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グレン・プラウドフット part1 「9歳のとき兄貴がギブソンSGのコピーを買ってくれた」

今イチオシの激テク・ギタリスト、グレン・プラウドフットの活動は止まるところを見せません。つい先日も現在準備中というソロ・インスト・アルバムの中から"BAM!"を公開したかと思えば、チェコでの音楽活動の友人 Michael Kocábとのプロジェクトではアルバム “Aftershocks”を発表。ベースにビリー・シーン、ドラムスにヴァージル・ドナティを起用した意欲作です。(本アルバムは現在のところ日本未発売)

私の発見が前後したのですが、グレンは昨年11月には地元オーストラリア在住ミュージシャンとのメタルバンド、、The Nerve名義で9曲入りのアルバム “Audiodacity”を発表しており、こちらは日本発売あり。
どちらのアルバムもヘヴィなクールサウンドでグレンのギターが堪能できます。

昨年末にオーストラリアの音楽雑誌に掲載されたインタビューが公開されていましたので、和訳してみました。
グレンのロング・インタビューは初めて!彼の人柄やギタートークが盛りだくさんです!とても長いので2週に分けて紹介します。

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あなたのの生い立ち、ギターとの出会いを教えてください。

メルボルンの片田舎で育った。小学校なんて生徒が60人しかいないところ。俺は男4人、女2人の6人兄弟姉妹の真ん中さ。家族に音楽家はいない。でも家族は音楽好きだった。誰も楽器の演奏はしない、俺だけさ。記憶では4歳の頃、俺はもうギターに夢中だった。親がウクレレを買ってくれたんだけど、それを弾きながら家中を走り回っていた。

貧しい家だったから、俺が9歳のとき兄貴は学校を辞めて工場で働き始めたんだ。兄貴は初めての給料で俺にギターを買ってくれたんだ。兄貴は工場の誰かから買ったらしい。その頃のオーストラリアはAC/DCが大人気で、そのギターは(AC/DCのアンガス・ヤングが使っていた)ギブソンSGのコピーだった。俺は思ったね、「神様はいる!」って。だって俺の兄貴はギターのことなんか何も知らなかったのに、最高にクールなヤツを買ってくれたんだ。だからそれ以来、俺は真剣に練習を始めた。

最初は教則本もレッスンも手が届かなかった。だからラジオを聴いたり、レコードを聴いたりして学んだ。ただ耳で覚えただけだ。ある日兄貴の友達が家に来て俺にコードを教えてくれたときに初めて基本的な仕組みが分かったんだ。すぐに俺はいろいろ弾けるようになった。でもその背景にある理論や作曲の仕方は分からなかった。当時は全てが謎めいて思えたよ。俺はギターショップに出入りするようになり、皆に嫌がられながらも人に話しかけ、いろいろ聞いて、できるだけ知識を得た。

やがて、学校の友達の兄貴が俺にギターを教えてくれるようになった。6ヶ月くらい習ったけど最高だったよ。その後、俺は17歳になって初めてきちんとした先生に習った。彼はデヴィッドって言うんだけど、地元の素晴らしいギタープレイヤーでスタジオ・ミュージシャンさ。彼は俺の知識の溝を埋めて俺の進む道を励ましてくれた。当時の俺は最初からギターを学ぶにはあまりにも自己流に進んでしまっていたから。デヴィッドは異なるスケールがどう作られ、それで何ができるのかが分かるよう、やさしく俺を導いてくれた。彼は俺に多大な影響を与えた人だし、音楽において父親的存在だ。今でも連絡をとっているよ。

多くのミュージシャンが生活のためにするように、あなたもギター講師や雇われギグをやりましたよね。ミュージシャンになることはあなたの音楽に対するアプローチや姿勢に変化をもたらしましたか?

ミュージシャンってのは自分を多様に順応させなくちゃならない。でも俺は今の自分の状況を考えると凄くラッキーだと思う。俺はプラハの有名バンドでプレイしたし、そのバンドのシンガー、マイケルとのプロジェクトを始めたところだし。今の俺はレコード契約もあるし、弾きたいときにプレイできるから。

駆け出しの頃はやりたくないギグやレッスンもやったけど、それってミュージシャンであることの一部だろ。今俺にとって一番重要なのは曲を書くこと。ミュージシャンとしてやっていくために必要ならどんなことでもするさ。

ソロ・プロジェクトで起用するミュージシャンはどう選んでいるのですか?

プロジェクトによるね。マイケルとの新しいプロジェクトでは、曲を書いてから誰にプレイしてもらいたいか考えた。最高のドラマー、最高のベースプレイヤーに頼みたいってことで動いたんだ。(結果はなんとビリー・シーン、ヴァージル・ドナティ!グレンがコンタクトしたところ、デモを気に入ってOKしてくれたそう。)

ソロ・インスト・アルバムと"Animal"では情熱的な若いミュージシャンとやりたいと思った。若いやつらにチャンスをあげたいんだ。
今は自分が一緒にやりたいと思うミュージシャンと仕事ができる。でも彼らは多くのプロジェクトを抱えていてスケジュール調整なんて悪夢みたいさ。俺は若い頃、誰かが俺にチャンスをくれないかって葛藤してたから、俺のソロ・アルバムでは若いやつらにチャンスを与えたいんだ。

あなたがプラハプログレ・ロックバンド Pražský Výběr でプレイした、いきさつについて教えてください。

歴史のあるバンド。ソビエト連邦の頃はプレイすることが禁じられてて、アンダーグラウンドで活動していた、多くのファンがいるバンドだった。大変な時期で、バンドのドラマーは20歳かそこらで、オーストリアの難民キャンプへ脱出し、やがて1990年にオーストラリアにやってきた。でも彼がここメルボルンにくる頃には東ヨーロッパに革命が起こって、国境は開かれたんだけど、結局彼はここが気に入って住むことにしたんだ。

俺は2006年にオーストラリアで有名なシンガーと仕事したんだけど、このシンガーがチェコのドラマーと知り合いで、俺のことを話したんだ。彼と会ったときに、俺のプレイしてるDVDを渡したら、彼が国へ帰るときに持っていって、チェコのバンドメンバーに見せたら気に入られた。バンドのシンガーのマイケルが「俺のソロ・アルバムでプレイしてくれ」って言うからOKして、今度はチェコに来てバンドに加わらないかって言われて、参加したんだよ。

ソロ・アルバム“Animal”について教えてください。

メルボルンで仕事して知り合ったプロデューサーのピ-ター・ボウマンと始めたんだ。彼は俺から最高のギターサウンドを引き出してくれる。バンド・プロジェクトのThe Nerveが出したアルバム“Audiodacity”でも彼と組んでる。

“Animal”は俺が彼に16曲ほどのデモを送ってどう思うか聞いたら、「よし、やろうぜ!」ってことになって、スタジオに入り、一緒に曲を書き上げた。特にギター的には凄くクールでオーガニックなプロセスだったよ。作曲は細部までされている。俺はメロディやなんかにはこだわる方で、どんなに速く弾いていてもランダムに弾いてる訳ではなくて、すべての音は作曲してあるのさ。

このアルバムでは、俺のプレイを開放して、思い切り表現したかったから、そうやって発展していったのさ。俺にとって新しい体験といえば歌だね。ナーバスではあったんだけど、ピーターがいいぞ、って言うし、俺は彼を信頼しているから。最低のヴォーカルなら駄目だって言うはずだからさ。

時間をかけずに作ったアルバムだけど、その時の俺をよく表現できたと思ってるんだ。出来上がったアルバムを聞いたのは、ついこのあいだ、友達の車の中だったんだけど、凄くロックしてて気に入ってるよ。

続けて、2枚目のインスト・アルバムを作る予定なんだけど、今手がけていて、多分2014年の中頃になるかな。そうしたらツアーに出るつもりで、できれば複数の大陸をまわりたい。ツアーはインストとボーカル曲の構成で、スティーヴィー・レイ・ボーンみたいなヴァイブのあるものになると思う。

新しいメタルバンド、The Nerveについて教えてください。

10年ほど前にEzekiel Oxってシンガーに会ったんだ。彼はオーストラリアで人気のFull Scaleってバンドで歌ってたんだけど、俺は彼を見て、こいつは最高のフロント・マンだな、いつか一緒にやりたいって思っていたんだ。でも俺はその後ヨーロッパに行って、彼は他のバンドを始めたりで、タイミングが合わなかったんだ。でも共通の友人を通して知り合いではあったし、ある時彼に一緒に何かやろうって話して、彼も乗り気だったんだけど、その時はオーストラリアとヨーロッパの距離が問題だったんだ。でも数年前、俺が帰ってきたから終に一緒にやろうぜってことになったんだ。

これは俺がずっとやりたかったプロジェクトさ。Ezekielと俺は強烈なライブ・パフォーマーだし、俺たちの激しさと相性のミックスで何かを創り出せると思う。アルバムをリリースしたから、オーストラリアのツアーを始めたところだよ。