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ロン・"バンブルフット"・サール 「クリエイティブになって知恵を絞り、持っているモノを使う」

9月の来日後もアジア、欧州でのソロツアーをしていたロン・"バンブルフット"・サール。9月にバングラディシュでは同国で初となるギタークリニックを行いました。現地ラジオ局で収録されたインタビューを和訳してまとめてみました。

少年期の面白い話も楽しめますが、彼の誠実で素晴らしい人柄を再確認できるインタビューです。

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Img_02326歳で始めたバンド

僕は生涯ずっとNYに住んでいるんだ。ちょうどブルックリンの区からスタッテンアイランドの区に引越したところなんだよ。子供の頃、遊び仲間の近所の子たちには年上の兄弟がいて、家に遊びに行くと色々なレコードがあった。

The Beatlesエルトン・ジョン、YES なんかの素晴らしい70年代中ごろの音楽さ。覚えているのはボブって子の家に行くと KISS ALIVE のアルバムがあってね、昨日のことのように覚えているよ。2段ベッドに腰掛けて聞くと、ターンテーブルと小さな2つのスピーカーから人々の歓声が聞こえてくるんだ。

とてもエネルギーに溢れていて、あの音楽を聞いた瞬間から5歳の僕には自分が何がしたいのか分かったんだ。それから僕はそれを目指して何でもやった。何をどうすればいいのか分からなかったけれど、彼らがやっていることなら僕にもできるってね。

それで6歳の頃には8歳と9歳の子と組んでバンドを作ったんだ。僕らは曲を書いてレコーディングして地下室でコンサートを開いた。向かいの学校でもやったよ。僕らはバンドがやることは全部やってみた。バンドロゴを大きな窓の日除けに書いて地下にも張ったし、大量の紙を切って紙吹雪を作ってショウの最後にオーディエンスが投げれるようにしたんだ。

僕らはバンドがやることを全て子供がやれる方法でやっていたんだ。僕らを止められるものは何も無かった。紙があれば紙吹雪が作れるし、カセットレコーダーとアコースティックギターがあればレコーディングも出来る。手に入るもので何でもやったのさ。

とてもいい学びの機会になったよ。持っていないモノは必要ではないんだ。多くの人が持っていないモノのことばかりを考え、どれだけ自分が持っているモノがあるのかを考えもしないで諦めてしまう。クリエイティブになって知恵を絞り、持っているモノを使えば思いがけない程のことができるんだ。

発射台になる最初さえあれば、そこから大きくすることができるんだよ。それが僕らだった。6歳で始めて、決して止めなかった。いい時代だったよ、想像力を使ってモノを作り、何かをやってみる。今は全てが簡単で便利になって、僕らは少しナマケモノになったのかも知れない。

ビッグなショウを経験して

Guns N' Roses でビッグなショウのヘッドライナーをやって10万人ものオーディエンスがいて、何百万もの人々がストリームで見ているというのは素晴らしい経験だったよ。でもオーディエンスは遠くにいるし、ピックを投げても届かない。僕はもっとオーディエンスと通じ合いたいんだ。今日やったようなクリニックでは皆と通じ合える。音楽はそこがいいところなのさ。

教えるということは音楽の精神と同じものに根ざしていると思うんだ。誰かが作った音楽は君に感動を与え、それを人と共有したいと思う。そうすると今度は君が音楽を作って人を感動させたいと思うだろう。

教えるということも同じで音楽が情報になるだけだ。誰かがギターを教えてくれたとする。すると次は君が他の人にそれを教えるんだ。音楽と同じだよ。音楽を好きになり、シェアして自分で作って広げる、大きなながれの1部になるのさ。

音楽についてもっと深く取り組むのなら、作曲方法、楽器演奏の仕方、録音方法、音楽ビジネスのことについてまで、学ぶことも教えることも沢山ある。僕について言えば、僕は一生学び続ける永遠の生徒だ。僕はまだ教師ではなくて、この世界から学んだことをシェアしているだけなんだ。だから、教えるということは僕にとって究極のミュージシャン精神なんだ。

初めてのギター

初めてのギターは子供用の小さなアコースティックギターだった。その後きちんとしたレッスンを受けるようになって、楽器店で大きなサイズのアコースティックギターを買ったんだ。そして初めてのエレキギターは、うーん、おもちゃのギターはシアーズのカタログに載っていたもので1977年だ、赤いプラスチックのギターだよ。

本物のエレキギターは78年の9月に両親が買ってくれたもので、外見はサンバーストのLPみたいなんだけど、たったの$80なんだ。PACE というメーカーのものでね、それ以来その会社の出したギターは見たことがないな。その名前のホットソースは見たことがあるから、ギターを作るのをやめてホットソースを作ってるのかも(笑)。

その初めてのギターは今でも持っているんだけど、随分と手が加えられている。10代の頃にギター製作の実験を始めてね、分解して組み立ててというのをやったんだ。で、そのギターはボディにフェイクファーを貼ったんだよ。母のクローゼットにあったフェイクファーのコートは殆ど着ていなかったから分からないだろうと思って、それを切り刻んだ。ボディを半分に切って角度を付けてさ。

それをやったのは15歳のときだけど、12歳の頃からギターを組み立てて実験をしていたよ。ワイヤを組み替えたりね。いろいろと変わったことをギターにやっていた。それに12歳の頃からギターのギアを買うお金を稼ぐために、ジージャンの背中に Iron Maiden のアルバムジャケットの絵とか、頼まれる絵を描いて小遣いを稼いでた。1枚$20で描いて、エフェクターを買ったり、遂にはギターを買ったんだ。

Ibanez Roadstar で$180位だった、ボディに小さなキズがあって安くなっていたんだ。それを買ってまずはボディのペイントをはがして、あらゆることをした。山ほど穴を開けちゃったし、ボディは黄色に塗ったから「スイスチーズ ギター」って呼ばれたよ。

そのギターは13年間ツアーでもレコーディングでもあらゆるところで使った。たったの$180のギターをね。豪華なものなんて必要ないんだ。ただ、今手元にあるものでいいんだよ。

僕にとって大切なもの

僕の人生は楽なものではなかった。ミュージックビジネスは特に。

何度も足をすくわれたし、失望させられた。まるで泥の斜面を手を伸ばして登っているようなものさ。更にそこへ上からどんどん物を投げられるんだ。それでも登り続ける。誰にも登るのを止めさせない、負けないぞとファイティングスピリットを燃やして闘い続ける。

僕は楽な人生だっておくることができるのに、なぜこんなことをしなくちゃいけないんだ?そんな時に誰かがメッセージをくれるんだ。「あなたの音楽に感動しました。そのお陰で人生の困難を乗り越えることが出来ました」ってね。

ああ、そうだ!このために僕は頑張っているんだ!忘れるところだったよ、時々こうしたリマインダーが必要だよね。こういうことが僕にとっては重要なんだ。

大きなステージで何万もの人にプレイできるのは、その時は最高さ。でも誰かの人生が悪い方に転んだかも知れない時に僕の音楽が何かの助けになって、その人の人生が良い方に行ったとしたら、素晴らしいことだ。

後悔なんてできない。結果がどうなっていたのかなんて分からないのだから。今ある自分がこれまでの自分の人生の結果で、それが続いていくんだ。そのことを喜び感謝しなくちゃいけない。後悔なんて無意味な質問をしているのと同じさ。

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インタビュアーの質問部分や会話部分がカットされたビデオのため、話の前後が分かりにくい部分があるのは残念ですが、ロンの言葉は悩める多くの人に勇気を与えてくれるものだと思います。素晴らしい人格者。

Sons Of Apollo で彼にまた会いたい!