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Green (@ribbon_bear) が毎週好きな音楽ネタを語ります! Since 2011

アンディ・ティモンズ 「ギターの不完全な能力をどう補うのか、自分の手が覚えるんだ」

アンディが Dallas International Guitar Festival (5/5~7)の1週間前にかなりディープなインタビューを受けていました。大変長いインタビューで、今までに聞いたことのない話もしていて驚きました。

 

今週は楽しく、またヘヴィだったアンディの話の一部をまとめてみました。

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ATB Plays Sgt. Pepper』について

僕の趣味のように何年もアレンジに取り組んでいて、最初はアルバムにするとは思っていなかった。実際、『Theme From A Perfect World』に入ることになる曲をレコーディングしていたときだ、ドラマーのミッチ・マリンが「Beatles の曲をレコーディングしたら?」と言ったのさ。それで急遽2日でリズムトラックを録ったんだよ。

でも "Strawberry Fields Forever" なんかは自分のアレンジをチューニングを保ってプレイするのが難しかった。開放弦とハイフレットの音が多いから、チューニングとプレイを妥協しなくちゃいけなかった。GOTOチューナーやら、色んなギターやゆがんだフレット(恐らく True Temperament ?)やらいろいろ試したよ。結果的にはギターの不完全な能力をどう補うのか、自分の手が覚えるんだ。

このアルバムをポールやリンゴが聴いたかどうかはわからないけど、リンゴの手にCDが渡っているかもね。White Album をレコーディングしたエンジニアのケン・スコットにはNAMMショウで会ったときにCDを渡したんだ。

後に彼の自伝本が出てから Beatles のコンベンションで僕の友人が僕へのサイン本を彼に頼むと「君のアルバム良かったよ」と書いてくれたから、もしかしたらメンバーが聴いてるかも知れないと思ったのさ。(笑)ポールなら "She's Leaving Home" を気に入ると思う。凄く難しかった曲だ。

僕はルカサーと仲が良くてね、ルークはアルバムを凄く気に入って、それは素晴らしい賛辞の並んだメールをくれたんだ。一生の宝物だよ。

アルバムは全く商業目的のものではなかった。あれはルークのような僕の兄貴分の人たちに向けたもので、僕がやっていることを示したかったんだ。僕のヒーローたちに感心して欲しかった。結果的にアルバムとして良い評判が得られて嬉しかったよ。

トミー・エマニュエル

彼とは何年ものうちに親しくなって、5年前かな、彼がダラスでクリスマスのショウをやるとき僕を招待してくれたんだ。サウンドチェックに呼んでくれて、「アンディ、ここに来い。ここに立って聴いてみろ!」と。(トミーのモノマネで語るアンディ)

それで、その場所でトミーの演奏を聴いたら、それは生涯で聴いた中で最高のサウンドだった。「指にオートチューニングが付いてるみたいだ!」って僕は叫んでたよ。彼は「君もな!」と返してくれた。チューニングを保ってプレイするというのは生涯を通じての探求なんだ。

トミーと初めて同じショウでプレイしたのはイタリアであったブルース・フェスティバルだった。ヘッドライナーは Deep Purpleスティーヴ・モーズがいたよ。ペストリア・ブルース・フェスティバルだ。

トミーがオープニングで、僕はトミーの次にプレイしなきゃならなかった。僕には(アコギのトミーと違って)トリオのバンドがいるし、パワーアンプもある、けどトミーに続いてプレイするのは嫌だよ!(笑)

トミーの素晴らしい演奏に続いた僕のバンドが "Strawberry Fields Forever" のイントロをプレイし始めたときだ、トミーがモニターボードの前に座って聴いているんだよ。そしてベースのマイクのアンプの奥を見たら、そこにはスティーヴ・モーズがいるんだ。あの2人にチェックされてて緊張したよ!(笑)

職業病

この職業においてはドラッグとアルコールは大きな問題だね。この仕事では移動が多く、90分のショウのためにエネルギーを高めなくちゃならない。そしてショウが終わり、高まったエネルギーを消化するのに飲み物が必要だったりする。

僕にとってそれらは問題ではなかった。僕の問題となったのは処方薬だ。国際線での移動が多く、時差ボケの悩みがあれば、この薬で眠れるからと渡される。僕は酷い背中の痛みを抱えていて、すると痛み止めを渡される。不安症があれば、この薬があるという風に。

そうして自分では知らないうちにそれら薬剤の全てに依存していたんだ。それらと飲料の組み合わせでね、話題になったオピオイドの問題そのものさ。

2011年には聴覚の問題を抱えた。ずっと耳鳴りを抱えていたのだけど、診断は聴覚過敏というものだった。これは大きな音に敏感になるというもので、ロックのミュージシャンというのは最悪の職業だよね。

基本的には回復の見込みがないんだ。僕は音楽を楽しむことができなかった。そうして遂にある決断をしなくてはならない地点に来ていた。全ての薬を断って、リハビリをするというもの。

リハビリは脳のトレーニングで、耳鳴りを意識しないようにするものだ。これはとても大変だったよ、それに自分で全ての薬をやめるんだ。特に不安症の薬は辛かった。でも聴覚過敏は治ったんだ。僕の身体がこれを止めなくては死ぬぞ、と言っていたんだと思う。とても辛い時期だったけれど、克服できて幸運だったと思う。

今後の予定

StageIt (ライブストリーミング・ショウ)は予定が空いていれば続けていくよ。6月にはUKに行くし、その後ギターキャンプもある。それ以降にツアーの可能性もある。

僕のニューアルバムのことを皆はパンデミック期間中にできたアルバムだと思っているけれど、あれは2020年のパンデミック直前にレコーディングしたものだ。その後少しオーバーダブをしていたけれどね。この数年で沢山の作品を書いているんだ、そのうちの何曲かはソロのエレクトリック・ギター曲だ。それらでアルバムを創るつもりだよ。

エルビス・コステロの楽曲をインスト・ギターでカバーしたら良さそうな曲のリストもあるんだ。どう創ろうか考えているところで、タイトル案もある。

僕は何か1つのジャンルに拘ることなく、色々な音楽をやってきたのが良かったよ。Danger Danger のファンは気に入るだろうか? "Electric Gypsy" 好きのファンは気に入るだろうか?ということは考えず、今自分の心に大切に思うことをやってきた。自分にとって真に正統と思えるものを追求するんだ。

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2011年といえば、『ATB Plays Sgt. Pepper』リリースの頃。まさかアンディがそんな病を抱えていたとは知りませんでした。元気になって本当に良かった。

アンディの話を知って、親近感を持ったので自分のことを書きます。

何年も前のことですが、原因不明の後頚部の痛みと入眠困難を抱えてずっと薬に頼っていたことがあります。依存とは感じていませんでしたが、心配した家族に言われて薬を断ちました。

そんな辛い時期の支えとして私がやったことは、このブログを書き続けたこと。(その過程でVAI説法に出会えました)ギターを弾いたこと。(数年で挫折、笑)ランニングを続けたこと。何が良かったのかは分かりませんが、健康を取り戻せて良かったです。

身体も心も健康が一番大切ですよね、健康第一でやっていきましょう。