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ヌーノ・ベッティンコート 「More Than Wordsをリリースするのは本当に闘いだった」

ヌーノ・ベッティンコートが "More Than Words" 25周年について、メディアに製作およびシングルリリースに至るまでのエピソードを語りました。とてもいい話だったので、和訳してみました。私は最後に語られるエピソードが大好きです。

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"More Than Words" の作曲は他の楽曲とは違いましたか?

いや全く。俺は全て同じやり方で作る。腰を落ち着けて「よし、ヒット曲を書くぞ」なんてやり方はしない。"More Than Words" は夏の日に家のポーチに座って、確か夕暮れ時だったと思う、ギターを弾いていたんだ。コードから浮かんでくる曲もあれば、メロディから浮かんでくる曲もある。

この曲は珍しくただ浮かんでくるままに弾いたんだ、さらにメロディが自然と口をついて出てきて歌えた。「ワォ!いったいどうしたんだ?」って感じだった。それに、俺がギターでパーカッションぽいことをするだろう、そんなの以前はやったことないのに、その場でひらめいたんだ。曲の全てがそこで出来上がっていた。

マイクロ・カセットを持ってきて、曲に合わせて歌ってみた。俺はもうハーモニー・パートを歌っていたんだ。たったの1時間で曲が出来たんだ。4トラックに録音して、急いで聞いてみた。

それから急いでゲーリーの家に行って、入れなかったんで彼のベッドルームのドアの下からカセットを差し込んで、「聞いてみてくれ」て言ったのさ。彼はそれを聞いて、歌詞を考えた。俺達で直ぐに完成させたんだ。

とてもシンプルな曲だ。スタンダードな バース - コーラス - ブリッジ のアレンジもない。「デカいサビがくるから準備しろよ」って典型的なバラードにあるパートはないんだ。とりとめのない曲さ。でもそれがこの曲の美しさなんだよ。自然で美しいんだ。

まだあなた方が1stアルバムのツアーをやっているときに、この曲をライブで演奏していましたよね。オーディエンスの反応から、この曲は凄いと分かりましたか?

ああ、もちろん。曲を書いたときも興奮したけれど、オーディエンスの反応を見るまで、曲が彼らと深く結びつくかどうかは分からない。ライブ毎に俺達には手ごたえがあった。レコードレーベルに電話して「これを聞いてくれ!」って言ったのさ。

でも彼らは曲を聞いても当初は曲のリリースに反対だったのですよね。

俺達はマネージメントとレーベルからこれはヒットにならないと聞かされた。いいかい、これは MTV Unplugged の前だったんだ。この手の曲に行き場所なんてなかった。この頃のロックバンドはパワーバラードをやってたんだ。でかいドラムと大量のコーラスでさ。2人の男がアコースティックでハーモニーを歌うなんて、「なんだよこれ?アダルト・コンテンポラリーか?」って感じで、最後に聞いたのは70年代のジェイムズ・テイラーだ。

俺は闘った。この曲をリリースしなかったら、ツアーを止めて、バンドを脱退するって彼らを脅した。俺が全力で闘った結果、マネージメントとレーベルが市場テストをするってところにこぎつけた。「これで何かになるとは思わない」と言いながら彼らは金を払ってフェニックスのラジオで月曜に3回オンエアさせた。

翌日マネージャーから電話で「喜び過ぎるなよ、でも電話リクエストでトップ9に入った」と知らされた。翌日にはもっと順位が上がった。そして週末にはナンバーワンだった。それなのに彼らはまだリリースするのを拒んでた。また別の市場でテストして同じことが起こった。この曲をリリースするのは本当に闘いだった。

マイケル・ワグナーはこの曲のレコーディングに対してミニマルのアプローチを決めるところには参加していたのですか?それとも彼はストリングスやオーケストレーションを付けたがったのでしょうか?

正直に言うと、彼は通常のやり方ではアルバムをプロデュースしなかったのさ。数曲はプロデュースしていない、俺がやったんだ。彼のことは好きだが、彼が参加する前には俺たちはベーシックトラックを全て仕上げてしまっていた。レーベルは俺達だけでプロデュースはさせなかったんだ。マイケルが俺達の仕上げたものを聞いて「(これだけ仕上がってるのに)レーベルは俺に何の用なんだ?」と言ったんで、俺達は「最高だ!マイケルを雇おう!」って決めたんだ。彼はミックスをやってくれた。けれど、あの曲のアレンジは俺の仕事だ。

レコーディング中は誰もこれがヒットになるとは思わなかった。レーベルからは沢山のサポートをもらった。ハーブ・アルパート、アル・カファルト、ブライアン・ハッテンホウワーら。ハーブはこのアルバムがプラチナアルバムになるって信じてた。でも彼はそれがこの曲のおかげでそうなるとは思わなかったのさ。

ラジオ編集ではあなたのギターブレイクがカットされていますが、あなたにとって厳しい妥協でしたか?

いや。ギターを切られたのはいいんだ。ひどいのは最後のフックをカットされたことさ。冗談じゃねぇ!あれにはマジで頭にきた。後で考えれば理解したよ、長い曲だったからさ。でも当時は頭にきてた。

あの曲がナンバーワンになったと知ったのはどこにいた時ですか?

海外ツアーに出ていた。インターネットも携帯もなかった時代だ。家族からの電話では「ヌーノ、ラジオに出てるぞ」、ガールフレンドからは「ずっとMTVでかかりっぱなしよ」って聞いてた。フランクフルトにいたとき、あの曲はヒット曲じゃないって最初言ってたマネージャーから、「ビルボードから電話があった。明日、君の曲はナンバーワンになる」って電話があったのさ。

確か午前2時とかそんな時間だった。おれは下着1枚の姿でホールへ駆け降りて、メンバーの部屋の扉を叩いたんだ。皆「何だよ?」って感じだったけど、「俺たちの曲は明日ナンバーワン・シングルになる」って伝えた。

多くのアーティストがこの曲をカバーしていますが、あなたが気に入っているバージョンはありますか?

いや特に。そうだな、ジミー・ファーロンとジャック・ブラックのが気に入ってるよ。(笑)

彼らは見事なビデオクリップの再現をしてますよね。

ああ。あれはシンプルな曲だからさ、グルーヴを加えたりすると、R&Bでやってたけど、大切なものを逃してしまうんだ。一番シンプルな形がベストなんだよ。でも俺はクレイジーなのも聞きたいね。俺はパンクロック・バージョンをやってみたいんだ、クレイジーだろ。

ある意味、あの曲はもう俺達のものじゃない。あれ自体がモンスターのようにデカくなって、旅立っていった。俺たちが育てた子供が巣立って自分の人生をおくっているような感じさ。あれを書いた瞬間から、あれはもはや俺たちのものじゃなかったのさ。

そういえば、ボブ・ディランがかつて「俺が曲を書くんじゃない。風に乗ってやってくるんだ」と言ってましたね。

本当さ。ただ頭にスペースをつくって、心をオープンにしてそれを迎え入れればいいんだ。曲が必要なものを決めるんだ。G-C-Am (コード進行)にしようなんて考えて作るものじゃない。俺はそんなことはしてない、ただ自然と浮かんできたんだ。

この曲を重荷と思ったことはありませんか?

(この曲についてバンドにとって)「幸運?それとも不運だった?」と聞かれるけれど、驚いて開いた口が塞がらないね。俺たちは "More Than Words" を書いた、とても誇りに思っている。それはほとんどの国でナンバーワンになった。

最初の湾岸戦争の間だって、兵士たちからあの曲が彼らにとっていかに重要かって手紙をもらったんだ。あれはヒットだって言ってるんじゃない、おれはバーガーキングで働いてるんじゃないんだ。あの曲のおかげで多くのファンが俺たちのロック曲を聞いてくれたんだ。

あれがもたらした唯一の悪いところは、ヒットした瞬間からレーベルは俺たちに次のアコースティックソングを要求してきたんだ。皆がもの凄く欲深くなった。最初はアコースティックソングなんてダメだって言ってた同じ人間がだぜ。

次のアルバムで彼らはアコースティックソングはどれだ?と言ってきた。でも俺たちはアコースティックのバンドじゃない。俺は庭のポーチで曲を書いてそれがヒットになったんだ。"More Than Words パート2" を書く気なんてなかった。そういう風にはできないんだよ。

"More Than Words" はまだラジオで毎日かかっていますよね。素晴らしい気分でしょう?

信じられるかい?すごいよ!おかしな場所であの曲を聞くんだ。バーガー屋に1人でいたときに曲がかかったんだ。振り返ったら後ろにカップルが座ってた。彼女は歌を口ずさんでいたよ、歌詞を全部知ってたんだ。でも彼女は(俺を見ても)俺が誰か全く分かっていなかった。

最近では、ツアー中ホテルに滞在していたとき、階段を下りて大きな宴会場を通りかかったんだ。中から"More Than Words" が聞こえてきたから、中を覗いたんだ。そしたら新郎新婦がこの曲で踊っていたんだ。数秒それを見てから俺は扉を閉めた。「OK、俺のここでの仕事は終わった」 ってね。