Stay Together

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スティーブ・ヴァイ 「エディ・ヴァン・ヘイレンと競おうだなんて愚か者のすることだ」

10月6日に亡くなったエディ・ヴァン・ヘイレンについて、スティーブ・ヴァイが Rolling Stone 誌の取材に思い出を語りました。日本時間で8日朝7時20分公開の記事ですので、訃報の直後に電話取材を受けたものと思われます。

www.rollingstone.com

エディとの出会いから、交流の思い出話が語られます。その内容の一部を和訳してみました。

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エドワードと初めて会ったのは、アラン・ホールズワースが Roxy(LAにあるライブハウス)でプレイするのを観に行ったときだ。彼はステージにも上がってプレイしていたよ。楽屋に行って彼と話したときに、私はザッパと働いていると教えた。彼はザッパのファンだったから、私の電話番号を渡して、「フランクと会いたければ電話してくれ」と言ったんだ。すると驚いたことに翌日私のルームメイトから「エドヴァン・ヘイレン」から電話があったと聞いた。

それで彼に電話してフランクの電話番号を教えたら電話が鳴って、それはフランクだった。「おい、エドワード・ヴァン・ヘイレンが来てる、こっちへ来い」と言われたので、フランクの家に行って、3人で1日中音楽を聴いてジャムしたんだ。当時もエドワードは素晴らしかった。彼はそこにあったギターを1本手に取ったのだが、ナットが浅くて弦がザワついてた。彼は巨大なドライバーを見つけるとナットの下に差し込んでいたよ。ドライバーが45cm(!)くらい飛び出していたのだが、それで彼は私たちとジャムしていたよ。

1989年に私がDLRバンドを去った翌日にエドワードから電話があった。彼がどうしてそのことを知ったのかはわからないのだけど。それが私たちの良い関係、そして友情の始まりだった。半年ほどの間、私たちはよく連れ立って出かけたので、彼を良く知るようになった。

彼のスタジオにも行った。山ほどのテープを聴かせてくれたよ。彼は常に作曲しプレイしていた。未リリースの作品を聴かせてくれたよ、いかにもエドワードというものだった。「なぜソロアルバムを創らないんだい?」と訊くと、彼は Van Halen アルバムがソロアルバムのように感じているのだという。でもそこで聴かせてくれたものは実に素晴らしかった。皆が愛して止まない彼のプレイの全てが詰まっていた。

ギタープレイヤーには興味深い話だと思うのだが、私がハリウッドの自宅スタジオにいるとエドワードがやってきたんだ。話をしていたら「今取り組んでいる曲を聴かせたい」と言って彼が私のギターを手に取って弾き始めたんだ。ギター、リグ、ペダル、アンプも全て私のものだったが、即座にわかったよ、それはエドワード・ヴァン・ヘイレンの音だ。皆が愛するエドのトーンの全て、あの“ブラウンサウンド”だった。私のギアを使ってプレイしてもサウンドは彼の音だった。

私たちは土曜の朝に彼の兄や友人たちとソフトボールをやったものだった。楽しかったよ。彼が興味深いことを言ったことを覚えている。「お前のこと嫌いになるかと思っていた」そんな趣旨のことだ。

私がDLRバンドに加入したときは、あの優れた構築のロック曲を弾ける、恵まれた機会だった。ギタリストの夢だよ。もちろん、エドワードのように弾ける者などいない。ただベストを尽くすのみだ。デイヴとステージで Van Halen 曲を演奏するのは実に楽しかった。"Unchained" をプレイするのが好きだったよ、ダウンチューニングがとてもヘヴィだ。(半音下げ +6弦 1音下げ)"Pretty Woman" はとても美しいメロディで、"Panama" はいつ弾いても楽しいし、 "Hot For Teacher" も。

もちろん、彼の様には全く弾けなかった。私はやってみようともしなかった。エディ・ヴァン・ヘイレンと競おうだなんて愚か者のすることだ。ギタープレイヤーがあれらの楽曲を弾いたなら、構造に気付いただろう。実に素晴らしいよ。

『Eat 'Em and Smile』の制作中にプロデューサーのテッド・テンプルマンがエドワードのギターのネイキッド・トラックを聴かせてくれたのを覚えているよ。1トラックだけだというのに、エドワードのギターを録った1本のマイクはオーケストラのようなサウンドだった。パワフルでダイナミックな表現が完璧に込められていた。

彼は内耳を通して聴衆と繋がることができたのさ。楽曲はある意味明らかにシンプルだ、しかしとても心に残る。彼の人柄の優しさが聴こえてくるだろう。もちろん時にはとても激しくもある。だが彼の人柄にある、あの優しさが "Jump" のコード変更にも私には聴こえるんだ。

なぜ彼が新曲を出さなくなったのか?私には答えられないが、私の仕事量が時と共に発展したいきさつに基づいてその質問に答えるとすれば、彼は忙しくしていたのではないか。けれど他に興味を持つことができたのかも。それで彼は生涯闘っていたのではないか。

私たちは全く異なった種類の人間だったので、疎遠になってしまった。彼には7年くらい会っていない。彼を最後に見たのは何年も前の Motörhead コンサートの楽屋だった。調子が悪そうだったが、あの笑顔はまだそこにあったよ。

私たちが失ったもの?得たもののことを考えたい。この世の全てはやって来ては去るのだ。私は彼の貢献について話そう、彼はモノリス(巨大な一枚岩)のようだから。以前君たちのインタビューを受けたことがあるね、革新者は誰かと訊かれた。私の直感ではロックギター界ではヘンドリックスとヴァン・ヘイレンだ。数多くの偉大なギタリストが現れて貢献したが、2人は我々の楽器演奏方法を変革しただけでなく、作曲も衣装もステージでのパフォーマンスも変えるという偉業を成したんだ。実に深いところまで。だから、エドワードはモノリスの1つであることを確信している。

ギター・コミュニティ全体が喪失感でショックを受けているのを感じるよ。彼が私たちに与えてくれたものに注目しようではないか、それらは真の贈り物だ。彼は卓越している。

 

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エディの大ファンのヌーノから遂に9日、追悼コメントが出ました。

それによると、2019年夏のツアーを Van Halen が模索していた当時に、エディ本人が Extreme のニューアルバムをレコーディング中だったヌーノの自宅スタジオを訪問し、(不仲になっていた)マイケル・アンソニーに連絡を取り、オリジナルメンバーでのファイナル・ツアーを計画していることを興奮気味に語ったそうです。そして Extreme のニューアルバムが完成したら聴きに来るから「いいもん創れよ」と言って去ったそう。
コロナが始まって結局エディに新譜を聴いてもらう機会は永遠になくなってしまったそうで、大変辛いいきさつでした。せめて19年中にニューアルバムが完成していたら聴いてもらえるチャンスがあったかも、と思うと残念です。Van Halen の19年ツアーは結局エディの体調もあり実現しませんでした。

 

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Van Halen の来日は13年が最後となりましたが、この東京ドームでのライブが最後のライブアルバムとして世に残った訳ですし、感謝の気持ちで一杯です。