発売35周年を迎えた、ジョー・サトリアーニのアルバム『Surfing With The Alien』を記念して、サッチのギタープレイに影響を受けた一流ギタリスト達が集った対談の続きです。
一部の参加者の発言をピックアップし、まとめてみました。
https://www.sweetwater.com/insync/joe-satriani-surfing-with-the-aliens-enduring-echo-35-years-on/
==============
予算について話すと、あのアルバムの予算は3万ドル程(約450万円)で、近年ではとても少ない予算だった。ジョーのギタートーンやアルバムのサウンドについてどう思う?
Alex Skolnick:とてもクリアで、ダイレクトに響く。その頃多くの場合、ギターサウンドは加工され過ぎて、生のサウンドを失っていたと思う。でもジョーが取り戻したと思った。クリーンで、70年代のサウンドとは違うけれど、そのダイレクトさ、クリアさは持ち合わせていた。そういうものが当時のギタートーンに欠けていたのさ。
このアルバムはDIYの美学で制作されたことも重要だ。ジョーとプロデューサー/エンジニアのジョン・カニベルチと他には2人のミュージシャンしか参加していない。ドラマーのジェフ・キャンピテリとパーカッション/プログラマーのボンゴ・ボブ・スミスだ。
AS:殆どがジョー独りで成しとげたことを思うと、奇跡的だ。彼の少人数のチームはバンドというより、プロダクション・チームだった。
G3ツアーや様々なイベントでジョーとステージでジャムした人は、ジョーの側に立って何を学んだ?
Andy Timmons:僕が最後にジョーと会ったのは、ニューヨークでスティーブ・ヴァイのギターキャンプのあった時(2019年8月)だ。ジョーは特別ゲストの1人で、1日だけやってきた。僕は彼のマスタークラスを聴講した。僕のお気に入りのアーティストたちと共に、彼らの講義もギタープレイも楽しんだよ。ジョーはとても明瞭で鋭い人だ。彼が音楽制作について話したり、音楽一般について話すことは何でも、まるで僕の兄の1人といるみたいだった。
John Petrucci:幸運にもジョーと実際に知り合って時間を過ごすことができると、彼がいかに魅力的で、寛大で素晴らしい人間かがわかる。
僕が参加した初のG3ツアーでは、面白いことにギタリスト3人共がイタリア系でロングアイランドの出身だった。サトリアーニ、ヴァイ、ペルルーシだ。
彼のライブでのプレイを観るのは最高だった。ジョーが毎晩この作品に息を吹き込む様は衝撃的だった。「いったい彼は何者なんだ?どうしてあんなことができる?」という感じ。クレイジーな曲を作ってそれをライブ演奏しなくちゃならない大変さは良く知ってるからね。
Paul Gilbert:僕も有難いことにG3や他のイベントでジョーと並ぶ機会があった。ジョーには教祖的なオーラがあるんだ。彼が何か言うときにはいつだって暫く反芻したくなる。彼の言葉には神秘的な重みがあるんだ。
アルバム『Surfing With The Alien』は君の好きなインストゥルメンタル・アルバムの中で何位に入るだろう?
JP:数枚のアルバムが思い浮かぶ。『Friday Night in San Francisco』もエンドレスに聴ける。それからヴァイが『Passion and Warfare』を出したときには、あれも傑作だと思った。
今、多くの人がLPレコードにノスタルジックになっているよね。人生のどの時期にそのアルバムに出会ったか、それがどれ程影響力があったか、なのだと思う。『Surfing』について語るなら、80年代の最良の時だ。
僕のキャリアは始まったところで、アルバムが発売されたのはバークリー卒業したてだった。だから、僕にとっては常にインストゥルメンタル・ギターアルバムのトップ3か、でなければトップ5だ。
『Surfing』はインストゥルメンタル・ギターアルバムとしてプラチナ・アルバムに、そしてチャートでのヒットを記録する希少な成功を収めました。アルバムが幅広い聴衆を集める理由はジョーのどこにあるのだろう?
PG:ジョーの音楽にある正統でストレートな伴奏部分だと思う。AC/DC 的だと言ってもいい。ドラムはとてもシンプルだ。シャレた演奏はいいけど、劇場では混ざってしまう。
ジョーは何が上手くいくか、良い感覚を持っているのだと思う。彼の作曲はより大きな会場、より多様な聴衆を対象として制作されている。
僕の偉大なギターヒーローたちの多くは、もちろん僕は大好きだけど、3曲聴いたら(飽きて)時計をチェックしてしまう。でもジョーなら、まる2時間のライブを楽しめるんだ。
AT:既に言ったように、メロディへのこだわり、曲が第一という信条ゆえだと思う。そして少しテクを入れて顔をほころばせるのさ。(笑)そしてもちろん、ジョーの理論的で上級なハーモニーの扱い。
"Satch Boogie" のブリッジ部とその単調な音符の上での多層コード的アイデア、あれは僕らがネオクラシカルやその他のプレイヤーからは聴いたことのない、カッコイイものだった。
AS:ジョー自身も音楽の幅広いリスナーだ。Mahavishnu Orchestra もトニー・ウィリアムスもアラン・ホールズワースも聴いた。これらの音楽はとても聴き手を選ぶ。ジョーはこれら音楽に深く共感していたと思う。
でも同時に彼は ZZ Top もヘンドリックスも Van Halen も好きだ。それらの影響は彼の曲から聴くことができる。ミックスされているんだ。
彼は容易に内輪のギタープレイヤーになるかも知れなかった。でも彼はテクニックやトーンを妥協することはない。インストゥルメンタル音楽をやる者にとって、あのように広範なオーディエンスにアピールできるというのは、とてもユニークだ。
かつてカーク・ハメットはジョーのことをこう述べた。「全知、全視、全聴の瞳のギタープレイ」あなたはどう表現しますか?
AS:シリアスな技巧派だが、優れたユーモアのセンスがあって、栄誉に留まることなく、常に探求している。
PG:ジョーが時々使う、小さい筆と大きな筆の比喩を使うよ。作曲家のジョーは大きな筆を使う、とても素晴らしい。Beatles も同様にして大きな大きなメロディを書いた。音楽的には、ジョーはむしろクリアでダイレクトに伝える。彼は常に意図が明確で「大切なものだけを弾こう」と言っている。
AT:僕ら皆にとって重要な人物だ。数年前に彼は作品全てのボックスセットを出したから、僕は購入した。それから数週間、僕はジョー・サトリアーニ作品の全てを最初から最後まで聴いていた。本当に素晴らしかった。
「ああ、ここからあの発想を得たんだった」と聴いていて思い出したよ。ラインやリックには、自分でも着想を得たと自覚のなかったものがあった。自分が似たことをしていた記憶があったんだ。
そこが素晴らしいのさ。僕らが吸収した音楽により影響され、それらは耳の知として(僕はそれをオーラレクトと呼んでいる)内部に保存されるのさ。
JP:カークに賛成だ。ジョーは本当にギターのスーパーマンだ。彼は何でもできるし、彼の創造力には境界がない。ジョーは競争のレベルを高く引き上げただけでなく、僕らに1日6時間練習をさせ、この世のどこかに聴きたい人がいるのではと期待してクレイジーな作曲に向かわせたんだ。ジョーは後進の多くに扉を開いたんだ。
(対談おわり)