MR.BIG のパット・トーピーがメディアのインタビューに答えました。長いインタビューのうち、日本のファン周知の話などを省略しつつ、日本のこと、病気のこと、今後の活動などについて和訳してみました。
来月にはパットとエリックが来日してエリックのソロ・アコースティック・ライブが見れますし、どうやらMR.BIG のニュー・アルバムに向けた何かは始まっているようです。全体を通して強さ溢れるパットの言葉に目頭が熱くなってしまいました。
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あなたは若い頃にドラムを始めて、MR.BIG等で成功を収めましたが、長年の努力が報われたことはいかがでしたか?
素晴らしいよ。諦めなかったことが良かったんだと思う。20代後半になった頃、僕の両親は息子が人生で成すべきことを見つけられないんじゃないかと心配していたけれど、僕はただただドラムプレイに賭けてたんだ。よく思うのだけど、何であっても芸術活動を成功させる要素の大部分は執着心や粘り強さなんじゃないかと思うんだ。それが僕の長所の一つでもあるんだよ。音楽の天才でなくても構わない、ただ諦めないこと。
成功を目の当たりにすることはもちろん嬉しかったし、自分の人生の居場所を見つけることができて、家のカウチに(ダラダラ座ってすごして)25セント玉を探したりしなくてよくなった。実際に僕はハリウッドに住んでいたしばらくの間はそんな生活だったのさ。
粘り強さは人生全てにおいて重要ですね。
そのとおり。僕はよくその質問を受けるんだ。多くの若い人なんかが「成功するにはどうしたらいいのでしょう?秘訣を教えてください」って聞くけれど、「秘訣なんて無い。ただ諦めないこと。粘り強く自分の夢実現のためにやっていくこと」って答えるんだ。陳腐に聞こえるかもしれないけれど、それが真実だからだ。
MR.BIG の大きな成功の大部分は日本におけるようですが、何が要因だと思いますか?
そうだな、僕らがデビュー・アルバムを出す直前、ビリーとポールには既にベースとギターのプレイヤーを基にした多くのファンがいて、彼らは訪日していたんだ。楽器エキスポなんかに出演していて、そこではビリーとポールが同じバンドでプレイするってことで話題になってたんだ。そういうのを見聞きして僕らは「日本へ行かなきゃ」って思ったんだよ。
そして行ってみたらその時からもう熱烈な歓迎を受けた。世界のどの国よりも早く僕らの人気は始まり、大きくなっていった。今でも僕らは日本でとても人気があるのだけど、それは彼らがとても忠誠心の強いファンだから。僕らと彼らは素晴らしいコンビネーションなんだ。
いつも言われるんだけど、「ああ、君らは日本でビッグだ、だって日本人はアメリカのロックバンドなら何だって大好きだもんな」 そんなのは間違いだ。そんなこと当然だなんて思ってはいけないし、僕らは決して思わない。僕らが繰り返し日本へ行ったのはファンの需要があったからだ。僕らは需要があるのなら行こう、鉄は熱いうちに打とうと考え実行したんだ。
興味深いです。日本人は好きなバンドに対して忠実ですよね。
僕らは日本のファンと共に成長してきた。去年も僕らは日本へ行って武道館でライブをやった。ファンの年齢層が広がっているのを目の当たりにしたよ。僕らと共に成長してきたファンは、僕らが初めて訪日したときは若者で、知り合いになり友人になった。彼らは歳をとり家族を持つようになってもまだ僕らのライブを見に来てくれる。
僕らのファン層は若者、中年層、祖父や祖母の年代まで広がっているんだ。母親や父親が子供を連れて来てくれて一緒に歌っているんだ。素晴らしいよ。
(この後のMR.BIG 再結成のいきさつやパットがパーキンソン病と診断された時の話は日本のメディアで詳しく取上げられていますので割愛します)
パーキンソン病ということは今までやっていたことが同じようには出来なくなるということかと思いますが。
ああ、僕は多くの事を受け入れなくちゃならなかった。以前のようなドラマーではいられない。20歳の頃に出来たことが50代後半になって出来なくなることは沢山あるよね。それが人生というものさ。
この病気は老化よりも厳しいけど、良いところは僕の症状は十分にコントロールできるってことさ。パーキンソン病って聞くと誰もが体の震えを想像するだろう?もちろん震えはある、だって神経のコントロールが欠如するんだから。
でも投薬治療によって、僕は今それを受けているんだけど、症状は最小限に治まっているんだ。君と僕が会ったとしても、僕がパーキンソン病だと知らされなければ、君は何も気付かないだろう。僕自身は体の振るえに気付くし感じるけれど、僕は至極普通に振舞うことができるんだ。でもドラムプレイには差し障りがある。プレイには研ぎ澄まされた神経と筋肉のコントロールが必要だからだ。
基本的には、この病気にかかることで以前自分がやっていたことは出来なくなるけれど、それとは別の方法で物事にアプローチするようになる。そうだよ、出来なくなるんじゃなくて、別の方法を見つければいいんだ。僕はそのアプローチをやっているんだよ。
僕は日々強くなっている。日々やらねばならないことに以前よりもずっと自信を取り戻しているし、人生は順調さ。
(この後の...The Stories We Could Tell の製作についての話は日本のメディアで詳しく取上げられていますので割愛します)
あなたはマイケル・J・フォックス財団のサイトでゲスト・ブロガーになりましたが、これはあなたが同じ病気を持つ他の人の役に立つことで自分自身のセラピーにもなっていますか?
(訳注:パットが財団に寄せた文章はこちら)
ああ。彼らは親切にも僕にあれをやらせてくれたんだ。去年の僕はベットから出る気分にもなれなかったりしたから、あれは僕にとっても良いステップになったよ。僕は「今日は何をしたらいい?ただ座って自分を哀れむだけか?」みたいな日々をすごしていたこともあったから。
少しでもクリエイティブになること、特にレコーディングやツアーなど、朝起きてやらなくちゃいけないことがあることは良かったよ。そしてマイケル・J・フォックス財団のことは僕にとって新たな別のポジティブなステップだったんだ。だって、人は自分の病気と向き合わなくちゃいけないだろう?そうしなければ治療することもできない。
これは僕自身の心の整理をするためにもとても役立ったんだ。とてもポジティブなステップだった、もう少しこの活動を続けたいと思ってるんだ。僕が役に立ちたいと言ったら、彼らは何か考えようと言ってくれたんだ。楽しみにしてるよ。
それは素晴らしい。あなた自身のためになると同時に他人の役に立っているんですから。自分の心情を吐露することで貢献しているんです。
その通りさ。僕も他の人がこの病気と向き合う話を読むことで病気の理解に役立ったんだ。同じように僕の話を読むことでこの病気をもつ人にポジティブな貢献ができると思う。
最初、僕はパーキンソン病のことをプレス・リリースする時には原稿を前にして4~5時間も思い悩んでいた。やらなきゃいけないのは分かっていたけど、GOをかけることが出来なかったんだ。
でも一旦リリースしてしまえば、とても安堵できて「何をあんなに心配してたんだろう?」て思った。自分で分析してみるに、皆に病気のことを知らせることは、自分が別人になってしまったということになるんじゃないかと思ったんだ。何かが全て大きく変わったというように。だからとても躊躇していたんだ。
でも実際には、これで次に進めると思った。大きな一歩だったよ。マイケル・J・フォックス財団のことは自分が経験してきたことをもう少し詳しく説明するというもので、別の大きなステップになった。とてもポジティブにね。
あなたが躊躇したのはとても自然なことですよ。誰だって病気だからと言って違う人だと思われたくないですし、以前と同じように接してもらいたい。自分を哀れみたくもないし、人にそう思われるのも嫌でしょう。
ああ、全くその通りだよ。今までと同様に接してもらいたいんだ。もちろん多くの人やファンに「大丈夫ですか?」って聞かれたけれど、僕は気にしないよ。彼らはただ親身になっているのを示しているだけだから。僕はこの先何が起こるか分からないということを恐れていたんだ。でも人生なんてそういうものだ。未来のことなんて誰に分かる?だから今は何も心配することはないよ。
2015年には MR.BIG のライブにあなたも参加していましたけど、今後の予定は?
ああ、今もいくつかあるけど、できるのはずっと先になるよ。今現在はビリーは他のプロジェクトがあるし、ポールは父親になったところだから手一杯だ。エリックと僕とは彼のソロ・アコースティック・ライブについて話したんだ。「エリック、是非一緒にやろう。2人だけでも」って言ったんだ。多分これはやることになるよ。
MR.BIG ではあまり先の計画は立てないんだ。でも、できれば僕らは新しいサイクルに入りたいと思っている。だってやらない理由なんて無いんだから。バンド内のスピリットは高まっているし、全てがうまく行ってる。近いうちにまたやりたいと思っているよ。
(この後はパットに影響を与えたドラマーや音楽、MR.BIG のメンバーが聞く幅広い音楽について。またこのサイトがホラー映画もカバーしているメディアのため、好きなホラー映画の話をしています)