1990年のGuitar Worldに掲載された40ページにも及ぶというスティーブ・ヴァイとジョー・サトリアーニのインタビュー。その一部がこちらで読めます。
ハリウッド・ヒルズにあるヴァイ先生のスタジオで長年の友人である2人がティーンエイジャーのころの思い出を語るインタビューは結構貴重かも。
2人のホームタウンはNY州ロングアイランドにあるCarle Placeという郊外の静かな町。2人の「知性派速弾きギタリスト」モンスターを輩出したことで、この町はギタリストにとって世界の中心になった、という紹介も面白い。
サト兄がヴァイ先生の最初のギターの先生だったという話は有名ですが、その詳しい話は興味深いです。
It started out where Joe was teaching a friend of mine who lived a couple of houses away. My friend was actually able to hit notes on the guitar, and I thought that was phenomenal. And he said, "Well, you should see my teacher; he can really play." I couldn't really afford lessons, so I chipped in with another friend and Joe taught us both at the same time.
俺の家の数軒先に住んでた友達をジョーが教えてたんだ。その友達は実際にギターでフレーズを弾けて、当時の俺はすげーな、って思ってたんだ。そしたら、そいつが「俺の先生に会ってみろよ。先生は本当に演奏できるんだぜ」と言うんだ。当時俺はレッスン代が払えなかったから、他の友達を誘って、2人同時にジョーに教えてもらうことにして、レッスン代を工面したんだ。(ヴァイ)
1年ほどそうしてレッスンをしたそうですが、やがてサト兄はヴァイの才能に気づいて、プライベートレッスンにしたそうです。(「5ドル余分に稼げるもんな」なんてヴァイ先生が笑っていましたが。)
当時、Tarsusというバンドをサト兄がやっていて、演奏曲を教えてもらったヴァイ先生はSusratというTarsusのミラーバンド(Tarsusの逆スペル)を作って、地元でギグをやっていたそう。なんか、微笑ましい。当時のヴァイ先生にとって年上のサト兄は完全な崇拝の対象だったとか。
2人はサト兄のホルクスワーゲンで町外れの空き地("Sea of Emotion"とサト兄が名づけてました)に出かけてはそこで語り合ったり、ただ景色を見てたりしていたそう。(青春ドラマみたい)
ヴァイ先生が高校に入学したころ、上級生だったサト兄は保守的な学校で少し変わった存在だったそうで、外見は学校一の長髪、教師との対立から何度も授業から退出、停学処分にもなっていたそうな。でも暴力とかとは無縁で、どちらかというと孤独な一匹狼タイプみたいですね。そんなサト兄のミュージシャン人生に影響を与えた音楽の先生とのエピソードはいい話です。
As soon as I learned three chords, I wrote a song with three chords in it. But when the lessons really kicked in with Wescott, one of the things he taught me to do was write away from any instrument. That was a heavy concept at the time. And also to take out some manuscript paper and write without really knowing what I was doing and put off reading it till the following day. Just to get into the frame of mind that you could write music that had nothing to do with your physical abilities on whatever instrument you were struggling with at the moment. And he said to me, "It might turn out that you 're not a very good guitar player. You might not be as great as Hendrix or whoever. But it doesn't mean you can't write good music and be a musician." Of course I probably said something totally rude to him. But I probably went walking down the hall thinking he was right, and that has helped me out quite a bit. Because I have come up against a lot of physical barriers that are stuck in Joe’s body. So thank God for those lessons where it was really pure music. It was intellect and heart bypassing the tendons and muscles.
3つのコードを覚えてすぐ、その3つのコードで曲を書いたんだ。でも、ウェスコット先生の授業が始まって、先生からどの楽器も想定しないで曲を書くよう教えられた。当時には難しい課題だったよ。とにかく自分でも何をしているのかわからないままに原稿用紙に曲を書いて、翌日まで読み返さずにいたり。今取り組んでいる楽器が何であれ、自分の身体的能力の限界を何も考えずに、ただ作曲ということに集中するんだ。で、先生が言うには、「もしかすると、君は素晴らしいギタープレイヤーでないことが分かる日が来るかもしれない。君はヘンドリックスやなんか程には偉大になれないかも知れない。でも、だからといって、君がいい作曲家でミュージシャンになれないということではないんだ。」もちろん、当時の俺は先生に物凄く失礼なことを言い返したと思う。でも、多分、先生が言うことは正しいと思いながら廊下を歩いていたと思う。このことはその後俺には物凄く役に立ったよ。なぜなら、俺はジョーの肉体にあった多くの身体的限界に直面したからさ。だから、純粋な音楽を学んだ先生の授業には心から感謝しているよ。腱と筋肉をつなぐように、知識と心をつないでくれた。(サトリアーニ)