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Green (@ribbon_bear) が毎週好きな音楽ネタを語ります! Since 2011

スティーブ・ヴァイ 「他人にどう批評されるかではなく、自分の持つ水準に達することが必要だ」

オンラインのギター雑誌 Guitar Interactive の表紙をヴァイ先生が飾りました。9ページに及ぶ特集記事はインタビュー動画に基づくものですが、文字起こしされた記事よりも動画の内容の方が深く面白い内容です。

"Knappsack" のビデオ裏話やライブパフォーマンスの検討、楽曲制作の知識/感情サイドからのアプローチなど、興味深かったこの動画の一部概要をまとめてみました。

 

 

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長く続くパンデミックで苦しむ人々も多いですが、あなたはポジティブに捕え、ニューアルバムを制作しました。

このパンデミックで非常に苦しんだ人もあったが、この機会に成功した人もあった。これは世界中で常に見られることだ。「苦しみ」とは2種類あり、1つは誰もが知るように身体的な痛みで、もう1つは心理的な苦悩だ。多くの「苦しみ」とは心理的なものだ。頭の中の声が世界はこうだと囁いているんだ。それが唯一「苦しみ」をもたらすものだ。

現実の世界には恐れはない、あるのは障害で、それは必要なものだ。このパンデミックを通じて私にも直面した障害はあった。しかし、苦しむことはなかった。そういった障害は仕方のないもので、結果私はそこから目標を達成したと思う。そこに罪悪感は感じないよ。

ロックダウンで時間ができたので、今までは時間がなくてできなかったことをやってみた。2種類のライブ・ストリーミングをやり、"Candle Power" を動画投稿した。ソロ・アコースティックのプレイでライブで歌ってみたのは今までやっていないことだった。意外にも反応が良かったよ、伝統的にロック・ギタリストが歌うのはタブーだったが、ファンは気に入ってくれた。

それでソロ・アコースティックとボーカルのアルバムに取り組んだ。14曲できたのだが、肩と指を壊して断念した。それから『Inviolate』を創った。実はまた別の腱を痛めてしまったのだが、これと付き合いながらどうツアーするかは考えないといけない。

(訳者注:おそらく、北米ツアー延期発表の前でまだ2度目の手術が決定していなかった時期)

手術後は1ヶ月プレイできなかったのだが、その時期に制作したのが "Knappsack" だ。片手でもプレイできると純粋に楽しんで創ったのだが、リリースしたら素晴らしい反響だった。

多くの人があなたらしい「スティーブ・ヴァイ・マジック」に興奮しました。オーバーダブを使ったのか?本当に弾いたのか?といったように。これらの反応にはどう応えましたか?

笑顔で応えたよ。トリックは使っている、私は魔法使いだからね。(笑)でも、全ての音は私のプレイだ。多くの称賛をもらったが、あれはレガート・スタイルのプレイヤーにとって、そんなに難しいプレイではない。ギターを手に持って左手を動かしていると、曲が浮かんだんだ。"Knappsack" の一番難しかったところは、プレイじゃない。レコーディングの手伝いをしてくれる人が誰もいない中、1人で全てのマイクやらカメラのセッティングを左手だけでしたことだ。

まず最初に私は心の中でどんな曲にするのか設計図を書いた。曲として成り立つものでなければならず、ギミックでは駄目だ。楽曲であり、メロディックであること。私は速弾きも好きだが、その前にメロディが重要だ。私にとって最高のメロディを書くこと。他人にどう批評されるかではなく、自分の持つ水準に達することが必要だ。

片手で弾くというギミックはただの仕掛けさ。いわば副効果に過ぎない。あれが多くの人にとってメイン・アトラクションになることはわかっている。しかし、メロディこそが常にメイン・アトラクションなんだ。それが人々を惹きつけ続けるものだ。それがなければ、ただのギミックだからね。Hydra ギターについても同じだよ。

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("Knappsack" 制作では)私はまず心で設計図を書いて、メロディとコードをスケッチする。それさえあれば、後は自ずと現れるのさ。デモのドラム・トラックを創ってキーボードでコードを入れておく、ベースはなしだ。カメラを設置して、セクション毎に区切って弾いていく。

弾きながら作曲する感じだ。3~4回のパフォーマンスを各セクションで。いくつかのパートはどうしても弦のミュートができないから、手を加えた。あといくつかのリフではサステイナーを使ったよ。だから「あれはどうやったんだ?」という疑問があったが、あれはサステイナーだよ。(笑)

そして3~4回のテイクのうちベストを選んだ。動画よりも優れたサウンド・パフォーマンスがあったかも知れない。それはパフォーマンス動画の上にサウンドを載せたものだ。だからサステイナーを使った音が、使っていない動画の上に載ったという訳だ。とは言え、おそらく動画の8割はパフォーマンスとビデオは同一のものだ。

ツアーではどう演奏するのでしょうか?動画のセッティングを再現するのでしょうか?

いろいろ考えているよ、夜中に目が覚めてしまうくらいにね。(笑)手術が去年の12月だったから、あれを弾いたのは1月くらいか。それ以来弾いていないのだが、あれを弾けるのはわかっているし、自信もある。片手を後ろに縛って弾いてもいい。だが、練習に大変な時間がかかるだろう。

ライブでのアイデアはいくつかあるんだ。Knappsack を付けて登場してプレイするアイデアもある。理想的だが、どうなるのかわからない。リハーサルでやってみるかも知れないが、ライブ全体の演奏量を考えれば、それはせずに、ミュートのために右手を使うかも知れない。もしくは曲全てを両手を使って、ピックで弾くかも知れない。随分と違う感じになるだろう。とはいえ、片手で弾くアイデアは気に入っている、それがオーディエンスの見たいものだろうからね。

その通りですね。でもファンなら動画と違うバージョンも聴いてみたいです。あなたの場合、作曲において知識と感情的要素とはどのようなバランスで使うのでしょうか。

作曲でも、朝食を用意するときでも、制作時の感情はその成果物に宿るものだ。そうしてバランスするんだ。作曲を知的な側面から行うとしたら、つまり音楽理論をベースにやれば、型通りの範囲内で創造的にはなれるだろう。しかし、君が感情的な心情を捉えることができるとしたら、それを音楽に通わせる障害などないだろう。私は全てが欲しいんだ。これが私の欲求で、君もそうだろう。

私は音楽のことが知りたいし、その学術的な面も理解したい。時に私の音楽へのアプローチは完全に知的なものになる。数学的なアイデアなんだ。時にはそれが素晴らしい結果をもたらすし、単に知的なサウンドというときもある。コンテンポラリー・クラシック音楽のような結果になることがあるんだ。そういうものが好きな人を刺激するものだ。

しかし、純粋な感情に刺激された音楽で、そういったものの無い音楽もある。それでいいんだ、音楽で何が良い悪いということはない。音楽へのアプローチは様々で自由なんだ。だから、私はその時に自分にとって自然に感じる手法をとる。

例えば、『Inviolate』で "Apollo in Color" を例にとってみよう、これは私にとってとても感情的な楽曲だ。"Greenish Blues" も。私はあれらの音符に親密な何かを語らせたかった。しかし、私は同時に高度な学術的アプローチも取りたかった。

多くの場合、私は自分を感情的な心境に置き、音符が出てくるのに任せる。"Little Pretty" はダークで面白く、ミステリアスなものにしたかった。あれには私がこれまで創造した中で最高のソロセクションがある。あの曲は頭から最後まで全てがメロディだ。

"Apollo in Color" もメロディはあのときの私の心情が反映されている。しかし、その構成は君が思いつかない程なんだ。私はヴィニーとヘンリクに譜面を書かねばならなかった。(複雑な構成だが)その上にはメロディがながれている。

"Teeth of the Hydra" もメロディが必須だ。私はセクションに区切って全て演奏した。あれは Hydra というギターのおかげで新規性があるのだが、私はヘヴィで、強烈でありながら、メロディックで高揚する音楽にしたかった。メロディがそれ単一で音楽として成立するものでなくてはならない。

7弦で弾いている曲もありますよね、Universe でしょうか。もしかしたら7弦のPIAもあるのかと思いました。

"Apollo in Color" は7弦を使った。7弦のPIAか、君にさっき届いたメールを見せたいところだが、そこについてはノーコメントだよ。(にんまり 笑)

あなたのインスピレーションはどこからくるのでしょうか?

何かを実現するのに必要なのは情熱だ。それこそが創造のエンジンなんだ。それがどんな事をするにせよ、それら協働する要素が揃えば、機の熟した時に君を導くだろう。私の楽曲制作のインスピレーションは全て人生のあらゆるインスピレーションの湧いた瞬間からくるものだ。

あなたのファンは最初に7曲目を聴くこともあると思うのですが、"Greenish Blues" はブルースですが、これぞヴァイという曲です。

あれは "Tender Surrender" 以外、初めての伝統的ブルースのコードチェンジを使っている曲だと思う。I-IV-V のコード進行は私のアルバムでは聴いたことがないだろう。もう私が使うことはないだろうし、他の人の方がずっと上手く使うし、私はそれを聴いている方が好きだ。私は正統なブルースプレイヤーじゃないからね。

"Greenish Blues" は前のツアーでのサウンドチェックのジャム・レコーディングから始まったものだ。完成曲の8割はそのサウンドチェック時の即興の通りだ。しかし特定のリフではこれをもっと特別で、個人的なものにできないかと考える。全ての音符が重要なんだ。

だから私にとって "Little Pretty" のソロは私のメロディ創造力による最高傑作なんだ。私はそう思っている、あのソロの制作過程は最高だった。自分が良いと思うものを創る、それが自分にできる最善のことだ。世間が気に入るものを想像して創るなんてことはしないことだ。そんなことをしても上手くいかない。