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Green (@ribbon_bear) が毎週好きな音楽ネタを語ります! Since 2011

ジョー・サトリアーニ 未来を切り開くエネルギーはゴミの中で見つけた一冊の本

ジョー・サトリアーニメディア取材に答えました。全スタジオ・アルバムのボックスセットと音楽自叙伝"Strange Beautiful Music"の発売に伴うメディア露出ですが、ビジネス・パーソンとしてのサトリアーニの一面が伺える、なかなかに興味深い内容でしたので、和訳してみました。

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それで、あなたはポップバンドをやっていたところ、ある日起業本を買って一晩でレコード会社と出版社を立ち上げたということですが、いったいどういうことだったのでしょう?

凄く可笑しな話なんだよ。1980年代の始めごろ、俺はSquaresってバンドにいたんだ。カリフォルニアのバークレーで精力的に活動してた3ピースのバンドで、倉庫街のリハーサル施設を使ってた。その建物はノウ・ハウ本なんかを出してた出版社とシェアしてたんだけど、その会社のゴミ集積場所ってのが俺たちが練習の合間の休憩に使ってた場所でさ、いつも不良本が山積みになってた。

どうやったら俺たちは音楽ビジネスでやっていけるだろうかって考えているうちに、その山積みの本を手に取るようになったんだけど、その中にはあらゆるビジネスの始め方を解説した本があった。1冊家に持ち帰ったところ、すっかり熱中したから、今度のバンド休業期間は真剣に読もうと思ったんだ。

あなたにはビジネスの経験はなかったのですか?

全くね。俺は新品の本を買いなおして、自分の出版社とレコード会社を設立してレコードを出そうと決めたんだ。俺は本のアドバイスに従って、書類を書き、オークランドの裁判所へ行って12ドル払った。これで俺はレコード会社のオーナーさ。まるでジョークみたいだけど、それで分かったんだ。実際には世の中の仕組みはこういうもので、別に思うほど複雑じゃないんだって。

俺はベースもドラムもキーボードも入ってない変わったレコードを作った。休みが終わってバンドのリハーサルに戻って皆に俺がクリスマス休暇中に何をしたか意気揚々と教えたのさ。「見ろよ、俺はレコードを作った。妻の名前をとったルビーナ・レコードって会社と出版社のオーナーだ。だからレコードの売り上げは全部俺に入ってくる!」もちろん、当時は入ってくるお金なんてなかったけどね。

そういう事をしたミュージシャンは当時ほとんどいませんでした。皆がレーベルに見出されるのを待つだけで、無論そのほとんどが永遠に待つ状態でした。

そのとおりだ。俺はそういう業界の権力者を追いかける必要はないと分かったんだ。今では音楽ビジネスも業界へのアクセスの機会はずっと平等になってきたけど、当時はコネがどうしても必要だった。口コミで広がるとかってのはなかった。あの本に出会ったおかげで、俺は未来を切り開くエネルギーみたいなものを得たんだ。

最初のEPレコードはどうしました?主要誌にレビューされたのではなかったでしょうか?

レコード会社のオーナーになって問題だったのは、レコードの注文は100枚単位だったってことさ。注文した後はレコードを聞いてくれる人が誰もいないってことが問題だった。当時、独立系レコード店の全リストを掲載していた雑誌があって、俺はそれで40~50の店を選んで、俺のレコードにメモを付けて送ったんだ。

「俺は名も知られていないミュージシャンだ。このレコードを売って金は取っておけ。構わないから。」

それである日、バンドのリハーサルをやってたら、ベーシストがやってきて、「おい!お前のレコードがGuitar Playerでレビューされてるぞ!」って言うのさ。

レビューを読んだら自分のことが分かったよ。彼らが考えてるジョー・サトリアーニってやつが魅力的でね。その時に分かったんだ。これこそが俺がなりたい人間であって、業界の慣わしに苦労しながらリハーサルばっかりやってる男じゃないって。自分の道を、起業家精神を持って突き進むんだって。

それが今の俺だ。俺はバンドを辞めて、自分のクリエイティブな面だけでなく、ビジネス面のコントロールもフルタイムでこなすようになった。俺にはビジネスの経験はなかったから、ただとにかくやってみるって状態だったけど、とても強い人間になった気分だった。

それであなたは1枚目のLP "Not of This Earth" を製作したのですね?

ああ。もっと多くの人にアピールするレコード、すなわちドラム、ベース、キーボードが入ったものを作らなくちゃいけないと思ったから。詳しい話は本に書いたけど、とにかく俺はなんとかレコードを作って、結果的にはNYの会社がプロダクションと販売をやるっていう契約が結べた。

ここではコネクションがモノを言ったのですよね?

俺の生徒だったスティーブ・ヴァイもアルバムを作って、あらゆる会社に断られてた。後にRelativity Recordsになる1社を除いてね。ある日彼から、「ジョーの新しいレコードのカセットを俺の知ってるヤツに送っていい?ジョーのは俺の変なレコードよりはるかにマトモだから、彼らが俺のを気に入るなら、もしかしたら…」その会社はスティーブと俺のアルバム両方の話を進めてくれた。

その会社はクリフ・カルテレリがマネージメントをしていて、彼は本当にアーティストをサポートしてくれる素晴らしい人なんだ。俺はとても幸運だったよ。ビジネスでは常に個人のリレーションが必要だからね。彼は今でも俺の親友の1人だ。

ほとんどの新人ミュージシャンはレコード契約できることがうれしくて、どんな条件でもサインしてしまって、後から後悔することになりますが、あなたの場合は違ったようですね。

俺にとっての成功は20代後半にやってきた。俺は10代のころからバンドのツアーに参加して、音楽ビジネスのいいところ、悪いところ、汚いところも見てきた。自分のレコード会社を設立したのもいい勉強になったよ。

俺がRelativity Recordsに会いに行ったとき、俺はビジネス面で利用されないミュージシャンだった。だから俺は自分の著作権を全て所有しているし、新人ソロ・アーティストとしては魅力的な条件の契約が結べた。でも俺は自分のことをビジネスマンとは思っていない。自分の作品を全ての面でコントロールすることが必要だと考えているアーティストだと思っている。

G3が始まったいきさつについて教えてください。

ある日、フランスでその夜のショウの準備をしていたとき、親友のスティーブ・ヴァイはオーストラリアだし、他の友人も皆が世界中でツアーに出ていることに気づいたんだ。友人皆がショウを世界のあちこちでできているっていうのはとてもうれしいよ。でも同時に、じゃぁ俺はいったい何時になれば友達とプレイできるんだ?って思った。

俺はツアーから戻ると大物プロモーターのビル・グラハムのオフィスに行って言ったよ。「全てうまくいってるけど、孤独な気分だ。自分がプレイする街では自分の2ヶ月前か後に俺の友達がプレイしてるんだ」有名になる前の仲間意識や、ただ友人と一緒に音楽をプレイする楽しみが恋しかった。

その午後、オフィスでどうやったら他のアーティストとプレイできるかってことを話し合っているうちにG3のアイデアが浮かんできたんだ。いろいろ方法を考えるうち、俺が友人と毎晩ステージでプレイするっていう形式にまとまってきた。

俺は観客が俺と同じように思うだろうと信じてた。もし新聞を開いて「ブライアン・メイジェフ・ベックジミー・ペイジが○○劇場で6晩連続のジャム・セッションを開催!」って書いてあったら、俺なら6晩全部のチケットを買うね。彼らが通常のライブ、すなわちニュー・アルバムのプロモーションとは別に、ただ一緒にプレイするとしたら、それを見るのが楽しみでたまらないよ!俺のようなファンにとっては、究極の夢のステージさ!

だから俺のファンもきっと同じように思ってくれると思った。最初のG3ゲストになるエリック・ジョンソンスティーブ・ヴァイとのステージを楽しみにしてくれるって。

これは素晴らしいアイデアだったけど、これを売り込めなかったら意味がない。だからまずは地元のプロモーターに売り込んだ。でもこれは凄く難しかった。なぜならプロモーターの商売っていうのは商売の卵を同じバスケットに載せないってことが重要だからね。

彼らにとっては3人のアーティストのチケットを別々に売ったほうがいいですから。

それにもちろん、俺は3人のヘッドライナーによるショウでギャラは同額を要求した。説得するのは大変だったよ。

さらに今度は、スティーブとエリックを説得するのに1年近くかかった。これはコンペにはならないということを分かってもらうのが大変だった。さっき言ったように、俺が観客として見ていたら、ジミーとジェフとブライアンの誰が上手いかなんてことは考えもしない。ただ大好きなミュージシャンのプレイを見て天にも昇る気分だろうってことをさ。

「観客は俺たちを比べたりしない。俺のファンは俺のレコードを全部焼いて君らのところに走りはしない」って説明した。

俳優だとこう言うだろ、「動物と子役とは仕事をするな」
ギタリストでは、「他のリード・ギタリストとは仕事をするな」って不文律がある。そこで俺は「逆をやってやろう。互いの隣に立って、思い切りプレイしてお互いに楽しむのさ。それの何が悪い?俺がいい夜もあるだろうし、君が上手い夜もあるさ!」

とにかく俺は大きな声で説得したのさ。俺が言うのを聞いて彼らも「そうか、ジョーがそういうなら、そうかも知れない。皆もそうかも」って思ったんだ。

もし私が音楽で身を立てたいと思っている若いミュージシャンだとしたら、あなたのアドバイスは何ですか?

できる限り自分でコントロールすること。音楽の勉強だけでなく、音楽ビジネスの勉強もすること。音楽とビジネスの面で自分が知らないことを認識してそれを解決するよう努めること。音楽ビジネスそれから音楽以外のビジネスの世界のからくりを紐解くことに貪欲であること。

その一方で、実務的、現実的な頭の中の声をシャットアウトしてクレイジーなアーティスト活動に取り組むこと。

これら2つのことは全くの正反対に思えるだろうけど、ただ純粋なアーティスト、またはビジネスマンであっては生き残れないと思うからだ。ビジネス面だけでは観客をひきつける輝きが生まれないし、輝きだけのアーティストでは他人に利用されてしまう。両方必要なんだ。

そしたら、優れた人たちで周りを固めて、自分の作品とキャリアをコントロールできるよう知識を確保しろ。そうしなければ、誰かにそれをコントロールされてしまう。