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ビリー・シーン 「デジタルレコーディングが全てを変えた」

ビリー・シーンがオーストラリアのメディア インタビューに応えました。音楽ビジネスや在籍してきた様々なバンドについてなど、多岐にわたる内容から興味深かった部分を和訳してまとめました。

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Billy_2あなたの長いキャリアの中で、音楽業界に起こった数々の変化を目撃されたことと思います。MTVの始まり、CDが出来て10年超でネット、ダウンロード、iTunesなどが登場します。これらの中で最も大きなインパクトがあったのは何だったでしょうか。

ああ、俺は長いこと生きてきたから、車輪の発明やら火の発見やら全てを目撃してきたのさ(笑)。

俺がクラブでダンスの演奏を始めた60年代後半の頃はレコードを作るなんてことは考えもしなかった。やっと俺がレコードを作ると暫くしてCDが登場した。そしてデジタルミュージック、デジタルレコーディングの革新が起き、誰でもホームスタジオでアルバムを作れるようになった。

最大のインパクト1つを挙げるのは難しいが、デジタルの波がミュージック、オーディオを覆ったその当時、変化がスピードを増したのだと思う。今や、音楽のレコーディング、配布、保存、操作など以前にはなかった方法で可能になったんだから。思うに、デジタルレコーディングの革新というのは実に大きなイノベーションだ。それにはCDも含まれるし、編集も含まれる。

つまり、どこでも、いつでも、どんな方法でも完璧にできる編集のことさ。けれどそれには2つの面があって、諸刃の剣なんだ。全てをフェイクするのは簡単だ、まともに歌えない奴を歌の上手い奴に仕立てることが出来る。だから、デジタルレコーディングが全てを変えたのだと思うね。

今日の音楽業界を見て、将来が不安になりますか?それとも良好でしょうか?

将来は明るいんじゃないかな。1979年や80年にいいスタジオを持っている人は限られたけれど、今はラップトップさえあればチャンスがあるし、当時のスタジオがどんなに金をかけても出来なかったような事がそれでできるんだ。いいアルバムを作るのは簡単になったし、今やアルバムは基本的にラップトップで常に作られるんだ。

つまり、これで全てのミュージシャンにとって平等な競争の場がもたらされたのさ。でも興味深いことに、これがなかった時代と比べて名盤は生まれていないんだ。思うに、才能あるミュージシャンは以前と同じくらい存在するはずなんだ。ただ、レコーディングして記録し、他の人に届ける方法が全ての人に開かれている。ネットに繋げて数クリックで数億人の人々と繋がることができる。つまり、広告宣伝の機会は無制限にあるんだ。

その一方で、結果として現在の音楽において最も強力で、ダウンロードできず、フェイクすることもできないことがライブパフォーマンスなんだ。むろん、大規模なショウではフェイクも多少あるけれど、普通のバンドでクラブ演奏をするのなら、歌えて演奏ができなくちゃいけない。デジタルではフェイクできるけれど、オーディエンスは本物の生演奏が見たいのさ。だからライブで本当に演奏し歌えるバンドは大きなアドバンテージがある。

音楽業界のサポートがない今日、フルレングスのアルバムはまだ有効なのかどうか議論がありますが、どう思いますか?

音楽業界のサポートなんて必要ないんだよ、もはや製作に金が要らないんだから。今じゃアルバムなんてとても低コストで作れる。さっきも言ったが、ラップトップもソフトウェアも比較的安く手に入るし、自分で販促もできるんだ。これのいいところは、レコードディールと闘えることさ。

「レコードディール!レコードディール!」と皆が騒いでいるけれど、今の時代もはやレコードディールなんてものは無いんだ。クリスティーナ・アギレラビヨンセみたいな超ビッグなネームには今もいくらかのレコードディールってのはあるかも知れないが、普通のバンドであれば、レコード会社なんてものは忘れて、自分でやればいい、そうすれば自分で全ての権利を持てる。

過去、多くの偉大なバンドが悲惨な契約にサインして、報酬も得られず、搾取され、無視され、酷使され、ウソをつかれたんだ。そういうのは音楽業界の一般的な慣習だったのさ。もしこれが別の業界だったら、彼らは服役して刑務所に入ってたさ。どういう訳か彼らはああいった全てのことを法的に問題ないってことにしてしまった。搾取されたミュージシャンたちが得られなかった報酬はとんでもない金額だ。

経験者の声のようです。

アトランティック・レコードの社長は MR.BIG の俺たちに700万枚アルバムを海外で売って1,200万ドルの収益だって自慢してたからさ。俺たちは顔を見合わせて「何てこった、俺たちは全くもらってない」って感じだった。俺たちの報酬とはかけ離れた数字だった。あの金は誰の手に入ったんだ?俺たちじゃなかった。でも今のバンドはビジネスに賢くなってきていると思うよ。

MR.BIG のニューアルバム Defying Gravity についてですが、"1992" はバンドのことを歌った面白い曲ですね。

ああ、あの曲はファンの共感を得ているようだ。俺たちがライブでプレイすると皆が "The good people listened and they pulled us through/ I was number one in 1992" のところを一緒に歌っているんだ。俺はいつもここでオーディエンスを指差すのだけど、皆が喜ぶんだ。彼らはそれが自分たちでこのバンドを支えたってことが分かっているからだよ。

当時、レコード会社は "To Be With You" もアルバムも気に入らなかったんだ。リリースもしたがらなかったけれど、俺たちのマネージャーが要求したんだ。レコード会社はプロモーションもしないと言った。

マネージャーがラジオのDJに "To Be With You" を掛けてもらうと、リスナーの反応があがるようになり、ラジオで掛かるようになった。レコード会社はそれが信じられずに人をやって確認させたんだぜ。俺たちが金を払って友人にリクエストしてもらっているんじゃないかと疑ってね。そんなことが出来るんならとっくにやってたさ。

そうこうするうちに、"To Be With You" はどんどんチャートを昇っていって、遂にはNo.1になったのさ。すると彼らの態度は一変したのさ、「あれを初めて聞いたときからヒットすると思っていた」だとさ。神に誓って本当の話だ。

Sons Of Apollo について話してもらえますか。

ああ、このバンドの件は完璧に準備が整うまで極秘にしてきた。素晴らしくラウドなアルバムができたよ、一級品さ。完璧に作るのは骨が折れたけれど、複雑でありながら楽しめる音楽だ。良い演奏の為にメンバー全員の高い能力が必要だったけれど、結果にはとても満足している。

ジェフ・スコット・ソートは1985年の夏に Talas がイングヴェイ・マルムスティーンのオープニングをして以来の知り合いだし、いつも彼と仕事がしたいと思っていた。ロン "Bumblefoot" サールとも何年もの知り合いだし、彼は Talas のファンで古い Talas の曲を全部知っているんだ。マイク・ポートノイとデレク・シュレニアンと俺とはいくつものプロジェクトで一緒にやってきた。

俺たち全員にとってこれは好きなタイプの音楽をプレイする機会で、マイクとデレクにとっては Dream Theater 以来、初めて本物のバンドで共にプレイする機会だから、彼らはとても楽しんでいるよ。俺にとっては、彼らのような名のある人物とプレイし、ライブをやる機会は素晴らしいことさ。来年ライブをやるのが待ちきれないし、アルバム Psychotic Symphony は10月発売だ。

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ビリーが語る "To Be With You" のリリースエピソードは、こちらの過去記事で、ヌーノが語った "More Than Words" のリリースエピソードによく似ています。あの頃のバンドとレコード会社の関係や、信じた曲をリリースするのに苦労したこと、人気が高まる過程、成功後にレコード会社からバラードを強要される苦難まで、ほぼ同じ。

今のアーティストの方が自由にやれて幸せなところもあるのかも・・・