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スティーブ・ヴァイ 「思考パターンを変えるイニシアティブを取ることが真実の自由」

スティーブ・ヴァイがネットメディアMoxipopのインタビューに応じました。
このインタビューは通常とは大きく異なり、「ギター・ヴァーチュオソ」のヴァイではなく、「哲学を学習し、造詣の深い」ヴァイを対象として、「成功、個人の選択、心の問題を解決する」ことについて語ってもらった内容です。

それゆえ、哲学を学習したことのない私には?な話ばかりで、英語でも日本語でも理解が追いついていません。そんな訳者の和訳ですが、ヴァイ先生の思考の片鱗を覘いてみたいなという方は読んでみてください。インタビューはpart2まであるんですが、今週はpart1で力尽きました。。。

それにしても、ヴァイ先生ってどこまでインテリなの?ロックスターの口から出てくるとは思えない高尚な単語と表現の数々に深く圧倒されました。

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Vai_evo_osaka2014選択の力について、悲観的な思考からの脱却についても話してらっしゃいますね。

自分の思考によって実際に自己をとりまく環境を創っているという考え方には一理あると思っているんだ。置かれた環境に身を委ねるという考え方は、その環境自体が偶然や必然のものだという前提があると思う。しかし私は環境というのは我々自身の思考や感情に基づいて創られたものだと考えている。環境を変えたいと考えているなら、思考を変える必要があるんだ。

我々は自分自身で創り出し、長年親しんできた思考パターンや信条にすっかり囚われているということを理解すること。これが自分自身による選択の第一歩となる。これまでの思考の檻から抜け出して、思考パターンを変えるイニシアティブを取ることこそが我々の持つ真実の自由なんだよ。これが選択の力だ。同時にこれは幻想でもある。 

人を取り巻く環境、経済状況や何もかも全ては内面の反映によるものだ。与えられた環境において自分が心地よいと感じる思考を選ぶんだ。ポジティブな思考というのは方程式の一部でしかないが、ポジティブな感情というのが何にも増して重要なんだ。

成功というものを定義してみよう。人がもがき、何かを心から欲していながら、実際のところそれを既に成しているのはよくあることだ。あまりにも目的に執着した結果だよ。ところが、成功の満足感は長続きせず、自分でも知らない間に次の欲求に目がいってしまう。世界的にも大きな成功を収めた人物が実際にはその達成に満足していないことはよくあることだ。 

成功は見かけどおりではないんだ。偉大なアスリート、発明家、芸術家はその成果について賞賛されるが、実際には彼らは自らにとって自然なことを行っているにすぎないのだ。本当の偉大な成果というのは人が通常よりもポジティブに考え、行動し、感じるよう自分自身を保ち続けることで達成される。

我々が求めるのは愛し、愛されること、求められ、尊敬されること。でも我々がこれらを通して真に求めているのは平穏と恐れからの開放なんだよ。しかしながら、これらは現実世界では決して見つからない。なぜなら世界は変化し続けているし、これは思考も含まれるからだ。思考というのは一時の幸福感をもたらすが、やがては我々の幸福という概念が変化するために、我々は常に幸福なままではないのだ。

成功を定義する方法は様々だ。その一つとして、成功というのはストレスのない人生をおくることとも言えるだろう。何かを欲する、又はそれを得ていない不安からの開放だよ。人生における成功とは平穏、自由、内なる喜びといった自分が自分であるための核を発見すること、それは自我や思考をも超越することだ。人が真の幸福を見つけることは可能であり、それは世間的に考えられている成功とは関係ない。

人生において真理を見つけるとはどういうことですか?

多くの人と同様に私の答えは正解で、それは「分からない」だ。

完全なる真理は人それぞれの信条も含めて精神の活動の基にある。完全なる真理は条件なしに、時間を超え、形のない、純粋な意識であり、我々の核となるものだ。万物に完全なる調和を発見したときに人生の真理を発見することができるだろう。

完全で変化のないものとは無条件下の意識だ。思考を含めた万物に引き起こる背景さ。この純粋な意識が我々の核であり、自分足らしめるものだ。それは人のアイデンティティや信念とは関係がない。それこそが世界を照らすもの、思考外の意識だ。それは我々の目の前にあり、あまりにも単純なもので、目には見えない。それは今この瞬間と表裏一体につながっている。それは永久にそれ自体であり、過去も未来もない。それこそが今なのだ。

だから私には真理を定義することはできない。それについて書かれたものは出鱈目でしかない。人生でそれを見つけたとして、どうやってそれが分かる?見つけたときには思考外の状態だ。完全なる認知の状態で、批判や評価や決め付け他、一切の思考のない状態なんだよ。

個人的問題を解決する上で、これは少しずつやっていけることでしょうか?

私はこういったことの専門家ではない。自分で納得していることを話しているだけだし、実は完全なる考え違いかも知れないのだよ。

個人的問題というのは我々の頭の中の思考にすぎない。実際には問題として存在すらしていない。それらは単なる繰り返される思考パターンなんだ。ある意味それがカルマなんだ。繰り返される思考パターンは成果をもたらすのさ、個人の思考は何らかの反応を導くからね。

思考とその結果の行動は必然だ。その過程は完璧に創られている、なぜなら我々は思考と欲望を超えることで真実にたどり着くからだ。それがカルマの終りだ。そこで初めて我々は完全に万物とつながり、根本となる知性が我々を導く。意識の進化は無限で強力なんだよ。

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私などはヴァイ先生の言葉の断片からその意図を想像するばかりなんですが、何と言うか、仏教の悟りに通じる概念のように感じました。ヴァイ先生はブッダとか思想や宗教関連の書物も沢山読んでらっしゃるようですが、1日10時間とかギター練習しまくる中でどうやって哲学に向き合ってきたのでしょうか。先生やっぱり凄いわ。