ヴァイ先生の最新インタビューはなかなかに中身の濃い良質なインタビューでしたが、オジーとの曲づくりに関する既発の思い出話がネットメディアにセンセーショナルに報じられ、騒ぎになってしまいました。
今週は元インタビューから興味深い内容を一部とりあげて和訳してみました。
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『Sex & Religion』は今年発売30周年ですが、何か記念リリースは期待できますか?
私がやろうとしている膨大なリストにはあるんだ。少なくとも現代のテクノロジーでリマスターして、LP盤を制作し、デジタルにも変換したいと思っている。
随分と音質の良いものになるだろう、既発のアルバムを聴くと嫌になるんだよ、だから少なくとも音質は改善する。
ボーナス特典を付けられたらいいだろうね。あのころ撮った動画があるんだ。デヴィンも興味を示すだろう。デヴィンは寛大にも、現実的に可能ならば何でもしてくれる用意があるのさ、彼の予定の範囲内であれば。どうなるかはわからないけどね、私たち双方ともが究極に多忙だから。でも何かできれば良いと思う。
数年前にノルウェーの Starmus Festival でデヴィンと共演しましたね。今年のアニバーサリーで共演することは可能でしょうか?
実現したら素晴らしい。だが私とデヴィンが仮に1つのショウをするために共演するにしろ、それは何ヶ月もの準備を要する。譜面を読み、曲を全て覚えて、バンドを用意するのは、経済的には成り立たないだろう。
でもそれはいいのだ。そういうことをするのは金のためではないんだ。だから、実現したら素晴らしいし、何かそんな事ができたら嬉しい。ただ私は恐らく2024年の4月までずっとツアーなんだ。
2022年フランスでの Hellfest では Whitesnake のステージに登場しましたね。今までのところ、彼らがプレイした最後のライブです。
あれは最高だったよ、デヴィッドを愛しているからね。私のバンドの出番は彼らの直前だったので、デヴィッドが私を招いてくれないかと期待していたんだ。そうしてくれそうな気がしたんだ、そうしたら実現した。私の過去の一時期をほんの少し祝福することができて感激だった。Whitesnake にいた時期は良い思い出が一杯だからね。
ついこの前(LAでの Metal Hall of Fame 授賞式 1月26日開催)ルディに会って、昔話で盛り上がったよ。それにエイドリアンとも割と良く話すんだ。デヴィッドとは週に何回もメッセージをやりとりする、ミームとかそういうジョークをね。
(訳者注:このやりとりで採用されたジョークはカヴァ様のツイッターで発信されます。笑)
あのバンドにいたのは楽しかったよ。私自身の音楽的趣向からすれば、生涯の選択にはならないものの、あの機会を得たことはとても幸福だった。そして彼らと Hellfest の莫大な聴衆の前でステージに上がるだなんて、素晴らしかった。おとぎ話のようだよ、しかもあれが Whitesnake 最後のパフォーマンスになったかも知れないだなんて、思いも寄らないことだ。
オジー・オズボーンがツアーからの引退を発表しましたが、90年代に彼と仕事をしたのはどんな経験でしたか?
オジーのアルバムが私の棚にあるんだよ、ガッシュのアルバムのように(長年棚で眠っている)、いや同様ではないな、私がレコーディングしたプロジェクトだ。私にはこのプロジェクトを采配することもできないし、権利もない。でもオジーとはいくつかとても良い曲を録音した。ギターの観点からこのレコーディングの興味深い点は、私のプレイしたリズムギターのパートの全てはオクターバー(Octave Divider)を使ったことだ。それでこのアルバムは全く個性的になったんだ。
当時、オジーのバンドに参加するスレスレのところまでいったのですか?
私が認識している事の顛末はこうだ。オジーはレーベルとの契約のもと、ニューアルバム(『Ozzmosis』になる作品)を半分ほど既にレコーディングしていた。それでシャロンとレーベルは更に曲を書くためにオジーと何人かの作曲者をコラボさせたいと考えたのさ。
私はそのうちの1人で、あれはオジーのアルバム用に持ち帰り使用するための作曲をするのが目的だった。そしてオジーがアルバムで起用しているミュージシャンがそれをレコーディングするというものだ。
それで私は「いいじゃないか。やってみたい」と思った。しかし私とオジーは楽しすぎて夢中になってしまった。そして多くのレコーディングをした。遂には「最初からアルバムを創ろう!」と考えるに至った。
そこまでは楽しくて良かったのだが、鉄槌が落ちて来た。「何をしているんだ?オジーはヴァイから1曲を持ち帰り、アルバムを仕上げるべきだ。既にアルバムには大金をつぎ込んであるし、ヴァイには費用がかかる」というのが彼らが言った内容だ。そしてアルバムが完成したという訳だ。
オジーとフルアルバムを制作したのですか?
ああ。そのうちの1曲は "Danger Zone" だ。あれはガッシュのアルバムに書いたもので、もう完成していた。オジーが気に入るかも?と思ったのさ。それで少し手を加えたが、お蔵入りしている。
『Fire Garden』に入っている "Dyin' Day" もある。あの曲は元は歌詞があった。他にとてもヘヴィな曲もあった。さっき言ったように私は全ての曲にオクターバーを使ったから、大変な努力だったよ。
「オジーと仕事するだなんて、彼と組んだギタリスト達は皆が素晴らしかった。私はどうすれば?」と考えて、紋切り型のことはしたくなかった。そういうのは私らしくないからね、でも一方でリスナーの聴きやすさも必要だった。それで「オクターバーを全部で使おう」つまり、リズムギター全てでと考えたのだ。
(和訳ここまで。この後には "Little Alligator" の歌詞誕生の経緯として、フロリダで奥様とドラッグ・クイーンのショウを観に行き、ステージに上げられてしまうという楽しい体験をした話が語られていました)
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このインタビューはインタビュアーが先生の作品やキャリアに詳しく、なかなか良い内容だったのですが、「オジーとの幻のアルバム」の存在について、先生が以前から時折話していた内容であったにも関わらず、オジーのツアー引退のニュース性に紐づけて、センセーショナルな見出しを付けて音楽系ゴシップメディアが次々と報じたために、24日になって先生が釈明のコメントを出すに至ってしまいました。
以下に先生のコメント和訳を記載します。先生がこれに懲りて、インタビュー時のガードが固くなったり、インタビューそのものをあまり受けなくなるような事態にならないことを祈ります。
FBコメント和訳
最近のインタビューで、私は少々不注意にも「お蔵入りのオジー・アルバム」について語り、センセーショナルなアクセス目当ての見出しが拡散してしまった。
明確にすると、96年当時にオジーと私は共に曲づくりのために集い、当時彼が既に半分ほどレコーディングを終えていたアルバムへの候補曲を制作しようとしていた。そのアルバムは後に『Ozzmosis』として生まれた。
私たちは数曲のデモを制作し、更に私はオジーに聴かせようと何曲も制作していた。彼は最終的に彼のアルバムで使用する1曲を選び、それが "My Little Man" となった。この曲は彼のバンドにより演奏/録音され、素晴らしいものとなった。
それ以外には、当時のセッションからは1曲のデモのみがオジーのスクラッチ・ボーカル(デモ用の仮ボーカル)入りで、全てのマスター・デモテープはレーベルに引き渡している。私が保管したテープは私が個人的に制作した曲だ。
全体的に見れば、フルアルバムに十分な楽曲があるのだが、これらの曲は再レコーディングが必要だ。デモは大雑把な地図のようなもので完成形ではない。
多くのオジー・ファンと同様に私も、どこかに秘密裏に隠されたオジー・アルバムが存在するなら嬉しい。いつか秘密が解かれ、私たちの耳を驚かせてくれるだろう。しかし、それはかつての私とオジーのセッションから生まれることはない。
混乱させてしまって申し訳ない。
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先生、お疲れ様でした。
なお、ご参考までに2015年にヴァイ先生がオジーとの仕事について語っていた過去記事はこちら。