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Satch/Vai 対談 「身体的困難があっても可能な範囲内で無限の探求は可能だ」

大好評のうちに Satch/Vaiツアーが今週終わりました。この夏はサッチがサミーと共にツアーに出て、サミーの代表曲や Van Halen の楽曲を演奏します。この秋にはヴァイ先生が BEAT ツアーで King Crimson の楽曲を演奏します。

けれど、Satch/Vaiツアーはその後に再開される予定があるようで、ヴァイ先生がインスタで「まだショウは続くだろう」とコメントしていました。楽しみです。

さて、Guitar World 誌6月号ではサッチ/ヴァイが表紙となり、2人の対談が実現しました。今週はこの対談から興味深かった一部をまとめてみました。

www.guitarworld.com

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2人で曲をリリースするのは初めてですが、レコーディングしたのは違いますね?ティーンの頃に2トラックのテープに録ったデモがあるとか。"Reflections on a Year and a Half" と呼んでいるそうですが。

SV:ジョーのレッスンで彼の部屋に通っていたんだ。あれはロングアイランド中のティーンの部屋で最もクールな部屋だった。大きなロックンロールのポスターが貼りめぐらされ、LPレコードで一杯の棚があった。大抵はヘンドリックスの "The Cry of Love" が前面にあった。そしてジョーの Kustom アンプ、全体が覆われているような外見のやつだ。カールしたケーブルを繋いでいたよ、いつもカッコ良く見えた。

ジョーは2トラックのリール式レコーダーを持っていたんだ。それが私がこの世で体験した初の音楽録音や編集なんだ。ジョーが教えてくれたのは「1つのトラックに何か録音して、別のトラックにオーバーダブできる」ってことだ。

最高だった。あるレッスンで彼がこのレコーダーを取り出したんだ。彼が弾いていたリフがあって、私はそのころには1年半のレッスンを受けていた。2人の子供が部屋で録音したものさ。それはとてもクールで興味深い、ハードなリフだ。

JS:ソニーの2トラックだったかな?

SV:ああ。そして15年程してから「こんなものを見つけた」と言ってジョーがそのテープを送ってきたんだ。私はそれをデジタル変換して、長い長い年月の間私の戸棚にしまった。

それが日の目を見たんだ。ジョーと曲を書くというアイデアが出てきたとき、ジョーが私に送ってきた音楽には子供の頃私たちが延々とジャムするのに使っていたコード進行を使ったパートがあった。

私たちはジョーの家の裏庭で背中合わせに座り、4~6時間もただプレイしたものさ。あれは記憶の中で最も素晴らしく、引き込まれる音楽体験の1つだった。そこで私たちがよく使ったコード変更はジョーが新曲のうちの1つに組み込んだ。

そこでジョーに言ったのさ「あの古いテープを持っているんだ。もし私がこれから何か曲を書いたらどうなるだろう?」とね。そのオリジナルの録音は私の書いている曲の一部に採用される。

JS:驚いたよ。そのリフを聴いたとたんにスティーブにこう言ったんだ。「あ、これは覚えてる!」って。インターバルに魅了されて、そんなものをどう弾こうかと考えていたよ。そして録音を聴いてギターを手に取り「ん?何て変わったリフだ!」と案の定思ったのさ。

SV:判りにくいんだ。オリジナルのテープを聴いたとき、誰がどこを弾いているのかわからなかった。でも恐らく、ジョーがリフを弾いているのだと思う。何しろ、あの頃の私にそんな物を弾く腕はなかっただろうからね。(笑)

あなた方は今でも新たなことに挑戦しています。楽器演奏や音楽への探求心はどこから生まれているのでしょう?

SV:元々私たちに備わっているものだ。何かを達成する、探求する、拡大する要求というのは。人間の創造的衝動というのは非常に強力で、勢いを持っている。自分にそれがあるのがわかるし、消えたことはない。

私はかつて、やりたいことのリストを作っていた。だが50歳になったときにそのリストを見返すと、150くらいあった。しかもその1つ1つが2年程かかる。それで気づいたのさ、今していることを楽しめているのなら、それで良いと。

そして、長年の間には変化もある。エリートのスポーツ選手であったり、凄腕の音楽家にしてもなにがしかの限界というものがある。この数年で私は身体的困難があった。それでも可能な範囲内で無限の探求は可能だ。例え指が1本しかなくても、それは可能なんだ。だから私はその心意気を持って状況に適応することを学び、それでいてより深い探求を目指した。それこそが常に私のゴールであったし、そうあり続ける。

ジョーはどうですか?

JS:私は早い段階で自分の身体的限界というものを理解した。高校の音楽教師だったビル・ウェスコット先生から学んで肝に銘じたことなんだ。

「いいかい、君が18、19歳になったとき、楽器演奏に対して身体的にはさほど恵まれていなかったとわかるかも知れない。けれど、君の脳は80歳になるまで発達し続けることが可能だ。(ジョーの頭を指さして)ここにいる音楽家を鍛えるべきだ。そうすれば自然と指が動くだろう」

彼に言われたことはティーンの自分には理解するのが難しかった。だってその年頃といえば、身体が第一だからね。ホルモンと血と肉さ。ところが言われるんだ「身体に注意を向けるな、頭を使え」とね。時間はかかったけれど、ビル先生が正しかったことが理解できた。