Stay Together

Green (@ribbon_bear) が毎週好きな音楽ネタを語ります! Since 2011

ジョー・サトリアーニ  「自分に出来ないこと/出来ることに納得したら、そのことで自分が自由になれるんだ」

ジョー・サトリアーニがニューアルバムの発売を前にメディアのインタビューに応えました。なかなかに深く長いインタビューでしたので、その一部概要を和訳しました。

Satch_tp2

============================================

あなたにとって幸せの要素は何ですか?

家族が中心にある、それは誰しも同じだと思う。認めるのは嫌だけど、アーティストにはサポートが必要なんだ。ミュージシャンにはマネージャー、弁護士、会計士、技術者のサポートが必要だ。でもクリエイティブ面、心の面では愛し、支えあう家族関係が必要だ。こうしたサポートをもらえることを当然と思うことは決してないよ。

大変なストレスの時でも創造力というのはやってきて生み出すものだ。人生の悲劇を経験してそれを音楽に反映する。でもそうした悲劇から生まれる曲がある一方で、私の最高傑作の多くはそういったことを全て忘れ、ただ創造力の趣くままに生み出したものだ。

そこにもっと焦点を当てると、例えばスタジオセッションで自分のギターサウンドに満足していないけれど、プロデューサーが急げと言う。もしくは、エンジニアかプロデューサーが皆に部屋を出てアーティストを1人にし、数時間思いどおりのサウンドを探せばいいと言う。正しいトーン、エフェクト、ギターをパフォーマンスの前に探っていいと。

覚えておくべきことは、そんなことを考えるなということさ。ただ音楽に集中し、肉体的にも精神的にもそのプロジェクトに準備して臨むんだ。そうすればプロのミュージシャンとしての自分がやり遂げるだろう。そうやってスケジュールや合わないギア、スタジオの変更や個人的な問題と折をつけるんだ。こういうことは常に起こるし、それらへの常套手段なんてないんだ。

あなたの音楽を聞くと様々なイメージが浮かぶし異なる場所に連れていかれるように感じます。あなたに大きな影響を与えた他の芸術があれば、それは何ですか?

ビジュアル・アートだね。私には3人の姉がいるんだが、双子の長女はプロのアーティストで、私の記憶の限りでは子供の頃、彼女らの部屋に入ると2人はいつも絵を描いていたし、彼女らの作品が家中にある中で成長したんだ。(絵は)皆がやることだと思っていたよ。私は姉ほど上手くないけれど、というか酷いものだけど、絵を描くのは大好きなんだ。

それでこの1年は今までやったことのなかったキャンバスに絵筆で描くことを学んでいたんだ。これまではペン描きとコンピューターでの作画だった。レコードを掛けて、真っ白なキャンバスに向かい、数時間ほど別の世界に入り込めるんだ。殆どの作品は酷いものだから、プロとしてのものではないけれど、ただ好きだからやっているんだ。ギターを弾いて指が疲れたときに、とてもいい指の休憩とクリエイティブな時間になる。

それは音楽にも繋がりますか?

全てだと思うよ。私は常に大きなものから刺激を受けている。世界の事件や私の世界のものも含めて。特に意味の無い小さなことにも。余りに朝早く起きてしまい、窓の外を見ると朝日が裏庭の木に光を当てている、そこで急にユニークなインスピレーションが湧いてくるんだ。人生そのものに魅了されて音楽的アイデアが閃くんだ。

私はビジュアル・アーティストにはなれない。3次元の表現は難しいけれど、私の楽しんでいる2次元の表現ではその感覚を掴んでいる。自分に出来ないこと、出来ることに納得したら、そのことで自分が自由になれるんだ。

あなたが参加している Little Kids Rock の活動について伺います。学校での音楽教育をサポートしていますね。

Chime Interactive 社のジョン・ルーニを通じて参加するようになったんだ。彼は音楽教育プログラムのない学校や苦しんでいる学校の子供たちの手に楽器を届けようという活動をしている。私はその考えに共感して、もう何年も、時間のあるときは学校を訪問して子供たちにギターを届け、音楽教育プログラムを学校に取り戻すために物資の支援をしている。

私が60年代後半に公立高校に入った頃には、オーケストラ、バンド、コーラス、音楽理論、上級音楽理論のコースがあったんだ、ロングアイランドのカールプレイスにだよ!町全体がたったの2マイル四方しかなかったのに。

私は公立高校でジュリアード卒の音楽教師(訳者注:サッチとヴァイ先生を教えたビル・ウェスコット先生のこと) から音楽理論を教わったんだ。学校にはいいアメフトチームもレスリングチームも他にもいろいろあった。

数年前、サンフランシスコで高校と中学を訪問したんだ。たった1つの音楽プログラムが存在していて、恐らくそれは Little Kids Rock が予算不足の学校のためにギターや譜面などを提供していたからだ。学校には芸術のプログラムがなかったんだ、全く信じられないよ。素晴らしい若者たちに満足な教育を与えずに、いったいどうやって彼らを魅力的な大人として社会へ迎えるんだい?全くおかしなことだ。

あなたの息子ZZが撮ったドキュメンタリー "Beyond The Supernova" で長らくステージ恐怖症だった話をしていますね、あなたのパフォーマンスからは信じられませんが。

最近古い写真を息子のドキュメンタリーの為に見つけたんだ。それはカールプレイス高校の体育館での私の初めてのギグの写真だ。「もの凄くナーバスだったけれど、とても楽しかった。オーディエンスの方は見ずにドラマーに向かい合っていた」と息子に話したよ。その時と同じ感情を私のキャリア全体で引きずっている。

でもパフォーマーとなることで人としてあなたが外交的になるのに役立ったのでは?

人前で演奏して直ぐに気が付くことは、心を開いてオーディエンスと一体になるということで得られる素晴らしいものがあるということだ。例えそれがどんなに僅かなオーディエンスだとしても。

そうすることで自分自身と魂に、素晴らしく大きなことが起こるんだ。でも自分の性格というのはずっとそのままで、ある程度はいいメカニズムだと思うんだ。

プロのミュージシャンであれば、チューニングや機材のチェック、エフェクターの電池、シールドやバックアップなど気にすべきことがある。いい気になって横暴になっていたら何でもできると思ってしまう。そうすると基本的なことを忘れていたことに気付くのさ。最初のうちのギグの失敗からこういったことを学ぶんだ。

私は神経質だし、シャイだ。でもステージの前に期待感を持って楽しんでいる。私の不安感はこれから得るお楽しみの前兆なんだ。そう思うことで毎回ステージに戻れるんだ。そうしてショウが終わると「ああ、今夜は最高だった。何で心配したんだろう?」って思うんだ。

あなたのアルバムを聞くと言語からの解放というのを感じます。言葉というのは限界があり、意図しなかった反応を人々に引き起こすことがあります。あなたの音楽は言葉を超えて制約するものがありません。

そう思うよ。完璧な例がポップミュージックだ。ポップは大金を生み出すから、プロダクションに大金がつぎ込まれる。最高の人たちを雇ってね。新しいミリオンセールのポップミュージックが出ると、それはもうピカピカで大量の時間がつぎ込まれ、12人ほどのプロデューサーがいたりする。

クールなグルーヴがあって聞いたことも無いような音が聞こえたと思ったら、私にはそうなんだが、歌手が歌いだすとがっかりしてしまう。そこにはアーティストが伝えようとしたトレンディなメッセージが乗っているからだ。「まあ気にするな!」と言って、ただグルーヴや質感を感じていると今度は歌詞を聞かされるんだ。

とても残念だよ。50、60、70年前にはポップミュージックは生涯を共にできるようなメッセージを運んでいたんだ。Chickenfoot でアルバムを作っていたときには、バンド全員がそう思っていた。

Chickenfoot は我々のルートを称えた音楽の1つだったから。私たちは新しい音楽をプレイしていたけれど、一方で私たちのルーツを、クラシックロックの時代となった子供の頃聞いていた音楽を称えていたんだ。

私たちは楽しい音楽をやりたかったけれど、サミーには歌で伝えなくてはならないことがあった。どのバンドでもシンガーか歌詞を書くメンバーがそれに取り組むのだと思う。単純なラブソングにするのか、"Avenida Revolucion" にするのか。あの曲ではサミーが国境以南での不正に声を上げたんだ。こうしてどちらかを選び、しっかりと向き合わなくてはならない。

===============================================

Little Kids Rock の活動について語った部分が特に感動的でした。この活動には Bumblefoot も積極的に関わっているようです。(参考記事)社会貢献をしているミュージシャンの皆さん、カッコイイなぁ。