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Green (@ribbon_bear) が毎週好きな音楽ネタを語ります! Since 2011

デヴィッド・カヴァデール 「スティーブ・ヴァイが残していた素晴らしいリックを発見した」

Whitesnake の『Love Songs』発売に合わせてデヴィッド・カヴァデールがインタビューに応えました。(The Rhino Podcast 音源はこちら

アルバムについて、パンデミック後のツアーについて、その他興味深い部分をまとめてみました。カヴァ様の引退構想が再燃しているようで、Flesh And Blood ツアーが2度延期された日本のファンとしては気がかりです。

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お元気でしたか?アルバム『Love Songs』が発売になりましたね。

体調は非常に良い。しかし欧州ではまたこのパンデミックが大変なことになってきている。私たちは人間という種のために皆で協力してこれを乗り越えなくてはならないのだと思う。

Rock・Love・Blues のトリロジーアルバムはマイケル・マッキンタイアとの会話で、私のフェアウェル・ツアーに関連した作品として創られたものだ。69歳でリタイアなんて素晴らしいだろう?フェアウェル・ツアー用にバカバカしいデザインのTシャツも用意していたんだ。(笑)元々のアイデアは私の50年にも渡るキャリアに感謝するツアーを2021年に行うというものだった。私のエージェントは21年春からのツアーはどうかと言ってくるのだが、もちろん私には未来を予知することなどできないし、クリスマス・ギフトに未来を予知してくれる水晶玉が欲しいところなんだが(笑)、21年の後半でさえ、多数の人々が集団で集まるイベントが安全かは疑問だ。22年になるのではないか。

ブルース・スプリングスティーンエルトン・ジョンも2022年までは何もしないと言っていますね。

妥当だろうね。私はマイケルとずっとオフィスで仕事をしていたよ。そこで検討していたのはポッドキャストや800人程度のクラブで私の歌だけでなく様々なハレンチな話をするというものだ。(笑)それにしても私たちのビジョンを理解してサポートしてくれるチームがいてくれて幸いだよ。この Rock・Love・Blues のトリロジーアルバムは今後発売されるボックスセットの予告編のようなものだ。

『Love Songs』はタイトルから甘いラブソング集だと誤解する人がいるかも知れませんよ、聴きましたがこのアルバムは実にロックしています。

ラブソングであっても私のミュージシャン達は実にパワフルだからね。ブライアン・ティッシーとマイケル・デヴィンは強力だ。"Love Will Set You Free" は敬愛するスティービー・ワンダーへのトリビュートでもある。ギターを管楽器に換えたところを想像すれば私の言うことがわかるだろう。

あなたはアール・スリック(ギタリスト 『Into The Light』参加)とも仕事をしていますね、Whitesnake のギタリストとは違うタイプです。

彼は意外にも近所に住んでいてね。デヴィッド・ボウイとも仕事をした、オーガニックで素晴らしいギタリストだ。当時は Whitesnake とは違うバンドを探していたのだよ。マルコ・メンドーザはジャズまでプレイできるオールラウンドのベースプレイヤーだし、デニー・カーマッシも素晴らしい。ジミー・ペイジも彼のプレイが好きでね、ミック・フリートウッドとデニーは私のお気に入りの白人シャッフル・プレイヤーだ。デニーと言えば、サミー・ヘイガーのキャリア40周年を記念したコンサートでは、彼とジョー・サトリアーニのバンドでジャムしたんだ。

(訳者注:2012年9月に行われた 4 Decades Of Rock コンサートのこと。カヴァ様はデニー、サッチ、マイケル・アンソニーのバンドでサミーと "Rock And Roll" を歌う。当時のメディア記事はこちら↓)

www.blabbermouth.net

サミーとは今年 Whitesnake と一緒にツアーの予定だった。サミーは熱心に何度も私を説得しようとしたのだが、私は「無理だと思う、次の機会にしよう」と断ったのさ。

アルバムを通してバンドは違いますが、あなたの声を軸としてアルバムとして統一感があります。新たなリミックスには驚きがありますね。

『Deeper The Love』ではスティーブ・ヴァイがオリジナル版で残していたリックを発見してね、イントロに素晴らしいメロディがあった。「なぜあの時に入れなかったんだ!」と思ったよ。遂にこれを入れてスティーヴィーに送ることができたよ。彼は全く忘れていたけどね。(笑)

 

最近、『Live At Doninton』の30周年で皆がオンラインで集まったんだよ。スティーブ・ヴァイエイドリアン・ヴァンデンバーグ、彼は残念なことに風車小屋の電力でインターネットに繋いでいたものだから上手くいかなかったのだが(笑)、トミー・アルドリッジ、ルーディ・サーゾが集まった。皆の祝辞で私のSNSがパンクした程だったよ。

 

『Live At Doninton』30周年同窓会の模様はこちらの過去記事で。

staytogether.hateblo.jp

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Purple ツアー時のようにカヴァ様の引退したい病の再燃か?お歳を考えれば有り得ることなのですが、ゆったりスケジュールでのツアーなら70代でもやれるのでは?この先大量のボックスセットとリミックスがリリースされそうですが、ツアーの方もよろしくお願いします。それにしても来年もライブがない世界なのでしょうか…(涙)

スティーブ・ヴァイ 「新しいギターを十分使い慣れるには、まる1年くらいかかるんだ」

スティーブ・ヴァイの新しいシグネチャーモデルPIA (Paradise In Art/奥様の名前でもある)の限定カラー3色も遂に日本の楽器店で入手可能になりました。ゴージャスな写真にうっとりするばかりです。PIA制作過程の話は各所で語られていますので、今年の2月に Guitar Interactive で特集されたPIA発売記念インタビューから、他であまり話されなかった興味深い部分の概要をまとめてみました。

www.guitarinteractivemagazine.com

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PIAはあなたの言うとおりこの上なく、デザインの背景には真のインスピレーションが伺えます。過去にJEMに手を加えたけれどあまり成功しなかったこともありましたか?

 

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ああ、JEMが登場してから長年になるのでグリップを変えようという話になって、奇妙な穴を空けたことがあるが、上手くいかなかった。1度限りの実験だったよ。ハードテイル・モデルも上手くいかなかったな。ファンに気に入られなかったんだ。あれはアーム無しのJEMが欲しいプレイヤーもいるかと思ってのことだったが、全く気に入られなかった。それ以外についてはJEMは素晴らしい進化を遂げたよ。カラーやピックアップやネックなど様々に変化を加えたが、ギターの骨格は不変だ。

それで、ニューモデルを出す時期がきたのではないかと思った。私の直感が告げたのだ、「OK、今だ変えよう」と。このような直感が浮かんで消えず、一層大きくなるとき、これは本物だとわかるのさ。これを私は「衝動が強烈になる」(push comes to shove)と呼んでいる。これはやらなくてはいけないのさ。

PIAには独自の音があるとのことですが、まだレコーディングには使われていません。ツアーに出たとき、どの曲がPIAで弾かれるのでしょうか?

いい質問だね。まだ答えはわからないが。まだ複数のPIAを試しているところでね、最初のプロトタイプの4本を受け取った。これでピックアップをいくつか試したり、手を加えたが、今は別所に保存されている。私が死んで何年も経たないと開けられることはない。

それからNAMMショウ用に4本を受け取って、そのうちの何本かに手を加えた。ピンクのPIAにはサステイナーもスキャロップも何も手を加えていない。だからEVO同様で、EVOでプレイする曲に使うだろう。この何年も私は少々スキャロップされたフレットを好んできた、FLOⅢのようにね。グリーンのPIAは "Bad Horsie" をプレイするようなセットアップにした。ドロップチューニングでは違う弦を使うし、テンションもスプリングも全て異なる。少しばかりスキャロップにしたし、サステイナーを載せた。白のPIAはFLOの分身みたいで、同じくスキャロップとサステイナー付きだ。ゴールドのPIAはドロップDチューニング専用にセットアップした。

 

 

 

これらのギターは実験としてNAMMでのギグでEVOも含め全てを使用した。FLOも使ったかな?全てを使ってレコーディングとツアーのために評価したかった。更に4本のPIAを受け取る予定で、最初のPIAはIbanezの博物館みたいなところに収納されるんだ。次の4本は私のもので保存する。そうしたらツアー用に様々にPIAに手を加える。

あまり話してこなかったのが、ネックサイズについてだ。PIAのネックはJEMよりずっと太いのだが、とても気に入っているよ。ツアーでは薄いネックに惹かれるのだが、ネックの太いものよりも簡単に環境変化の影響を受ける傾向がある。楽屋からステージに移動する間にチューニングが狂ってしまうんだ。ショウの間も同じだ。会場が暑くなれば全て変わってしまう。それで太いネックを試すことにした。この方がツアーでは使い易いから、このサイズを使おうと思う。だが、薄いのも作ってもらうかも知れない。個人的好みとしては薄いのが好きなんだ。

PIAにサステイナーを載せたそうですが、一般販売のものに付ける予定はありますか?

もう10年くらいやりたいと思っていることなんだが、問題は私の気に入るサステイナーが Fernandes のものということだ。サステイナーには基本的に供給元が2つだ。Sustainiac は品質が一貫しており、クリーンで長年に渡って私のギターのそこここで使用してきたが、ちょっとした限界があるんだ。PU自体の音にも満足できず、私にはしっくりこなかったのだ。

それで私は Fernandes を使い続けたのだが、彼らの問題は会社が小規模で生産量が少ない上に、品質に一貫性がない。通常、私がギターに載せたいと思う個体を見つける為には4個ほど買わなくてはならないのだ。これらの理由から、Ibanez の生産ラインに十分な供給を得るのは難しいと思う。それで Sustainiac に移行することに決めた。今は彼らと組んで私の求める物を目指して手を加えているところだ。

Sustainiac が私の要求全てに応えるものを創ってくれたら、Sustainiac を搭載したPIAかJEMの市販品を出せるかも知れない。私が実際にプレイするギターのようにしっかり創られていなければならないけどね。それにある種のトレムセッター(トレモロスタビライザー)も必要だ。フローティングトレモロは私にはデリケート過ぎるんだよ。本物のフローティングトレモロで1音弾くと音は奇妙に振動する。チューニングは難しいし、だからトレムセッターは必要だ。

なるほど、あなたの仕様が通常のオプションとして販売されないのがなぜかと不思議に思っていました。

サステイナーもトレムセッターも先に話した問題が解決すれば導入するだろう。スキャロップ・ネックについては、個人の好みの問題だ。そんなに需要があるのか疑問なんだ。だからシグネチャーギターに取り入れることは考えたことがなかった。とはいえ、常に「完全なスティーブ・ヴァイ モデル」を出す可能性は残っている。

あなたがジョーとエリック・ジョンソンとの最初のG3ツアーのプロモーションで持っていたギター(訳者注:10周年記念のJEM10)の記憶があるのですが、そのギターがライブで使用された覚えがないのです。あのようなアニバーサリーモデルにはなかなか愛着が湧かないものでしょうか?

Ibanez の世界ではアニバーサリーモデルであれ何にしろ、新たな美しいアイデアが生まれるのだ。もちろん私がライブで使用し露出することが期待されるのだが、私にとってEVOが常に1番なんだよ。あのギターには磁力のように惹きつけられる。暖かくて常に我が家と感じられる場所なんだ。

新しいギターというのは使い慣れる必要がある。十分に使い慣れるにはまる1年くらいかかるんだ。自分のDNAや汗が注がれ、様々なエピソードや秘密も染みつく頃に本物の音が生まれる。音が変わるんだ。新車のようなものだ。新車は新車の匂いがするだろう?新しいギターは新しいギターの音がすると感じるんだ。木材は呼吸していないし、膨張してもいない。何年も共鳴することで木材が変わるんだ。

だから、EVOやFLOを弾かないなんて私にはできないのさ。これらが何十年にも渡って私のメインギターだからね。だから、あれらのアニバーサリーモデルを私があまり弾かないことについて謝罪しよう、特にIbanezに対して。そのせいで潜在的な売上を減らしてしまったかもしれない。

でもこれが私という人間なんだ。私は自分の芸術的直感に基づいて活動するしかないんだ。私がIbanezギターを使うのはエンドーズ契約があるからではなく、それらが私にとって完璧な楽器だからなんだ。Ibanezのような意識高く実効的な会社と仕事ができてとても幸運だと思っている。

 

 

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Vai.com のギターギャラリーにJem10が掲載されていますが、そこに面白いエピソードが記載されていました。90年代に初めてヴァイ先生が中国でライブしたときのこと、ショウの後に食べるものが無く、プロモーターは北京から車で2時間かかる Hard Rock Cafe にバンドを連れていったそうです。しかし、厨房は片づけた後でバンドに食べ物は提供されなかったそう。ヴァイ先生はレジの後ろに展示してあったこのJem10をみつけ、後日 Hard Rock Cafe と交渉して別のギター何本かと交換でこのJem10を返してもらったそうです。それにしてもその夜のバンドは何か食べれたのでしょうか?

ビリー・シーン 「クレジットはエディ・ヴァン・ヘイレンだが、起源はビリー・ギボンズにある」

ビリー・シーンがインタビューに応えました。スタジオで興奮ぎみのミュージシャン2人との会話に盛り上がってご機嫌でいろいろと語っていましたので、興味深かった一部を要約してみました。

 

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自分がレコーディングした中で最も強力に思うアルバムは?

DLRの『Eat 'Em And Smile』と Mr.Big の『Lean Into It』と The Winery Dogs の1stアルバムだ。これらのアルバムは友達に会うとまず聴かせたアルバムさ。アルバムの制作には全力を注いでも完成品が自分にしっくりこない時というのはあるんだ。この3枚は強力だった。

The Winery Dogs で達成したことの1つはリッチー・コッツェンを世界に知らしめたことだと思うね。多くの人は彼のことを「しばらく Poison にいた奴」くらいにしか認識していないが、一方で彼はスタンリー・クラークのバンド Vertu でアラン・ホールズワースの代わりに入ってプレイしたんだ。

そうですね、リッチーはグレッグ・ハウとも超絶のフュージョン・アルバム(『Tilt』)を出しています。

ああ、彼のプレイもボーカルも作曲も素晴らしいよ。リッチーは The Winery Dogs で超重要な要素だった。

最もクレイジーなツアー中の出来事を教えてください。

沢山あって数冊の辞典くらいになるな。『Eat 'Em And Smile』のツアーは当時の世界一ビッグなロックスターだったデイヴとで、スティーブやグレッグと一緒だった。驚異的なツアーだったよ。あるとき、雑誌の Time か Life からカメラマンがやってきて、写真を撮ったんだ。ライブの最後に俺たちが歓声をあげるオーディエンスに背中を向けてカメラを向いたもので、とても楽しみだった。でも彼らはその写真を使わなかったんだ。何が起こったかだって?何人もの女の子が胸を見せていたんだ。胸が見えたらまずいから、彼らは写真を使わなかったのさ。(笑)

付け加えておくけど、俺たちのツアーバスにはドラッグはなかった。俺なんて71年からアスピリンも使ってない位だ。ドラッグもコカインも全くやらない、酒を少々楽しむくらいさ。スティーブもグレッグもブラッドも俺も真面目な人間で、デイヴは俺たちにとても親切だった。デイヴは別のバスに乗っていたから、そこで何があったかは知らないけどね。

プレイに役立った好きなリック又はテクニックは何ですか?

74年にビリー・ギボンズがプレイするのを見に行ったんだ。彼がアリス・クーパーのオープニングでバッファロー公演があった。そこで彼がこう弾いたんだ。(ベースでプレイしてみせる)そんなのは見たことなかった。彼は右手で弦をフレットにハンマリングしてたんだ。これはギタープレイヤーがこぞってタッピングプレイをする前の時代の話だ。家に帰って直ぐにやってみたよ。右手で弦を押さえると音がするじゃないか!それでいろいろ試した。それが俺のタッピングを使ったベースプレイの始まりになったんだ。

そして78年に Van Halen が登場した。もちろんショックだったよ、タッピングをやっているのは俺だけかと思っていたから。だが実際のところ、クレジットは全てエディ・ヴァン・ヘイレンに相応しい。一般に浸透させただけでなく、彼のタッピングは素晴らしかったし、俺が思いも寄らないやり方であれをやっていた。だからタッピングのクレジットはエディにあるが、その起源としてはビリー・ギボンズにあると思う。

ある日、LAでスタジオ・レコーディングに行ったんだ。親しい友人のリタ・フォードのところに。俺は知らなかったがサプライズでそこにはビリー・ギボンズもいたんだ。スタジオに入ってびっくりしたよ。そこではリタとビリーと俺とでレコーディングしたんだ。休憩時間に彼と話をしたよ。彼はあらゆることに博学で素晴らしいんだ。お礼を言って帰ろうとしたら、ビリーがちょっと待てと言う。彼はバッグから彼の写真を取り出してサインしてくれたんだ。(額に入れたビリー・ギボンズのサイン写真をみせるビリー)彼は俺のことなんて知らないと思っていたのに。インタビューで俺のタッピングはどこから来ているのか訊かれる度にビリー・ギボンズと答えていた。彼はそれを読んだと言って、「その調子でな」と言ったのさ。

実は彼は俺のソロアルバム『Holy Cow!』に参加している。スタジオにやってきた彼はテレキャスを持っていたのだが、持ってくるギターを間違えたようだった。部屋には俺が誰かにジョークでもらった100ドルの中国製ストラトがあって、それはローBにダウンチューニングしてあったから弦がゆるゆるだった。このギターしかないけど、使ってみるかと彼に訊くとやってみると言う。結果、100ドルのストラトと Line 6 Pod で彼のギターはレコーディングされた。それでも素晴らしい出来だったよ。友達に聴かせてギタープレイヤーを当てさせたら、「ビリー・ギボンズ?」って答えていた。直ぐに彼だってわかるのさ。

わぉ!音は手に宿るって言いますね!ミュージシャンへのアドバイスはありますか?

スティーブ・ヴァイの(ツアーバンドで)リズム・ギターを弾いているデイヴ・ウェイナーの話をしよう。彼は素晴らしい奴なんだが、最初はスティーブのオフィスでインターンをしていたんだ。彼はMI(Musicians Institute)にいたんだが、スティーブは知らなかった。デイヴの家にはスティーブのポスターが貼ってあって、スティーブ・ヴァイの大ファンだったのさ。

彼がスティーブのところで働くようになって、スティーブは彼がギターを弾くことを知ったのさ。「どれぐらい弾けるんだ?」と訊かれてこれぐらいですと答えた。それで「ホテルの予約を任せていいか、フライトの手配もできるか」と言われているうちに「ツアーマネージャーとしてついてこないか、それにリズムギターも弾いてくれ」と言われたんだ。そうして今では彼はスティーブの右腕だ。

これは誰にでも起こり得るんだ、心から望んで努力していれば。そういう希望と楽観主義を皆に持ってもらいたい。それと同時にそこには何の保証もなく何でも起こり得るということも理解して欲しい。生涯を通じて頑張って良いミュージシャンになっても成功が起こらないかも知れない。どこかに理由が隠れているのだろう。人に礼儀を持って親切にすること。俺も時には失敗するけれど。早く行って、(会場に)残り(タスク以上の)仕事をすること。そうすれば実現できる。

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ビリーのタッピングの起源の話が興味深かったです。以前、ヴァイ先生がビリーのことをこう語っていました。

「シュレッダーという言葉があるが、ビリーは最初のシュレッダーなんだ。その言葉が使われ始めるずっと前からシュレッドしている。彼はエディ・ヴァン・ヘイレンよりも前からシュレッドしているんだ。彼は非常にユニークで、シュレッドの権威なんだよ。私は彼の技術から随分と盗ませてもらった。(笑)」

元記事はこちら↓

staytogether.hateblo.jp

ジョー・サトリアーニ 「テクニックというのは道具箱の道具に過ぎないんだ」

最近はインタビューに積極的なジョー・サトリアーニが新たなインタビューに応えました。こちらのギタリスト向けの番組の終盤では深い会話が聞けましたので、その部分を和訳してみました。プロフェッサー・サッチが語ると言葉に重みがあります。

エディ・ヴァン・ヘイレンの訃報が伝わる直前にされたインタビューだそうですが、エディについても興味深いコメントがあります。

 

 

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では最後の質問です。多くのギタープレイヤーがクレイジーだと思っていることは何だと思いますか?つまり、あなたは知っていて皆が知らないこと、もしかすると厳しい現実かも知れませんが。楽器に対する誤解とか。

うーん…(しばし考えて)ギタリストなら君の指が弦にふれることで、皆に音が聴こえるんだ。人は君の物語を聴くことになるから、言うべきことがなくてはいけない。これは本当のことで、私がこの話をしたのは、私たちギタリストというのはテクニックを解き放った人を尊敬する傾向があるだろう、やらずにはいられないんだ。ギタリストにはそれを弾くのがどんなに難しいのかが解るからね。チューニングを保つことも、複雑さも、現代音楽にフィットさせる難しさもある。

今の若手プレイヤーがギターでやっていることは全く驚異的さ。けれど、ギタープレイについて若手世代やまだ楽器を始めていない人も知るべきなのは、自らの独自性で有名になりたいのなら、少なく弾くことを覚えなくてはいけない。弾けば弾くほど、オーディエンスはプレイヤーの指と弦の奏でる親密さを聴き取れなくなる。速すぎては聴き取れないんだよ。多くの指を使うと、例えばピックを使って弦を高速で繰り返しピックすると、そこにはもうジョーの音はない。誰でも私のプレイを真似できるんだ。

エディ・ヴァン・ヘイレンが凄かったと思うことは、彼がタッピングを使い始めたとき、彼は革新を起こしただけでなく、あのプレイにエディの音が聴こえることだ。彼よりタッピングが上手い何百人ものプレイヤーがいるかも知れないけれど、そのプレイで名前が判る人はいないんだ。これはどういうことか。

テクニックが上がり、音数が増えれば増える程、一般的なオーディエンスにはプレイの違いがわからないんだ。音楽的文脈で創らない限りは。これが他とは違うオリジナリティになる。例えばベートーベンだ。彼が登場したとき、1曲に多くのアイデアを詰め込み過ぎて、不人気だったし、嫌われもした。それでも全体として彼が成し遂げた作曲面での質やメッセージ性を無視することはできなかったから、今日でも彼の名が知られているんだ。作曲面の中身からであって、音数が多かったからではない。誰にでも大量の音数をプレイすることはできる。

部屋に座って最速のギタリストよりも速く弾けたとして、じゃあ B.B.King の名前はなぜ有名なんだ?それを一度考えてみるといい。彼のプレイした1音1音は彼の指から発せられたことがわかるだろう。彼の物語、彼の感情を表しているんだ。より速く弾けば、メッセージを送るのがより難しくなる。伝えたいメッセージや物語と繋がっていなくてはいけない。君のプレイ方法はもしかしたらそれには逆効果かも知れないんだ。

時には最速のプレイが必要かも知れない、私もテクニックは大好きさ。私に弾けないような速弾きや複雑なプレイも大好きだ。本当に好きで毎日(インスタグラムで)観ているんだ、楽しいからね。でも私がよく生徒に言ったのは、テクニックというのは全て同じで、コードも音符も同じで、他のスケールよりも優れているスケールなんてものもない。全て同じで、道具箱の道具に過ぎないんだ。

私たちミュージシャンが理解しなくてはいけないのは、感情を引き出すためにそれら道具を使い、人々の人生に寄り添う音楽を創るということだ。私たちの仕事はそれだ。だからテクニックに惑わされるな、それらはただの道具だ。

 

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ジョー・サトリアーニ 「エディ・ヴァン・ヘイレンの真似と本物との違いは、あのリズムを再現できないこと」

先週に引き続き、エディ・ヴァン・ヘイレンの訃報を受けてのRolling Stone誌記事の和訳です。

www.rollingstone.com


サッチのインタビューには先週のヴァイ先生の話のように個人的関係の話題はありませんが、同世代のサッチがギタリストとしてどうエディを評価していたか、何が Van Halen を偉大にしたのか、その辺りのお話は興味深いです。

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初めてラジオから "Eruption" を聴いたとき、私はカリフォルニアのバークレーにある小さなアパートに住んでいた。手にギターを持ちながら私は完全に釘付けにされた。子供の頃にヘンドリックスを初めて聴いたときみたいだったよ。違うのは私がもう大人で既にミュージシャンになっていたことだ。

君たちはきっと何人にもインタビューして、彼が革新をもたらしたあれやこれやその他について延々と聞かされてきたことだろう。実際にそうだ。しかしもう1つ重要なことは、彼が自分よりも前の時代の先駆者のやった全てをとても美しく又楽しく統合したことだ。これは私が彼と同世代だから経験からわかるんだ。私は彼より1歳年下だ。

私はいつも彼は私世代のプレイヤーの中で最も偉大な人物だと思っていたよ。偉大なプレイヤー:ヘンドリックス、ペイジ、ベック、クラプトンらの直後の世代が私たちだ。しかも彼は笑顔でそれをやってのけたんだ。当時においてそれはとても重要なことだ。なぜなら多くのギタリストはしかめっ面でうなってる、気取った奴だったから。複雑化していたんだ。

何年かの間、ギターが不人気になって奇妙な方向へ向かっていると感じていた。ところが突然、救世主がラジオから現れて私に直接語りかけたんだ。彼のギタープレイを聞く度にあの興奮を忘れることはない。いつだって気持ちのレベルを上げて、自然に笑顔になるんだ。誰かがあれをやってくれたことがただ嬉しい。彼のプレイには1音1音に歓びが込められている。彼の微笑みが全て楽しくてやっていると教えてくれるのさ。けれど同時に、ミュージシャンたちは自分が彼には決して及ばないと知っていた。

彼のリズムは完璧で夢中にさせる、それに彼の音の選択は笑ってしまうほど、可笑しくて大胆だ。素晴らしい曲を書き、何時間ものつまらないシロモノで飽きさせることはない。いつだってロックン・ロールさ。自信たっぷりで、完璧なリズムが全曲をつき動かしていた。

偉大なプレイヤーを愛情を持ってトリビュートしようとする人、また彼らの真似をしようとする人と本物との違いは、あのリズムを再現できないことさ。ヴァン・ヘイレン兄弟、エディとアレックスの2人はとてつもないビート・アタックをする。彼らのリズム・ポケットのセンスはとても強烈だ。一聴すれば彼らとわかる。そのリズムセンスが世界中の聴衆を掴んだのさ。

アルバム『1984』に見逃されている曲 "House of Pain" が入っている。これを聴けば、彼らがあのリズムをどう叩き出しているのかわかる。私は2人を分けたくないんだ。エディのギターを聴くときはいつもアレックスのドラムも聴いているんだ。素晴らしいことだよ、共にプレイする兄弟の歓び、そこにある紛れもない愛。

 

 

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サッチは『The Extremist』の制作時にアンディ・ジョンズ(当時 Van Halen 『For Unlawful Carnal Knowledge』を制作していた)をプロデューサーに迎え入れます。最初に2人のミーティングが行われたのはエディの自宅スタジオでした。この時(91年)サッチはエディと会っていますが、サッチとエディの初対面はいつだったのでしょう?89年にヴァイ先生とエディが連れ立っていた頃にヴァイ先生がサッチを紹介していたのかな?

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スティーブ・ヴァイ 「エディ・ヴァン・ヘイレンと競おうだなんて愚か者のすることだ」

10月6日に亡くなったエディ・ヴァン・ヘイレンについて、スティーブ・ヴァイが Rolling Stone 誌の取材に思い出を語りました。日本時間で8日朝7時20分公開の記事ですので、訃報の直後に電話取材を受けたものと思われます。

www.rollingstone.com

エディとの出会いから、交流の思い出話が語られます。その内容の一部を和訳してみました。

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エドワードと初めて会ったのは、アラン・ホールズワースが Roxy(LAにあるライブハウス)でプレイするのを観に行ったときだ。彼はステージにも上がってプレイしていたよ。楽屋に行って彼と話したときに、私はザッパと働いていると教えた。彼はザッパのファンだったから、私の電話番号を渡して、「フランクと会いたければ電話してくれ」と言ったんだ。すると驚いたことに翌日私のルームメイトから「エドヴァン・ヘイレン」から電話があったと聞いた。

それで彼に電話してフランクの電話番号を教えたら電話が鳴って、それはフランクだった。「おい、エドワード・ヴァン・ヘイレンが来てる、こっちへ来い」と言われたので、フランクの家に行って、3人で1日中音楽を聴いてジャムしたんだ。当時もエドワードは素晴らしかった。彼はそこにあったギターを1本手に取ったのだが、ナットが浅くて弦がザワついてた。彼は巨大なドライバーを見つけるとナットの下に差し込んでいたよ。ドライバーが45cm(!)くらい飛び出していたのだが、それで彼は私たちとジャムしていたよ。

1989年に私がDLRバンドを去った翌日にエドワードから電話があった。彼がどうしてそのことを知ったのかはわからないのだけど。それが私たちの良い関係、そして友情の始まりだった。半年ほどの間、私たちはよく連れ立って出かけたので、彼を良く知るようになった。

彼のスタジオにも行った。山ほどのテープを聴かせてくれたよ。彼は常に作曲しプレイしていた。未リリースの作品を聴かせてくれたよ、いかにもエドワードというものだった。「なぜソロアルバムを創らないんだい?」と訊くと、彼は Van Halen アルバムがソロアルバムのように感じているのだという。でもそこで聴かせてくれたものは実に素晴らしかった。皆が愛して止まない彼のプレイの全てが詰まっていた。

ギタープレイヤーには興味深い話だと思うのだが、私がハリウッドの自宅スタジオにいるとエドワードがやってきたんだ。話をしていたら「今取り組んでいる曲を聴かせたい」と言って彼が私のギターを手に取って弾き始めたんだ。ギター、リグ、ペダル、アンプも全て私のものだったが、即座にわかったよ、それはエドワード・ヴァン・ヘイレンの音だ。皆が愛するエドのトーンの全て、あの“ブラウンサウンド”だった。私のギアを使ってプレイしてもサウンドは彼の音だった。

私たちは土曜の朝に彼の兄や友人たちとソフトボールをやったものだった。楽しかったよ。彼が興味深いことを言ったことを覚えている。「お前のこと嫌いになるかと思っていた」そんな趣旨のことだ。

私がDLRバンドに加入したときは、あの優れた構築のロック曲を弾ける、恵まれた機会だった。ギタリストの夢だよ。もちろん、エドワードのように弾ける者などいない。ただベストを尽くすのみだ。デイヴとステージで Van Halen 曲を演奏するのは実に楽しかった。"Unchained" をプレイするのが好きだったよ、ダウンチューニングがとてもヘヴィだ。(半音下げ +6弦 1音下げ)"Pretty Woman" はとても美しいメロディで、"Panama" はいつ弾いても楽しいし、 "Hot For Teacher" も。

もちろん、彼の様には全く弾けなかった。私はやってみようともしなかった。エディ・ヴァン・ヘイレンと競おうだなんて愚か者のすることだ。ギタープレイヤーがあれらの楽曲を弾いたなら、構造に気付いただろう。実に素晴らしいよ。

『Eat 'Em and Smile』の制作中にプロデューサーのテッド・テンプルマンがエドワードのギターのネイキッド・トラックを聴かせてくれたのを覚えているよ。1トラックだけだというのに、エドワードのギターを録った1本のマイクはオーケストラのようなサウンドだった。パワフルでダイナミックな表現が完璧に込められていた。

彼は内耳を通して聴衆と繋がることができたのさ。楽曲はある意味明らかにシンプルだ、しかしとても心に残る。彼の人柄の優しさが聴こえてくるだろう。もちろん時にはとても激しくもある。だが彼の人柄にある、あの優しさが "Jump" のコード変更にも私には聴こえるんだ。

なぜ彼が新曲を出さなくなったのか?私には答えられないが、私の仕事量が時と共に発展したいきさつに基づいてその質問に答えるとすれば、彼は忙しくしていたのではないか。けれど他に興味を持つことができたのかも。それで彼は生涯闘っていたのではないか。

私たちは全く異なった種類の人間だったので、疎遠になってしまった。彼には7年くらい会っていない。彼を最後に見たのは何年も前の Motörhead コンサートの楽屋だった。調子が悪そうだったが、あの笑顔はまだそこにあったよ。

私たちが失ったもの?得たもののことを考えたい。この世の全てはやって来ては去るのだ。私は彼の貢献について話そう、彼はモノリス(巨大な一枚岩)のようだから。以前君たちのインタビューを受けたことがあるね、革新者は誰かと訊かれた。私の直感ではロックギター界ではヘンドリックスとヴァン・ヘイレンだ。数多くの偉大なギタリストが現れて貢献したが、2人は我々の楽器演奏方法を変革しただけでなく、作曲も衣装もステージでのパフォーマンスも変えるという偉業を成したんだ。実に深いところまで。だから、エドワードはモノリスの1つであることを確信している。

ギター・コミュニティ全体が喪失感でショックを受けているのを感じるよ。彼が私たちに与えてくれたものに注目しようではないか、それらは真の贈り物だ。彼は卓越している。

 

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エディの大ファンのヌーノから遂に9日、追悼コメントが出ました。

それによると、2019年夏のツアーを Van Halen が模索していた当時に、エディ本人が Extreme のニューアルバムをレコーディング中だったヌーノの自宅スタジオを訪問し、(不仲になっていた)マイケル・アンソニーに連絡を取り、オリジナルメンバーでのファイナル・ツアーを計画していることを興奮気味に語ったそうです。そして Extreme のニューアルバムが完成したら聴きに来るから「いいもん創れよ」と言って去ったそう。
コロナが始まって結局エディに新譜を聴いてもらう機会は永遠になくなってしまったそうで、大変辛いいきさつでした。せめて19年中にニューアルバムが完成していたら聴いてもらえるチャンスがあったかも、と思うと残念です。Van Halen の19年ツアーは結局エディの体調もあり実現しませんでした。

 

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Van Halen の来日は13年が最後となりましたが、この東京ドームでのライブが最後のライブアルバムとして世に残った訳ですし、感謝の気持ちで一杯です。

100% #VAI説法 リリース! Under It All 全7話

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今年の3月から6月にかけて毎週ライブストリーミングされていたスティーブ・ヴァイの Under It All セッションはご覧になりましたか?コロナ禍でスタジオに籠っていたヴァイ先生が満を持して従来から時折お話されていた哲学的見解を7回にわたってトータル13時間近く聞かせてくれました。

スタジオでカメラの前に座ったヴァイ先生が時にはファンからの質問に答えつつ、基本的には1回当たり2時間ほど喋り倒すという、非常に深遠な時間でした。このセッション全話を和訳しよう!という野望に燃えてこの4ヶ月あまり黙々と和訳してきました。遂に全話完了しましたので、noteにて公開しました。ビデオでヴァイ先生が話している内容のうち、一部本題から逸れた部分や繰り返し部分を除いてほぼ全て和訳してあります。

終えてみると、全部で13万文字ほどになりました。エピソードごとに分量の違いはありますが、プリントアウトしたら100枚くらいになるかも。(汗)内容が難しい部分もありますので、これはネット上に置いておいても、真剣に読む気にならないと誰も読まないだろうなぁと思いました。

そこで今回はnoteで有料公開としました。少額でも有料なら読むモチベーションを持って臨んでもらえるのではないかと思ったからです。各エピソード200円の設定で、全7話をまとめたマガジンは1,000円とお得になっています。これでどれだけ読んでいただけるかわかりませんが、収益金が貯まったら Cameo を通じてヴァイ先生の慈善団体 Make A Noise Foundation に全て寄付します。今回のプロジェクトをヴァイ先生が何と言って迎えてくださるか楽しみなので、全話購入いただけると嬉しいです。

 

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Under It All セッション全7話の内容は、2017年にヴァイ先生が Starmus で行った講演に通じるものがありますので、こちらの過去記事が内容的に参考になると思います。

staytogether.hateblo.jp

 

以下に Under It All 各エピソードの概要を記しますので、ご参考まで。

Episode 1 - All About Steve スティーブの全て

幼少期のお話とスピリチュアル世界に導かれるに至った経緯とそこからの学びが語られています。

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 Episode 2 - Criticism 批判

ファンからの質問に答える形式となっています。批判を受けたとき、ネガティブな感情の背後にあるエゴの影響、対処の仕方など、誰にも役立つ説法が聞けます。

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Episode 3 - Meditation 瞑想

複数ある瞑想の方法とその効果のお話。VAI説法の基礎、VAI式生活様式など学ぶことができます。

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Episode 4 - Religion 信仰

宗教については余り語らないヴァイ先生が自身の宗教観について話しています。決めた宗教がないというヴァイ先生が語るその理由は深く、共感しました。後半ではネットからの辛辣な質問にも冷静に答えてくれています。

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Episode 5 - The Most Important Question 最も重要な質問

人生の最も重要な質に関する質問としてヴァイ先生が取り上げるのは極シンプルな質問ですが、その理由はあまりにも深い!後半はファンからの質問に答えています。自殺願望を持つ少年に真剣に語りかけるヴァイ先生の言葉は深いです。

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Episode 6 - Evolution 進化

ヴァイ先生が Starmus で語ったことの次ステージともいえる人類の進化のお話。深いです。後半ではファンからの質問に答えていますが、珍しくヴァイ先生の政治的信条が語られており、大統領選のある今年には特に興味深いです。

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Episode 7 - And We Are One そして我々は1つ

ファンからの質問に答える形式となっています。子供を持つ父親からの質問に答えるうちに、ヴァイ先生の子供に教えるべき事柄が語られます。終盤ではVAI説法は到達点に。深いです。

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ご報告 10/18追記

「100% #VAI説法」を購入して頂いた読者の皆さま、Cameoを使って収益金をMake A Noise Foundation へ寄付いたしました。ヴァイ先生からのメッセージビデオを受領しましたので、ここにビデオと和訳を掲載します。先生の温かいお言葉に涙しました。参加者の皆さま、心より御礼申し上げます。この感動を分かち合いましょう。

 

 

ヴァイ先生のメッセージ和訳

VAI説法を読んでいる日本のファン、スティーブ・ヴァイだ。Greenから依頼されたCameoだよ。受け取ったメッセージは特別のものだ。Make A Noise Foundation への寄付をもらったのでこのCameoで応えている。Greenは私の Under It All 全7話を翻訳したそうで、「100% VAI説法」と呼んでいるそうだね。「感謝の気持ちを表します。あなたの言葉はあなたの音楽同様に私たちの心に深い感動を与えました」とメッセージをもらった。

君たちには感謝しきれない。君たちが Under It All の各エピソードに建設的な価値を見出してくれたことを私はとても嬉しく思うよ。何年にもわたってずっとやりたいと思っていたことなんだが、私はやっていなかった。多分まだ自分に準備ができていないと感じていたのだろうね。でも始めてみると、とても良い感じで自然に感じた。Under It Allの各エピソードには沢山の温かいメッセージを受け取ったよ、おかげでとても励みになって続けられた。

そして近いうちに追加のエピソードをやりたいと思っている。ただ今はあるプロジェクトの最中で、これを何としても仕上げたいので、それが終わったら Under It All に戻りたいと思う。

それにしても、Under It All が誰かにとって全てを翻訳するほどに興味を引くものであったと知ったことに驚いているよ、日本語にするだなんて大変だっただろう。大変な仕事量だ。だから私はこの上なく感動したし、光栄に思っているよ。そうして日本のファンにあれが届いたということに。

皆、本当にありがとう。私の髭も感謝しているからね。ハハ!心配無用だ、そのうち剃るから。とにかく、君たちを愛している、ありがとう。