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アンディ・ティモンズ 「全くのゼロからスタートしなくてはならなかった」

アンディ・ティモンズがメディアのインタビューに応えました。サイモン・フィリップスとの仕事や生い立ちについてなど興味深い話をしていたので、一部概要を和訳してみました。

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ご自身のギターレッスンサイト GuitarXperience.net はどう始まったのですか?

ウェブ製作者と知り合いで、TrueFire という会社のためにビデオレッスンを引き受けたんだ。それがとても上手く行ったし、僕自身も教えることを楽しんでいたんだ。長年のうちに進化した僕のプレイはとても自然に身に付けたので、「どうやってこれを説明しよう?」と思ったものさ。ギターレッスンは長年温めてきたアイデアだけれど、それに取り組む時間を見つけるのが大変だったよ。

遂に時間をみつけたのですね?

僕自身のバンド、オリヴィア・ニュートン・ジョンサイモン・フィリップスのバンドで忙しくしていた後で、忙し過ぎたと思ったんだ。「今年こそやろう、家にもっといよう」と決めたんだ。勝手だけど僕には良かったよ。

僕は注意を払って古い楽曲を全て弾けなくてはいけない。基本的に僕の過去の作品から曲を選び、また新しい曲もプレイする。"Puppet Show" "The Next Voice You Hear" "A Night To Remember" なんかをやったよ。

あなたのプレイには様々なスタイルが含まれています

僕は「ロックギタープレイヤーになるぞ!」というタイプじゃなかった。16歳のときにバーニー・ケッセルのスタイルを持った素晴らしいジャズプレイヤーの先生についたことはとても幸運だったよ。

僕はクラシック音楽のバックグラウンドは何もなかったのに、大学1年ではクラシックギターの専攻だったんだ。僕は地元のロックバンドでプレイしながら、ジャズレッスンを受けていた、そうして図書館でクラシックギタリストを調べて大学の実技試験を受けたんだ。

Danger Danger はあなたにとって自身のプレイスタイルとサウンドを共に提示した初めての実質的なプラットフォームだったのでしょうか?

確かにあれは僕が世界へお披露目された最初の機会だったね。当時の僕は94年にリリースするソロ作 Ear X-tacy の何曲かをレコーディングしただけだったのに、あのバンドに参加する機会を得たんだ。

それでも当時の僕はマイルス・デイヴィスからの電話がもらえるよう、つまり僕に大きな影響を与えたマイク・スターンになりたかったから、もっとプレイを学んでいたかも知れない。

バンドに加入したのは僕のキャリア面で大きなチャンスだったし、バンドメンバーになってチームプレイヤーでいることが楽しかったよ。

もし、バンドが解散しなかったら今でも Danger Danger にいましたか?

もちろんさ。3枚目のアルバムを作ったとき、それは当時リリースされなかったけれど、Cockroach というアルバムで最終的にはリリースされたんだ。Screw It!ではバンドは成長していたし、僕はアルバムを誇りに思っていた。

でも音楽シーンの変化によって僕らのバンドはやっていけなくなった。それでも当時僕らは素晴らしいアルバムを作ったと思うんだ。僕らはアルバムの権利を持っていなかったためにリリースできなかったけれど、おかげで僕のその後のキャリアにおける教訓を得た。自分の楽曲の権利を守るということさ。

KISS やアリス・クーパーともツアーしましたね?

僕の始めてのコンサートは13歳のときの KISS Destroyer ツアーで、最後尾の席から見て「これがやりたい!」と思ったんだ。10年後に彼らとツアーするのは夢のようだった。

でもその後、「よし、僕個人として身を立てなくては」と思ったんだ。Danger Danger は僕が本当に成りたいイメージにはそぐわなかった。僕は上手いミュージシャンになりたかった。僕はサトリアーニ、ヴァイ、スターンのようなトップレベルのプレイヤーとして崇められる人の列を思い描いていたんだ。

Danger Danger ではギタリストとして大きな信憑性を得られませんでしたか?

距離をとるのに時間がかかったよ。それにあのバンドのおかげで多くのチャンスを得られたし、違うマーケットとはいえ、世界中で名前が知られたのだから。信憑性という意味では、僕は全くのゼロからスタートしなくてはならなかったから、とても大変だった。

サイモン・フィリップスとプレイするというのは多くの信憑性を得られたでしょうね。

僕らの最初のギグは93年(訳者注:NAMM Show 伝説のIbanez Fes、サッチ、ヴァイ、PG、RBも参加!)だけど、本当にプレイを始めたのは97年に僕が彼のバンドに参加してからなんだ。

僕は音楽史が大好きだから彼の経歴は全て知っていたよ。彼は世界中の偉大なギタープレイヤーとプレイしている。彼が僕を選んでくれて光栄だよ。彼からは多くを学んだ。彼はロックツアーだけでなく、音楽的に様々な経験があるからね、それに彼の作曲からも。彼は優れたレコーディングエンジニアでもあるんだ。

サイモンとのレコーディングはどうでしたか?

近年やった Protocol II と Protocol III では、70年代のアルバム製作に何週間も何ヶ月もかけない手法のながれで行われた。3~4日程度さ、デモをもらって2日で覚えてスタジオに入り、なんとか一緒に演奏するともうテイクさ。

音楽的技能に合っていればとてもいい方法だ。異なる心構えと重圧があるけれど、同時に何ヶ月も練習して臨むというのもクールだと思う。でも初めて共に演奏した閃きは2度と得られないんだ。僕がそれを得られるのはファーストテイクか、でなければその後1年かかるだろうね。

彼のドラミングには生粋の才能があるね。誰も彼のようにプレイできないし、ドラムのチューニングもとても個性的だ。

プロのミュージシャンを目指す上で困難はありましたか?

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僕は今でもチャレンジしているよ。見ていて「わぉ、僕にはそんなことできないな、でもやってみるよ」って思わせる優れたプレーヤーが沢山いる。僕がまだプレイできてそれを愛していることが嬉しいんだ。とても感謝しているよ、音楽なしの人生なんて想像できないから。

そういう気持ちというのが多くの成功できないギタープレイヤーとあなたのようなプレイヤーとを区別しているのだと思います。

僕が幼い頃に両親が離婚したので、僕は母に育てられたんだ。僕はとても幸運だったよ、母は「人生で何をやりたいにせよ、1,000パーセントの全力で取り組みなさい」という信条を僕に植え付けたんだ。シングルマザーで4人の子供を育てた母にとって、一番下の息子の部屋にビール缶のコレクションと壁いっぱいの写真を見るのはキツかっただろうね。

プロのミュージシャンになりたいギタープレイヤーにアドバイスをお願いします。

今では随分と違うことになってしまった。以前はレコード契約をすればスタートできた。僕にとっては金持ちになること、有名になることはゴールではなかった。僕にはそれらは得られなかったけれど、MTVに出て顔を知られること、少々の金を得ることがどんなことかは少し分かった。でも本当にリッチには程遠かった、Danger Danger が終わったときには僕は一文無しだったんだから。

楽器への愛と音楽に身を捧げなくてはならないということですね?

いい演奏をしよう、上達しようという情熱を持つことが僕にとって幸せなんだ。大好きなことをし続けて上達していると感じられるだけで幸せだ。

有名なチェロ奏者のパブロ・カザルズが80代のときに「まだ1日に3時間練習するのですか?」と聞かれて「どうしてだい?やっと上達しかけてきたところなんだ」と答えたんだ。

僕はまだ54歳で、ギターという大きな可能性を持った楽器のほんの氷山の一角、その表面をひっかいたに過ぎないんだ。

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アンディのお母様、素敵な方なんでしょうね~。"Super '70s" の冒頭では、「アンドリュー、夕食の時間よ」と声をかけるお母様の生声が使われていますので、ご存じない方はぜひ聞いてみてくださいね。