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Green (@ribbon_bear) が毎週好きな音楽ネタを語ります! Since 2011

スティーブ・ヴァイ Part 1 「真の革新とは大抵は自然に起こるものだ」

ヴァイ先生の来日公演まであと1週間余りとなりました!期待と興奮が高まりますね。

今週は先生が「革新」について語った深いインタビューを紹介します。VAI説法満載なので、じっくりお言葉を味わってもらえたら幸いです。

www.guitarthrills.com

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あなたはご自身を革新者と考えますか?

自分をそう考えるようになったのは最近のことだ。その言葉が私に紐づけられているのを見るようになったのでね。

真の革新とは大抵は自然に起こるものだ。それは人の日常からシンプルで実用的なアイデアとして心に芽生え、実際にはそれが革新だなどとは思いも寄らない。

計画的にできるようなものではないと思うね、なぜならその成果を目にするまで「革新」の結果はわからないのだから。

私が関連したものの中でいくつかは革新と捉えられることはあると思う、その影響がその後開花していったことからもね。

私の貢献でそう思えるものは…うーむ、難しいね、こういう回答は時として自己中心的になりがちだから。でも挙げてみよう。

A.複雑なポリリズム採譜

私は18歳でザッパの譜面起こしを始めた。ヴィニー・カリウタのドラム上でのザッパのギターソロ譜のいくつかは、特に複雑な重奏譜面で特異だった。「フランク・ザッパ ギター・ソング・ブック」で見れるよ。

リズム面でのアイデアが含まれていると思う、当時ではそのようなコンセプトは考えられなかった。彼らがいかに先端を行っていたのか、革新的であったのか、当時の私は知りもしなかった。

B.Ibanez Jem ギター

私がこのギターをデザインしたのは80年代の初めで、これは私の特異なプレイスタイルの方向性への回答だった。深いカッタウェイと24フレットの「スーパーストラト」スタイルのギターで、ピックアップの配置構成とトグル・スイッチのコイル切り替えは当時ユニークだったし、フローティング・トレモロ・システムは音符を完全5度またはそれ以上上げることを可能にして、そういった要素は当時のギターとしては一般的ではなかったので、今にしてみれば「革新的」と言えるだろう。

当時の私は革新的だとは思わなかった。ただ自分のシンプルで自然なアイデアに従っただけだ。反論する人もいるだろうけれど、それで構わない。当時の私にとってそのアイデアはユニークだったんだ。

C.ダイアトニック・ハーモナイザー

80年代の中ごろ、私は Eventide 社から彼らが開発中のハーモナイザーへのアイデアを求められた。当時、私の知る限り、「ハーモナイザー」とは彼らの登録商標で、彼らがそのアイデアの源泉だった。彼らのハーモナイザーは主音の音程と並行したハーモニーで1音動かすことができた。

私は全音階の音程変化と複数声、例えば9つを提案した。個別にエフェクトすることで、各音程は変化し異なったサウンドになるだろう。

全音階声は使用者が指定する例えば C Major など、特定のキーに従う。その一方でオプションも提案した。それはハーモナイズされた音が従う合成スケールを創ることだ。

他にも私が提案したアルゴリズム的なアイデアも当時ではユニークだったろう。それにしても全音階の音程変化は新しかった。

今日ではそれは「スマート・ピッチ・シフティング」の名前でほとんどのピッチ変更エフェクターに備えられている。おそらく当時の私は革新的なアイデアだと思っただろう。

(訳者注:"Ballerina 12/24" での活用について、以下の過去記事で読めます)

staytogether.hateblo.jp

D.突飛なアーム使い

私のアーム使いのいくつかが革新的と言うつもりはないが、多くの人がそう言うのは見た。革新的とは私が主張するのではなく、そのいくつかは人が私についてそう言ったということだ。

あなたの音楽キャリアのうち、どの時点で自分が何か偉大な事を成し遂げるとわかりましたか?最初は何だったのでしょう?

私は常に自分にとって何か偉大な事を成しているように感じていた。

私が初めて Led Zeppelin の曲を弾けたとき、自分にとって凄い事だと思った。私が作曲を始め、高校で交響曲を書いたときも、自分にとって偉大な事だと思った。

私がザッパの為にあれら全ての採譜をしたときも、彼の複雑な曲を演奏できるようになったときも、『Flex-Able』,『Crossroads』,『Passion And Warfare』などを創ったときも。全て自分にとって偉大な成果だと思った。

しかし、世間が自分のしたことをどう評価するのかは知る由もない。音楽界そしてギター界の目から見て偉大な事を成すかについて、私は何の期待もしていなかった。

私にはかつての時から今に至るまでに積み上げたあらゆる小さな達成事項が偉大だとわかっていた。なぜなら、それらは私に達成感と歓びの感情をもたらしてくれたからだ。

全てのギタープレイヤーに対して、自分の達成事項は素晴らしいと感じるよう強く促したい。それら達成事項が今の自分から新たなレベルへと引き上げるのであれば、それらは自分にとって偉大な達成なのだ。

他人がどのように評価するのかはわからないのだ、しかし自分にとって気持ちの良いものであれば、それらは偉大な達成事項なのだ。

君の質問の趣旨はわかるよ。しかし私は世間の目に偉業と映ることを達成しようと考えたことはない。私はただ自分にとって抗いがたい、興味深くて満足感の得られる事にいつにおいても向かっただけなのだ。

だが、私が初めてギター界に足跡を残したと示したものは、"Attitude Song" に対する反応だったろう。それは80年代の Guitar Player 誌に付録されていたものだ。そして映画『Crossroads』が公開されると、活気に満ちたエンターテイメントに何がしかの貢献ができたと感じた。

これまでのキャリアでいくつもの傑作をリリースしていますが、自分の究極の作品と思うものはどれですか?

それは難しいな。私のオーケストラ作品アルバム『Sound Theories』を良い例に挙げておこう。あれにはファンが楽しめる曲の多くが収録されており、濃厚な作曲作品も含まれているからね。

(Part 2 に続く)