先週に続き、キップ・ウィンガーのインタビュー続きです。ソロ来日公演は1週間後の3月10日、名古屋から始まります!
成功から突き落とされたキップの新たな旅路はクラシック作曲への道でした。昨年には現代クラシック作曲部門でグラミー賞にノミネートされるなど、キップの才能が認められましたね。興味深いインタビューの続きをどうぞ。
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そこから Winger の成功は2年ほど続いたのですよね。
俺たちはシーンに出るのが遅すぎたんだよ。Bon Jovi は大成功したけどね。時代の変化には要は2つの要素があったのさ、皆が80年代の音楽に飽きてしまったのと、カート・コバーンが超個人的な生の音楽、グランジを始めたってことさ。
B&B(当時のアニメ番組)はクールなバンドを名指しして、一方で俺たちはアンクールなバンドってことにされた。そうして一晩でシーンは変わってしまった。俺たちは全てを失ったんだよ。俺の名前は忌み嫌われるものになったのさ。
だから俺は、今こそずっとやりたかったクラシック音楽の勉強をする時だと思った。そうして俺は真剣に作曲の仕方を再発見していったのさ。サンタフェにスタジオを作って、それまでのモノを全て捨て去って、ゼロからやり直したんだ。
俺はもうギグをやることはできなかった。96年のソロアルバムのプロモーションでやれたのは本屋で午後4時半から10人のオーディエンス相手のギグさ、それを40回やった。俺はトップにいた訳じゃないけど、上を経験したから、そこから地の下までの転落さ。
自分のエゴは砕け散ったし、仏教やら色んなものに手を伸ばした。いいさ、運命が俺にこの試練を与えたのには何か理由があるってね。
俺は元々悲観主義でネクラなんだよ。もちろん人間だから、あの状況にはすごく落ち込んだし、ショックを受け、反発し、自己憐憫にもなった。でも俺はその状況から抜け出す方法を見つけ、計画したんだ。振り返ればとても興味深い旅路だったと思う。
当時も音楽ビジネス界では多くのことが起こっていたし、今もそうだ。芸術一般において。自分をアーティストとしてプロデュースするにはある程度の戦略が必要だ。Winger では随分とそれをやったよ。
当時は「ヒット曲が要る」って言われて俺たちはひたすらヒット曲を書いた。そしてヒット曲ができると、俺たちのバンドのブランド化が必要になってくる。そうして出来上がってきたものは自分ではなくなっているのさ。
暗黒時代の俺の場合、良かったことは失うものなんて無かったことだ。俺は素の自分に戻って、自分にあるものは何かを考えたんだ。
そしてあなたはクラシックのアルバムをリリースし、グラミー賞にノミネートされましたね。
あれは衝撃だった。素晴らしいよ。さっき言ったように、素の自分に戻って一から作り直して、できたんだ。
最新作はブロードウェイのショウですね?
ミュージカル・シアター楽曲と言ってる。世界の様々な劇場で上演する可能性があるからね。俺はベースを覚えたころから常に何かに挑戦してきた。どうやってこのハシゴを登ってやろうかとね。そうやって最初のソロアルバムから最初のクラシック曲まで登ってきたんだ。
自分の心の奥深くを覗いて正直に言えば、一番やりたいのはバレエ曲の作曲だ。これ以上に自分にとって自然に思えることはないからだ。俺にはダンサーが踊りたくなる曲がどんなものか分かってる。
でも "Conversations With Nijinsky" を書いたとき、これはバレエ用に書いたのだけど、コンサートで演奏される曲でバレエ曲じゃないと思ったんだ。実際、これはバレエ曲にはちょっと大作すぎたんだ。俺は20分で終わるような曲じゃなくて2時間ものの音楽を作りたいと思った。それはもうバレエじゃなくてオペラかミュージカルだ。
そうして情報収集をしてたら、ニューヨークの知人がある男に紹介してくれた。オペラのライティング・ディレクターさ。それで話していて、俺は物語を書ける人間じゃないから、音楽は書けるけど、ストーリーライターが要るって言ってたんだ。
ブロードウェイのオーケストラディレクターからある男を紹介されて、ダミアン・グレイとスカイプで話したんだ。彼とは完璧にウマが合った。一緒にバンドをできるくらいで、そこは大事さ。
彼は俺が知らないバンドを沢山知っている音楽ガイさ。俺はもう音楽を聞かないから。とにかく、もし運命が俺にオペラをもたらしていたらオペラをやったろうけど、今はミュージカルをやっているんだ。
彼から最初「切り裂きジャックのアイデアがある」と聞いたときは、うわ、どうしよう!と思ったけれど、実のところ面白いひねりがあってね、これは被害者の女性の物語なんだ。今の時世に合ってるよね、女性が男性に被害を受けたと訴えるのだから。彼女たちを不死の存在にして彼女たちがジャックに復讐するというストーリーなんだよ。
エリオット・ゴールデンサールは多くの映画音楽の作曲をしてきた著名な人だ。彼曰く、作曲の仕方を学びたいならミュージカルの作曲をしてみろ、ということなんだが、実に正しいよ。とても大変な仕事だ。俺はこの2年半をかけて2時間15分の音楽を作曲している。
先日、20分ものの作曲はカットされてしまった。オーケストラ用に編曲されていたんだが、脚本の変更に合わせることになった。1ヶ月の仕事が消えたのさ。それに加えて脚本の読み合わせが始まって、このキャラクターにはこれが要るとかって脚本の手直しが始まったんだ。全く、これは終わらない仕事だよ、何てことに頭を突っ込んでしまったのだろうと思った。でも最高なのさ、楽しいよ。俺の最高の作品になるだろう。
どれくらい完成しているのですか?
コンセプト・アルバムは仕上がった。ショウが成功するかどうかは俺には全く分からない。それにもう一つの問題は、とんでもない資金が必要だってことだ。もし資金調達できなければフイになってしまう。もちろん何とかしたいけれど、大金が必要なんだ。やり遂げた作品には満足しているよ。
それでもとにかく俺の暗黒の時代はこういう結果に結びついたんだ。俺は音楽のために作曲をする。結果については何も期待をしないんだ。それって無限の自由なんだよ。
「今何してる?どうマーケティングしてるんだ?」って聞かれたりするけど、俺はマーケティングなんてしない。ただ作曲して、気に入ったファンが聞いてくれるんだ。上手くいくときはいくし、ダメなときはダメなのさ。
次の作品は何ですか?
交響曲第一番を書いている、大作だ。今、複数の交響楽団と話をしているんだ。契約がまとまっていないからどこかは言えないけれど、素晴らしい楽団と指揮者だ。とにかく俺にとって明らかになったことは深い芸術的創作の道に強く惹かれているということだ。
俺はミュージカルに出てくるポップソングを書くのは上手くできる。けれど、歳と共に俺は深い芸術的な方向に進んでいるんだ。経済的には有利じゃないんだろうけど、もし数学者だったとしたて、あらゆる命題を解いてきたのなら、次に何をするかということだ。更に先に進む他はないんだ。楽しみで仕方がないよ。
あなたの進む道はロックとは違ってきましたね。
ああ。俺はバンド仲間の為に Winger のニューアルバムは作るつもりだ。俺たちは一緒にプレイするのが本当に楽しいし、皆が素晴らしいミュージシャンだ。思うに、時が過ぎて俺たちのバンドが素晴らしいバンドで、曲もミュージシャンシップも優れていると証明できたと思う。だから彼らを称えて、次のアルバムは作るつもりだ。俺はロックするのも大好きだしね。ただ俺にとってもうロックはやらなきゃいけないものではないんだ。
同じように俺がソロでやっているポップアルバムについてもね。多くの人があれを待っているのは知ってる。ニューアルバムはそのためにも作るつもりだけど、あまり時間をかけられなくてね。
誰かに聞いてほしかった質問はありますか?
いい質問だ。ここまでいろいろしゃべってきたけれど、俺の色んな話はこれまでに聞かれたし、皆が知る通りだ。でもそんな中でクラシック曲がグラミーにノミネートされたことは本当に助けになった。俺が優れたミュージシャンなのだという信用を上げてくれたんだ。
昔、フレッチャーやポールやネイトとは他のバンドは俺たちのことどう思っているだろうと思っていた。俺は「リフがクールで、曲が良ければ売れるんだ」って言ってるタイプだった。それが経済的には災難の元になったんだけどさ。
「ヘイ、"Stone Cold Killer" を聞いてみてくれ!これはオクタトニックスケールの曲なんだぜ!」って感じで。俺には同業者から尊敬されることが他の何よりも重要だったんだ。
自分に自信がなくなったことはありますか?
ああ、アコースティックライブをやろうってときに、自分のことが最低に思えて、それが手に影響してプレイはミスの山になり、声もまともに出なかったことがある。表に出ることを避けてた時期があったよ。
俺は自分がロックスターだと思ったことはないんだ。有名になったと思ったこともないし、何かを成し遂げたと思ったこともない。俺は次に57歳になるんだが、27歳のとき以来やっと一部で自分の名前が知られたのだと思えてきた。ロックスターぽいことはやってきたけどね。やっと人に認知されてきたのかなと思うんだ。
俺は今でも作曲の教師に電話して、「なぁ、まだ書けないのがあるんだ。これってヤバいかな?」なんて言ってるんだ。(笑)
最後に、私には15歳の娘がいて音楽の道を進みたいと言っているのですが、始めたばかりの若いミュージシャンにアドバイスをお願いします。
自分がクールだと思うことを明確にすること。それから自分のオリジナル曲を書くこと。それが自分が成長する一番の方法だ。デジタル機器、ソフトウェアの使い方を学ぶこと。
ボー・ヒルからのいいアドバイスがある。「誰からの哀れみも受けないようにしろ」俺はこの教えを一生頭に置いている。
Pro Tools なんかをしっかり学んで、誰か上手い奴からギターをひたすら学ぶんだ。そして自己批判をいい意味でできるようにすること。自分で落ち込むのではなく、自己批判しつつ編集することがカギだ。自分の限界を知ること。多くのことを知るんだ。
メンターを探せ。自分がやっていることに秀でた人を見つけてそれを真似るんだ。俺は人生ずっとそれをやっている。俺の親父は俺が15歳のときに「思考は現実化する」(ナポレオン・ヒル著)をくれたんだ。メンターを探して遠くから真似てもいいし、実際にドアを叩いて「教えてくれ」って言ってもいい。
俺は(メンターに教えてもらった)お返しに他の人に教えている。俺の知っていることや人脈なんかをメールで教えているよ。そうやって知のエネルギーを広げていくんだ。
あなたからはこの先いろいろな作品が聞けそうです。引退する予定はありませんよね?
ないよ、もちろんだ。今朝その話をしていたんだけど、俺の親父は90歳なんだ。だったら俺はまだ30年は生きるかも知れない、次の30年で何をやろうかって、ワクワクしてた。俺はこの歳になるまでに書き上げているべき音楽っていう意味ですごく遅れているんだよ。生活の中でいろいろとやることが出てくるから。だから作曲だけに集中したいんだ。沢山のクラシック曲を書きたい。ロック曲では殆ど全て書いてきたから、クラシックを書きたいんだ。