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ジョエル・ホークストラ  vol.1 ギターを始めたのは11歳~ リハなしで立ったNight Ranger のステージ

Whitesnake の新ギタリスト、ジョエル・ホークストラがメディアのインタビューに答え、彼の半生を語りました。Night Ranger 以前の彼のキャリアについては全く知らなかったので、大変興味深い内容。

彼とギターの出会い、下積み時代~キャリアのターニング・ポイントまでは、決して華々しい物語ではないのですが、だからこそ地に足の着いた彼のキャラクターや音楽業界の現実を伝えてくれます。

ジョエルの幼少期からWhitesnake加入に至るまでを語った超ロング・インタビューのため、2回に分けて掲載していきます。インタビューの概要を和訳してみました。

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Joel Hoekstra Interview on The Double Stop  (←音源はこちら)

君の生い立ちを教えて。

僕はシカゴの南西部郊外で育った。NYには出てきてもう14年になるよ。

両親はクラシックの演奏家だったから、僕は3歳でチェロを、7歳でピアノを習い始めた。2歳年上の姉がいるんだけど、彼女はピアノが上手かった。一方の僕はレッスンについていけなかったんだ。僕が音楽を演奏するのに夢中になったのは11歳でロック・ギターに出会ってから。AC/DCのアンガス・ヤングを聞いてからさ。当時、友達はロックを聞いていたけど、僕の家ではロックを聞いたことはなかったんだ。両親はクラシックばかりかけてたから。だから、ロックを聞いたときは何てクールな音楽だろうってワクワクしたよ。

そんなクラシックの家庭で育って、ロックをやりたいってご両親に言ったときの反応はどうだった?

僕が音楽演奏に興味を持ったことを喜んでくれたよ。まさか僕がロック・ギターで生計を立てることになるとは思わなかったけどね。で、エレキギターを手に入れたんだけど、ブラック・サバスとかのリフを聞いて指1本で音を出してた。パワーコードも知らなくてさ。友達からパワーコードを教えてもらったときは、何てクールなんだろうと思ったよ。そうか!リフはこうやって弾くんだ!指をもう1本使うんだな!って。(笑)

クラシックの演奏家の両親を持って子供の頃に習わされたことは当時は何か分かっていなかったけど、僕がコミュニティ・カレッジでクラシック・ギターを学んだ頃には確かに役立ったよ。

初めて組んだバンドはいつ?

Out Cry ってバンドで多分15歳だったと思う。半分カバー曲、半分オリジナルをやってるバンドで、カバーはDokkenStryper をやってた。当時の僕は短髪で、真面目なタイプだったけど、彼らのようなメタル・バンドはギタリストが高いスキルを持ってたから好きなんだ。だからヘア・メタルって言葉は嫌いだ。バンドではオリジナル曲をもっと書いて、スタジオ・レコーディングしたり、ギグも何度かやった。凄いように聞こえるかもしれないけど、僕のギターはまぁ15歳が弾いてるギターっていう程度のものだったけどね。

80年代の音楽シーンは最高だったよ。(ジェイソン・ベッカー等のギタリストを発掘していた)マイク・バーニーはどんどん若いテクニカルなギタリストをシーンに送りこんでたし。僕は親にギターをやりたいから高校を中退させてくれって頼み込んでた。15歳の夏頃は1日5~6時間はギターを弾いてたと思う。

ギター教師には習ったの?

ギターを習い始めたのは、例のパワーコードを教えてくれた友達に聞いて、一緒にモールへ行き、ギター教師を紹介してもらったんだ。彼には1年半習ったけど、ただ好きな歌を習って、リズム・ギターを弾くだけでね、スケールの練習もしなかった。楽しくてギターを始めるには良かったと思う。それに彼が良かったのは、TAB譜なんかを使わずに、僕が覚えられる範囲でレッスンをやったんだ。だから僕はレッスンが終わると大急ぎで家に帰って、忘れないうちに一生懸命に復習したよ。

ロック・ギターをバンドでプレイするには、曲を暗記してなくちゃいけないから、彼のレッスンは良いトレーニングになった。僕はその日のレッスンをムダにしたくないから、その場で覚えて、家に帰ってすぐに練習していたから。僕の2人目のギター教師は地元バンドのギタリストで、同じモールで彼を雇ったんだ。ソロやフォーム、スケールを習った。

(彼にNight Rangerの"Rock In America" の8フィンガー・タッピングを教えてもらった。僕は確か14歳で、何度も繰り返し練習して、目を閉じても弾けるようになるまでやった。この時の成果が何年も後にNight Rangerのケリー・ケイギーの目に留まることになった。)

16歳くらいからはロックよりもジャズやクラシック ギターをプレイするようになって、エレキギターやバンド活動はあまりやらなくなったんだ。高校を卒業してコミュニティ・カレッジに入った2年間はジャズやクラシック ギターに集中してた。それからGIT(ハリウッドのMusicians Instituteの中のギター専科GIT)に入ったのが90年か91年で12ヶ月間はエレキギター漬けの日々を過ごした。講師と友達になったり、クラスメイトとは今でも連絡を取り合っているよ。ギター以外のことは全て脇においてギターに集中してた、あれは凄くいい経験だった。

卒業してからはどうしたの?

僕は19か20歳で、シカゴに戻っては成功できないと思ったんだ。ロスのチョロキー・スタジオってスタジオに雇ってもらって1年働いた。最初は雑用だったけど、すぐに技術部門に移動して色んなミュージシャンのレコーディングに関わったよ。安月給で大変だったけど、GITでの経験と同様に凄くいい経験ができた。でもロサンゼルス暴動が起きて街は燃えてるし、大変なことになったんだ。

それでシカゴに戻った。ひとつのターニング・ポイントだね。地元に戻るのは、自分に夢を実現させる程の強さがないってことを認めることでもあったから、辛かったよ。友達とバー・バンドでギターを弾きながら、ギター教師をしてた。週に60~70人くらい教えてたよ。それが僕の20代さ。

バンドのギグの方はだんだん大きくなってきてた。Jefferson Starshipで歌ってるキャシー・リチャードソンのバンド(シカゴで人気の高いバンドだった)で弾くようになって、彼女は自分の曲を歌ってて、僕のギャラも良くなった。Survivorのジム・ピートリック(キャシーの友人)は年に1回やってきて、僕がハウスバンドで弾いてた劇場でヒット曲を演奏するようになったんだ。これが27~29歳の頃でその年齢にしてはとてもうまくいってた頃。ここが僕の大きなターニング・ポイントになったんだ。なぜなら僕はその劇場でNight Ranger のケリー・ケイギーに会ったからね。(ケリーがNight Rangerのヒット曲をプレイする時にギターを弾いたら、僕の8フィンガー・タッピングに感心してくれた。)

君は80年代の速弾きギターに触発されて、GITで学び、90年代を過ごしたんだけど、その時代の変化をどう見てたの?

すごく勉強になったよ。速弾きのソロなんかはカッコイイけど、それだけじゃなく、バンド・プレイヤーとして求められる様々な要素の勉強と経験が積めたと思う。バック・ボーカル、パート・プレイ、フックのあるプレイや他の楽器演奏とか。

僕は若くしてスターにはなれなかったから、ギター演奏の仕事であれば何でもやったんだ。スウィング・リバイバルやジャズ・デュオの後ろで弾いたり、結婚式で演奏もした。

当時ジャズ・バンドでプレイしてたんだけど、ロスに行って、Musicians Institute でギグをすることになった。その時のリハで、ドラマーのヴァージル・ドナティとベーシストのリック・フィルバラッチに会ったんだ。ロック・フュージョン界の有名人とプレイしたのは嬉しかったよ。それが縁で、僕の1stソロアルバムの "Undefined" で2人には演奏してもらったんだ。これは僕のターニングポイントになった。シカゴの無名ギタリストが著名なミュージシャンとアルバムを作ったんだから。

もうひとつのターニングポイントは、キャシー・リチャードソンがジャニス・ジョプリンのミュージカル(Love, Janis)をやることになって、シカゴで始まったからこれに参加してたんだ。ショウはNYを目指す前にハンプトンで少しの間上演することになって、最後の最後でギター・プレイヤーが必要になってさ、数日しかない中で覚えるのは大変だったよ。ハンプトンでの2~3ヶ月間の1週間8公演っていうレギュラー出演は僕にとって初めての経験で、大きなステップアップになったと思う。確か僕は29歳だった。

君は生活のためにありとあらゆるギタープレイやギグをこなしていたんだから、そういうものが全てこういったショウでの演奏に役立ったんじゃないかい?

ショウは別物なんだ。でもこの時点の僕のプレイには成熟したものがあった訳でもなくて、クールな演奏ができるよう、ただ自分のプレイに集中してただけさ。自分のキャリアに落ち込むこともあったけど、そういう気分は克服するようにしてた。ただ昨日の自分よりも進化したプレイを目指していただけ、それは今も変わらないよ。

そしてショウはNYのビレッジに進出して、500席くらいの小さな劇場だったけど、そこで結果的には2年間上演したんだ。ここでの2年間は僕の人生を変えた。ステージ・マネジャーだった妻と出会ったからね。ショウが終演になっても、シカゴへ帰ろうとは思わなくて、NYで新しいスタートをしてみることに決めたんだ。終演後の2~3年は忙しくしてたよ。セカンド・ソロアルバムの "The Moon Is Falling" を作ったのもこの頃で、またヴァージルとリックにプレイしてもらった。

君の2枚のアルバムはレーベルから出ているの?

違うよ。全部セルフ・リリースだ。(笑)だって僕にはレコード契約なんかなくて、ずっと人の曲をプレイしてきたんだから。でもソロアルバムのおかげで、Guitar Worldからいい批評をもらったり、クールなギター・プレイヤーから問い合わせがあったりして嬉しかったよ。

ジャニスのショウで一緒だったミュージシャンとTURTLESってバンドで、あちこちでギグをやったり、ツアーにも出た。僕はそれまでローカルのバンドかスタジオでの演奏経験しかなかったから、とてもいい経験になった。ジャニスのショウがシカゴに戻ることになって、シカゴの劇場でプレイしたときに、ケリー・ケイギーに再会したんだ。

Night Ranger からジェフ・ワトソンが脱退して、彼らはWhitesnakeのレブ・ビーチを代役に起用してた。僕はケリーに、「僕に電話してくれたらよかったのに」って言ったんだ。

そしたら、ケリーは僕の言葉を覚えててくれて、後日電話をくれたんだ。「レブがWhitesnakeに戻るからショウに出れない日がある。俺たちはそのショウをキャンセルすることもできるけど、君やってみる?ただし、俺たちが日本でショウをやって帰国してすぐになるから、リハーサルする暇はない」僕はクレイジーにも、イエスって答えた。

子供の頃から彼らのファンで特にギタープレイやソロが好きだった。全アルバムは持っていたけど、7~8曲しか覚えてなかったから、大急ぎでセットリストの曲を覚えた。それでライブ会場へ飛んで、ジャックやブラッドと初めて会ったのはショウが始まる直前だった。たしか2007年の夏だったと思う。