンジだった。私は何とか彼をうならせるようなプレイをしようと必死だった。

フランクは晩年、小さなロックバンドとドイツのアンサンブルモデルンとでプロジェクトに取り組んでいた。彼の楽曲からの難曲を演奏しようとしていて、その難しいメロディ・ギターのパートを彼が私に依頼してくれたのはとても興奮したし、嬉しかった。残念ながら彼は病状が悪化して亡くなってしまった。

彼の楽曲は研究され、将来的にオーケストラやアンサンブルで演奏されるだろう。そうすることで彼の残した遺産が脚光を浴びるだろう、彼の楽曲の価値は計り知れない。このディスクが彼を知らないリスナーが彼の作品を聞くきっかけになるといいと思う。人生を変える経験になるだろう、実際に彼の音楽は私の人生を変えたのだから。

"Tell Me You Love Me" は私が初めて自分の録音を聞いたフランクの曲。"Theme From 3rd Movement of Sinister Footwear" はフランクとの最初の仕事で、彼の弾いたソロを私がダブルにしたんだ。"Approximate" を聞くと作曲の奥深さに驚くだろう。フランクはバンドに譜面を渡したんだが、そこには1部×がついていて、そこは自分で考えなくてはならなかった。毎晩違っていたが、その日は思い切り速くプレイした日だった。

"RDNZL" は私が初めて欧州ツアーに出た22歳のときに録音した。美しい曲でこのメロディをギターで弾く気分は最高だったよ。10代の頃、ロングアイランドの自宅でフランクの曲を聞きながら、彼と握手することさえ想像できなかった日々を思い出さずにはいられないね。