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ジョー・サトリアーニ  カーク・ハメットのギターレッスン

カナダをツアー中のジョー・サトリアーニRockcellar MagazineBOROPULSEがインタビューしました。以下は一部の和訳です。
メタリカのカーク・ハメットにギターを教えた話、"Surfing with the Alien"のタイトルが当初は違うものだったなど、面白エピソードでした。来年4月に発売される本も気になります。

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CHICKENFOOTでマイケル・アンソニー、サミー・ヘイガーとプレイするのはどんな感じですか?

サミーはとてつもないソウル・ボイスを持ってるんだ。それに、マイケルはあまり知られていないかも知れないけど、高校から大学までトランペットをプレイしていたから、ミュージシャンの頭脳を持っているんだ。音やコードが頭にあるから、それらを頭で視覚化することで、フレットボードを見ずにプレイできてしまう。彼は素晴らしいミュージシャンさ。彼のベースと俺のギターはしっくりくるよ。彼はとても面白いし、スタジオではとてもクリエイティブだ。一緒にプレイできてうれしいよ。

G3について教えてください。

95年に始めたんだけど、他のプレイヤーと一緒に演奏するのがいいアイデアだって皆を説得するのに1年かかった。皆、一緒にプレイしても相手が目立とうとするんじゃないかって気にしてたんだ。
俺はギタリスト達を説得してまわった。ショウに来る観客はもうお目当てのプレイヤーがあるから、誰が目立つかってことなんかじゃなくて、プレイヤーは皆が仲間として、ギター音楽を祝い楽しむんだ、ってね。それでやっと始まったのさ。

あなたはスティーブ・ヴァイとカーク・ハメットのギター教師でもありましたね。

確か、カリフォルニアのバークレイにある小さな店で俺が教師をやってるときに、カークが来た。彼は多分高校生か卒業したてくらいだった。そしてレッスンをやっている間に彼はメタリカに参加したから、凄くいい時期に彼のレッスンを担当できたってことだな。

彼はギターと音楽に対してとても真剣に取り組んでいた。彼は新しい世代のギタープレイヤーとして新たなプレイスタイルを考え出したんだ。だってスラッシュ・メタルという音楽の構造では他の皆がやっているのと同じプレイをする訳にはいかないから。ああいうコード進行ではヴァン・ヘイレンやマイケル・シェンカーみたいにプレイすることはできない。リズムが攻撃的だから、新しいスタイルを考え出さなくてはならない。カークはスラッシュ・スタイルのリード・ギター奏法を創造した数少ないプレイヤーの一人だね。

ティーブについては、彼の参加したバンドのショウも見たし、一緒にツアーもしたけど、本当のスティーブ・ヴァイを見るためには彼のソロ・ショウを見るべきだ。もの凄く刺激的さ。

あなたの初フルアルバム"Not Of This Earth"は80年代のヘア・メタル全盛期において、とても実験的なサウンドでした。

誰とも違うサウンドを求めていたんだ。当時は速弾きのヘア・メタル全盛期だけど、そういうのはあまりにも画一的なんじゃないかと思ったのさ。俺はもっと広いジャンルの様々なアーティストが好きだ。それらのアーティストに共通することは何かと考えると、自分自身を持っていて、バンドシーンのバカ騒ぎなんかには決して乗らないところだ。その結果出来たアルバムだから、どのジャンルにも当てはまらないだろうね。

俺はこのアルバムをシャープネル・レコード(ジェイソン・ベッカーを発掘したマイク・バーニーが設立したレーベル)に持っていったら、うちには合わない。もっと髪を伸ばして、速弾きしろって言われたのを覚えてるよ。

それで俺は思ったのさ、ジェイソン・ベッカーみたいな凄く才能があって、あの速弾きをこともなげにやってのける奴が既にいて、しかも若くて今のヘア・メタル・シーンにぴったりなんだから、同じ方向を追いかけたってしょうがないだろうって。

だから俺は高校生の時から決めている自分のスタイル、人がこれまでに聞かなかったようなハーモニーをクリエイトするってことを続けようと思った。革新的な作曲を目指す上で、その曲が必要としない限りオーバープレイは避けてきた。時には速弾きもするけど、それは理由あってのことさ。俺は無意味なプレイはしたくないし、技を広告塔にするようなこともしたくない。そういうことは俺の趣味じゃない。自分のプレイがそうでないといいと思ってる。

"Surfing with the Alien"の有名なアルバムカバーですが、あなたはコミックの"Silver Surfer"ファンだったのですか?

あのアルバムタイトルを決めた時、俺はSilver Surferのことは何も知らなかったんだよ。アルバム発表の前に英国人ジャーナリストのインタビューを受けていて、そこでアルバムタイトルは“Lords of Karma”だと言ったら、タイトルを嫌われてね、それでタイトルを変えようと思ったのさ。誰にも腹を立てられないような、シリアスじゃない、コミカルなタイトルをつけようと選んだのが"Surfing with the Alien"だったのさ。

レコード会社のプロダクト・マネージャーに電話して話たら、そりゃあいい!ってことで、コミックの"Silver Surfer"のことを教えられたんだ。彼はコミックブックを送ってくれて、アルバムカバーにするよう勧められた。で、俺がOKすると、彼はマーベル社(コミックブック著作元)に知り合いがいて、すぐにライセンス契約をまとめてくれた。当時のマーベル社は経営が行き詰ってたし、Silver Surferも止まっていたからだろうね。

来年の4月に"Strange Beautiful Music: A Musical Memoir"のタイトルで本が出版されるそうですね。

音楽関係の自伝本なんかを書いているジェイク・ブラウンから本をやらないかって連絡をもらったので、彼と会って俺がかつて自伝を書こうとしてうまくいかなかった話をしていたら、「自伝にはしないで、音楽のことだけを書こう」と言われたんだ。彼が言うには、ファンが知りたいのは作品の1曲1曲の創作過程やそれに協力してくれた人、技術的な側面、面白いエピソードなんかだということで、それには俺も同意するよ。

俺には14枚のスタジオアルバムがあるから、彼とは永遠かと思うくらい、俺の1曲1曲について話した。彼はその後、プロデューサーやエンジニアやミュージシャン達にインタビューしに行っていた。レコード会社の話もあるし、もちろん山盛りのおかしな写真も掲載される。

本はほぼ完成していて、すごくいい本になると思う。でもマネージャーから出版記念ツアーをするって言われてて、ナーバスになるよ。
だってツアーに出るのに、俺はプレイしないで本屋の机の後ろに座ってるんだぜ。恐ろしいよ、俺はシャイなタイプなんだ。ギターをプレイすれば別の人間になれるんだけど、出版ツアーではどうしたらいいか分からないな。(笑)