Stay Together

Green (@ribbon_bear) が毎週好きな音楽ネタを語ります! Since 2011

スティーブ・ヴァイ 「大学時代というのは人生の重要な時間だ。若くて、多くの仲間と知り合った」

今年の5月に54歳で亡くなったロック・ベーシスト、ランディ・コーヴェンについて、友人だったスティーブ・ヴァイが語りました。バークリー時代の思い出をこうして語るのは大変興味深いです。若くてキラキラしていた時代の思い出を和訳してみました。

この記事が掲載されているサイトにはコメントが付いているのですが、当時をバークリーで一緒に過ごした数人の方々が言葉を寄せています。ランディとヴァイ先生のリハーサルを聞いたというヴァイ先生の隣の部屋だった方など、コメントもぜひチェックしてみてください。

==========================================

私がランディと初めて会ったのは、バークリー音楽大学に入学した頃だ。若い頃には、少なくとも私には、バークリーに入学するってことは幾分恐ろしいことだったんだ。誰もが自分よりも優れたギター・プレイヤーに感じたからね。

どうやってこんな所に溶け込んだらいいんだろう?って考えたのを覚えているよ。明らかに凄い才能の持ち主がいたんだ。私はそこで何人かの知的で飛びぬけて上手いギター・プレイヤーと知り合いになることができたのだけど、とても信じられなかったよ!

皆は何というか、各人のスキル・レベル別にいくつかのグループを作っていったのだけど、ランディはちょうど私のレベルの一つ上のグループに属していたんだ。彼のプレイは本当に驚くべきものだった。当時はジャコ・パスが人気だったから、彼はフレットレスのベースを弾いていたんだけど、上手いのさ!トーン、指使い、ピッキング、とにかく最高でね。

私は彼の腕だけでなく、共通しているところにも惹かれてたんだ。私たちは外見が大まかに似ていたし、同じような髪型だったから、ホールを歩いているとよく間違えられたんだ。同じような色の服を着ていたし、同じギグ・バックを使っていたりしたから。

彼は色々なバンドに在籍してた。一つはWinter、もう一つはBattle Axe ってバンドで、このバンドのギタリストはローン・リエバーで、速弾きの中の速弾きだったよ!(笑)きっとこの文章全ては掲載しないだろうけど、こうしてあの頃を思い出すと笑いで腰が痛くなりそうだ。(笑)

とにかく、私とランディはウマが合ったのさ。ユーモアのセンスも似ていた。とても親しくなって、よくつるむようになったんだ。それに、彼は私と一緒にプレイするには上手過ぎるほどで、自分は彼ほどのレベルに並べるとはちっとも思わなかったのさ。

やがて色々と起こって、私は友達のデイヴ・ローゼンサルとバンドを始めたんだ。何人かドラマーが変わったけど、エディ・ロジャースが入って、ベースにスチュ・ハムが入った。スチュは長くバンドにいたんだけど、おかしなことに私はスチュとランディのどちらが先にいたメンバーか思い出せないな。。バンドの名前はMorning Thunder って言うんだ。

大学時代というのは人生の重要な時間だ。若くて、多くの仲間と知り合って、楽しみな未来が、人生が待ち受けている、夢と希望に満ち溢れている。だから仲間と強い絆ができる、それは特別のものだ。高校の友達を思い返すようだよ。

私はランディといろんなことをやった。私たちが連絡を取り合って、彼が私たちのバンドに参加したのは夢のようで信じられないよ。彼はとてもいいヤツで、どんな挑戦にも準備できてた。私たちはとにかく、難易度が高く、変わった面白い音楽を演奏しようとしたものだった。

大学のリハーサル・ルームを使うには順番待ちをしなくちゃならなかったから、よく朝早くから順番待ちをしていたのを覚えているよ。時には何時間も複数の部屋を押さえてた。そのために朝の6時に起きて並んだものさ。早起きして並ぶのはもう毎度のことで、部屋が取れれば、それはもう何時間もリハーサルしたものさ。

私たちは皆が演奏不可能なレベルの曲を持ち寄っては、それが弾けるまで練習した。ランディはどんな曲でも弾けたし、彼がソロを弾くと、それはもう美しいのさ、彼の指には素晴らしいタッチが宿っていてね。

あれは、私の人生のうちで、特別で素晴らしい時間だった。私たちには本当に絆ができていたのさ。バークリー卒業後、私はフランク(・ザッパ)と働くために引越し、その後はソロとして活動してきた。そのため、不思議なことに私たちは一緒にプレイする機会が巡ってこなかったんだ。

私はよくランディに電話しなくては、と考えながら頭を掻いていたものだった。少なくとも会って一緒にプレイすべきだった。でも、彼はいつも忙しく、私はいつも何か別の仕事をしていたか、私たちはいつも世界の違う地域にいた。私たちは連絡を取り合っていたし、何度も出会ってはいたんだ。

ランディはいつでも暖かい人柄で活気にあふれていた。ユーモアのセンスも最高でね。彼はユーモアいっぱいの皮肉屋で機知に富んでいたし、一方で他人の感情に気配りのできる人だった。

ランディは音楽的レベルにおいて、ベースに深く傾倒していた。彼は明らかにキャリアの全てを通して頭の先から足の先まで、ベースに身を捧げていたんだ。

私はいつも彼がいつビッグなメタルかロックバンドに見出されるだろうかとアンテナを張っていたんだ。ランディのスタイルはロック、ジャズ、フージョンからなる至高の混合スタイルで、彼独自の演奏法によって、上手いなんていうレベルを超越していた。彼は偉大な演奏家を目指していたのさ。

彼は多くのバンドでプレイしたけれど、彼は常にロックバンドにいる普通の上手いプレーヤーの一歩上、いや数歩上のレベルのプレーヤーだった。彼には音楽的才能があって、ベースプレイに独自の声を持っていたからね。楽器のことじゃなくて、彼自身の内にあるベースのことさ。だから、彼がソロ・アルバムを出したのは良かったよ、彼なら当然だ。