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Green (@ribbon_bear) が毎週好きな音楽ネタを語ります! Since 2011

スティーブ・ヴァイ Part 1 「私は世界一批判を受けたギタリストだと思う」

3月に Alien Guitar Secrets のギターマスタークラス欧州ツアーを行ったヴァイ先生ですが、各地で多くのインタビューを受けたようです。ソールドアウトになっていたイギリスでは Andertons Music のインタビューに出演しました。

始終楽しそうなインタビューの中から、興味深かった一部を和訳してみました。とても長いので、今週はPart 1です。今回も先生の哲学講義は難解(汗)

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僕の娘は5歳で、iPadでゲームをするのが好きなんですが、いつも簡単にゲームをクリアしてしまうんですよ。それで時々心配になるんです。楽器はそんなに簡単に習得できるものではありませんから、彼女たちの世代が根気を持って楽器に取り組めるでしょうか。

私には2人の息子がいて、ミレニアル世代だ。でも私は心配などしていない。私の考えだが、彼らは私よりもずっと賢いんだよ。鋭いし、考えるのも行動に移すのも早い。もちろん十分な人生経験がない間は危なっかしく思うこともあるけどね。彼らは私とは異なる思考力があるんだよ。世代によって考え方は違うし、我々はいつも次の世代は悪くなると思うのだが、そんなことはないのだよ。いつだってそうなんだ。

あなたは人生のコーチングとも言うべき話をしていますよね。何かに取り組んで人生での達成感を味わうという、とてもインスピレーショナルな話です。

誰にでもできることなんだよ。最も大きな障害となるものは人間のエゴだ。それはとても狡猾に潜んでいて、人はそれが何をしているのかに気付かない。何か自分が本当に楽しめることをしているとき、そこには失敗に対する恐れや批評されること、受け手の反応への恐れはない。ただ自然に思うことをしているのだ。それは単にギターを弾くことや、料理、数学かも知れないし、何でもありうる。

自分に問いかければ自然と答えが出るだろう。もしそれで生計を立てたいのなら、それも、もちろん可能だ。幸せな人生がおくれるだろう。なぜなら君は自分が本当に好きなことをしているのだから。そして成功というのは自分が好きなことをした結果なのだよ。

若いミュージシャンと話してよく思うのだが、彼らは成功というゴールを設定している。それは大金を手にすることや名声や称賛、グラミーや雑誌のカバーだったり。彼らはそこに到達すると幸せだと思っている。

しかし、どのようなビジネス分野であれ、自分のしたことに喜びを感じない人間には、そういうゴールで相当な達成感やキャリアを得た人など居た例がないんだ。中には惨めな人間もいるだろう。彼らはゴールへ向かって突き進み、邪魔なものを蹴散らしていく。そしてゴールに到達しても、更に惨めになるだけなのだ。彼らは満足を知らないからね。

あなたが鬱を経験したという話を聞きましたが、人が幸せで前向きになるには、薬などよりも、健康な生活とか、いい人間に囲まれることなどあると思うのです。

そうだね。精神的な苦悩を患うというのは最高の精神的教えになるんだ。私は20~22歳の頃、フランクの元でプレイするという素晴らしい仕事があったのだが、その時だ。精神的な落込みというのは説明ができない。1982年当時、私はそのことが何も分かっていなかった。自分では気が狂ったのかと思ったよ。でもそう思うことはよくあるのさ。私はとても張り詰めるタイプの人間だからだったろう。

気分の落ち込みというのは自分の頭の中の思考の質なんだ。私はハリウッドの書店で精神に関連する本を読んだのだが、The Magic In Your Mind という本を見つけた。そこには「それは自分が選んで考えさせている思考なのだ」と書いてあった。つまり、自分の周りに落ち着くものを置いても、それが作用するという風には働かないのだ。自分の周りにあるものは、自分自身の中で起こっていることが反映されているのだよ。

幸運なことに私は何がストレスなのか、何が鬱なのかを理解できた。それは自分が選択し、集中している思考なんだ。それを真実だと思い込んでいるからだ。そうではないのだよ、それはただの自分の頭の中の思考に過ぎない。自分の考え方を少しずつ変えていくことだ。その状態から一発で抜け出すことはできない。少しずつ自分の考え方を変えていくのだ。それが私には効いたんだ。

喜びや悲しみや苦しみといった感情は良い作品づくりに作用するものでしょうか。

アーティストというのは私生活での変化が作品に反映されるものだ。私はファーストアルバムを出す前、多くの音楽を書いていた。そして録音の技術を学んでいたのだよ。当時は私の暗黒の時代で、私の書く音楽はとてつもなく暗かった。そこで私が気付いたことは、何に集中するにしても、それが量産されるということだ。実に単純なんだ。暗く落ち込むことで自分を更に暗い気分にするよう招き入れているのだ。

私はどんどん暗い世界に入り、音楽を自分の苦痛を表現するための手段にしていたのだよ。でもそれはプロセスの一部なんだ。ばかげているけどね。でも、そうすることで多くの作品を生み出すことになる。そうして私はひたすら暗い世界に入り、行くところまで行くと、もはや降参するしかない。エゴには自らを破壊するメカニズムが備わている、それは強烈な苦悩だ。

どん底にあって何か少しでも光を求めるとき、初めて真の謙虚さを学ぶのだ。心を完全に開くのだよ。どん底にあって、降伏し、もう何も分からない、助けが欲しいと言うこと。心の底から自分に助けを求めるということ。そうすると、自然と救いが現れるのだ。そういうものなんだ。

そうして私は Flex-Able を書いた。あれは実に無垢でナイーブで、風変りで子供が書いたようだが、私にとっての浄化プロセスだった。あれを書く時にはもっと気分を明るくすることに集中していたのだ。あれ以来、暗黒の状態に戻ったことはないよ。

多くの場合、アーティストはその時の感情を歌詞にしますが、あなたの曲は多くがインストです。感情をどう表すのでしょう?作曲の最初から、インスト曲かボーカル曲か分かるのでしょうか?またインスト曲ではタイトルはどうつけるのでしょうか?

どんなやり方でもあると思う。始めて直ぐにインスト曲かボーカル曲か分かることもあるし、分からないこともある。曲自体にそれが何かを語らせようとする段階があるのさ。時には最後までどうなるか分からないこともあるけどね。メロディがとても良くて、ボーカル曲にしたいこともあれば、ギターでそれを弾きたいと思うこともある。

何が正しいかそうでないかという風には考えないんだ。その方がずっと簡単だ。でも作品に入り込んでいれば、直感では分かっているのさ。誰もがこの直感を持っているし、そこにアクセスさえできれば、欺かれることはない。それを邪魔する唯一のものがエゴなのだよ。だから私が静寂の瞬間に音楽を聞けば自ずと音楽が必要なものを教えてくれるのだ。作曲にはルールなどないし、何でも好きなことを書けるのだよ。

デヴィン・タウンゼントとアルバムを創ったときには、主流のボーカル曲をやって商業的な成功というのを考えたのでしょうか、それとも彼とやる楽しい機会だという気持ちだったのでしょうか?

そういった要素もあったのだろうね。Passion And Warefare を終えた後、あれはインストアルバムだったので、あれでツアーをするというのが考えられなかったんだ。それに私はフロントマンになりたいとは思っていなかった。横にいて、誰かがフロントにいる方が心地よかったんだ。

それと当時は、ヘヴィメタルというか、ヘヴィで攻撃的な音楽が出てきたところだった。デヴィンはそういう音楽にどっぷり浸かっていてね、彼からヘヴィな影響を受けたよ。ボーカルのいるバンドの方が成功するだろうという認識はあったのだろうね。とは言え、私はあのアルバムが好きだよ、私があれを気に入っていないと皆は思っているようだけど。

あれは多くのヘヴィメタルのムーブメントの先駆けだった。それでいて、奇妙な音楽的ひねりのある作品だ。ただ、あの作品の後、私は曲中心の商業的な方向ではない、別の方向へ行きたいと思ったのだ。

Vai_at_2作品への批評や中傷などは聞き流せるタイプですか?

時と共に変わってきたと思う。私は世界一批判を受けたギタリストだと思うよ。私は当時の速弾きギター・ムーブメントの頂上にいた1人だった。そして90年代がやってきて、グランジが席巻すると、ロックスターたちは生首を切り落とされたんだ。そうしてギタープレイの悪い例としての全てが私を指し示していたんだよ。

私は80年代半ばにギターを始めたのですが、あなたやサトリアーニやそういうプレイを見て自分には全く無理だと思いましたが、グランジがやってきて、僕でも弾けるのかと思いました。

ああ、分かるよ。でも人間の精神には革新的な衝動があって、あらゆる分野においてそれは進化を遂げようとし続けるんだ。グランジの時代にもアンダーグラウンドでは楽器演奏に熱中するムーブメントがあったのさ。そんな彼らがイングヴェイエドワード、私やジョーを見て、これからやろうと。

私たちは皆そうなのさ、自分の前の世代の偉人たちの礎の上に立っているのだよ。そして現在を見てごらん、彼らは異なるレベルへとギタープレイを押し上げたのだ。今の速弾きときたら!私の心を捕らえるものではないけれど、魅力的ではあるし、敬意を持っているよ。

(Part 2 へ続く)