Stay Together

Green (@ribbon_bear) が毎週好きな音楽ネタを語ります! Since 2011

アンディ・ティモンズ 幻の Bad English 加入

アンディ・ティモンズがイギリスの音楽ポッドキャストのインタビューに応えました。

7月6日公開の最新インタビューで、アンディの近況や、様々な昔話が聞けて興味深い内容でした。1時間近くのトークの中から一部をまとめて和訳してみました。

straighttovideo.buzzsprout.com

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Winger との繋がり

キップとは長い付き合いでね、Winger からポールが抜けたときにバンドに誘われて参加しそうになったこともある。近いうちにチャリティで僕らのコラボレーション・ビデオが公開されるよ。キップから連絡をもらってね、マイク・ポートノイがドラムで The Beatles の "She Said She Said" だ。キップに誘われて、ギターを弾いたんだ。

 

 

マイク・ポートノイのことは尊敬しているよ、もちろん Dream Theater は大好きだし。マイクについては、ニール・モースとのアルバムが好きだよ、60'sのカバーみたいなんだ。アルバムを聴いたら、あの時代のヴァイブを見事に捕えていたね。彼はプログレのテクニカルなドラムも叩けるし、こういった種類の音楽に適切なビートも心得ている。彼とThe Beatles の曲をプレイできるなんて楽しかったよ。

(訳者注:7月11日に配信された故 David Z の名を冠した子供たちに音楽教育の機会を与える基金のためのチャリティに参加したミュージシャンの音楽ビデオのこと。基金のリンクはこちら

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4人兄弟

歳の離れた兄たちには多大な影響を受けたよ。兄の集めたLPを聴いて育った。僕がギターを弾いたのは、ジーン・シモンズが言うように女の子にモテたいからじゃなくて(笑)、兄に認めてもらいたかったからなんだ。

兄のブライアンは亡くなったけれど、ジョンはケンタッキーで大きなレコードショップをやっていた。僕の1stアルバムのタイトル『Ear X-tacy』は彼の店の名前からとったものだ。独立系のレコードストアとして成功していたけれど、時代が変わってレコード店を閉鎖して、今は公共ラジオで働いている。

マークは哲学の教授で彼の本が大学でテキストに使用されていたり、その道では名が知られている。彼はメンフィスで Danger Danger が KISS のサポートをしたときにも観に来てくれた。僕の母も Danger Danger のライブに来たことがあるんだけど、テッド(Vo)が "Naughty Naughty" の前に「じゃあ、次の曲は女の子たち思い切り Naughty になってくれ!ティモンズさんは除いて!」って言ったことがある。(笑)

 

LPレコードのコレクション

今は家でLPをターンテーブルで聴いているんだ。StageIt を通じてオーディオに詳しいファンに会って、僕が普段使っているオーディオ再生機器に無頓着だったので、良いスピーカーやレシーバーを送ってくれてね、僕は趣味だったLPレコードの収集を再開したんだ。

それに僕はサイン収集も大好きで、僕のヒーローであるミュージシャンに会えるときにはLPを持参して、適切な機会があればサインをもらうんだ。少し会話して、彼らの音楽が僕にとってどんな意味のあるものだったかを話す。全くのファンに戻るというわけさ。

過去には The Rolling Stones と会ったことがある。僕の誕生日がミック・ジャガーと同じで、39歳の誕生日の旅行で妻とトロントに滞在していたときに、知合いだったストーンズのギターテクと偶然会ったんだ。彼らがそこでリハーサルしているとは知らなかったよ。

彼に翌日のリハーサルに誘われて、僕は数枚のLPを持って訪ねたんだ。チャーリー、キース、ロニーとはサインと写真を撮った。ミックはシリアスに準備をしている人なので、ショウの後にも写真を撮る機会はなかったのだけど。

 

幻の Bad English 加入

Guitar Player 誌がちょうど最初の Soundpage レコーディングのコンペを発表していて、(読者がオリジナル曲の録音を送ると、候補作品に選ばれたらソノシートにして雑誌に付けて発売されるというもの)僕は "It's Getting Better" を書いてミッチ・マリーンとマイク・デーンとで僕の初めてのスタジオ録音を行った。コンペの締切に間に合わなかったけれど、僕らは他に "Innocence Lost" "Wanted Man" を録音して僕の連絡先を書いたテープを作った。

そのテープが Bad English の手に渡ったんだ。ベースプレイヤーのリッキー・フィリップスがジョン・ウェイト、ジョナサン・ケインニール・ショーンと Bad English というバンドを作るところだった。彼らはデモを作ったけれど、ニールがコロンビアとソロ契約したので、バンドはギタープレイヤーが必要になったんだ。ブルージーだけど、ロックなギタリストが。

僕が作ったデモテープが人を介してバンドの手に渡って、ジョナサンから電話がきたんだ。僕のプレイが気に入ったからオーディションに来て欲しいと。僕は The Babys のジョン・ウェイトのファンだったから、震えちゃったよ。それでオーディションに受かってギグを手に入れたんだ。

その後ロスでリハーサルをしてバンドとのフィールをみようということだった。ところがニールがバンドに考え直したと連絡してきたんだ。それでバンドからはニールとスタジオに入って様子を見て、また連絡するとのことだった。テキサスから来た無名の若造がどうなるかわかるよね、バンドからはその後連絡がなかった。

 

Danger Danger レコーディング

ボニー・ブレイズは僕のテープをジョナサン・ケインに渡した人物なんだけど、「心配無用だ。ギタープレイヤーを探している Danger Danger ってバンドがある」と彼に言われた。アルバムのラフ・ミックスを聴かせてもらった。バンドは最初のミックスが気に入らず、再度ミックスするそうで、僕のテープを気に入った彼らのところにオーディションに行ったよ。それでギグを得た。

ギターをLAのスタジオで録音することになり、そこでは Journey や QueenWhitesnake を手掛けたプロデューサー、マイク・ストーンに会った。ギターソロをいくつか再録してみようと言われたよ。このときだよ、メジャーレーベルのレコードに自分の音が入るんだと実感した。名もない若造の僕が、ブライアン・メイニール・ショーンのレコーディングを手掛けたマイク・ストーンと座っているんだ。

もうナーバスで仕方なかったよ。"Boys Will Be Boys" "Saturday Night" のソロを2回ほど弾いたんだけど、マイクが何も言わなくて、どうだった?と訊いたら「いいよ、誰もが1テイクで決められる」って言うのは皮肉だったんだけど、その後1週間以上かけて他のトラックを仕上げたよ。

 

今後の予定

UKのツアーを再度計画したいね。実は大の Beatles ファンなのにUK内の聖地巡りをしたことがないんだ。リバプールでもギグができるといいな。

The Reddcoats のアルバムが数ヶ月前に出ている。フュージョンでジャズでポップでロックなんだ。マット・ビゾネットは素晴らしいソングライターでシンガーでもあるんだよ。グレッグ・ビゾネットの5分に及ぶドラムソロもある。このバンドで初のライブが8月13日にテキサスのマッキニーで予定されている。ライブストリーミングもあるよ。(ライブチケットはこちら

ジョシュ・スミスのソロアルバムにも参加しているんだ。彼はブルースプレイヤーだけど、オールラウンドのギタープレイヤーでもある。彼のYouTube ビデオを観て、素晴らしいと思って連絡して知り合ったんだ。その後彼からレコーディングに誘われた。20年のNAMMショウのとき、少し前に彼のところに行ってレコーディングしたんだ。『Electric Truth』というアルバムで9月にリリースされる。

(訳者注:ジョシュ・スミスといえば、今年1月に Ibanezシグネチャーを出したアーティストですね。アンディとの繋がりから契約に至ったのだったりして?)

それから僕のバンドATB用には多数の素材がもうあるから、スタジオに入って完成させ、レコーディングしたい。そこが大変なところなんだけどね。

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アンディは他にも様々なバンドに誘われた経緯があるようですが、一番驚いたのは、ロン・サールから Guns N' Roses に誘われていたという話。過去記事でどうぞ。

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モーズ、ギルバート、ルカサー、フリードマン 「プロがツアー前に準備すること」

アメリカ国内ではコンサートが再開されています。この1年半はパンデミックでツアーに出れなかったギタリストたち、彼らがツアーを再開するにあたり、どのような準備をするのか。スター・プレイヤーたちのコメント集がGW誌に紹介されていたので、一部を和訳してみました。

 

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スティーヴ・モーズ

まず第一に、反復筋力トレーニング練習を続け、難しいパートを苦も無く弾けるレベルにすること。私の場合、家でそのパートを10回連続でこなせたら、様々なことに気を取られたり、1発勝負となるライブでも十分こなせると考える。

ツアー前には左手の強化に集中する。ヴィブラート、ベンディング、指先にタコを付けることは非常に重要だ。多くのプレイヤーは最初~2回目のライブで左手に痛みを感じるようだ。

ツアー前2週間はフレット練習を増やして左手を鍛えることだ。ドラム・ループとコードのバッキング上でプレイして、できればライブでプレイするソロスポットをプレイすると良いだろう。いくつもの実験を重ねて、快適になるまで。テクニカルな練習をするのとは違うが、準備プロセスではとても重要だ。

観客は金を払ってそこに来ていることを決して忘れないこと。自分が準備して臨むことは彼らに対する義務だ。しかし、一度ステージに立ったら、上手くいかないことは笑い飛ばすこと。上手くいったことを楽しみ、そのポジティブなエネルギーを放出すること、それこそがライブ・ミュージックを世界共通言語にしているんだ!

 

ポール・ギルバート

僕は狂ったようにベンディングを繰り返して、指のタコを取り戻すことから始める。指タコが完全に無くなっていたら、僕の「反重力」弦セットを取り出すんだ。

やり方

1.9~42ゲージの弦セットを出す。
2.42を捨てる
3.32を6弦に、残りを順に張る
4.1弦には追加したゲージ8の弦を張る。
5.これで6弦から 32,24,16,11,9,8 のゲージで弦が張られた状態。コードの鳴りは良くないが、指への負担を減らして一晩中ベンディングできる。

ライブ2~3回後には、通常の8~38ゲージの弦セットに戻せる。僕は通常それを使う。自由にベンドしたいから。


スティーヴ・ルカサー

どのツアーも始まり方はそれぞれ違う。レア曲をセトリに入れようとするし、俺の腕も取り戻す過程になるから。週5~6日、毎晩2時間以上みっちり弾くことほど「最高の調子」感を得られるものはない。ああ、あの頃が恋しいよ。ボーカルのエクササイズもする、思い切り出して完全に休養する。ツアーに向けて頭を集中することも大事だ。

俺には決まったギタールーティンはないんだ。ツアーが近づくと自分の感情がわかるよ。今のところ、2022年まではツアーできないから、俺の腕を完全に取り戻すのには少し時間がかかるだろう。バンドリハーサルで大抵は100%近くの自分を取り戻す、そしてツアーに出る頃には準備完了だ。もう45年もやってきた。ツアーに戻るのが待ちきれない!

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マーティ・フリードマン

最近のツアーで弾いた曲は最初のリハーサルのうちに思い出すから、準備は殆ど必要ないです。だから以下はセットリストに追加した曲をどう準備するかについて。

1.セトリに加えた新曲を弾き、弱点となる箇所があるかを確認する。
2.弱点の箇所を分析して、最も簡単なフィンガリングに決定するまであらゆる可能なフィンガリングを試す。これは重要で、音楽をパフォームするのであって、単にプレイするのではないから。そこには大きな違いがあります。

僕の音楽には多くの重要なニュアンスがあり、それらをレコーディング時には詳細に表現しています。けれど、その多くはライブの場では再現されません。アルバムにある全ての細かなニュアンスを再現しようとすれば、僕のパフォーマンスの集中力を奪ってしまうからです。

大局を見る事。曲の特定のトリッキーなパートをきっちり弾くか、そうでないかなど誰も気付かないことを恐れるなんてつまらない。パートをシンプル化するのです、一番大切なことはライブプレイをし、パフォーマンスを楽しむことだから。

3.フィンガリングが決定したら、その弱点のパートを立って死ぬほど練習する。(大抵は座って演奏し、レコーディングしているため、座って練習してもパフォーマンスに役立たない)そして最後に練習の必要のないことに時間を使って無駄にしないこと。練習時間の全ては熟練できていないところに注ぐこと。

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ポールの「反重力」弦セット、面白いですね。マーティさんのアドバイスやモーズさんの話はギタリストの参考になりそう。

今週行われていたポール・ギルバートのギターキャンプは無事に終了したようです。講師にジョージ・リンチ、トニー・マカパイン、ロン・"バンブルフット"・サール、グレッグ・ハウ、エリック・ゲイルズを迎えたキャンプなんて豪華!

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スティーブ・ヴァイ 「トーンは頭の中にある」

ヴァイ先生が今年の Sweetwater Gear Fest にオンラインで登場しました。自身のギタースタイルの進化について語っており、興味深い内容となっています。

トークのうち、お題について語った部分をまとめて和訳してみました。(先生のお話が途中で前後して進むので、和訳ではテーマに沿った流れに再編集してあります)

 

 

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もう40年も前になるのか。フランクとのショウをやった後、最初の朝だ。私は20歳になったばかりだった。フランクに昨夜の私はどうだったかのかと訊いたんだ。

するとフランクは、「スポート(ヴァイ先生のこと)お前は素晴らしいギタープレイヤーだ。しかしお前のトーンはエレキ・ハム・ハンドイッチだな」と言った。思わず「どうして?ギアは揃ってる。ストラトもアンプもあるのに!」と訊くと、フランクに「トーンは頭の中にある」と言われた。

私にはその意味がわからなかった。でもフランクは正しかった。私がそれに気付くにはしばらく時間がかかったのだけれど。

当時の私はロック・リフや様々なモードを弾いていて、まあ及第点ではあったけれど、素晴らしいサウンドではなかった。これというロック・トーンではなく、個性的なサウンドでもなかった。

若い頃、私が大好きでよく聴いていたフランクのソロは "Inca Roads" だ。彼は弦をピックでタッピングしていたんだ。私はそんなのを聴いたことがなかった。自分でもやってみたがいまいちだったよ。

そして私がバークリーにいた頃、Van Halen が登場したんだ。そして全てを変えたのさ。あのトーン、あのタッピング使い、これぞレベルの違う世界だった。私は自分のトーンを何とか見つけなければと思ったよ。

 

トーンの探求

フランクの「トーンは頭の中にある」という言葉の意味とは、トーンは君の頭の中に聴こえる音の反響だ、ということ。多くの人はそれを聴いていない。私はトーンという言葉を使うとき、トーンの2つの面について常に表現しようとしている。

トーンの第一側面は、物的装置にある。アンプやPU、使用ギター、全てのギアだ。そこに神経質になったなら、トーンを改善するためにケーブルやバッテリーを変えるようになるだろう。神経質という言葉は強すぎるかも知れないな、その道を深堀したい者たちのことだ。私は違う。まあ、それでも私は良いケーブルとバッテリーを使っているけどね。(笑)当初、私にはこれらのことは不可能だと思えたんだ、高額だからね。

だが、元々のトーンが持つ側面とは、君の頭にどう聴こえるのかにある。自分のプレイの音をどう目で耳で聴いているのか。それを想い描くことができれば、楽器へのアプローチの仕方、触り方へとイメージが動作に解釈されていくはずだ。

皆が知っているように、トーンとはどう弦を触るかによって違う。音は様々な要素によって異なるのだ。ピックの持ち方や、その強さ、ピックと弦の交差の仕方(実際にやってみせる、29:30頃)、ピックを強く持つか優しく持つか、ピックする弦の位置でもトーンは違う。君の弾いた音の全てが自分のトーンを創るのだ。

頭の中そして指に良いトーンが聴こえていれば、君が手にする楽器が何であれ、アンプだろうが何にプラグインしていても、君は工夫してできる限り良いサウンドにするだろう。

さて、私が Alcatrazz に参加したとき、イングヴェイの後任だったのだが、彼がシーンに登場したときは、またギタープレイヤーにとって驚きとなった。なぜなら彼は単にストラトを Marshall に繋いであの素晴らしいトーンを出していたから。もちろん彼のプレイには度肝を抜かれたよ。

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それで多分83年頃、私が『Flex-able』を作った後で、私のスタイルには完全な変化が起こった。頭の中に聴こえる音が違うものになれば、楽器を弾く自分の手がそれに従って動きを調節するからだ。それはやがては自分のギアにも反映されるのだ。自分に聴こえている特定の音を探そうとしているのだからね。

そうして私にはアンプの音の違いがわかるようになったんだ。もちろん、アンプのサウンドの違いは知っていたけれど、それまでの私は何でも手に入ったものにプラグインしていたんだ。

私は自分のプレイスタイルを完全に変えた。(ピッキングの位置を示して 31:30)(ブリッジに近い位置を示し)ここを弾くことでよりコントロールできる、するとトーンが変わったんだ。

もう1つ、トーンの研究で興味深かったのは、ゆっくり弾くようになり、注意深く音に耳を傾けるようになったことだ。弾き方を変えると、各音が異なる響きになった。しっかり聴くということは非常に重要だ。たとえ1音であっても、その音に磨きをかけて弾くこと。

幸運なことに、私の場合は上手くいった。トーンが変わり、意識的に努力した。トーンというのは常に進化し続けるものなんだ。

 

アーム奏法

フランクとの仕事を終えて、シルモアで家を買いスタジオを造った頃、最初のソロアルバム『Flex-able』を制作したのだが、これを聴くと私の当時のスタイルがわかるだろう。妙で雑なピッキングをしている。それに私が心理的レベルでギターに惹かれているもの、アームに気付くだろう。直感的にアームでできることがわかっていたんだ。

当時、アーム使いで最高だったのが恐らくジミ・ヘンドリックスだろう。ブライアン・メイの使い方も好きだった。しかし使い方としては Dive bomb とエフェクトとクールなノイズを出すというものだ。私には直感的にもっと大きな、異なった使用法もあるとわかっていたんだ。もちろん Dive bomb は大好きだけどね。

そして指とアームの棒で何ができるかを考えたんだ。それが時を経て進化したものを私のジャムで見ることができる。それは常に進化を続け、毎日だよ。それはつまり、少年がアイデアを想像し、何かを探求するのに大きな喜びを見つけるのと同じさ、私が今日になってもしていること。

私のキャリアが何らかの成功を収めているように見えるのであれば、それはその熱意の結果だ。なぜなら、それが今でも私に最高のスリルを味わわせてくれるものであり、自分の潜在力を活用していると感じさせてくれるもの、私のこの世界での役割だ。常に最高の気分にしてくれる。創造的になり、新しいモノ、違ったモノを発見することが全てなんだ。それに私はそういったことをシェアするのも好きだ。

ギター・コミュニティに最初に私の存在を知らしめた曲が "Attitude Song" だと思うが、これには「アームで何ができるか」という私の内面的ヴィジョンが反映されている。私はアーム・アップをしたかったのだが、当時のギターではできるものがなかった。だが、フロイドローズやファイン・チューナーといった発明により、様々な種類のテイル・ピースが出てきた。

しかし、そうなる以前、私にはなぜギターのアーム・アップができないのか理解できなかった。ブリッジの後ろ側の木材が邪魔をしているのに気付いて、ハンマーとドライバーで木材を削り出した。するとアーム・アップができるようになったのさ。最高の気分だったね。

それで "Attitude Song" を書いたのさ。アームでハーモニクス音を出してメロディを弾くというアイデアがあった。アームを使った新たなテクニック、そして面白いモノを探していたんだよ。この探求は終わることがないのさ。

そうして私のスタイルが進化を始めると、快適な状態に達した。24~25歳の頃だ。映画『Crossroads』をやっていた頃で、DLRにいた頃の私のトーンは本物のロック・ギタープレイヤーのものになっていたと思う。それ以来、今日に至るまで、私はただこの楽器を探求しているのだよ。大好きなことだから。より一層、興味深くて甘美なプレイを見つけるためにできることを何でもしている。

まあ、これがスティーブ・ヴァイのギター・スタイルの進化についての話だ。ディレイに関する教材ビデオを作っていたときにプレイしたビデオを最後に楽しんでくれ。来年は対面でこのイベントに出席したいと思っている。ありがとう。

 

 

ジョエル・ホークストラ 「全てのニュアンス、スライド・アップ/ダウン、ヴィブラート/ノーヴィブラートまでを学ぶ」

ジョエル・ホークストラがトッド・カーンズ(Slash featuring Myles Kennedy and The Conspirators のベーシスト)の podcast に登場しました。

ビッグなバンドでギグをこなしながら、ワーキング・ミュージシャンとして活動する両者のトークからはプロの仕事とは何かという話も伺えて、なかなかに興味深い内容となっています。

多岐に渡ったトークの一部をざっくりまとめて和訳してみました。

 

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Todd Kerns (TK):(ツアーで旅を重ねていると)ここって来たことあるっけ?ってなることあるよね。うちのバンドはドラマーの記憶力がいいので、ホテルや会場が以前も来たところだって教えられるんだ。(ツアーでは)空港・バス・会場・ホテルの繰り返しだからさ。

Joel Hoekstra (JH): ああ、空港に詳しくなるよね。2019年からこのコロナ禍が始まるまで、僕は Whitesnake と Cher を掛け持ちしていたから、そういう妙な体験をしたよ。3ヵ月前に Whitesnake で滞在したのと同じホテルにまた泊まったり。違う人たちと同じ場所に戻ってくるんだ。(笑)会場やホテルに詳しくなるよね。

TK: 君は Whitesnake, Cher, TSO を掛け持ちしているけれど、ストレスに感じることはない?優先順位を付けて、こなさなくちゃならないだろう?

JH: ああ、もちろんストレスはあるよ。これら全部をやろうと人生の何年もを捧げる訳だから。でも僕にとってはこれが通常でもあるんだ。こうすることで常にキャリアを進めてきたから。ブロードウェイのショウ Rock of Ages をやっていた期間もずっと。

TK: 劇場の世界は知らないけど、ロック界とはプレイヤーの代役に関する考え方が全く違うよね。

JH: ああ。あっちは組合が強いんだ。代役であろうが何だろうが、組合から雇用通知を受け取ったらそれは自分のギグなんだ。満席にするよう全力を尽くす。それはそれでとても良かった。別に他者より目立つとかそんな必要はない。仕事なんだ。

TK: ロック・バンドではそれが日常だよね。だから自分の代役を選ぶときは気を付けないと。いや、僕らもそうしてここにいるんだから。誰かの代役をやって、気付いたらそのバンドにいるんだ。

JH: ああ、そうだね。実際にそういうことが起こっている。ファンは(メンバー交代等を)個人的に受け止めてしまうんだ。TSOはとてもプロフェッショナルなショウだからそういうことはないけどね。バンドの個人ではなくショウ全体が重要なんだ。

僕はプロとして常にどんなギグにも感謝している。そこに合わないギタリストだと思われたり、僕がそのギグを尊重していることを理解されないのは辛いよ。

(訳者注:恐らく、ジョエルが Cher のギグをやることについて、ハードロックのファンから否定的なコメントが寄せられることについて言っていると思われます)

TK: ああ。だってバンドにしろプロジェクトにしろ、ショウにしろ、1年の何ヶ月かは仕事があっても、残りの時期の仕事が必要だから予定を埋めなくちゃならない。

JH: そうなんだよ、でもそういうことを理解しない人たちがいるってことに驚くんだ。音楽業界は既にこういう仕組みになっているのに。それにレコーディングに供される資金やレコーディング~ツアーのサイクルは以前とは違うんだ。

TK: ああ、ベガスでも同じだ。多くのショウで働くミュージシャンが多数いる。皆が様々な人の代役をする、これが至って普通さ。そして君が言ったように、レコーディング業界は過去とは変わってしまった。それが Rolling Stones や Aerosmith や KISS がツアー日程を増やしている理由だ。ツアーが収益源ということさ、もはやアルバムではないんだ。

JH: ああ、そうだ。だから個人としては常に生産的でいること、できることをやるしかないんだ。

(この後、ジョエルの家族やギターを始めるきっかけの話が続きます。詳しくは過去記事でどうぞ)

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JH: それで僕の2人目のギター教師が T.J. ヘルメリッチだったのだけど、彼は後にロック・フュージョンのキャリアで知られる腕利きのプレイヤーだ。彼に師事できてとても幸運だったよ。彼に8フィンガーを教えられたんだと皆は思うだろうけど、12歳の僕には「これがベンドだ」とかそういう基礎を教えてくれたのさ。彼が8フィンガーをやっているのを見て、「それどうやるの?」って教えてもらったのさ。

"Rock In America" のソロを教えてもらったのを覚えているよ。家に帰って天井を見ながら8フィンガーを練習したのさ、あれが一巡して僕の人生に(後に Night Ranger 加入という形で)戻ってきたのは不思議だね。

TK: どんなレッスンだった?

JH: 彼は譜面にも明るい人でそれも少し習った。5~10分 Mel Bay のギター教則本をやって、20分ほど曲を弾くという30分のレッスンだった。僕にとっては20分の曲を弾く時間が全てだった。譜面を読む必要はやがて僕のキャリアで必要になったから、学んだ。できるようにしておいて良かったよ。

Rock of Ages をやっていた頃、友人の代役でミュージカルのオケピの仕事をしたんだ。300ページの譜面を渡された。

TK: それは凄いな。そんなシーンに遭遇したら僕は「無理」って感じだから。

JH: 劇場の仕事にしろ、誰かの代役でプレイするときに重要なことはできる限り前任者のしていた通りにプレイして共演者が(変化を感じずに)気持ちよく演じられるようにすることだ。代役が自己主張したプレイで毎日演じている共演者を不快にさせないということ。

TK: ああ、わかるよ。Alice Cooper band に代役が入ったとして、そこに代役がいたとは観客も気付かないようなプレイをするということ、それが代役の仕事をやったということさ。それがやがて自分のギグになったら、プレイの幅を広げることができる。

JH: その通り。僕はブロードウェイでそれを学んだよ。『ターザン』のオケピに代役で入ったのだけど、作曲者がフィル・コリンズで、ショウの立ち上げ間もなくだったから、彼がまだ劇場に来ていたんだ。譜面を前に死ぬほど緊張して弾いていたら、隣に誰かが来て見ている。見上げたらフィル・コリンズだった。

TK: ワォ!

JH: 彼は僕が譜面通しで弾くのを聴いていたんだ。凄い!と思って、自己紹介しようと思った。僕は代役を依頼した友人の通りに譜面を覚えていたんだけど、1リックだけ、自分の思うようにやりたいところがあったんだ。シュレッドなんかではなく、ただのリックでその方が良いサウンドだと思った。

その1箇所だけ変えたらショウの後でフィル・コリンズが指揮者に何か言ってたんだ。「彼にそれは絶対するなって言っておけ」と言ってるみたいだった。(笑)たったの1リックだ!たった2拍長い位だったのに!

TK: それに1発で気付く彼らがいいよ。(笑)

JH: 後で友達に言われたよ、ほんのちょっとのことだったのに、「二度とするな」って(笑)

TK: それがロック界とは大きく違うところだね。Whitesnake の方は?

JH: デヴィッドとはとてもウマが合うんだ。彼はとても寛大な人で、あのバンドに加わるというのは僕にとって素晴らしい以外の何物でもないよ。パンデミックが終わったら、バンドとしてもっと活動したいね。

TK: それに Whitesnake は長く続いている。パンデミックにも関わらず、次の活動に向けて前進しているんだから。

(訳者注:先日、カヴァ様がコロナ明けの次のツアーをフェアウェル・ツアーにしてツアーからは引退することを発表する前の収録だった模様)

JH: 先日デヴィッドとメッセージをやりとりしていたら、僕が加入してもう7年になるということだった。時が過ぎるのは早いね。

TK: Cher の方は?

JH: デヴィッドが膝の手術でツアーができない期間があったので、何か代役の仕事があったら声を掛けて欲しいと友人に声を掛けていたら、話がきたんだ。でも最初、Cher 側にロックギタリストでも、きちんと(このタイプの)ギグをこなせるのか説明しなくてはならなかった。1つのピースとして仕事をこなせるのか、皆が心配したのだろうね。実際には僕は長い年月そういう仕事を経験してきているのだけど。

TK: そうだ。君にはできることが多彩にあるのに、Whitesnake だと言うと人にはハードロック・ギタープレイヤーかと、それで判断されてしまう。それは君の才能の一部でしかないのに。

でもショウのパフォーマンスの上で Cher はロック・ガイという外見の君をショウに加えるのを喜んだのではないかい?

JH: あれは、僕のアイデンティティを少しばかり入れた動きだ。代役として僕は最初、前任者デイヴのギターとアンプでプレイしていたんだ。できる限り、彼と同じ音を出すよう心掛けた。

音楽監督が全ての演奏を片側にクリックトラックと共にいれて、ギタートラックのみを別サイドにして音源をくれたんだ。おかげで僕は(前任者の)全てのニュアンス、スライドアップ/ダウン、ヴィブラート/ノーヴィブラートまでを学ぶことができた。

それをモノにしてから、彼らがくれた前任者のステージビデオを見て、僕は彼とは少々違うステージプレゼンスを、僕のパフォーマンスを出そうと思ったんだ。僕はそうやってギグの準備をして、皆が気に入るか後は運に任せるんだ。

あと、僕の髪をどうにかしなくちゃいけないかと訊いたよ。髪をまとめて帽子を被るとか、どうとでも。ポップ界ではこの頭はクールじゃないかも知れないから。でも Cher が長髪を気に入ったんだ。

 

 

TK: ああ、僕の見る限り、君の髪はヴィジュアルを加えた要素の1つだったよ。
今年後半以降にはライブが戻ってきそうだけれど、君の予定表はどんな感じだい?

JH: 今のところ僕に公表できることは無いよ。デヴィッドの計画ははっきりとはわからないんだ。彼は数ヶ月ツアーに出て、数週間家で過ごすのが好きだから、ツアーはそれを繰り返す感じだ。これは国内だけでなく海外の日程も含めてのこと。だからブッキングが国内ほど単純じゃない。

TSOについては、国内のみで11~12月のことだからね、様子をみてみよう。TSOのマネージメントはプロフェッショナルだし、ツアーを望んでいるから彼らがどう采配するのかについては信頼している。

 

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TK: 今日はありがとう、君が複数のギグをこなしているのは君に特別な才能があり、一貫した能力、自分の属する団体の負債にはならず、プロとしての行いができるということが聞けた。君は正に完璧な例だ。

JH: ありがとう。また僕たちがプレイできるようになったら、プレイしてそれを証明したいよ。(笑)

TK: 君と最後に会ったのは、2019年にヴェガスの Vamp'd でジェフとジェイソンのアコースティック・ライブだったな。

JH: そうだ、彼らに連れていかれたんだよ。彼らを何とかいいサウンドで聴かせるのに苦労したよ。(笑)

 

TK: 彼らを担いで、腰が痛くなったよな。(笑)

JH: 僕らは生身の人間なのにね、彼ら何を期待してたんだろう。(笑)

TK: ハハ。最後に君とツアー先で会ったのは2019年の Download フェスだったよね、また会えるといいな。僕は楽観主義者だから、またかつてのようなツアーは始まると信じている。また会おう、兄弟!

JH: ありがとう、また会おう。

 

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スティーヴ・ルカサー 「俺より優れたプレイヤーになくて、俺にあるものはアレンジャーの耳だ」

スティーヴ・ルカサーがギタリストへのアドバイスを語りました。

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さすが、長年のキャリアと幾千のスタジオ仕事に裏打ちされた言葉は重みがあります。(言葉がダーティだけど、笑)

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1.耳と心を開いておくこと

俺は1日のうちに SlipknotCarpenters を聴いてもキモくなったりしない。でも、いつだって甘美なコードが好きだ。ピアノで TOTO のバラードを書いたんだが、俺の音楽人生の始まりは高校だ。ポーカロ兄弟に会ったおかげで新たな音楽に目覚めたんだ。ジャズやファンク、ロスのスタジオミュージシャンがプレイしている音楽にな。それで俺の音楽趣味が広がったんだ。

俺はいつも新たな音楽を探してラジオ局のチャンネルを回してる奴だった。ジャズやジャズ・フュージョンに魅了された。ジョン・マクラフリンアル・ディ・メオララリー・カールトンリー・リトナー、ジェイ・グレイドンなんかが好きだった。

彼らは大物で、俺はああなりたかった。スティーリー・ダンの "Kid Charlemagne" でのラリーのソロには衝撃を受けた。彼はジャズ・ガイだってのにロック・サウンドで弾いていた。イケてたね、お気に入りだった。

「ロックスター」になるとか、ヒットレコードを出すなんて夢は持ってなかった。そんなのは起こりっこない話だ。俺はただプロのミュージシャン、スタジオミュージシャンになりたかった。それなら実現可能な仕事だ。俺は結局、Midnight Special みたいな多くのテレビ番組で様々なシンガーの後ろで弾く変な18歳のガキになった。

 

2.チームプレイヤーたれ!

ボズ・スキャッグスの仕事を得たのは19歳のときだった。彼は最高だった、俺をステージで引き立ててくれたんだ。それでジェフ・ポーカロは俺が TOTO に相応しいと思った。そしてやってみたら、それが上手くいったんだよ。

大事なのは2度目のお呼びがかかるかってことだ。プレイして、再びお呼びが掛かるくらい良ければ、認められる。つまり、ギグの重圧に耐えられるってことだ。クリエイティブにその場で、デモ無し、リハーサル無し、次の展開の説明無しに、自分のパートを弾けるってことだ。

G-Em-Am-D って書いた譜面が渡されたら、何を弾く?曲のヴァイブはわかる、ドラマーはちょいとばかり叩き始めるからグルーヴはわかる、皆が弾いている中で、曲全体がうまくまとまるようなパートを思い付かなきゃな。

 

3.タイムが全て

俺より優れたプレイヤーになくて、俺にあるものはアレンジャーの耳だ。もし俺が他のギタープレイヤーと仕事していたら、彼のパートと上手く合うものを何か思いつかなくちゃならない。俺はジェイ・グレイドンやレイ・パーカー Jr. やディーン・パークスみたいなレジェンドとプレイした、ああ幸運だったのさ。でも自分が何か貢献しなきゃならない。

俺は素晴らしいミュージシャンが録音の赤いライトを見て、緊張に押しつぶされる姿を見てきた。優れたリズムギター・プレイヤーでなくちゃならない、良いフィールと完璧なタイムで一貫してなくちゃな。

著名バンドでソロを弾くような人らのオーバーダブもやった。でも彼らがクリックに合わせてリズムギターを弾くと、スウィングは無いわ、固いし、タイムが揃っちゃいない。それで俺が替え玉になってそのパート全部を弾いたもんだ、タイムきっちりにな。誰のことかは言えないけどな、秘密保持契約がある!それに、ソロを弾くときに最初の2小節で自分の腕をひけらかす必要はないんだぜ。

 

4.ちょいとばかりチューニングがずれた方がいいこともある

『Thriller』で弾いたとき、クインシー・ジョーンズはずっと俺に裁量を与えてくれた。"Human Nature" では「これはR&Bのラジオ局で流したいんだ、ファンキーにしてくれ」と言われた。それで俺は(伝説のエンジニア)ブルースに「ちょいと試してみよう。ダイレクトにプラグインして変わったサウンドを出そう」と言ったのさ。

パートを思い付いて、ダブルトラックで録音したが、2番目のトラックのテープは少々再生を遅くした。ちょいとばかり調子を外した感じにするためだ。ほら、Beatles がよくやってたみたいに。2つのトラックは少々互いに擦れ合って奇妙なコーラス感を出してた。クインシーがそれを気に入ったのさ。"Beat It" はマイケル・ジャクソンのリフだ。俺が少し変えてプレイすると、彼は踊り出した。俺の2フィート先でマイケル・ジャクソンってダンスをな。

俺は24歳で、成功したぜ!と思っていた。"Beat It" ではエド(エディ・ヴァンヘイレン)のギターソロを除く、ベースとギターパートの全てを俺が弾いた。全部で Marshall を使ってたら、クインシーから「音がデカ過ぎる。これはクロスオーバーヒットにしたいんだ。お前の持ってる小さいアンプを使ってみてくれ」と言われた。それで俺が手持ちの Fender Deluxe をディストーションを落として使ったのが、完成版レコードの音だ。


5.モチベを上げるには、嫌な仕事をしろ!

もし俺が今キャリアを始めるとしたら、レコード契約のある奴との仕事を探す。バンドを探してるシンガーだ。それならまた声が掛かる可能性があるし、きっとそうなる。バンドの1員になりたいなら、競争率は高いが、自分自身と自分の音楽が十分良ければ上手くいくだろう。

ガキの頃には俺も嫌な仕事をした。一生ドライクリーニング工場の掃除だなんて御免だったぜ!子供には皆、嫌な仕事をさせて本当にしたいことに目覚めさせるのがいいと思う。

 

6.稼ぎたいなら、曲を書け

俺は今でもデヴィッド・ペイチと毎朝6時に電話で話す。彼はツアーできる体調にないが、俺と一緒にバンドを経営しているんだ。去年11月のライブストリームの為に新しいバンドを揃えて、それが上手くいった。俺は TOTO の過去15のバンド編成全てに参加してる。

 

デヴィッドは主席作曲者だ。"Hold The Line" も "Rosanna" も作曲して "Africa" はジェフと共作した。彼がいつも言うんだが、良い曲を書いて、腕利きのミュージシャンにプレイさせれば、最高になるんだ。

彼には作曲するよう勧められ、一緒に曲を書いた。『TOTO IV』の頃には皆が作曲してたよ。書かないよりも金になる。いい仕事をすればもっといい金になる。今ではTOTOのセットでソロ曲もプレイする、アルバムの購入者の多くは同一だからだ。でも世界は変わっちまった。TOTO で30億回ストリーミング再生されてる、30億だぜ!その金はどこに行ったんだよ?

 

7.厳しい世界だ

(音楽ビジネスってのは)単純な世界だ。誰かに顔面を殴られケツを蹴られても起き上がり、「チクショウ、もう一度やってみろ!」って言う。それができなきゃ辞めるんだ。この世界のビジネスは感情的にはそういうもんだ。顔面パンチさ。「イエス」よりも「ノー」がずっと多いし、マジで重圧がある。

(レコーディング中の)赤いライトが点灯したら、(良い演奏を)キメるのか、ヘナヘナになっちまうのか?「ロックスターになるのは簡単だ、誰でもなれる」なんて人は言う。「俺は俳優だ、セリフを覚えられるし、簡単だ!」とも言う。じゃあやってみせろよ!ジャック・ニコルソンの隣で演技するのがどんなに簡単なのか見せろってんだ!

俺たちギタリストにとっては、時速9千万マイルで弾くよりシンプルに演奏することを学ぶのはずっと難しくて退屈だ。速弾きにはレベルがあって、俺は低いレベルにいる。かつて俺がジョージ・ハリソンのプレイを学んでたら、皆にスゲー奴って思われたもんさ。今じゃ小さな子供がYouTubeでスティーヴィー・レイ・ボーンみたいにプレイしてる。俺は違う時代に育ったんだ。

 

8.エフェクトはほどほどに

80年代ってのは何でもやり過ぎたってことで有名だ、コーラスやディレイなんかだ。何枚かのアルバムでそういうエフェクトを使った。プロデューサーがそういうサウンドを求めるんだ。「この曲にはどうかな」って言ったもんだったが、欲しがられるんだよ。

ギグに雇われると「Bradshaw を持ってくるだろう?」って言われたもんだ、(訳者注:Custom Audio Electronics のボブ・ブラッドショウ制作リグのこと。ルークのリグを組んでいたのは彼だった。ルークのオフィシャルサイト資料はこちら彼らが求めてたのはあのサウンドだった。TOTOのファーストアルバムでは、金と時間があったんで、サウンドの実験やギターのレイヤーを試した。でも人の音楽に雇われたときは、求められるものを提供しなきゃな。

デジタルFXパッチのメーカーに「ルーク」ってのを創ってもらったんだが、フランジャーやらリバーブやら、まるでクソみたいなサウンドだった。「俺のサウンドがこうだと思ってるのか?」と思ったけど、そういうのを使い過ぎてたのは俺なんだ、恥ずかしながらそうだったのさ。

Bradshaw のリグを手に入れて直ぐ、教則ビデオ Star Licks を収録した。そういう時代だったのさ、服装も髪型もドラッグにMTVも、イッちまってる時代だったのさ。

 

9.自分の音を見つけろ

音を聴けば俺には良いモノはわかる。Snarky Puppy は俺のお気に入りバンドの1つだ。それに Animals As Leaders のトシン・アバシはエイリアンだ!俺は音楽スノッブなんだ。でも俺は本当に上手いプレーヤーが好きだ。ザクザクした四連符をプレイして光速でハーモニック マイナー・スケールを弾くようなナリキリ野郎じゃなくてな。

まあ、それはそういうモンで、音楽スタイルとして意図的にやってるのかも知れないが、俺が子供の頃はジェスロ・タルLed Zeppelin の聴き分けはできたぜ。

息子のトレヴのバンド Levara は TOTO をヘヴィにしたようなサウンドだ。息子が自分のソロを書いてあるとき俺に言ったんだ、「父さん、単にブルースを弾いたりしないよ!」それでこう言った。「いいじゃないか、自分のニッチ分野を見つけたんだ!」それが重要なんだ。自分のニッチ分野、サウンド、立ち位置を見つけること。誰も全てはプレイできやしないんだ。

(訳者注:5/14にデビューアルバムをリリースした Levara ですが、その僅か4日後の18日にトレヴの脱退を発表しています。そんなのってアリ?現在のトレヴは Invisible Friends という新プロジェクトに進んでいる模様です)

スティーブ・ヴァイ 「アコースティック・アルバムはひとまず中断することにした」

ヴァイ先生が今年も6月6日の誕生日に動画でコメントと演奏を届けてくれました!

61歳の誕生日ということで年齢を重ねることに関する深いお話もされていますが、ファンにとって最大のプレゼントは来年のツアーに向けて、ニューアルバムの制作に取り掛かっているという近況報告ではないでしょうか!どうか順調に進みますように!(心底祈願)

動画でのお話を和訳してみました。

 

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やあ、皆。今日は6月6日、私の61歳の誕生日だ。私は1960年6月6日生まれなんだ。だから1966年6月6日に6歳になったのさ、午後3時に。でも世界のどこかでは6時だったろう。(笑)

ここで私の近況を投稿しよう。私はとても元気だ。肩は回復していて、少々固さを感じるけれど元に戻るだろう。私はしばらく、Knappsack を肩に付けていたのだが、それを外してしばらくは全く演奏できなかったんだ。

ギターを弾こうと手に取ってみると、一度も感じたことのない感覚を味わった。右手のストロークやピック弾きをしてみても空振りしてしまうんだ、とても変だった。「そうか、行きつく先はこういうものか」と思った。しかし長くは続かなかった。もちろん、私は何をすべきか心得ていたからね、だから問題なくプレイは戻った。

その期間、いろいろなことをやったのだが、その1つが Patreon で、多くの時間を注いだ。私のスタッフが私にとって最善のフォーマットが何かを調べてくれたんだ。Patreon が私のやろうとしていることにフォーマットとして合っていたんだ。様々なコンテンツを整理するフォルダーもあった。

実際、そこはワイルドでクリエイティブな様々なモノのはきだめのようなもので、私が夢見ていたものだったのさ。音楽だけではなく、人々の役に立つコンテンツも追加できるとわかった。互いに提供しあって我々は学んでいくのだよ。そんな訳でとても上手くいっている。更に嬉しいことにチャリティの要素も加えることができた。

私はソロのアコースティックでボーカル入りのアルバムを制作していた、高度なギターテクニックを要するものではない。1曲では全体で強烈なかき鳴らすストロークを使うもので、プレイするのに8日を要した。ずっと練習していて、ようやく出来そうになったとき、手術しなくてはならなくなった。(訳者注:左手のバネ指のこと)また1からやり直しになってしまったんだ。

それで、アコースティック・アルバムはひとまず中断することにした。私はツアーに出たいんだ。そのためにはアルバムが必要だ。レコーディングしたい関心事が沢山あるので、それは良いことなんだ。今取り組んでいる曲は7弦で弾く曲だ。7弦ドロップAチューニングしたもので、リッチなディストーションのかかったコードが持ち味だ。"Story of Light" や "Under It All" の感じに近い。こんな風に曲の輪郭や奇妙なコードを紙にメモしている。(ノートを見せる)"Zeus In Chains" という曲だ。それからもう1つは "Apollo In Collar" だ。

(訳者注:発音が判別できず 「color 色」か「collar 襟」か分かりません。In Collar なら「首輪で拘束されたアポロ」で「鎖に繋がれたゼウス」という曲と類似シリーズな感じ)

ツアーに戻るのが楽しみで仕方ないよ。61歳になるというのはおかしなことだが、最近私が髭を伸ばしていたのを見ただろう、鏡を見る度に、「こいつは誰だ?」という感じだった。ある日じっくりと鏡を覗いてみたんだ。自分の顔の変化に気付いたよ。変なシミは出てくるし、顔が溶け出したみたいだ。他にもあるが、気分はとても良い。

そして別に湧いてきたことは、過去を少しばかり振り返るということだ。

やってみると、10代の頃というのは多くの不安を抱え、エネルギーに溢れ、激しさがあった。その時期というのは、独立心を発見していく開始点だったように思う。自分にとって重要なこと、関心のあること、やりたいこと。そこでは自分がしたいことが重要だ。そして時には、自分に他のことをするべきだと言う声に対して、反論し闘わなければならない。もう分かっているだろうが、そういう声の言うことは決して上手くいかない。自分は自分らしくあることによってのみ幸せになれるのだ。

それは20代になってわかることかも知れない。20代は素晴らしい、燃え盛るように。創造的アイデアに溢れ、外に出て世界を足元に組み伏せたいというようにね。私にとって20代はとてもエネルギーに溢れた状態だったよ。

そして30代、40代は私にとって実に素晴らしい時期だった。エネルギーに溢れつつ、思考の上ではより秩序だって、より物事を効率的に達成できるようになる。この年代には時として荒波ともいえることが起こるのだが、私にもそれなりの試練があったよ。しかし年齢を重ねるに従って、さほどそれらを深刻にとらえなくなる。

思うに、多くのことが年齢を重ねて熟練するのだ。50代は最良の時期だ。自分のコントロールできない事柄について心配するのをやめるようになる。世界を修復する必要はない、世界はそのままで順調だ。ここでそれを説明してくれとは言わないでくれ、まあ今後の Under It All で話すかも。

とにかく、物事をさほど深刻にとらえないようになる。それは何も、すべきことをしなくなるということではなく、むしろより上手く効率的に処理できるようになる。より明瞭に見通せるようになるからだ。これは良いことだよ。

60代は一層良くなると思う。実際、私はとても気分が良いしね。60代について私が発見したことは、自分の人生の全てが今の環境に表れているということだ。今の環境に常に取り巻かれている。それは家族や友人や職場の同僚との交流だったり、例えば、どこかに出かけたとして、そこでも今の環境にあるだけなのだ。非難したり、批判することなく、今の環境とは実のところとても良いのだ。平穏でね。

これは私のかつての暮らし、今でも時折ある頭の中での暮らしとは対照的だ。頭の中の暮らしとは、頭の中の思考を認識できるだろうか。多くの場合、過去に関する思考だ。その多くは後悔していることや悲しいことについてだ。そして自分に起こったことによって作った自分のアイデンティティや自分がした事について。

そういうことはもう起こらない。人生とは今にあるのだ。これが私にとって重要性を増してきていることの1つなんだ。(かつてのような思考を)手放すのは難しいが、人生を楽しむためには不可欠だ。

私たちは思考の中に閉じこもってしまいがちだ。新聞やニュースにふれることで私たちが世界で起こっていると思っている悲惨な様々なこと、これらは全てある視点や意見でしかない。それほど深刻にその意見に流されず、もちろん自分の意見を持つことはできる。そうすることで自由と心の平穏を見つけられる。そして自分を取り巻く環境が実はとても良いことに気付くだろう、自分の居るべきところなんだ。頭の中の思考ではなくてね。

そうして85歳の誕生日を迎えて鏡を覗けば、「どういうことだ?私の人生はどこに?あれらはどうなった?」ということがない。そんな必要はないんだ。今の環境に生きること、それが人生を生きるということだ。私が発見しつつあることはそういうことだ。とても為になるよ。70歳になったらどうなっているか実に楽しみだ。

それで、私は Patreon で Alien Guitar Secrets というマスタークラス的なものをやっているのだが、エピソード11が今公開されているよ。キャビネットにマイキングする方法を取り上げた、とても詳細な内容だ。私は優れた人々から多くを学んだ、それら全てを取り上げている。

エピソード13ではアナログとデジタルのディレイを取り上げた。これらに私は魅了されているんだよ。かなり深堀した内容になっている。あらゆるパラメーターやディレイについての現在の技術的に可能なこと全て。それらに関心があれば、エピソード13は興味深いものになるだろう。(訳者注:エピソード12の言い間違いと思われます)

そこで私はちょっとしたループを使ってジャムをした。ただその上でずっとプレイしたんだ。20分ほどプレイして編集した。失敗を見せないようにね。(笑)今からそれを見せよう。楽しんでくれ。

それから、沢山の誕生祝いのメッセージをありがとう。それだけでなく、長年にわたってのサポートをありがとう。私は運に恵まれた人生をおくっている。ツアーで会おう。

(訳者注:最後に仕草で "I see you." 君が見えるよ、と言っています)

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気になるヴァイ先生のニューアルバムですが、以前のお話では Real Illusions の続編第3部か、インストのトリプルアルバムの構想がありました。

Real Illusions の方はボーカル入りの構想だったので、短い制作期間を考えると、インストのトリプルアルバム構想を簡略化して1枚のアルバムもしくはEPにしたものではないかと想像しています。とにかく早くニューアルバムの制作が進みますように!

 

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ロッド・モーゲンスタイン 「彼のサウンドは他の誰とも違っていた、それがスティーヴ・モーズだ」

Winger のロッド教授がメディアのインタビューに応えました。5月始めに公開された Part 1 では、伝説のバンド Dixie Dregs の結成とデビューまでのお話が聞けます。70年代にレコードデビューするには正に「ちょうど良いときに良い場所に居合わせた」ことがカギとなったようです。インタビューを和訳しました。

 

 

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いつドラムを始めたんだい?

10歳のときだ、日曜の夜に両親が「エド・サリバン・ショー」を観ていて、私と妹もテレビの前にいた。すると「イギリス、ロンドンから来た The Beatles です!」エドが紹介したんだ。ドラマーに目が釘付けになって、両親に言ったのさ、「大きくなったらあれをやりたい」とね。

3年後に友達の家に遊びにいったとき、「これ聴いてみろよ!」と言われたのが The Jimi Hendrix Experience のアルバムだった。最初の1曲で圧倒されたよ!それでミッチ・ミッチェルがお気に入りのドラマーの1人になったのさ。

10代の後半にはジャズに魅了された。高校生の頃に(17~18歳)マイルス・デイビスを聴いて、フュージョンの大祖父みたいだったよね。そしてマイルスとプレイしているドラマー、トニー・ウィリアムスがお気に入りのドラマーになった。

それから Mahavishnu Orchestra のビリー・コブハム。あのバンドは他のどのバンドよりも私の世界観を一変させたよ、なぜか私の内面の奥深くに届いたんだ。これはめったにないことだ。そしてアルバム『The Inner Mounting Flame』 (1971年 ジョン・マクラフリン参加)によって、変拍子の世界に導かれた。

スティーヴ・モーズとの出会いは?

私のキャリアの始まりというのは、素晴らしいジャズ課程があるマイアミ大学に行くよう、そこの卒業生の教師に勧められたところからなんだ。私はドラムが上手かったけれど、ピアノも少々弾いていてね、ジャズの即興クラスでピアノを弾いていた。

そのグループにはギタリストが1人いて、彼は (ジャズプレイヤーらしく)Gibson の大きなホロウボディを弾く替わりに、4つのピックアップを載せた Fenderテレキャスターを弾いていた。Gibson のテールピースとストラトのネックを付けていて、ブロンドの長髪だった。彼のサウンドは他の誰とも違っていた、それがスティーヴ・モーズだ。

(訳者注:それどんなギター?と思ったら開始 3:01のところに写真が出ます。どんなテレキャス!)

教師はいつも彼に口出していたよ、彼はジャズ・ギタリストらしいサウンドじゃなかったから。彼らはスティーヴをジャズ・プレイヤーのサウンドにしたかったのさ。クラス最初の数週間、私は彼に感心していた。

ある日、彼がやってきて「君がドラムを叩くって聞いたけど?」と訊くので、そうだと答えると、「バンドのドラマーがサーフィンで腕を痛めたから、代役を探しているけどどうだい?」と言うので、了解したんだ。

そしてリハーサルしているバンドのところに行くと、Mahavishnu Orchestra や The Allman Brothers BandFrank Zappa & The Mothers Of Invention のカバーや、スティーヴ・モーズのオリジナルソングを弾いているバンドがいたのさ。自分がここに足を踏み入れたことが信じられなかったよ。死んで天国にきたのか?とね。(笑)

そして数週間して、元のドラマーの腕が回復したんだけれど、バンドのクレイジー変拍子やらポリリズムのプレイは彼には合わないとのことで、彼が辞めて私が正式にドラマーになったんだ。

そして君たちは75年にセルフ・プロデュースのアルバムをリリースしたんだよね?

75年に大学のキャンパスに素晴らしいコンサートホールが完成して、当時の最先端だった24トラックの2インチテープリールシステムの録音機器が導入された。私たちはそれで後にデモアルバムとなった曲を録音したんだ。10曲入りの『The Great Spectacular』だよ。

数か月後に私たちは大学を卒業して、スティーヴ・モーズとベースのアンディ・ウエストと私でNYのレコードレーベルの扉を叩いて周ったのさ。レコードレーベルの名前と住所を調べて、電話もせず、アポもとらずに、「私たちはバンドです。レコード契約したいので、このデモを聴いてください」とね。

殆どはお断りの手紙を送るための住所を訊いて扉を閉めた。彼らには理解できなかったのさ、ボーカルのないバンドで、ロックバンドというが、そんなので音楽界へ入れる訳がないと。私たちはおかげで強くなったよ、彼らがいかに間違っているのかを世界に証明したかったのさ。生き残るだけでなく、突破口を開いて、レーベル契約を取って、私たちの業績を残そうとね。

私たちが最初のレコード契約を得たのは、南部の州をツアーしていたときだ。テネシーナッシュビルにある Exit/In というクラブで演奏していると、バーに有名なミュージシャンが座っているのに気付いた。

そこでステージ上でバンドミーティングをして、あそこに座ってる人が見えるだろ?一発ぶちかますぞ、って全員で頷いたのさ。ライブを終えるとそのミュージシャンが連れと一緒に私たちのところにやってきた。そのミュージシャンとは The Allman Brothers Band のピアニスト、チャック・ラベルだった。彼の連れは バンドのプロダクション・マネージャーのツウィグス・リンドンだった。

彼らは絶賛してくれた。「君たちは何者なんだ?俺たちはツアーのオフ日でここにカントリーバンドでも聴きにきたというのに、圧倒されたよ、ロック・フュージョン・カントリー・クラシック、君らが何と名乗ろうと。君らのレコードはどこで買えるんだい?

 

それで私たちにはレコード契約がないと言うと、「明日の朝一番に契約を届けるよ、カプリコン・レコードの社長フィル・ワルデンに電話しよう。君らがジョージアのマコン(カプリコン・レコードの所在地)でプレイする日を確定しよう」と言われた。

2ヵ月ほど後に、私たちはそこでプレイしたよ。 The Allman Brothers Band はツアー中ではなかったので、そこにはチャック・ラベルも来てプレイしたんだ。その夜、ワルデン社長のところに行くと、レーベルの幹部にツウィグス・リンドンと皆が揃っていた。皆が絶賛していたよ。

それは正にちょうど良いときに良い場所に居合わせるということだね。

当時の音楽業界はそういう仕組みだった。(笑)

(Part 2(未公開)に続く)

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 ロッド教授のキャリアについて詳しくはこちらの過去記事をどうぞ。

staytogether.hateblo.jp

 

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