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ロッド・モーゲンスタイン 「Wingerは実のところ、フュージョン・バンドなんだ」

Winger のロッド・モーゲンスタインが米メタルシーンのご意見番エディ・トランクの番組に出演しました。普段 Winger では語ることのないロッドがメディアに登場したのは、ロッドの参加するプロジェクトバンド The Jelly Jam (King's X のタイ・テイバー、Dream Theater のジョン・マイヤング参加)がニューアルバムをリリースし、短いツアーを行うことに伴なったもの。

ロッドの40年にも及ぶキャリアから語られるエピソードが大変興味深かったので、概要を和訳してみました。

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Winger は最近とてもアクティブだよね。ライブも素晴らしい。

ありがとう。Winger は実はシリアスなミュージシャンが集まったバンドなのに、あの時代にあまりにも誤解されてしまったバンドなんだ。実際、先週にはキップの初めてのクラシックアルバムがビルボードチャートでNO.1になったんだ。

知ってるよ。キップにはお祝いの言葉を送っておいた。

キップは私がこれまでに共に仕事をしてきた中で最も優れた才能の持ち主の1人だ。彼とこれ程に深く仕事をしてきたことはとても幸運だよ、私がスティーブ・モースと仕事ができたことのようにね。他にも多くの優れたミュージシャンと仕事をしてきた。

ひとつ知りたいのは、君はプログレ音楽界では既に名の通った人だったのに、違うジャンルの Winger に参加したのはなぜかということなんだが。それに80年代のロックシーンがクラッシュしたときに Winger は最も痛手を受けたバンドの1つだったけれど、君自身についてはその影響はどうだったんだい?

感情的には堪えたよ。でも私のキャリアに対する影響と言う意味では大きくなかった。Winger の Pull ツアーが終わって、私たちがそれぞれの道を行くことにしたとき、私はフュージョンの世界に戻ったんだ。Dixie Dregs は再結成したし、個人的には問題はなかった。

私がそうやってフュージョンの世界に戻ると、フュージョン界のミュージシャンに言われるんだ。なぜお前は金の為に(フュージョンからロックに)身売りしたんだ、とね。確かに私が急に Madalaine のMVに登場したのを見たらそうなるのかも知れない。不思議なことにインスト音楽でなくボーカル音楽をやることで急に金が入ってくるんだ。

でも、音楽で身を立てようともがくミュージシャンにとって、運がよければ成功の扉が開くことがある。私の場合それが幸運にも Winger だったということさ。

でも興味深いことに、Winger は実のところ、フュージョン・バンドなんだ。私は第一日目からこのバンドでプレイできることが嬉しかった。何しろこのバンドの曲ときたら、例えば Seventeen の歌詞は軽薄だけど、タイムに関して、音楽的にはあの曲は簡単に演奏できるものじゃない。

リフはとても複雑だし、キップがあのシンコペーションの嵐の中でどうやってベースを弾いて歌っているのか不思議だよ。Winger の曲はどれも音楽的に質が高いんだ。今でもキップが私をオーディションしてバンドに誘ってくれたのが不思議なんだが、恐らく私が全く異なるバックグラウンドを持っているから興味を持ったのだろう。つまり、フュージョン音楽のリズム要素をロック音楽に持ち込みたかったのだと思う。

Headed For A Heartbreak の最後では通常のロックドラマーがやらないようなクレイジーなソロを私が叩くし、Seventeen ではギターソロの後でドラムビートを逆回転させる。多分そういう風に私の能力を使うことをキップがクールだと考えたのだと思う。

なるほど、でも初めて君を Winger のビデオで見た私の友人達は「Dixie Dregs のロッド・モーゲンスタイン!こんなところで何やってるんだ?」と口々に言っていたよ。フュージョン界の連中はヘアメタルなんて見下していたし、Wingerのファンは君がどんなキャリアを持った人物かも知らなかっただろう?

ああ、その通りだね。でもWingerが Seventeen のビデオでMTVに登場し、本当にシーンを駆け上がり始めたとき、ミュージシャンの知人たちが私のところに詰め掛けて、Seventeen のギターソロの後でタイムが変わって音楽が逆回転するのを聞いて「あれは何なんだ?」と聞いてきたんだ。そうやって今までに聞いたことの無いものに対して彼らが興奮してくれるのは嬉しいね。

これはジャズ/フュージョンの世界では「グルーヴの置き換え」と言うのさ。グルーヴを8分や16分音符でシフトさせるのさ。そうしてリスナーの意表をつき、彼らの頭を混乱させるんだ。それは少し続いてすぐに元の曲に戻る。面白いのはこの説明を聞かせた著名なフュージョン・ドラマー達、ビリー・コブハム、スティーブ・スミス、デイヴ・ウェック、サイモン・フィリップス、ヴィニー・カリウタ、 このリストはまだまだ続くんだけど、誰も1度としてその名前を知らないのさ。(笑) 

ところで、君がハードロック界へ入ることになった経緯を教えてくれないかい。

私は大学で、Dixie Dregs になる人たちと会ったんだ。70年代中ごろバンドを結成してそれから8年間、6枚のアルバムを出したりとキャリアを築いていたんだ。そしてスティーブ・モースからトリオバンド、Steve Morse Band でやらないかと誘われて参加し、アルバムを2枚出した。85年終わりから3ヶ月にわたって Rush と Power Windows Tour をやったんだ。その時だよ、私のドラマーとしての人気が一夜にして高まったと思ったのは。何しろ私は Rush のニール・ピアートのオープニング・ドラマーなんだから。

そのツアーが終わって、スティーブが Kansas に誘われたんだ。彼は私たちメンバーに対して悪いと思っていたようだけど、Kansas はクールなプログレ・ロックバンドなんだ、それはやるべきだと彼に言ったのさ。それで彼は Kansas に加わった。そして私は86年にはジョージアの自宅でどうしよう、これから何をしようとなったのさ。プロのキャリアとしては11年になっていた。

それで、Steve Morse Band のマネージヤー、ラリー・メイザーに電話したんだ。彼はNYに引越していて、ちょうど Cinderella に関係していた。彼が電話で、「ドイツのバンド ZENO が新人バンドとしてロック至上最大の契約を結んだぞ!彼らがNYでドラマーのオーディションをやるから参加しろよ」と教えてくれたんだ。

それでNYでオーディションを受けて、気付けば彼らの欧州ツアーに参加して、ハノーバー、ロンドンと周り、最後のショウはニューキャッスルQueen のオープニングをやったんだ。でも86年の秋にはまた自宅に戻って、さてこれから何をしようかということになった。

1つ聞かせて欲しいんだが、Dixie Dregs での君のミュージシャンとしてのプログレッシブなプレイスタイルからロックのスタイルへの変化というのは、より主流の音楽シーンへの適応をしようと努力したのかい?それともギグの仕事として別のスタイルをプレイしたということかい?

もちろん仕事が必要だったということはあるけれど、私は自分のルーツに戻ろうとしていたんだ。アメリカの子供達のルーツがジャズ/フュージョンってことはないだろう?私はラジオで Led Zeppelin なんかを聞いて育ったんだ。私は地元に残ることもLAに行くこともできたけれど、何のアイデアもないのにNYに戻って通りを歩いていたんだ。私は大学の仲間とバンドを始めたから、どうやってバンドをやるのかも分からなかったんだ。

私はドラマーとしての名前は知られていたから、NYのミュージシャンからジャムの誘いは沢山受けた。そんな人脈のツテで、日本の有名なミュージシャン、喜多郎が北米ツアーのドラマーを探しているという話があったんだ。当時私はロングアイランドでドラムのレッスンを担当していた状態だったから、とても興奮したよ。それで紹介してくれた人に会いにいったんだが、喜多郎はLAに入って既にドラマーを採用してしまったという話だった。

礼を言ってそのオフィスから去ろうとしていた時だったよ、ドアの向こうから音楽が聞こえてきたんだ。NYのミュージシャンがレコードレーベルに断られ続けているけれど、ずっとデモを作っていて、8トラックの機材を使わせてやっているという話だった。マネージメントをしているので、彼らに会ってみるかと聞かれて、会うことにしたんだ。ドアを開けるとそこにはキップ・ウィンガーとレブ・ビーチがいた。

レブは Dixie Dregs の大ファンで、スティーブ・モースは彼のギターヒーローのトップ2なんだよ。彼は緊張して私の顔をまともに見ることもできなかったんだ。(笑)

レブが「キップ、キップ!彼が誰か分かる?Dixie Dregs のドラマーだよ!彼はスティーブ・モースとプレイしてたんだよ!!!」と必死に言ってるんだけど、キップは「俺は知らない」だった。(笑)一方の私はギグがない状態だったから彼らの前できまりが悪かったしね。

彼らがやってたのは Madalaine のデモテープで完成曲よりもずっと遅いバージョンのだった。でも聞いてみるとその曲が気に入ってね、いいじゃないかと言うとレブが、「こんなの気に入らないでしょう?行き詰ってるんです。お願い、あなたが必要です!」と泣きつかれたんだよ。

するとキップから、「俺たちはこれから20数名のNYのロック・ドラマーをオーディションするつもりだけど、レブがあなたにもの凄く興奮してるから、よければ数日のうちに俺たちとジャムしませんか?」と誘われた。それでOKしたんだ。

NYでは多くのミュージシャンとジャムしていたのだけど、彼らは私が Dixie Dregs 出身で変わったドラミングをするのに興奮していた。当時の私はロックを見下したフュージョンスノッブだったんだよ。

でも素晴らしい友人がロックのシンプルなドラミングというのはバカだからやってるのではない、それが曲に合うからで、ロックに敬意を払ってプレイするべきだと教えてくれた。

だからキップたちとジャムする時にはベーシックなロックドラミングに徹していたんだ。私はドラム・フィルさえせずに、キック-スネア-ハイハットをやっていた。

するとキップが演奏を止めて、「何してるんだよ?レブからあなたはもの凄くクレイジーでリズミックなのを叩くって聞いてたんだけど?」と言われてね、「意図的にそれはやらなかったんだ。ロックバンドのオーディションでそんなのやったら追い出されるだろう?」と答えた。

「俺はこのバンドを他のバンドとは違う、特別なものにしてくれるドラマーを探しているんだから、あなたのプレイをして欲しい」とキップが言うので、喜んで私のフュージョンサイドの演奏をしてみせたよ。それが私が Winger に採用された理由さ。

君がフュージョンの世界から出てきて Winger で成功してくれて嬉しいよ。急に客席に女の子を見るようになっただろう?フュージョンのライブではいないんじゃないかい?

その通り。Dixie Dregs のショウではたった一人の客席の女の子が退屈してボーイフレンドに時計を見せて早く帰ろうとするからね。(笑)

私の40年を超えるキャリアの中で誇りに思っているのは、私が様々なスタイルでプレイしてきたということだ。それら全てで、私は自分がプレイする音楽に最高のドラマーであろうとしてきた。

例えばWingerを見に来た人が「何だよ、あんなジャズみたいなドラムを叩く奴」と不満を持って帰ることにはしたくない。「あのドラムは力強くて最高だった、でも何かこれまでに聞いたことのないものがあったな」と言われるようにしたいんだ。

ああ、Wingerのライブに来た人には分かったと思うよ。君らは常に素晴らしいライブをやってる。君らがフェスなんかで演奏すると、昔と変わらず凄い演奏を見せているのに皆が感嘆してるんだ。

ありがとう。確か2003年に Poison や Cinderella とフェスで会ったときに、 Poison の CC が楽屋で「わぉ、今回のツアーにはフュージョンバンドがいるぜ~」って言ってたな。とても面白い奴だよ。

バークリーで教えているそうだけど、そのいきさつを教えてくれるかい?

あれは97年のことだ。バークリーのパーカッション学部からコンサートを手伝って欲しいと言われたんだ。当時無名だったジョーダン・ルーデス(現 Dream Theather)を紹介されてデュオをやらないかと勧められたんだよ、そして Rudess Morgenstein Project をやったんだ。

それを見た学校側から、今度は学校で教えてみないかと誘われて、助教授として教えるようになった。それが10年続くと今度は昇進して教授になったんだよ。

今では18年と半年の間バークリーで教えていることになる。6年前にはオンライン教育科からロックドラミングのカレッジコースをやらないかと言われて、1500時間にも及ぶビデオ教材を製作した。これには本当に力を注いだんだ。60年代から今に至るまでの300以上のロックドラムを譜面にして、100以上のバッキングトラックを作った。これには Winger のジョン・ロスが随分協力してくれた。(ロッド教授のオンラインドラムレッスンはこちらです)

私には人生を変えた3つの出来事がある。1つは中学の頃、尊敬していた先生に高校を卒業したらマイアミ大学に行くよう勧められたこと。

2つ目はマイアミ大学でジャズの即興ピアノを弾いていた私のところへ知人が来て、「君、ドラムが叩けるそうじゃないか。友達が腕を怪我しちゃったから、代わりにバンドでドラムを叩いてくれ」と言われてリハーサルに行くとそこにティーブ・モースがいて、そのバンドは Dixie Dregs になったんだ

3つ目は Dixie Dregs がバーで演奏していたら、The Allman Brothers Band でピアノを弾いてたチャック・リーヴェルが聞いてて、私たちを気に入って彼の助けでレコード契約ができたことだ

不思議な運があったと思うけれど、そのドアを開くには常に活動的であること、街に出てプレイしていることが大切だ。誰が聞いているか分からないからね。求人やオーディションに出かけていたから、あの日あのビルでキップやレブと出会ったのだよ。

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ロッド教授がピアノを弾くのは知っていましたが、大学でやっていた音楽はピアノだったんですね! Winger のアルバム Karma の First Ending でロッド教授が弾くピアノが聞けます。

2年ほど前に左肩を怪我したロッド教授ですが、現在はすっかり回復しているそうです。いつまでも元気にドラム演奏してください!