Stay Together

Green (@ribbon_bear) が毎週好きな音楽ネタを語ります! Since 2011

スティーブ・ヴァイ 「最高の夜の為に練習するのではない、最悪の夜の為に練習するのだ」

スティーブ・ヴァイがインタビューに応えました。昨年の Passion And Warfare 25周年ツアー終盤に行われた雑誌インタビューが公開されましたので、その一部を和訳してみました。

先生のユニークなサウンドがどうやって生まれたのか、Alcatrazz 時代の秘話、ヴァイ・アカデミーについてなど興味深い話が盛りだくさんです。

====================================================

ギタープレイヤー達はあなたの持つアイコニックな特徴に魅力を感じています。あなたは実に多くの素晴らしい音楽を世に送り出してきました。"ヴァイイズム"の象徴ともいえる、あなたのリックやメロディなどがリスナーとしてと同様にに多くのギタープレイヤーに対していかにインパクトを与えるのかということを、当時のあなたは認識していましたか?

そんなことが起こるとは思いもしなかったよ。私が若い頃は、学び、レッスンを受け、私のヒーロー達のレコードを聞いていた。素晴らしいブルースやジャズ、クラシック・ロックなどをね、それらが私は大好きだった。でもそれらはとても自分の手の届かないものに思えたんだ。

彼らを象徴するプレイには、自分には彼らほど上手くできないと思わせるものがあった。素晴らしいブルースを聞いても「素晴らしい、でもこれは自分にはプレイできないな」と思うと同時に「なぜ僕が彼らのプレイをしなくちゃならない?もう既に誰かがやってるのに」と思ったんだ。

とまあ、これは14歳の心理なのだが、実際に私がやったのは当時私が聞いていたヒーロー達と必ずしも同じではないリフなどを探り始めたんだ。そうして、自分が弾いている奇妙なリックが自分にとってワクワクするものだとに気付いた。

まだ曖昧だったが、それらは地図のように姿を現し始めていた下絵のようなものだった。それで私はただそれを続けていったのさ、それが何がしかユニークなプレイスタイルを生み出しているとも知らずに。

私は何年にも渡ってレコーディングを続けてきたが、私はいつでも自分のプレイが何がしかの自分の印を刻み付けない限り、本当には満足しないのだ。私は常にそれを求めているし、私が求めれば常にできる。「ここでやろうとしていることは音楽的ではあるが、あながち平凡ではないか?」と自問しているのさ。

だから、何かプレイすることで自分の中でボタンが押されるんだ。「ああ、それだ!それが私の声だ!」とね。たいていは私のちょっとした奇妙なプレイがふざけたような、メロディックサウンドになるんだ。それが私のやり方なんだ、ずっとそうやってきた。

「自分の声」が良く分かるようになってきて、私はさらに自分のユニークさを追求するようになった。恐らくこれが私の持つユニークさの手がかりなんだろう。私は自分のスタイルを偶然と無邪気さゆえに発展させたということさ。

私は Alcatrazz のパサデナでのライブを見たことがあります。確かそれはあなたがバンドに入って3度目のライブでした。"Too Young To Die" のソロでイングヴェイがスウィープしていた箇所をあなたはタッピングで弾いたのが記憶に残っています。あれは素晴らしかった。

ありがとう。あれは随分練習したんだよ。あれは私のタッピング奏法の初期だね。あれは必要に迫られてやったんだよ。イングヴェイのスタイルは私とは異なっていたから、私は曲を聞きながらどうやろうかと考えていたんだ。それで、私にはタッピングの方が楽だからタッピングでやってみたんだ。サウンドもよりクリアになったし、上手く行ったよ。

興味深い時期だったね。私はフランク・ザッパの元から出て、ギター界ではあまり知られていなかった。 Alcatrazz からイングヴェイが去り、彼らがギタリストを探していると聞いて、行ってみたんだ。おかしなことに、私は当時、速弾きタイプじゃなかったんだ。

オーディションをやったら、バンド側5人中4人が私に反対していたんだ!私が終えた直ぐ後にクリス・インペリテリが入ってきてプレイした。私は「ワォ!凄い、まるでイングヴェイだ」と思った。

でもジミー・ウェルドがクリスはあまりにもイングヴェイにそっくりだから雇えないと決断したんだ。それでまだ抵抗はあったものの、彼らは私を雇ったんだ、ライブは翌日だからと。私は「何だって?」という感じだったよ。

それでカリフォルニア、リバーサイドでの私の初ライブでは、観客の誰1人としてイングヴェイがバンドを去ったことを知らなかった。観客全員がイングヴェイの名前を連呼している中で私はステージに上がったんだ。

ステージに立って、私は大きな笑みを浮かべて観客を見渡した。皆が口をポカンと開けていたよ。そのまま、ただプレイした。あれは・・・興味深いギグだったよ。

その後ロスへ行って、パサデナに行く頃には、世間もある程度ニュースを知って観客の反応ももう少し応援してくれるようにはなった。まあ、実に興味深い時期だったよ。

GITであなたのセミナーに行ったことがあるのですが、あなたは「私は自分の最高の夜の為に練習するのではない、最悪の夜の為に練習するのだ」と言っていました。最悪の状況からどうやって心理的に抜け出してインスピレーションを取り戻すのですか?

ライブでは何が起こるかは分からない。何がしかの対処をしなくてはならない状況になったらその時に対処をするということさ。

私がステージに立つとき、あらゆることが起こりうることは分かっている。なぜなら私は全てを経験してきたから。しかしそれはショウにおける重要事項ではない。長年の経験でそれは変化してきた。自分自身のパフォーマンスへの見解、心理的な準備というのは私の自信や不安のレベルと共にすっかり変わったのだよ。今では私は何も心配しない。何かあればただ対処するだけだ。

だから、弦が切れた時にはただ闘争逃亡モードに入るだけだ。その時その状況において最適な行動を選択する。その状況のせいで自分の残りのショウが台無しになってしまうことを受け入れるのか、それとも「あーあ、こうなってしまった。仕方ない、とにかくやるぞ」と思うのか、その心理的な選択をするということ。後者が私のやり方だ。

2016年の G4 Exerience ではジョー・サトリアーニと教壇に立ちましたね。2人の故郷に近い地で共に教えるというのはいかがでしたか?

ジョーとは様々なことを共にやってきたが、それらと同様に驚きと喜びに満ちていたよ。私たちが共に育った場所に、何年も経ってから共に成功を収めて戻ったことにはとても興奮したよ。面白いことに「ジョーのギターキャンプにサプライズで顔を出してみたいな」と考えていたんだ。そしたら、1週間後にジョーのマネージャーから招待を受けたんだ!

ヴァイ・アカデミーで私が好きなことは、あなたが全ての生徒とステージでプレイすることです。それには時間もかかりますが、あなたは全員に配慮と思いやりを持っています。

私は生徒たちとプレイするのが本当にとても楽しいんだ。私は彼らが上手くてもそうでなくても気にしない。ほんの初心者の生徒もいたが、私は彼らに1音だけ弾かせた。彼らはとても喜んでいてね、彼ら全てとプレイできたのは素晴らしい体験だった。

私のキャンプは毎年素晴らしい冒険にあふれているんだ。あまり長く詳細にはならないが、毎回テーマがある。最初のキャンプはとても包括的なキャンプで、作曲、録音、発売そして音楽ビジネスについて学ぶものだった。

第2回目のキャンプはとてもいいものになったよ。ギターそのものについてで、ギターの材料になる木材や最高のピックアップを作ったラリー・ディマジオ自身も参加した。Ibanezにはギター製作を1からやってビデオ撮影してもらった。それにギターの構造自体を説明してくれる人も複数。これは私にとっても良かったよ。私も殆どあまり知らない事だから。

だが今年(2017年1月)はさらに特別なテーマだ。皆が語りたがっていることで、私は普段はあまり多くは語らないこと、技術だ。優れたプレイヤーになるには2つの重要な要素がある。ビジネスでもスポーツでもその他の分野でも同じだ。

まずは自分の器の表面を準備すること。技術というのは表面的なレベルだが、これを知ることで、技術よりも深いレベルへ進むために必要な技術がどれ位必要なのかが分かる。

そして2つ目は創造のために必要なものだ。技術よりも深いレベルへ進むことで自分の直感や音楽創造性の可能性を見つけなくてはならない。それは技術とは関係のないもので、自分自身の内面の声を聞くことができるかということだ。